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愛犬ハル

  • P1020325
    16年我が家の家族として、楽しませてくれた「晋平」が2005年 3月息を引き取りました。 代わりに今度は女の子を購入しましたが、恐がりで人になつか ないのが困りものです。 春に来たからハルと名付けましたが、血統書付きで本名は 「文美姫号」です。

伊佐屋物語

2015年1月15日 (木)

小正月と百人一首

7日までの松の内を「大正月」と呼び、15日を「小正月」と呼び、この日をもって正月の行事は終わり正月飾りがはずされます。
また、「どんど焼き」「左義長」と呼ばれる行事もあり、神社や田んぼなどで、正月飾りや古いお札などを燃やすところもあります。
また松の内に忙しく働いた主婦をねぎらう意味で、この日を「女正月」という地方もあり、歳末から正月と忙しく働いた主婦や女性達をねぎらう意味もあるようです。
 
時は昭和32年頃から、テレビが普及する38年頃、伊佐屋三木家に区内のご婦人方が集まり、「大かるた会」が毎年開かれていました。
松の内も過ぎ一段落した小正月、ミカンや駄菓子を手に母の友人10名程度が集まり、座敷を舞台に「源平戦」といって二手に分かれた団体戦を繰り広げていました。
皆が集まるまでは「乱取り」と言って、掘りごたつで誰もがフリーに取り合う方法で人が揃うのを待ちます。
それぞれに「おはこ」という得意札があり、それをものにするかどうか大騒ぎ、真剣な中にも笑いの絶えない和やかなものでした。
読み手はいつも父が勤め、当時小学生だった私も仲間に入れてもらい大いに鍛えられました。

帝国かるた選手會発行競技用「公正かるた」
Photo_7娯楽の少ない時期しかも地方の田舎町で、迎春仕事にやっと解放された主婦達の娯楽が、百人一首という「高尚」な遊びであったことは興味深いものです。
今では骨董品級の「東京かるた選手會発行の競技用カルタ」を持っていたことを見ても、元来伊佐屋三木家でたしなんでいたことが、交際好きな父母を通じて地域に広がったのでしょう。
一段落してミカンを食べて競技再開の時は、手を洗わされたり、終わった後は必ず数を確認するくらい大切に扱ってきました。
 
暮れに帰っていた孫1・孫2も小学中学年、そろそろ「坊主めくり」からステップアップする時期と思い、娘達も入れて競技したところなかなか筋がいいことに気づきました。
私たちがUターンしてから、冬休みになると父がコーチ役になって娘二人を毎晩特訓してくれ、それぞれ中学校のカルタ会では優勝かそれに近い成績でしたが、娘達は「偉大な父」を越えられませんでした。
今度は孫達の特訓役となり、「偉大なジジ」越えを目指させることにしましょう。 
 
 

2014年8月14日 (木)

2014お盆

お盆は、「祖先の霊を祀る」大事な行事で、各々のルーツに思いをいたし、先祖や家族の絆を確認することにもなります。

13日の日中にお花をお供えし、灯篭の準備と線香立てを用意します。
石塔の数は33基あって、以前は一つ一つにお花を準備しましたが、先祖代々墓の建立を機にまとめました。

役人だった叔父と教員をしていた伯父の2人が日中戦争で、それぞれ13年・14年に中国北部で戦死し、相次いで立派なお墓が建てられています。
星が付いた石塔の三方を使って経歴や戦死の場所・様子が書かれていて、子供心に誇らしくもありましたが、長じて親や家族の悲しみを思いやる心と、国家主義・軍国主義のもとに犠牲となった国内外の人々を思い、不戦・反戦の心を育むことになりました。

今年も神戸に住む兄妹夫婦や亡き姉の長女と子・孫がお参りしてくれました。
門徒である我が家には施餓鬼という考えはなく、食べ物はお供えしませんが、父の好物の缶ビールと母がよく飲んだ栄養ドリンクをお供えします。
父と母へのお供え
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2014年1月30日 (木)

寒の餅 かき餅作り

5日に寒に入り20日の大寒、 小寒から節分までの30日間を「寒の内」といい、冬本番時期に餅をつきます。
但馬各地で「かき餅」作りが話題になります。

<上山ふるさと館(新温泉町)>
 エビ、ゆず、のり、黒ゴマ、黒小まめ、青豆、生姜の7種類を藁で編み上げて吊します。
4枚×7種で600円
 
<そば処てっぺん(新温泉町)>
 白、ごま、エビ、黒豆、青のり、梅じその7種類をそれぞれ砂糖味と塩味とに分けて、藁で編み、40枚1組の連を作り、天井からつるして乾燥させます。
1連650円
<伊佐屋(旧日高町・元菓子舗)>
 エビ、黒豆、青のり、昆布、黒砂糖の5種類をなまこ形に延ばして乾燥させ、縦4センチ、横7センチ、厚み3.5センチにカットします。
2日おいて網棚に並べて風も日も当たらぬ部屋で1ヶ月乾燥させてできあがりです。
こちらは自家消費用で販売はしていません。

1月27日に餅をついて、翌28日にカットし2日寝かせて30日に網に並べました。
黒砂糖                    青のり
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エビ                      ちび黒豆
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しっかり乾燥したものを、火力調整可能なオーブントースターの中火でじっくり焼いて、薄く醤油をつけて缶に入れておき、酒のつまみやお茶うけに使います。
辛党の我が家は焼き専門ですが、油で揚げても美味しいようです。
このかき餅が食べられるようになると雪国但馬にも春の訪れが感じられでしょう。

 

2013年10月10日 (木)

伊佐屋の由来(続)

ブログ名「伊佐屋」は、屋号らしいけどどんな由来があるのですか?とよく聞かれます。
開設した2007年に「伊佐屋の由来」を簡単に載せましたが、詳しくいうと長くなり面倒でもあるので、「祖父の代に営んでいた菓子屋の名前です」と言っていました。
兄弟や家族を始め縁のある人にも知っておいてもらいたいので、旧国府村の歴史をまとめた「国府村誌(上・中・下巻)」の中巻(近世編)の記述を引用します。
村誌(上・中・下巻)        中巻(近世編)
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近世 第1章政治 第2節村役人(大庄屋・庄屋・組頭・百姓代等)27~30ページ

(前略)ここに特筆すべきは、大庄屋や、庄屋でなくとも、特に藩が利用した人物や家があったことである。我が村における府市場の三木氏(元祖与三兵衛・与兵衛、或いは治郎市等と名乗る)は先述した如く、その先祖は、小出吉政が文禄四年(1595)龍野から出石に封ぜられた際、追随して、まずその治領である伊佐村に移り、その後、更に府市場村(手辺の分)に移って来た。屋号は龍野屋(伊佐村から移ってきたので後には伊佐屋とも呼んだ)と呼び、出石藩の札場となって地元の府市場はもとより松岡村、堀村、野々庄村等の物成上納の一切を支配し、近隣各村の庄屋の差出す「御物成通」の証文の宛名は皆、龍野屋(三木氏)宛になっている。(後略)

この記述の後も、藩に取り入り商人として勢いをつけたこと、藩主の断絶という政変で、体制に不満を持つ農民一揆の打ち毀し対象になったりして窮乏したこと、その後家運を挽回したことが3ページに渡って書かれています。

それはともかく、結論として「伊佐屋」はお殿様の転勤の際、一緒に移って来た最初の治領地の名をとったことでした。
その後出身地の「龍野屋」を名乗りますが、後に「伊佐屋」を名乗ったようです。

2013年6月18日 (火)

父の日プレゼント 血圧計

16日は父の日、結婚してすねかじりが終わった頃から届くようになりました。
私も嫁さんも感謝する父が亡くなりましたが、今は娘二人に感謝される側になりました。

例年プレゼントの問い合わせがあり、今までジョギングシューズや登山ザック・ベスト・フードシーラー・高度気圧気温計などでしたが、昨年は剪定用電動バリカン今年はなんと血圧計をリクエストしました。
娘にお遊び系から健康系への転進を誉めてもらいましたが、年々気になるようになりました。
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手軽に計測できて人気の商品で、早速計測したところこの数値でした。
降圧には減塩と減量が一番とのこと、毎朝計って実践することにします。

 

2013年2月13日 (水)

苗字の日 三木の由来?

1875年(明治 8年)の2月13日、明治政府の「平民苗字必称義務令」という太政官布告により国民はすべて姓を名乗ることが義務づけられ、この日にちなんで「名字の日」となりました。

今までの○兵衛、○作、○平、○太郎から苗字を義務づけられたのですから、民はあわてふためき、それぞれ住んでいる場所や昔からの縁や謂われなどをもとに適当な苗字を届け出たのでしょう。
中には物知りの坊さんなどに苗字をつけてくれるよう頼んだ者もいたかも知れません。

府市場区に残る1870年(明治3年)の戸籍関係の資料には、ほとんどの家に苗字が書かれています。
この年に「平民苗字許可令」というものが出て、「これから平民も苗字を名のってよろしい」との布告があったそうで、手早く届け出たものでしょうか。

これによると我が家は3番目の五人組に所属していて、三木治郎市以下5名が記載されています。
国府村史中巻や但馬史4巻の江戸後期の伊佐新田開発の記事に、『竜野屋宗輔は姓を三木といい、小出侯が播州竜野の領主であったときからの御用商人で、同侯の出石移封に随従してきた」』と書かれています。
どうやら、播州龍野の出身で、お殿様の国替えとともに領地である国府手辺に移り住み、札元として藩の御用を務める一方、土着していったものと思われます。
龍野を始め播州には「三木」の姓が多く、ご先祖様は播州龍野の縁でつけたものに間違いないでしょう。

屋号は、札場のころは龍野屋、伊佐屋菓子舗(看板は精栄堂)としたのは祖父秀蔵の時と聞いています。
当時を知る唯一の人となった叔母曰く、「伊佐の人に菓子作りを習った」ということですが、我が家の身代を傾けることになった「伊佐新田開発」の地名を採ったのは解せませんね。

 

2013年2月 5日 (火)

冬のええもん かき餅づくり

「ええもん」とは子どものおやつをそう呼んで、但馬で冬の「ええもん」のかき餅はどこの家でも1月中旬から節分までの寒の時期に寒餅を作っていたものでした。
寒中についた餅はカビが生えたり、ひび割れすることが少ないこと、貯蔵中に虫に食われることが少ないことが挙げられます。

かき餅(欠餅)はこの餅を薄く切って乾燥させたもので、寒の風物として新温泉町のそば処「てっぺん」さんのかき餅作りが有名ですが、我が家も例年どおり、青のり、黒豆、えび、塩昆布、砂糖の五種類をつくり作りました。
我が家のこだわりは、餅米だけでなくくず米(いりご)を少し加え、歯ごたえをよくしていることです。
昔は藁で編んで吊り下げて乾かしていましたが、手間を省くため最近は網戸の上に拡げて乾燥させます。
             網干し

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子どもが「なにかええもんおくれ」と言うと、乾燥させ保存していたかき餅を焼いて醤油をつけておやつにしていました。
子ども頃の焼き役は父で、長火鉢に炭を入れて焦げないように何度も裏返しながら焼いてくれました。
おやつが乏しい冬時期に餅やかき餅は欠かせないもので、炭の暖かさとともに忘れられない味です。
今の焼き役はもっぱら私ですが、火鉢の炭を使うのではなく、オーブントースターを使って上手に焼けるようになりました。

かき餅にまつわる 伊佐屋の昔話をどうぞ 
http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-1b82.html

  

2012年4月25日 (水)

法要準備 畳の表替え

今月末、父の17回忌と母の13回忌法要を行います。
父が亡くなって4年後に母が亡くなったので、3回忌と7回忌
13回忌と17回忌が重なります。
社長が友人であり、山歩きの師匠である植村畳さんにお願
いし、畳の表替えをして頂きました。
朝引き取って夕方には納品、煩わしい家具の移動もやって
もらえます。
工事前             工事後
P4250002  P4250010
居間と客間の8畳二間が見違えるようになり、い草の香り
が部屋いっぱいに広がりました。
建物を建てたのが昭和60年、一度裏返しして今回の表替
えとなりました。
最近の畳床は、芯が発泡体で軽く頼りない感じですが、藁
100パーセントを使ったこの畳床は、まだまだ丈夫で、この
ぶんでは家主より長生きするかも知れません。

生活の欧風化もあって畳部屋が少なくなっていますが、日
本の気候や風土にあった畳の特性が見直されています。
健康面や汎用性を考えるとせめて一部屋は作っておきた
いものです。
い草も中国製が増えていますが、日本では熊本が産地で
「安全・安心・くまもとJAブランド畳表」の認定証がついてい
ました。
 
 

2012年2月27日 (月)

冬の夜

冬の歌にはいろいろありますが、雪国但馬で育って印象に残
る唱歌があります。

 燈火ちかく衣縫ふ母は
  春の遊びの楽しさ語る
   居並ぶ子どもは指を折りつつ
  日数かぞへて喜び勇む
   囲炉裏火はとろとろ
  外は吹雪

♪  囲炉裏の端に繩なふ父は
  過ぎしい昔の思い出語る
     居並ぶ子供は ねむさを忘れて
  耳を傾け こぶしを握る
   囲炉裏火はとろとろ
  外は吹雪


私が子どもの頃にはさすがに囲炉裏はなく、掘りごたつに炭
や練炭を入れて暖をとっていました。
庭に面した西側には父が、台所が近い南には母が陣取り、
子ども4人が残る2面を分け合っていました。
テレビはもちろん当初はラジオさえ無かった頃、冬の夜は特
に長く感じられたものです。
父と母の間には長火鉢がおかれていて、お湯を沸かしたり、
かき餅や干し芋・酒糟などを焼いて食べながら、父から昔話
や作り話を聞くのが楽しみでした。

我が家は祖母が16年に、祖父は私が生まれた22年に亡くな
ったので、年寄りの昔話や知恵や技を教わることはありませ
んでした。
真正但馬弁が身につかなかったのは、祖父母の影響がない
のと母が県外出身なのが原因でしょう。

ところで、明治末に作られたこの歌の2番、「過ぎし昔の思い
出語る」は、もとは「過ぎし戦(いくさ)の手柄を語る」の歌詞
だったそうです。
父の勇ましい手柄話に「こぶしを握る」のもわかりますね。

青島・開封・済南を拠点にしていた商社に勤務していて、兄
と弟を日中戦争で失い自身も現地召集され敗戦を迎えた父
は、戦の話しをしたり、兄弟が命と引き替えにもらったような
数ある勲章類を見せることはありませんでした。
敗戦前でしたが、その中国から幼子を連れて引き揚げてき
た母も「過ぎし戦」のことは、ほとんど話しませんでした。
ちょっと脱線気味ですが、冬の夜に因んだ家族団欒を地で
いくような昔話です。
 
 

2012年1月22日 (日)

大寒 かき餅作り

大寒から節分時期の我が家の行事はかき餅作りです。
冷凍したりすると長期保存が可能なのですが、在庫もなく
なり久しぶりに作ってみました。
青のり・えび・豆・塩昆布・黒砂糖の5種類で、正月餅と同じ
組合せです。
カットして2日放置        網に並べて乾燥
P1000097_2 P1000118_2
昔は二晩ほどおいて固くなると、父が大きな包丁で濡れ布
巾を当て一生懸命均等になるようカットしていました。
均等でないと、焼くときに焦げたりして焼きムラができてし
まうからです。
そして玄関を入った「店」と呼ばれていたところに縄でずら
りとつるし乾かしていた風景を思い出します。
藁も編んで吊す技術もないので、網に並べて乾燥させるの
が当家当代のやり方です。
「てっぺん」のかき餅づくり(朝日新聞但馬版11.13)

Asahi113_3反りや割れを生じさせない
よう気温が低く湿度が高い
大寒から節分時期が適当
です。
春木峠のそば店「てっぺん」
では、餅1枚の大きさは縦8
センチ×横3センチで厚さ5ミリとありますが、我が家は縦7cm×4cmで、厚さは3m~3.5mの薄型です。
Img_0011_2餅切り機を購入したことで、
一気に薄切りが可能になり
ました。
これから約1ヶ月、風や日に
あてずに気長に乾燥させて
仕上げます。
    

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