但馬情報特急

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九条の会

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愛犬ハル

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    16年我が家の家族として、楽しませてくれた「晋平」が2005年 3月息を引き取りました。 代わりに今度は女の子を購入しましたが、恐がりで人になつか ないのが困りものです。 春に来たからハルと名付けましたが、血統書付きで本名は 「文美姫号」です。

府市場物語

2015年2月12日 (木)

神武天皇遙拝所

昨日11日は「建国記念の日」。
これほど国民に定着してない祝日はないでしょう。
わが区でも国旗掲揚していたのは、兵庫県警豊岡南署府市場駐在所だけでした。
もとはといえば、戦前の「紀元節」を国民の祝日として復活させたものです。

明治政府は、初代天皇といわれる「神武」が即位したとされる日を「紀元節」と定め、その後の天皇神格化、軍国主義の浸透に利用してきました。
戦後、日本国憲法の精神にそぐわないとして廃止されましたが、1966年に「建国記念の日」として復活しました。
日本書紀による神武天皇即位の日がもとになるのだからまさに神話の世界ですね。
 
ところで、我が府市場区の神社に「神武天皇遙拝所」という碑が残っています。

伊智神社境内           遙拝所碑
P2120013 P2120011
建立されたのは昭和3年、どうやら京都御所で「昭和天皇即位大礼」が挙行された記念に建立したようです。
ところがよく見ると、正面や側面に文字がセメントで塗り込められたような跡が残っています。
P2120015  P2120016
察するに敗戦後、民主日本にふさわしくない建造物として当時の長老か役員によって「自主規制」されたものと思われます。
同じく小学校敷地にあった奉安殿は撤去され、忠魂碑もいろいろ相談の結果、上郷頼光寺さんに移設されました。
  
この碑の意味も薄れてゆく時代ですが、天皇崇拝、軍国主義、戦争推進から、国民主権、恒久平和、民主主義へ大転換時の混乱における生き証人として残されるのも意味があるかもしれません。
そういえば、豊岡城跡も1873年(明治5年)に神武天皇遥拝所が設置されたことに由来し、その後神武山と呼ばれています。

日露戦争凱旋記念碑
Img_4690以前ブログ記事にした府中小学校旧正門にある「明治三十七八年戦役(日露戦争)凱旋記念碑」は、こちらは昭和の戦争遺物とは違い、昔のままに従軍者名を刻んで旧正門に屹立しています。

2015年2月 3日 (火)

伊智神社 節分祭

20150204_165709
当地も元旦祭と並んで伊智神社例祭として行われます。
昔は参道の雪かきが、当番の大変な仕事でしたが、暖冬の今はそんなこともなくなりました。
今年の天候は曇り、積雪もなく神社には大きな火が焚かれました。
府市場区にはどんど焼きがないので、この日に正月飾りを持参してお参りします。

昔は節分の夕方に「ムクロ打ち」という行事があったと聞きます。
ムクロとはモグラのことで、田畑を荒らすモグラの害を防ぐという、豊作を願う予祝行事の一つです。
モグラ送りの行事は、金だらいやバケツを叩いて「ムクロもち送った!丹後のかあた(彼方)に、いーけ行け!」とはやしたてます。
但馬だけでなくあちこちにこの行事があるそうで、畦を壊されたり、トンネルを掘られて作物を枯らされたり、モグラには相当手を焼いていたのでしょう。
 
最近では太巻きを食べることが習慣化してきましたが、'87年(昭和62年)に、海苔業者が制定したもので、節分の夜に恵方に向かい巻きを食べると幸せになるという言い伝えから生まれました。
バレンタインのチョコと同じで業界の作戦が図に乗った例です。

今年の伊佐屋の節分は海苔巻きもイワシも豆まきもなく、神社のお参りだけで静かに過ごしました。
面倒になったこともありますが、老夫婦2人の家族構成が風物も風化させるのでしょう。
 

2015年1月 9日 (金)

役員選出 歴史は繰り返される

十年一昔といいますが、10年前と同じようなことが我が村に起こりました。

区役員任期は2年と定め(同一職の継続は2期まで)、今年がその改選期です。
先般の初総会で選挙が行われ、区長は再選が決まったのですが、副区長選出で辞退者が相次ぎ、トランプの「ばば抜き」ゲームが延々続き、最終的には決まったものの後味の悪い結果となりました。
 
平成の初めまでは区規約もなく選挙は行われましたが、区長・会計・宮総代など10年以上継続して担当するのは当たり前の時代でした。
さすがに問題も多く規約作りが検討され、平成8年に新規約が作成されました。
慣例やその時々の取り決めを成文化し、役員は「分担と交代」を基本に「任期は2年、再選を妨げないが、同一職務の継続は4年を限度とする。」と定められました。
選出方法は新年に行われる総会で、事前の打診や工作も一切無く、投票での相対多数を獲得した人が指名されます。
「ガラガラポン」のような面もありますが、天命として受け止めたり、志の高い人がいてそれなりに機能してきました。
 
 
10年前のことですが、区長に会社経営の50代半ばの人が指名され、その人が無理と断り次点者も次々続き、とうとう総会で決まらないという前代未聞の事態となりました。
区長経験者による工作も行われたものの難産で、後日臨時総会を開き、最終期限の2月始めにやっと決まったことがありました。
 
今回「ばば」が次々と渡り、いままで「他人事」と考えていた区民の目を覚まさせたのと、「ばば」を引いた人達の多忙や体調不良を理由に断る人間性も垣間見られました。
 
副区長でさえこんな状態なので、責任が大きく多忙で苦労が多い区長選出において歴史が繰り返される可能性があります。
 
「自分の時間を制約されたくない」という最近の世相や仕事現役世代の「先輩方にお任せ」感覚も困ったことですが、世代交代を阻む団塊世代にも問題があります。
このような事態を招いた原因を分析して、選出方法も含めて対策を検討することが求められます。

(評論家のような立場で物言いをしていますが、私も何回か「ばば」を引きましたが、一度を除き「刑期満了」までお勤めしてきました)
 
 

2014年10月12日 (日)

2014 伊智神社秋祭り

私が子どもの頃は秋祭りといえば曜日にかかわらず、14日宵宮で、翌15日に開催されるのがほとんどでしたが、社会とライフスタイルの変化で、今や体育の日をいれた3連休の日曜に本宮となりました。
指定日にこだわっているのは、今や旧城崎町だけになりました。
あの岸和田だんじり祭りさえも、要員確保と観光客への便宜で9月14日~15日から直近の土日に変わらざるを得ませんでした。
 
台風19号の接近で影響が心配されましたが、祭り当日は晴れ間も見られるほどで、関係者が胸をなで下ろしました。
「五穀豊穣と区内安全」を願い伊智神社で神事が行われ、大人と子供のだんじりが区内を練り歩きます。
子供は全戸を周り「お花」をいただき、大人は区内の商店と役員宅の約20軒を訪れ、酒肴の「お接待」を受けます。
また3年に一度府市場区自慢の神輿がご神体のお渡りの後「お旅」(区内巡行)が行われますが、来年がその大祭りとなります。
神事(左は神輿)          子供曳きだんじり
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昭和中期のだんじりも復活    大人の担ぎだんじり
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全員集合でクライマックス     餅まき待機中
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午後3時には各だんじりとも神社に帰着し、子供相撲の後恒例の餅まきでフィナーレを迎えます。 
 
子供だんじりも私達家族がUターンしたころは,、小学生だけで団塊ジュニアを中心として70人を越す大所帯でした。
祭りの主役は男子で女子児童は後ろをついて歩くだけでしたが、引き綱の購入とゴム車輪への交換で全員もれなく参加できるようになりました。
その後少子化が進みで曳き綱もお蔵入りとなりましたが、近年児童の増加が見られ近いうちに復活するかも知れません。
秋祭りが終わると一気に秋が深まります。
 
 

2014年2月 8日 (土)

府市場区紹介資料

私が住む府市場区は明治期までは但馬国気多郡国府村、そして城崎郡国府村へ、昭和の合併で城崎郡日高町に、平成17年の合併で豊岡市へと変わりました。
形は広く大きくなっているようですが、行政単位は府市場区として自治・生活・防災など生活拠点は変わりません。
旧日高町広報を調べると約半世紀前の昭和41年の日付で紹介の記事がありました。
  ひだか広報紹介記事(昭和41年2月号)
Photo_9
祭り屋台が3基と一部不明なのもありますが、水との闘いや交通対策、高生平野を抱え農業の近代化に取り組む当時の府市場区の歴史を知る資料です。
これ以降市町合併前の平成16年発行の「ひだか辞典」に、日高町及び町内全区の記録が発行されました。

また平成22年地区公民館発行の「国府ものがたり」には、区民も参加して埋もれていた伝承も含めて歴史を掘り起こし、国府地区内13の行政区の記録が残されました。

  

2014年2月 3日 (月)

伊智神社 護持の歴史 Ⅶ

昔話同好会2月例会で、神社護持に関する新たな写真がメンバーから提供されました。
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大正4年の社殿と比べて、神社屋根も千木や鰹木が加えられ、向背屋根も唐破風に改修され今のものと同じなのと、神輿や関連用具も新調されています。
伊智神社前の写真ですが、神輿左側の幟に「祈願 出征軍人 武運長久 ○○○○家」と書かれています。
昭和12年の社殿屋根大改修と神輿新調、神輿倉建設直後、昭和13年~14年のものと思われます。
伊智神社護持の昭和大修理」を検証する記録が見あたらず困っていたのですが、この一葉で工事内容が立証できます。
まさに「論より証拠」ですね。
これを機にいろいろ資料や情報が提供され、神社護持の歴史が深まることを期待しています。

 

2014年1月19日 (日)

愛宕さんと新年会

今年の愛宕さん(愛宕講)は19日夜、昨年京都愛宕神社からいただいてきた軸を掲げて、近くの神社から「愛宕神社火災防護攸」と書かれた火伏札を頂き、各戸の戸主が代表してお参りしました。
もとは伊勢講だったのですが大正6年5月に橋上組内で起きた、手辺村大火災と関連しています。
私の家から4軒ほど上の、大工小屋から出た火は、わらぶきの屋根が中心だった当時あっという間に燃え広がり、5軒が全焼、1軒が半焼の大火災となりました。
大火を教訓として、火除け火伏せの神である愛宕さんのお札を奉じて、隣保を挙げて火の用心を誓ったものです。
時代が変わっても火事の恐ろしさや行事本来の意味を知って火の用心に努めたいものです。
愛宕本社の軸守          伊勢講からの厨子
P4130064 P1010002
お参り後は新年会に変わり、場所も公民館から料理屋に移り、ご馳走を食べカラオケで大騒ぎする新年会になりました。
私達がUターンして30年、当時若かったメンバーの多くが高齢者になりましたが、顔を合わせての交流ができる好機に、相も変わらぬカラオケ中心のコミュニケーションです。
半ば無理矢理歌わせて、「イエーイ」と盛り上がる?定番宴会に疑問を持つ歳になりました。
 

 

2014年1月12日 (日)

伊智神社 護持の歴史 Ⅵ

 
古文書読解力や古建築知識など及ばぬことが多
く、間違いもあると思いますが、一つの見解としてまとめ区民の検証を待ちたいと思います。


       <伊智神社護持の歴史>
                       

<江戸期>

・天和3年 1683年(4代将軍綱吉) 本社建築(再建)  

・天保6年 1835年(11代将軍家斉)本社再建         

・嘉永元年 1848年(12代将軍家慶)燈籠一対設置        

・慶應元年 1865年(14代将軍家茂)高燈籠設置   

<明治期>  記録なし

<大正期>

・大正4年 1915年(御大典記念) 本社屋根替え       

                  燈籠一対設置       

                 狛犬一対設置        

・大正12年 1923年        二の鳥居新設        


<昭和期>

・昭和12年 1937年        本社屋根葺き替え     

                 神輿再建           

                 神輿倉再建          

                 伊智神社碑建立      

・昭和14年 1939年        漱水鉢設置        

・昭和40年 1965年        本社屋根を銅葺き

・昭和47年 1972年        漱水舎再建        

・昭和51年 1973年        日吉神社祠を瓦屋根    

<平成期>
・平成元年  1989年        五社再建         

・平成6年  1994年        日吉神社再建       

・平成8年  1996年        神輿及の全面修理  

・平成10年 1998年        本社玉垣再建       

                 籠堂再建             
・平成22年 2010
年        一の鳥居撤去、

                 御輿倉屋根修理 

現存する本社は天保6年(1835年=178年前)に再建され、以後大正4年、昭和12年と同40年の屋根替えをなどの修理を経て護持されてきたと思われます。
 (天保6年の棟札に、旧社は天和3年に建立したと書かれています)
    
現在の本社殿
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神輿も老朽化したものを昭和12年(奉加帳に記録)に新しく建造し、59年後の平成8年に500万円余をかけて関連祭具とともに全面修理が行われました。
          
神輿のお旅
Img_0146 Img_0142 

他に神社関連文化遺産「屋台」については、以下の記事をご覧ください ↓
http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-34a7.html

 

2014年1月11日 (土)

伊智神社 護持の歴史 Ⅴ

文書記録はほとんど見あたりませんが、社殿内の棟札や墨書、碑文などの資料から護持の歴史がある程度分かってきます。
天保6年再建      大正4年修理    
6  4
昭和40年屋根修理棟札(表・裏)銅板葺きに改修
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手水舎墨書      高灯籠碑文(慶応元年)
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2014年1月10日 (金)

伊智神社 護持の歴史 Ⅳ

この時の府市場村出身の大口寄付者の碑が残っています。
20131127_090451 20131127_090500
16名で、高崎・東京・大阪・京都・神戸にブラジル在住者、総金額は一千六百五拾円に及んでいます。
20131127_090537今のお金に換算すると数百万円を超えるようです。
併せてこの時、参道正面に立派な伊智神社碑も寄進されました。

前にも触れましたが、農山村不況と日中戦争真ただ中にこれだけの大事業を成し遂げた先人の熱い思いと努力に頭が下がります。

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