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愛犬ハル

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    16年我が家の家族として、楽しませてくれた「晋平」が2005年 3月息を引き取りました。 代わりに今度は女の子を購入しましたが、恐がりで人になつか ないのが困りものです。 春に来たからハルと名付けましたが、血統書付きで本名は 「文美姫号」です。

文学・歴史・教養・科学

2015年4月 8日 (水)

身の引き締まる 歓迎の言葉

31日の「心に残る はなむけの言葉」記事で、和歌山大学学長の山本健慈氏の式辞を紹介しました。

同じ地方大学で、信州大学山沢清人学長の入学式挨拶が話題になりました。
信州大学山沢清人学長 平成27年度入学式学長あいさつ ↓
「nyugakusiki-aisatsu.pdf」をダウンロード

挨拶の中で印象的だったのが、『「スマホやめますか、それとも信大生やめますか」 スイッチを切って、本を読みましょう。友達と話をしましょう。そして、自分で考えることを習慣づけましょう』でした。
他に脳科学者のDavid Eagleman氏の「記憶が詳細なほど、その瞬間は長く感じられる。
しかし、周りの世界が見慣れたものになってくると、脳が取り込む情報量は少なくて済み、時間が速く過ぎ去っていくように感じられる」
という言葉を引用して、「自分の時間を有効に使うために、自力で時の流れを遅くする必要がある」とも。

私も5年前からスマホを愛用して、インターネット検索を安易に使ったり、独りスマホに陥ることがあります。
高齢者と大学新入生とは立場が違いますが、意識して時間の流れを遅くすることの意味は理解できます。

おもしろいのは、YAHOO JAPANのNETによる意識調査(実施中)の集計結果です。
「スマートフォン偏重に警鐘 信州大学長あいさつをどう思う?
に対し、8日朝9時現在、投票総数5,655票のうち「共感できる」としたのが、なんと4,674票82.7%です。
比較的若い世代が多いアンケートですが、自らスマホの害を認めながら、「分かっちゃいるけど、やめられぬ」といった気持ちが感じ取れます。
 
学びの場であり、友とふれあい考える場であるはずの大学が、電車やバスで見られる会話や触れあいのない独りスマホの舞台となってはたまりません。
受験から解放され、気が緩みがちな学生にとって身の引き締まる挨拶だったことでしょう。
もって「他山の石」とせねばなりませぬ。

  

2015年3月31日 (火)

心に残る はなむけの言葉

3月は別れのとき、4月は出会いのとき。
学校や職場で幾つもの別れがあったことでしょう。
3月で大学を退官した私の後輩からメールで、『「地方」の存続が問われるなか、「地方大学」の将来も不透明です。和歌山大学学長の卒業式の挨拶は一読に値すると思いました。』と知らせてくれました。

和歌山大学学長の山本健慈(やまもとけんじ)氏は、3月末で退任されるそうで、3月25日に行われた卒業式は、山本学長による「最後の式辞」となりました。

和歌山大学26年度卒業式式辞 ↓ 「20150325commencement.pdf」をダウンロード
(クリックで式辞が表示され、戻るボタン(←)でブログに帰ります)

昨今の日本の危険な動きや世界の現状を歴史からひもとき、「学ぶ自由」「活動する自由」の大切さを訴え、『今後も「和歌山大学は、生涯あなたの人生を応援します」というメッセージ通り、教職員は勿論のこと、全国各地にいる同窓会の諸先輩方とともに、卒業後も皆さんを応援する、とりわけ<学び続けること>を応援することを重ねてお伝えし、式辞といたします』卒業生にエールを送っています。

いまの学生はこの式辞をどう聞いたでしょうか?
同じ地方大学出身で45年前を振り返って考えると、恥ずかしながら学長のはなむけの言葉どころか名前さえも思い浮かびません。
式辞は学長から卒業生に贈られた言葉ですが、私たちにとっても今後の指針となるほど心に響くものでした。

2015年3月29日 (日)

歴史講座 香美町の城と小代一揆

前日燻製グルメで遊んだあとはお勉強です。
山名氏城跡保存会主催による第6回「このすみ・ありこ歴史講演会」に参加しました。

テーマは 『但馬の城郭』 香美町の報告 ー 垣屋豊継の要害・小代一揆の城郭 ー
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講師は但馬城郭研究の第一人者 西尾孝昌氏(山名氏城跡保存会会長)です。
場所は福住地区交流センター、ミニ講演会ということで20名程度でしたが、中には新潟市から参加された方も見受けられました。
講演要旨              小代一揆(大屋町史抜粋)
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A3版13枚が資料として、別に大屋町史抜粋の小冊子も配付されました。
古文書には毛利勢と織田勢がせめぎあう但馬の状況と合戦の様子が、別に香美町地域(香美区、村岡区、小代区)の山城の場所と縄張り図が配布され、新たに伊勢御師(おし)による「但馬にしかた日記(檀家帳)」と併せて城・国人・地侍の名と各城の特徴を説明していただきました。
 
後半は「小代(おじろ)一揆」についてのお話しでした。
天正期に信長の命を受け毛利討伐を狙い播磨侵攻と同時に但馬平定を狙う秀吉と、ここを失えば因幡・伯耆・出雲・石見へと軍を進められるのを恐れる毛利方吉川など政治的に駆け引きし、有力国人を奪い合います。
もともと毛利の影響が強い但馬において、どちらに組みするか国人・地侍は大いに悩んだものでしょう。
私の住む日高町でも、「宵田表の戦い」「善応寺野の合戦」「水生城の合戦」など、山名氏の被官である垣屋氏を中心に秀吉勢と闘います。

また秀吉軍は山深く険しい地の山城や砦を利用して抵抗する小代谷で「強盗(がんどう)」とも呼んだ一揆衆に手を焼きながらも平定し、但馬から鳥取へと軍を進めます。
資料では皆殺しに近い形で小代が制圧されるさまが勝者の立場で描かれています。

 
「小代一揆」のことは話に聞いていましたが、今回詳しく教えていただきました。
「戦い」とか「合戦」と呼ばず、「一揆」と呼ぶのは勢力の小さい国人や地侍のゲリラ戦だったからでしょうか?
敗者側の資料がほとんどなく、僅かに供養塔や塚しか残っていないのは世の常ですね。

西の毛利方、東の織田方が行き来するには若桜と関宮・大屋を結ぶ氷ノ山越えのルートが主要道だったそうです。
いまでも氷ノ山登山のコースとして利用され伊勢参りの道標も残っていますが、馬や荷駄が通行するには狭く険しすぎるような感もしますがどのような方策を行ったのでしょうか?
 
但馬の歴史やふるさとの城郭、社寺建築から学ぶと消化不良ながらも少しずつ繋がってくるのが感じられます。
古くは源氏と平家、南北朝の対立、室町期応仁の乱の東軍と西軍、戦国期の織豊と毛利、関ヶ原の東軍と西軍、幕末の徳川と薩長軍、但馬はいつも厳しくも苦しい選択を迫られてきたのです。
 
 

2015年3月19日 (木)

法華寺 鬼子母神本殿

鬼子母神をお祭りされている豊岡市但東町赤花の日蓮宗法華寺を訪ねました。

法華寺                 法華寺山門
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鬼子母神は子授け、子育て、安産の神様として崇拝されていて、毎年4月の第3土日に大祭が行われ、近くのチューリップ祭も同時期とあって多くの夫婦や家族連れ、子どもたちがお参りに訪れます。
本堂鬼子母神             山頂本殿
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鬼子母神は「法華経」の中に出てくる神様で、1000人の子供を生み育てていました。 しかし、自分の子供を愛する代わりに、他人の子はさらっていって殺してしまうなど、とんでもない母親でもありました。 これを見たお釈迦様は、懲らしめるために彼女の子供の1人を隠してしまいました。鬼子母神は最愛の子が消えてしまったのを知り、狂ったように探しますが、どうしても見つかりません。仕方なくお釈迦様に助けを求めると、 お釈迦様は「1000人の子供の内、たった1人いなくなっただけで、嘆き悲しんでいる。子供をおまえにさらわれた親の悲しみはどれほどかわかるか」 と訊ねました。
 鬼子母神は、お釈迦様の教えを受け、以後改心して全ての子供たちとお釈迦様の教え、またお釈迦様の教えを信じる全ての人たちを守ることを誓いました。これ以降、鬼子母神は鬼ではなく、仏教と子供の守り神となったということです。(但馬の百科事典より)
奥の院 案内図
P3150075鬼子母神本像は山頂の奥の院にお祭りされていて、大祭に法華寺本堂に移し、大祈祷会を厳修されるようです。
奥の院は神瀧山山頂へ約1km登ったところにあって、急坂を息を切らしながら登ります。
本殿(奥の院)へのお参りと同時に向背に彫られている中井権次の作品も目的の一つです。


正面 龍の彫刻
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裏面
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木鼻に獅子と獏(右側)
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木鼻に獅子と獏(左側)
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虹梁と手挟
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九代中井権次貞胤の銘
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エッ!どこまで登るの?と思い始めるころになると入母屋造の本殿と唐破風の向背を持つ社が現れ、正面に見事な龍の彫刻が見られます。
銘は九代目は権次貞胤(喜一郎)となっていて、大正から昭和中期までの作品でしょうか。
中井作品の特徴である、龍が表裏両面に彫られている、三本の爪で玉を抱いている、目玉にガラス玉が使われ奧が赤く塗られている、舌を出している、いらかが立っているなどが確認できました。
1kmの山道を頑張って登る値打ちは充分にありました。

法華寺ホームページにもあるように、近年、修養道場(滝行、写経、人生相談等)の参加者も増加しているようです。
当日も別客をご住職が瀧や本殿(奥の院)に自ら案内されていて、私にも親切に対応していただきました。
中井権次については マイブログ → 「但馬史談義 中井権次一統」 をどうぞ。
 
 

2015年3月15日 (日)

とよおかの城郭見学 金蔵寺城

豊岡市教育委会の主催で、昨年度から実施されている「城郭コース」に参加しています。
今年度は悪天候により何度も中止され、今回で2回目の実施です。
金蔵寺城は旧但東町に位置し、特徴は真言宗の中世寺院が南北朝~戦国期に城塞化されたもので、金蔵寺の僧坊や堂、白山神社の周囲に多数の曲輪や土塁・堀切・竪堀が配置されている大規模な山城です。
この日は珍しく好天との予報でしたが、大規模な山城で道も険しく時間もかかるとこともあって、約20名とこの見学会にしては少数でした。
虫生公民館集合           昔の参道を登る
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集まったメンバーの服装を見ると山登りの格好が多く、主催者からも杖が用意され積雪もあると脅されました。
登る途中に周りを見ると高竜寺ヶ岳や東ヶ岳が見渡せます。
高竜寺ヶ岳                                東里ヶ岳
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広い僧坊跡               堂・坊の礎石
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井戸跡                  供養塔群
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堀切                  畝状竪堀
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資料に寄れば、標高390mから320mの金蔵寺山中にあり・・、東西約400m、南北約580mを測る大規模城郭である。大きくは、白山神社が鎮座する山頂の詰城部分と谷部の寺院部分とで構成されている」とあります。
金蔵寺城縄張図(西尾孝昌氏作成) → 「konzouzi-zyou.pdf」をダウンロード

白山神社跡              昼食タイム
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中世寺院と城郭の講義      石垣跡
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但馬には山岳寺院を城塞化したものに、進美寺城(日高)・相応峰寺城(浜坂)・満福寺(八鹿)・水生城(日高)など各所に見られるようです。
ここ金蔵寺城も山名氏の領域であり、配下の有力国人垣屋豊続の普請よるものとされていますが、有子山城と同様に織田・豊臣の但馬侵攻で滅ぼされています。

私は2005年に続いて2回目の見学でしたが、中世の山岳寺院と神社を山城として要塞化した大規模工事には驚かされます。
かっての寺への参道は荒れていて、雪も積もりぬかるんだりしましたが、尾根に出ると比較的足元がよく、講師の西尾先生の熱心な説明と講義に、南北朝から戦国期の歴史や城跡の特徴などを教えていただき、中世但馬へ思いを馳せることができました。

 

2015年3月 5日 (木)

「くにびき神話」と古代出雲・伯耆の成り立ち

出雲地方と周辺の歴史に島根大学の研究者らが挑む「古代出雲文化フォーラムⅢ」が大阪で開催されます。
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弥生時代から平安時代のこの地域を、地質学や考古学、文献史学の学際的アプローチで論じるとあります。

第1部は島根大学の入月俊明ミュージアム館長や大橋泰夫古代出雲プロジェクトセンター長ら4人が、東アジアを視野に入れた研究内容を報告します。
第2部は、小林祥泰学長、千家和比古出雲大社権宮司、石原美和さんの鼎談が予定されています。
平成24年度から東京と広島で開催され、今回大阪において「 フォーラムIII 」となります。

日 時  平成27年3月8日(日)13:00~16:00
場 所  大阪国際会議場(グランキューブ大阪)10F会議場
定 員  1,000名
主 催  島根大学
共 催  島根県、島根県教育委員会、松江市、出雲市、雲南市、
            
安来市、大田市、米子市、境港市、奥出雲町、飯南市、
      邑南町  
     

定員1,000人でホームページによる申し込みでしたが、2月6日締め切り後にお聞きしたところ1,800人の申し込みがあったと、人寄せに気をもんでいた法文学部関西同窓会会長のTさんからメールがありました。
島根大学には’66年から’70年まで大学に在籍し、学業以外に多くのことを学びました。
テーマにも興味がありますが、母校による研究成果の全国発信は嬉しいものです。
聞けば少なからぬ数の友も出席するようで、懐かしい顔に会えるのも楽しみの一つです。
 

2015年2月21日 (土)

但馬史談義 中井権次 一統

但馬史談義 中井権次一統
P2210003不定期で行われている但馬史研究会の但馬史談義ですが、今回のテーマは社寺建築の中の彫り物で、丹波柏原の名彫刻師「中井権次一統」の研究です。
普段は十数人の参加だそうですが、興味深いテーマに50人が集まり、会場が集会室から会議室に変更になったほどの盛況です。

講師は但馬史研究会の飯田さんです。
社寺を訪れると拝殿や本殿の向背や木鼻・脇障子、庫裏の欄間などに、龍や鳳凰・獅子・象・漠、牡丹や菊・蓮などの彫刻が施されているのに気がつきます。
北近畿の社寺で目を引く彫り物に、「丹州柏原 彫物師 中井権次○○」の名があり、格式のある社寺を始め、但馬北西部に多く見受けられるそうです。
飯田さんは古文書や但馬史を勉強され、近年は名彫物師「中井権次顕彰会」一員として各地の社寺を訪ね勉強されていて、寺社を訪ね歩き作品を確認してきた苦労話もお聞きしました。
内容が豊富だっただけに、資料や写真をパソコンとプロジェクターを利用して説明していただければさらに理解がすすんだことでしょう。

私も何年か前から社寺建築に興味を持ち、勉強グループに入れていただき、播磨や丹波・但馬の社寺を探訪し、建築様式や手法を学んでいます。
いままでは由緒・縁起から歴史が中心だったのが、構築物からから見ると別の興味が湧いてくるものです。

リーダーのN建築設計士さんは京都の専門講座や大手ゼネコンが主催される勉強会でも学んでいらっしゃるそうで、豊富な資料をもとにいろいろ教えていただけます。
そういえば昨年訪れた満福寺・進美寺・大乗寺・遍照寺に中井権次一統の見事な彫刻が見られました。
(「一統」には、四代言次君音から九代権次貞胤まで180年間の彫刻作品があります)

満福寺薬師堂名札         府市場妙見堂の墨書
(6代青龍軒中井権次正貞)   (竹野浜 中野宇之助)      
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彫刻師の名を確認するには、向背や木鼻に上がって確認するしかありません。
中井権次一統の手によるものは朱を入れた名が彫り込んであるのですが、希に墨書もあるそうです。
もちろん中井一統以外の彫り物師もいて、昭和8年建立の我が村の妙見堂を調査したとき、象の木鼻の頭部に「城崎郡竹野浜 中野宇之助」と墨書きされていました。
構造物には寄進者や大工の棟札が、彫刻には彫刻師の名が残されているのは、それぞれ仕事師の矜持なので、確認するのも意味のあることです。

中井権次の足跡ガイド
Scn_0005_3会場で販売(100円)されましたが、中井権次一統の作品マップ兼ガイドブックが昨年末に「中井権次顕彰会」から発行されています。
作品が確認された社寺名や地図の他に、「丹波の名彫物師 中井権次一統とは」「中井権次作品の特徴とその魅力」など解説も載っています。

中井権次顕彰会のホームページ ↓
http://gonji.sub.jp/ もどうぞご覧ください。  

2014年12月27日 (土)

CINEMACTION  豊劇が再生しました

2年前閉鎖となった豊岡劇場 (とよげき)が復活すると聞き、27日グランドオープンの記念式典と初上映「小野寺の弟・小野寺の姉」に参加してきました。

映画『小野寺の弟・小野寺の姉』公式サイト

閉館については、blogの記事をご覧ください。 
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昭和2年(1927)年に芝居小屋として誕生し、その後映画館として但馬の映像文化をになってきたものの、入場者減とデジタル化による巨額の投資ができず、閉館が決まったことは残念なことでしたが、再生に向けてプロジェクトが立ち上がりました。 

大ホール入り口           ロビー・CAFE&BAR
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片桐さんのビデオメッセージ   観客参加のテープカット
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上映映画の主人公であって、閉館前に豊劇を訪れたこともある片桐はいりさんから、「豊岡がカバンやコウノトリだけでなく、ほとんど無くなってしまった映画館がある町として有名になってほしい」とのビデオメッセージがありました。
 
嬉しかったのはセレモニーのメインであるテープカットが代表の石橋さんと映画評論家塩田時敏さんと会場から挙手で選んだ3組の観客だったことでした。
市長や議員でもなく、再生を応援するファンから選ばれたことは、「再生プロジェクト」の主体となって寄付に応じた120人の市民が主役であることを示しています。
 
この日の参加者は80人だそうで、私のような昔を懐かしむシニアよりも若者や女性客が目立ったのも意外でした。
映画は少し経てばDVDでも観られますが、「劇場空間で観るという体感」が大切だと言われます。
上映最後の「エンディングロール」が終わるまで、誰も席を立たずに余韻を楽しむ風景も映画館ならではのものでした。
 
北但震災復興の鉄筋コンクリート(レリーフや徽章が特徴的)
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外観はレトロな雰囲気をそのままに、小ホールは、主に演奏会やイベント等などに使える多目的ホールに改修し、ロビーは映画を観なくとも自由に出入りできるCAFE&BAR として営業されます。
再生プロジェクト及び運営・上映中及び上映予定の映画は
豊劇会員も募集されています。
 
 

2014年7月 2日 (水)

竹田城跡ヘリテージ講座

朝来市主催の「竹田城跡2014ヘリテージ講座(第1回)が行われました。
(ヘリテージとは遺産を意味します)
はじめに兵庫県教委文化財課副課長の山下史朗氏から講演がありました。

講演風景              テキスト
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講演テーマは、天空の城 「竹田城跡」の保存と活用の在り方。
<竹田城の歴史><竹田城の特色><竹田城跡現状と課題>にわけて話され、保存と活用への問題提起があったように思います。
なんといっても竹田城の魅力は総石垣造りで山の自然な地形を生かした巧みな縄張りとh早めに廃城になったことで、遺構が手つかずに残ったことが挙げられました。
年々高まる竹田城跡人気とともに各所に傷みが起こっていて、城跡の保護と観光振興に苦慮している現状が報告されました。
印象に残ったのが、数年前の城跡がみどりに覆われていたのが、草が剥げ山頂の樹木も弱っているのが写真の対比で明かだったことです。
城の歴史も含めて知らないことも多く、この日購入したテキストでさらに理解を深めたいと思います。 
参加者は定員いっぱいの100名、姫路など但馬外の参加者もあって、講演後の意見交換では活発な質問や意見がだされました。
 
 

2014年4月18日 (金)

.とよおかの城郭見学 此隅山城

但馬には国指定の史跡が竹田城・八木城・有子山城と此隅(このすみ)山城の四城があり、豊岡市出石町には山名本家の居城此隅山城と有子山城が置かれています。
時を遡ると室町時代の最大級の守護であった山名氏が、根拠地に築いた本格的な山城が此隅山城と聞きます。
此隅(このすみ)山城       入り口(いずし古代学習館内)
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幾つかある登山道のうちよく整備されているという「いずし古代学習館」 敷地内からの見学路を選びました。
山頂の主郭まで約500mの山道で、標高は140mとさほど時間はかかりません。
縄張り図と説明板          満開のミツバツツジ
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日当たりがよい斜面には満開のミツバツツジが迎えてくれます。
山城の特徴である防御施設にはそれぞれ案内板が設置してあるので、実際と見比べながら機能を知ることができます。
曲輪                  堀切
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土塁                  切岸
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主郭跡                 縄張り図            
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主郭からの展望
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南東から北西(左から妙見山・蘇武岳・神鍋山・大岡山・三川山)
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妙見山の左、雪を頂く氷ノ山  大岡山の右、雪山は三川山
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大河ドラマ「軍師官兵衛」で、信長の命による秀吉の播磨攻めが放映中ですが、同時期山陰においても毛利の影響力を削ぐため但馬攻めが行われます。
織田方秀吉軍による侵攻で、山名氏は此隅山城を落とされ、一旦但馬を離れます。
再び有子山に城を築きますが、今度は秀吉の命を受けた秀長による第二次但馬攻めで有子山城が落ち、さしもの名門山名氏も滅んでしまいます。
山名氏の栄枯に思いを馳せながら、殿様気分も味わうことができました。
タムシバ              ミツバツツジとタムシバの競演
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 山城から平城への歴史(いずし古代学習館展示)
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室町・戦国期の山城は周囲が見渡せる交通の要衝に築かれるものですが、それにしてもすばらしい眺望で、これを見るだけでも値打ちがありました。
山名氏城跡保存に関しては 山名氏城跡保存会のホームページをご覧ください。

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