大阪市立高校のバスケット部キャプテンが、顧問教師からの体罰を苦に自殺する事件が問題になっています。
私も中学校から野球部に所属していましたが、体罰はもちろん上級生からのしごきを受けたり、下級生をしごいたことはありません。
強豪校や強化部でもなかったので、実にのびのび部活を楽しませてもらいました。
但馬Uターン後ソフトボールの審判の資格を取り、今度はお世話をする側として女子中高校生や社会人のゲーム審判を20数年間に渡って担当してきました。
その中で中学生における顧問の指導を見聞きするにつけ、疑問を持つことが多々ありました。
小学生の頃に球技経験がない女子に対して、ルールから初歩的技術を教えてそれなりな形にしてゲームに漕ぎ着けることの難しさは理解できないことはありませんが、公式ゲームで感情をむき出しにした指導を見ると、子どもがかわいそうになります。
生徒の感情や技能を考えることなく勝つことに執着し、子どものプレーを逐一非難する教師。
その教師を絶対的存在として、顔色をうかがいながら一生懸命に期待に応えようとする生徒。
そこには練習や試合を通じて体力や技能を向上させ、仲間とともに楽しみながら自身を成長させる視点はあまり感じられません。
体罰を引き起こすまでにはなりませんが、進学後、「もうソフトボールはいや!」といって別の部活を選ぶ気持になるのはよくわかります。
もと巨人軍投手の桑田真澄氏の体罰否定のコメントがマスコミに紹介されました。
『「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。「子どもの自立を妨げ、成長の芽を摘みかねない」。「今はコミュニケーションを大事にした新たな指導法が研究され、多くの本で紹介もされています。子どもが10人いれば、10通りの指導法があっていい。「この子にはどういう声かけをしたら、伸びるか」。時間はかかるかもしれないけど、そう考えた教え方が技術を伸ばせるんです。』
顧問の教師に対し、「熱意がある」「鍛えて強くしてくれる」などの肯定的評価もあります。
今回の体罰は学校による部活のあり方、生徒と教師との関係を考えさせるものになりました。
過去に被害例もあり訴えもなされていながら顧問教師による暴走を止められなかった学校の管理体制・教育委員会の対応など問題点が挙げられています。
大津のいじめ事件でもそうですが、追い込まれた生徒が取らざるを得なかったのが自ら死を選ぶことだったのは痛ましいことです。
それがなければ原因究明・実態調査から対策へと進まないのは、死亡事故があって標識や信号が設置されることに似ているような気がします。
もしそれがなければ被害は続いていたのでしょう。
死を持って訴える生徒に対し、学校や教委の対応のお粗末さを見聞きすると、首長を始めとする行政権力の口出しや介入も否定できなくなります。
教育に政治権力や軍が介入し悲惨な結果を招いた反省から、教育行政の民主化や他の行政からの独立させた本来的意味に立ち返り、教育現場と連携して子どもが犠牲にならない確かな教育行政を期待したいものです。