但馬物語

2009年9月13日 (日)

反骨の政治家 斉藤隆夫

但馬ふるさとづくり大学9月講座は、「憲政の神様-斉藤隆
夫-の生涯」、講師は願成寺住職 齊(わたる)秀道氏です。

敗戦近くなって斉藤隆夫が沢庵和尚が再建した宗鏡寺に家
族で疎開されたときに、願成寺が隣だったことから接したこ
とがあるそうです。
P1010276
「粛軍演説」1936年(昭和11年)5月7日
5・15事件、2・26事件の処理とその裏に軍部の関与が考
えられることを指摘し、粛軍を軍部に強く要請すると同時
に議会を軽視し、政治への介入を行う軍部を批判しました。
軍部に思うようにモノが言えなかった時代に、この演説は
選挙民や他会派の議員をはじめ、新聞各紙からも激賞され
国民にも共感を呼んだそうです。

「反軍演説」1940年(昭和15年)2月2日
支那事変処理に関する質問演説
・近衛声明なるものは事変処理の最善を尽したるものであ
 るかどうか
・いわゆる東亜新秩序建設の内容は如何なるものである
 か。 今回の事変を最後として、東亜の平和を確立でき
 るのか
・近く現われんとする支那新政権に対する数種の疑問
・「事変」以来の政府の責任の追求、現内閣に対する警告

反軍演説が軍部とこれと連携する議会、政友会などの反
発を招き、この年3月7日に議員の圧倒的多数の投票に
より衆議院議員を除名されましたが、1942年(昭和17年)
総選挙では軍部を始めとする権力からの選挙妨害にもか
かわらず、兵庫県5区から最高点で当選を果たし、衆議院
議員に返り咲きました。
斉藤に対する但馬人の信頼と軍の横暴に対する反発の現
れで、いまなお郷土人の誇りとするところです。

但馬出石の貧しい家に生まれ、苦学しながら早稲田大学
を卒業し、弁護士試験に合格、その後アメリカのエール大
学法科大学院に留学し公法や政治学などを勉強します。
その後衆議院議員に当選し、13回の当選を重ねます。
百姓・駄菓子やの手伝い・薬品兼洋酒屋の奉公など労働
とアメリカでの勉強その後の闘病等の苦労が、庶民や弱
者の立場と社会的正義の尊さを教えたのでしょう。

斉藤隆夫については 「但馬の百科事典」 ↓ http://www.shinkin.co.jp/tanshin/zaidan/1hito/index.html

齊(わたる)講師は、沢庵和尚が紫衣事件で幕府に噛み
ついたことを挙げ、両人を出石が生んだ反骨の士として語
り継いでいくことの意味をお話しされました。

沢庵和尚については 「但馬の百科事典」 ↓ http://www.shinkin.co.jp/tanshin/zaidan/1hito/01takuan/index1.html
 

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2009年7月31日 (金)

川濯(かわすそ)まつり 浅倉区

会社がある日高町浅倉区は円山川の中流域とはいうも
のの、蘇武岳や神鍋山系に源を発する稲葉川が合流す
るところであるため、平成16年の台風23号では大被害を
受けました。

伊佐屋三木のblog「メモリアルマーク」 
http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_3b9f.html

河川流域の川裾(すそ)にある地域ではこの時期に「か
わすそ祭り(川そっさん)」が行われます。
但馬三大祭りの一つとして有名な浜坂宇都野神社の祭
りは「川下祭り」と書きますが、こちらは下流の土居区と
並んで、「川濯まつり」と書きます。

新温泉町ガイド 「川下大祭」  http://www.town.shinonsen.hyogo.jp/page/f5705d2964953b4cc6a5bc751697a3b9.html

場所は兵主神社(水無月神社は境内社) 
Img_1496_2  Img_1506_2
Img_1510   Img_1520_2
河川被害を受けた村々が、梅雨末期の7月という時期に
安全と治水を祈願するもので、浅倉区は「水無月神社」
の神事と神輿が川に入ってお祓いを行うのが特徴です。

・午後4時   大太鼓連打による開始合図
・午後5時   兵主神社の境内社である「水無月神社」
                    神事開始
・午後5時半  円山川へ 御輿のお旅
・午後7時半  湯立ての神事 (お祓いにて身を清める)

神主の都合で1時間遅れになったことで、始めから参加す
ることができました。
神社でお祓いを受けたあと、白丁に烏帽子をかぶった氏
子達が神輿を担いで、円山川本流まで巡行し、「かなつる
べ」と呼ばれる渕の付近まで進みます。
「おうさや!ちょうさや!」という掛け声を発しながら神輿を
上流から下流へと3回流します。
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Img_1549 Img_1553
Img_1563 Img_1564
このかけ声は、私が住む府市場区の秋祭りでの神輿にも
使われています。

神社境内の屋台や行事に気をとられてか、入川の神事
に立ち会ったのが、3組の家族と私だけとは驚きました。
祭の名も「川濯祭り(川そっさん)」ではなく、「浅倉夏祭り」
としていますが、本来の祭の意義が薄れてきているように
思えました。

秋山忠治氏の「浅倉村史」の年表を見てみると、明治に9
回、大正に2回、昭和に10回、「洪水」または「大洪水」の
記述があります。
私の記憶では平成で3回あるので、この地域にとって治水
は積年の悲願と言えます。
そんな歴史を思いながら、祭を見学させてもらいました。
 

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2009年7月18日 (土)

府市場 観音まつり

7月17日は祇園祭の宵山で知られていますが、当地では
この日が観音さまの縁日に当たることから、お祭りが行
われます。
観音堂はわが家の北隣で、当番隣保が交替でお世話し
ます。
P1000692 P1000699
観音菩薩は地蔵菩薩とともに身近な仏様で、特に般若
心経の最初に登場することで知られています。
私の子供のころは、夜店が数店並び、盆踊りも行われ
たことがありました。
親戚を呼び合ってご馳走を食べる習慣もありましたが
今はお参りの人も少なく、僅かに10名程度の観音講メン
バーによるご詠歌がお供えされる程度です。

但馬では養父市「広谷観音まつり」が有名で、昭和初期
には賑わっていたものが一時廃れました。
その後復活して、山車が練る曳山(ひきやま)巡行や華
やかな傘踊り、造り物の展示でにぎあうそうです。

調べたところ当村のご本尊は千手観音で、高さは約90
cmほどで、気高いお顔が印象的です。

    NET初公開 千手観音  
   P1000690
但馬で観音様は、城崎町温泉寺と新温泉町相応峰寺の
ご本尊がともに十一面観音で、時代も古く有名です。
三十三年毎にご開帳の秘仏も霊験あらたかかも知れま
せんし、西国三十三カ所の観音さまもありがたいかも知
れませんが、身近におわす観音様こそ大事にしたいも
のです。
  
  

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2009年7月17日 (金)

出石軽便鉄道 Ⅱ

出石軽便鉄道については、「江原駅100年祭」として、駅の
2階「Weプラザ」で出石鉄道コーナーで展示されています。
日高小学校の生徒による出石鉄道の研究や当時の資料
も展示されていて、歴史や当時を偲ぶことができます。

展示写真・資料(すべてクリックで大きくなります) 

走行中の車輌           車輌内部
P1000671 P1000665
嶋口駅               撤収記念写真
P1000668_2 P1000670_2               
株券                沿線図イラスト
(小坂にスキー場、鶴山にコウノトリが書かれています)
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気象告知板            レールや合図灯
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研究発表「出石軽便鉄道の歴史」(日高小6年 中野君)
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P1000661_3
中野君の研究は、但馬辞典もウキペディアもかなわな
いほどの詳しい中にもリアルなもので、当時の様子がよ
く調べられています。  
 

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2009年7月16日 (木)

出石軽便鉄道 Ⅰ

軽便鉄道とは、標準的の規格よりも低い規格で建設され
た鉄道を指し、建設費や維持費が抑えられるため地方で
建設されました。
当地でも住民の出資を募り、江原駅から出石駅までの間
に、上郷駅 -中筋駅 - 小坂村駅 - 島口駅 - 鳥居駅の4
駅を置き、昭和4年に開業しました。
その後、経済不況や自然災害などにより営業不振も続き
太平洋戦争下の昭和19年(1944年)に「不要不急線」とし
て営業休止に追い込まれました。
日本軍が国外の占領地などで鉄道を敷設する計画が持
ち上がり、軍部が転用を狙い、昭和19年住民の反対もむ
なしく蒸気機関車ごと没収してしまったからです。
15年間は住民の足として重宝され、親からも様子を聞か
されていましたし、今なお駅や鉄橋の痕跡も残っています。

円山川鶴岡橋梁の土台跡   橋脚跡 
P1000641 P1000646 

但馬辞典 出石鉄道 
http://www.tajima.or.jp/modules/pukiwiki/?%BD%D0%C0%D0%C5%B4%C6%BB
 

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2009年7月14日 (火)

江原駅開業100年

1909年(明治42年)7月10日国鉄の駅として開業した江原
駅が、今年で100年を迎えます。 
日高夏祭りの23日まで、駅の「weプラザ」で写真展など
記念のイベントが開かれています。
P1000648 P1000651
山陰線が全通したのは、桃観トンネルや餘部鉄橋が完
成した、3年後の明治45年でした。

桃観トンネルについては 「但馬の百科事典」 
http://www.tanshin.co.jp/zaidan/3rekisi/index.html
餘部鉄橋については 「但馬の百科事典」  http://www.tanshin.co.jp/zaidan/6kankou/15amarube/index1.html

駅には江原駅や山陰線に因んだ鉄道グッズなど、懐かし
い展示があります。
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P1000654  P1000655 
昭和3年の時刻表      現在の時刻表 
(昭和天皇即位の儀式「御大典記念」と書いてあります)

P1000679 P1000680
併せて、昭和4年に江原駅から出石まで 、出石軽便鉄道
線が開業しましたが、大戦最中の昭和19年に国策で休止
され、その後廃業になりました。
   

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2009年7月11日 (土)

但馬ふるさとづくり大学 植村直己

但馬ふるさとづくり大学の7月講義は、冒険家植村直己さ
んがテーマです。
偉大な冒険家は私の隣村・上郷の出身で、幼稚園・小学
校・中学校・高校と同じです。
歳が6歳離れていてるのでほとんど記憶にありません。

講師は「植村直己冒険館」の吉谷館長、テーマは「但馬の
自然と風土が生んだ植村直己」です。
確かに「但馬に生まれた」と「但馬が生んだ」とでは大違い
で、前者なら私にも当てはまります。

吉谷館長は冒険館の仕事は長く、冒険の足跡以外の人
柄の聞き取りにも力を入れてらっしゃいます。
直己さんのご家族や先輩・友人などありとあらゆる方々か
ら直己さんの人となりを聞くにつけ、イメージと素顔の落差
を感じられています。
    P1020002

「素顔の植村直己」は幼少期から高校までは、勉強も体力
も性格も普通の少年でした。
田畑や牛飼いの手伝いをして、遊びは野山や川が舞台でし
た。
友人に聞いても「特に印象に残っていない」という答えが、
ほとんどです。

そんな彼が東京と明治大学山岳部という舞台を得たとき、
大化けするのです。

その後の活躍は「植村直己冒険館」 
http://www3.city.toyooka.lg.jp/boukenkan/index.html

詰まるところ「何事にも一所懸命にやる」ことと「どんなとき
でもあきらめない」ところに行き着くようです。
そして、「人を思いやる心」と「感謝の気持ち」を持ち続けた
ことでした。
但馬の厳しくとも豊かな自然や風土が、人を思いやりなが
ら粘り強く頑張る気質を生み、植村家の資質や昭和の時
代が相まって「植村直己」を育んだのでしょう。
冒険家といえば、何事にも負けない強い意志が強調されが
ちですが、但馬の自然と風土を知ると、『強い心』と「優しい
心』とを併せ持つ謎がわかるはずです。
「強い心」は必ずしも優しさを生みませんが、「優しさがある
から、強くなれる」のだということでしょうか。

最後に植村直己の写真に笑っている顔が多い理由。
彼が言うには・・・
「言葉が通じなくてもいい。相手の目を見て一生懸命話す。
そして最後にニッと笑う。これで心が通じる」のだそうです。

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2009年6月26日 (金)

コウノトリ但馬空港

兵庫県には伊丹市にまたがる大阪国際空港と神戸空港
の他にコウノトリ但馬空港があります。
神戸空港に先駆けて建設され、今年で15周年を迎えます。
とはいうものの、コミューター空港で小型航空機による近
距離地域を路線とし、但馬-大阪間を1日2便運行してい
ます。
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過疎地域の利便性を図るため、兵庫県や各市町が相当
な額の補助金を出して運行を保障しています。

久しぶりに木曜から東京出張に使いました。
朝9時半の家を出て、空港まで7分。
10時10分発で大阪空港まで30分、東京便に乗り継いで
1時前には都心に着きます。 
利用促進のため4千円弱の補助が出て、新幹線と特急
の乗り継ぎとほぼ同額1万6千円になります。
飛行機は3時間弱、JRは5時間弱ですが、疲れは飛行
機のほうが少ないのは当然です。
帰りも利用するつもりだったのですが、平日にもかかわ
らず満席でした。
この時期は小学生の社会見学で往復利用があるから
だそうです。
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造るのも運営するにも採算が度外視され、莫大な税金が
投入され続けていることを思うと・・・・・。
さらに、羽田空港乗り入れを計画しているとのこと。
この程度の利便性はなくても我慢できることで、滑走路
拡張も含めて新たな投資には全く賛成できませんね。

空から見たコウノトリ但馬空港 天橋立上空通過
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2009年6月 7日 (日)

但馬ふるさとづくり大学 生野銀山

但馬ふるさとづくり大学第2回講座で、生野銀山現地学習
に行ってきました。
今回は現地学習で、「生野銀山を歩く」がテーマです。
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専門の講師(ガイド)付きで、2時間かけての現地学習で、
銀山では世界遺産に登録された「石見銀山」が有名ですが
こちらも中世以降、時の権力によって財力の源として活用さ
れてきました。
講師は(株)シルバー生野観光ガイドの皆さんが担当され、
力の入った講義でした。
まず、資料館で銀山の歴史をお勉強します。
開坑は807年平安初期、銀が本格的に産出されだしたの
は織豊期です。
「佐渡金山と生野銀山を制する者は、国を制する」の言葉
どおり、時の権力者がまず一番に支配をしてきました。
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幕府直轄から明治政府直轄、皇室所有を経て、明治29年
に民間に払い下げられました。
以後、明治・大正・昭和と採鉱されましたが、深さ880m
ほど掘り下げた結果、物理的に坑道が保たない「山はね」
現象が起きたことを契機に坑内生産が中止されました。

まず山に登り、江戸時代の露天坑道の見学です。
Img_8212 Img_8214
その跡、有名な「金香瀬坑口」から入って、江戸期の手堀
りと現代の機械堀りを同時に見ながら勉強ですが、この山
の眞下が坑道になっています。

狸穴にサザエ殻の灯明     湧水対策も手作業
Img_8218 Img_7698  
現代はダイナマイト       機械動力
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地下880mも掘り下げます    鉱脈とはこんなもの
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以前にも書きましたが、但馬の地に時の権力者が争って
手に入れようとした「お宝」があったことを地元民は忘れて
しまっている感がします。
確かに製錬技術など石見から教わったことは多くあったよ
うですが、生野銀山が歴史に果たした役割は大きなものが
あります。
石見を見る前にまず生野を知って欲しいものですね。
  
最後に生野銀山の鉱脈資質は1トントロッコに・・・
金0.2g、銀672g、銅0.05%、鉛20.93%、亜鉛16.21%と聞き
ました。

それと但馬検定対策の参考として、次の暗示がありました。
①生野銀山坑道の総延長距離 (350km)
②産出する鉱物の種類(70種)
③明治期に招かれて、鉱山の近代化に貢献した技術者
 コワニエはどこの国の人か(フランス)
受験する方は、覚えておいた方がいいですよ。
 

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2009年5月25日 (月)

コウノトリ 巣立ち

二十四日午後、百合地の人工巣塔から放鳥コウノトリの
ひな一羽が巣立ちました。
三月中旬にふ化してから2ヶ月とすこし。
一昨年でしたか、46年ぶりの巣立ちを固唾を飲んで見守
っていたときのことを考えるとあっけないものです。
孵化や巣立ちがニュースにならないくらい日常に溶け込む
日が来るのでしょう。

これで残るは、戸島の2羽、野上の3羽、伊豆の3羽の合計
8羽になりました。
巣立ちは自立への一歩、これからは自分の力が試される
のですね。
 
 

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2009年5月16日 (土)

但馬ふるさとづくり大学

今年で3年連続参加なので、3年生になるのでしょうか。

但馬ふるさとづくり大学の講座内容は 
「daigaku_bosyuu.doc」をダウンロード
主催:(財)但馬ふるさとづくり協会 
http://www.tajima.or.jp/furusato/
後援:兵庫県・但馬広域行政事務組合 
http://www.tajima.or.jp/kouiki/index.html

受講希望者が多く、80名の定員が毎年100人に増やさ
れます。
最高齢は91歳、最年少は42歳、平均年齢が66歳、男
女比が約2対1と聞きました。
開校式の後、第1回講義が水嶋元先生の「小説で紐解く
但馬の歴史」でした。
校長退官後、短大の講師を務めながら小説を書き出した
という異色の先生で、知る人ぞ知る方です。
著書に「小説山名宗全」「黄金の山中-生野鉱山物語」
ほか、但馬の書店なら各種並んでいます。
もともと話の上手な方で、分かりやすく中世の山名氏を
中心に学びました。
  Img_7956_3   
強調されたのは、史実を学ぶのも大事だが、小説の立場
からそれぞれの時代のエポックに焦点を当て、楽しく学ぶ
ことも大切であるということでした。

次回は6月6日、現地学習で「生野銀山を歩く」です。
水嶋先生曰く、全国の6分の一を所領にする程の隆盛を
誇った山名を財政的に支えたのは、但馬各地の金銀銅
の鉱山だとか。
そういえば、あちこちに金や銅を含んだ地名があります。

ところで、世界遺産に指定された石見銀山を尋ねた人に
生野銀山はと聞くと、行ったことがないという返事がほとん
どです。
確かにあちらのほうが先輩で、銀の取り出し方など指導を
うけた記録がありますが、情けないことです。

「よそに見に行く前に、自分のところを勉強せいよ!」
話がそれましたか。
 

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2009年5月14日 (木)

旧制豊岡中学校 楽々浦殉難6学徒

豊岡高等学校の前身である旧制豊岡中学校の生徒6人
が亡くなる水難事故がありました。
時は、敗戦間近の1945年5月14日正午頃。
場所は、円山川河口の楽々浦(ささうら)。
生徒らは、学徒動員で対岸の山に向かい、薪の切り出し
を終え、船で帰る際事故に遭いました。
家路を急ぐ生徒ら多数が船に乗り込みで、バランスが崩
れ転覆し、6人が犠牲になりました。
帰りの汽車の時間が迫っていたのです。

事故があった近くの「福泉寺」前に追悼碑が建てられ、毎
年中学校48期(当時3年生)、49期(2年生)50期(1年
生)を中心に「追悼の会」が慰霊を続けています。
私の高校の恩師がこの会の世話人で、平和への思いが
とりわけ強い彼からこの話を聞きました。

場所は城崎町上山、円山川左岸沿いです 
Img_1330  Img_1336
戦後64年を経過し、会のメンバーも高齢化する中で、追
悼碑を高校敷地へ移設することも検討されたのですが、
「宗教上の碑は受け容れられない」との回答で、敷地に
ある同窓会組織「達徳会館」に、追悼碑の写真と碑文の
写しを額に入れ、預けることになりました。

右側には犠牲者名 左は文や書の作者と世話人名 
Img_1333  Img_1343
碑文は豊岡高校初代校長かつ校歌の作詞者で、アララ
ギ派の歌人でもあった岡垣徹治によるものです。

岡垣徹治氏については  
http://www.town.shinonsen.hyogo.jp/page/833d56773e19a349a99ade185ae889fa.html
豊岡高校校歌 (歌も流れます)
http://www.hyogo-c.ed.jp/~toyooka-hs/shokai/kouka/kouka.htm

事故の形ではあっても学徒動員の最中で、戦争の犠牲
が若い中学生にまで及びました。
自分の高校時代と比べ、平和な時代を知ることなく、こ
の世を去った生徒たちの無念さを思うと、改めて平和の
大切さを考えさせられます。

今日午後2時から、碑の前で「追悼の会」による読経・
合掌がおこなわれます。 
 

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2009年5月 2日 (土)

インフィオラータあさご

「インフィオラータあさご2009」を初めて見てきました。
朝来市多々良木、あさご芸術の森美術館で開催されてい
ます。
先日会期を終えた「たんとうチューリップまつり」の会場か
ら譲り受けたチューリップの花びら360万枚を使って、ボ
ランティア155人で製作したとのこと。
Img_7797  Img_7794
今年は同美術館で開催中の葉祥明さんの作品展に合わ
せ、「地雷より花をください」をテーマに人気キャラクター・
サ二ーで表現されています。
縦約17㍍、横約70㍍の大きさで、この絵だけなら入場料
大人500円を払わなくても、ダムの上まで車で上ると、美術
館の庭にあるのが見渡せます。
Img_7799 Img_7789
それにしても、春たけなわの4月にチューリップ祭で楽しん
だ後に、連休行事として活用する知恵はすばらしいですね。
  

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2009年4月14日 (火)

婆焼きまつり(お塔まつり)

今日4月14日は、お塔まつりの日です。

府市場区に伝わる文書によると・・・・
『婆焼きまたはお鉢焼きとは伝説によれば承久の乱(12
21年)に都を追放された後鳥羽上皇の皇子六条宮雅成
親王の配所現豊岡村高屋まで親王の跡を慕われてはる
ばる都から下られた妃幸姫が松岡の里まで辿り着かれ
長旅の疲れと老婆の虚言により世を儚み入水されたそ
の霊を慰めるために命日に川原で婆焼きをすると云伝え
られているが尊いお方の但馬配流という歴史的史実と神
聖なる炬火を捧げて豊穣を祈念する農民の姿をこじつけ
たものと解せられる』

妃は「死後南風になって親王のもとへまいる」とも仰った
そうで、この時期強い南風が吹き、川が増水することを
妃の祟りと考え、農事の無事を祈ったのでしょう。

承久の変と高屋の墓所については 
「zyoukyuunohen.doc」をダウンロード
鉄砲竹(女竹)と呼ぶ細い竹とわらで鉢形の土台をつくり
その上部に「御柱松」を立て、老婆に見立てたわら人形を
くくりつけ焼きます。

松岡区の十二所神社の碑文は 
「matsuoka.doc」をダウンロード
今年はあいにくの雨で、御柱建ても大変のようです。
     P1020023_2
昨年の伊佐屋三木のblog「奇祭(お塔祭り 婆焼き)」は 
http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_38db.html

松岡以外にも向こう岸の上郷区にも、祭った記録が残っ
ています。
上郷の御祷碑文(王子が生まれたと記されています)
「kaminogou.doc」をダウンロード

お隣の府市場区では、鉢作りはしませんが、「お塔講」の
講員によって、今でも祭りが行われています。
府市場お塔講については 
「fchiba.doc」をダウンロード

火入れは毎年午後6時40分頃に行われます。
 

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2009年4月11日 (土)

樽見の大桜 仙桜

指定樹齢1,000年、国指定天然記念物の大ザクラで、県
下一、別名「仙桜」と呼ばれていますす。
場所は大屋町樽見で、石を積んだ段々畑の桑園跡の山
腹にそびえ立っています。
    Img_7321
地元の人達に神の木として大切に保存され、さらに上部
にある大アベマキとともに、出石藩と生野代官所との境
界木であったと言われています。

1,000年の時を経て、幹に空洞ができ、枝や幹が枯れて
きて危険な状態でした。

15年前の「但馬の巨木100選」に掲載された状態 
       Conv0001

国や県の補助を受けて樹木医の処方で、外側はジャング
ル支柱を設け、枯れたり腐った枝は除去し殺菌剤と接着
剤で処置がしてあります。
柵で根元を保護していますが、5~6年経てば樹勢も回腹
して支柱も取れるそうです。
Img_7297  Img_7317

満開を少し過ぎた頃でしたが、下から見ると白雲が立っ
ているようにも感じられ、近づくと支柱の助けを受けなが
らもスクと立っている様は立派の一語に尽きます。
いろいろな桜を見ましたが、巨木が放つエネルギーを感
じさせられました。

山腹から山並みが見渡せます
Img_7311_3  Img_7306_3
   
Img_7301  Img_7313
場所は、県道養父宍粟線の樽見から林道に入り、山腹
の駐車場から、山道を10~15分登ったところ。
遠くは九州や関東からも見に来られるとか。
「見る」のではなく、「会う」という言葉がふさわしいほどの
風格でした。 
 

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2009年4月 9日 (木)

新温泉町歴史探訪 温泉

浜坂から西へ旧温泉町に向かいます。
温泉町では、時節柄桜を見に行きました。

< 泰雲寺のシダレ桜  竹田地区 >

樹齢は約250年(推定)とされ、見事な花を咲かせます。
京都の天竜寺から移植されたもので、一般のシダレザク
ラは満開になると白くなりますが、このサクラは花の色が
濃く優雅な姿を見せてくれます。
幹廻りでは、西日本一の大きさを誇り、花は口を少しすぼ
め半開きのように見えます。
Img_7250   Img_7249

< 正福寺桜  湯地区 >

春木川西岸の荒湯の夢千代像近くにある天台宗の古刹。
非常に珍しい種類の桜で、ガク片(花びら)が10枚で1花を
つつみ、めしべが1つの花から1~6本、1果より6果を結び
ます。
八重桜の変種で、半枝が垂れ下がっています。
植物学者、牧野富太郎氏により、学名「プルヌス・タジマエ
ンシス・マキノ」と名付けられています。
Img_7252  Img_7253
浜坂みなとほたるまつりからスタートし 、諸寄・浜坂・温泉
と歴史探訪をして、蘇武トンネル経由で戻ってきました。
但馬の北西部を一回りしたことになります。
新温泉には、偉大な登山家「加藤文太郎」も生まれ、図書
館に記念館が併設されています。
新田次郎の小説「孤高の人」で一躍有名になりましたが、
彼については、後日触れたいと思います。
 

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2009年4月 8日 (水)

新温泉町歴史探訪 浜坂

< 宇都野神社 >

諸寄の後浜坂町内に戻り、宇都野神社にお参りに行きま
した。
Jinja_001_s2_6  Jinja_002_s2_4      
鳥居前に車を止めて歩くと本殿までがまあ長いこと、1km
あるような参道に、対をなした灯籠と狛犬がそれぞれ5~6
組順番に並んでiいます。
犬ならぬ麒麟獅子もお宮を守っています。
Img_7231  Img_7232
この神社の夏祭りは、川下(かわすそ)祭りと呼ばれ、豊
岡柳祭り・和田山地蔵祭りと並んで但馬三大祭りに数え
られています。
祭りには神前や町内で麒麟獅子舞が披露され、御輿や
出し物の神船、神鉾などが練り歩き、浜坂海岸の御旅
所に着き、翌日神社に還られるとのこと。
さすが漁港ならではのお祭りですね。
Matsuri_002_s2 Matsuri_016_s2
この時披露されるのが麒麟獅子舞いです。
普通の獅子と違って金色の一本角をつけたユーモラス
な顔をしています。
  Matsuri_010_s2_2   Matsuri_009_s2_2
諸寄の伊世永神社と同じく雌雄の二頭舞いです。

< ラチス桁 田君川橋梁 >

但馬検定テキストの「ザ・但馬」によると『ラチスとは格子
の意味で、断面がL字形の鉄材を45度づつ傾斜させ、互
いに直角に交わるよう組んだもの』で、一スパンが残って
います。
Img_7240  Img_7243_3
思うに資源が限られる中、鋼材を節約しながらも強度を
保つために考えられた工法でしょう。
JA浜坂支店の駐車場からよく見えます。
全国に三例しかなく、この田君川と竹野川と山口県の徳
佐川の橋梁で、但馬に二箇所あるのはすごいことです。

田君川を少し上流に上ると、バイカモ(梅花藻)の群生地
があり、7月~8月にかけて白い可憐な花を咲かせます。
Baikamo_000_s2
   

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2009年4月 7日 (火)

新温泉町歴史探訪 諸寄

< 為世永神社 >
ほたるいか祭りの会場を後にして諸寄に向かいました。
ここは北前船の風待ちの港として賑わっていました。
「為世永神社」は、船だまり近くの高台にあります。
豊漁と海路の安全を祈願する「船絵馬」が奉納されてい
ると聞き探しましたが、それらしきものは見あたりません。
町中に「八坂神社」があったので、尋ねてみるとここで
保管されていました。
為世永神社が高台にあり風雪の被害があるので、移さ
れたとのことでした。

Img_7238    Img_7234_3
Img_7236_2 Img_7237 
新温泉町・香美町に麒麟獅子舞が受け継がれています。
伊勢神楽系の獅子舞とは違い、因幡から伝えられたとい
う麒麟獅子は、頭に一本の角がありユーモラスの表情を
しています。
二頭舞(雌雄の舞)が行われているのは、但馬では浜坂
宇都野神社と諸寄為世永神社の2ヶ所だけです。
宮司さんにお聞きすると、家数が多く一頭では時間がか
かるので、二頭に増やしたのではと仰っていました。

< 歌人 前田純孝 >

前田純孝は,明治13年に諸寄村の名家の長男として生
まれ、兵庫県御影師範学校,東京高等師範学校を卒業
し、大阪府立島之内高等女学校教頭を勤めたが,肺結
核を病み妻子とも別れ、諸寄で孤独のうちに明治44年
31歳の若さで亡くなりました。
 与謝野鉄幹が「東の啄木,西の翠渓(純孝)」と言った
たほどですが、家庭的にも経済的にも恵まれず、肺結
核により若くして亡くなり、歌人として有名ではありませ
んでした。
その歌を記した碑が美方郡内各所に見られることから
純孝が土地の人に、愛され敬われていたことが分かり
ます。

諸寄海岸の歌碑 
いくとせの前の落葉の上にまた落葉かさなり落葉かさなる
Img_7233
先人記念館の歌碑 
磁石の針ふり乱さんは無益なり磁石はつひに北をさす針
居組七坂八峠歌碑 ↓  辞世の歌 )
風ふけば松の枝鳴る枝なれば明石を思ふ妹と子を思ふ
春木峠の歌碑↓ )
牛の背に我も乗せずや草刈り女春来三里にあふ人もなし

前田純孝については新温泉町ガイド 
http://www.town.shinonsen.hyogo.jp/page/24819d01fabdcff80553bb20cdb666e6.html

< 篠原無然 >

そして、ここ諸寄は飛騨女工の労働環境改善に尽力し、
「飛騨の聖人」と呼ばれた社会教育者「篠原無然」の出身
地でもあり、駅に顕彰碑が建てられています。

篠原無然については新温泉町ガイド  http://www.town.shinonsen.hyogo.jp/page/d4c4ccd6f13ffe94bb631d3c2d4fca74.html
 
見た目には寒村とさえ見える諸寄に、すばらしい文化と人
物が生まれたことに感服させられました。 
 

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2009年4月 6日 (月)

ほたるいか祭

5日日曜日に新温泉町浜坂の第11回ほたるいか祭に参
加してきました。
浜坂漁協はほたるいか・ハタハタ・マツバガニの全国一
の漁獲高を誇っています。
ほたるいかと言えば富山湾のイメージが強いですが、水
揚げ高は但馬の中で量で第3位、金額で2位を占めます。

会場では、新鮮なほたるいかを材料とした多彩な料理 ・釜
揚げ・串揚げ・沖漬け・お好み焼き・炊込み飯・寿し(軍艦
巻き)や但馬牛ステーキ、さつきえび汁、ハタハタ料理、大
茹だこ切身など楽しめます。

( すべての写真は右クリックで、大きくなります  )
クレーンでの釜ゆで   行列風景
Img_7205_2  Img_7203
大賑わいの会場     ご馳走待ち 
Img_7214 Img_7229
餅蒔き           ほたるいかの箸渡しリレー
Img_7211 Img_7223
釜ゆで           沖漬け
Img_7207_2  Img_7218_2
軍艦巻き         混ぜご飯
Img_7220 Img_7222_2
お土産の生ほたるいか  自家製の沖漬け
Img_7255_2 Img_7269

主催者によると、一万五千人の人出で、鳥取・京阪神の
ナンバーも見受けられました。
高速道路の1,000円利用も後押ししたのでしょう。
お昼前に会場を後にして、新温泉町の文化財や巨木を
探訪してきました。
 

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2009年4月 1日 (水)

但馬検定1級 Ⅱ

今年の3級合格者の最少年齢は13歳でした。
どちらかというと年配が多い中、ふるさとに興味を持って学
んでくれる少年がいるのはうれしいことです。
私はと言えば合格最低点だったことを謙虚に受けとめ、今
後さらに精進するつもりです。
もともと故郷に親しみ学ぶことで理解を深め、できれば後代
に伝えたい気持ちで始めたことです。

今までの但馬検定各級の問題と解答が載っています。
但馬情報特急 「過去問題に挑戦してみよう」 
http://www.tajima.or.jp/modules/official/index.php/tajimakentei/top.html

合格証とバッチとご褒美です。
Img_7186 
バッチは金色で、「但馬検定1級」と書いてあります。
ご褒美は、但馬で200 以上の施設で利用できる「トクトク
券」付きの「但馬ファンクラブパスポート」1年券で出石蕎
麦もついています。

但馬ファンクラブについては 
http://www.tajima.or.jp/modules/official/index.php/tajimafanclub/top.html
 

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2009年3月31日 (火)

但馬検定1級 Ⅰ サクラ咲く

めでたさも 中くらいなり おらが春 (一茶)

先般行われた第4回但馬検定に1級にチャレンジして、自
己採点では69点で、不合格とブログに書きました。

伊佐屋三木のblog 但馬検定1級合格 サクラ散る 
http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-710d.html

協会から届いた通知によると、80点満点中70点で「合格」
していました。
昨年の2級検定合格者17名が受験し、合格は5名だったと
のこと。

■試験結果
          1級(80問)    2級(80問)  3級(100問)
・受験者数       17名     64名    108名   
・合格者数        5名     39名     75名   
・合格率       29.4%   60.9%   69.4%
・平均点       67.5点   61.6点   73.6点
・最高点         75点     76点     96点
・合格者の最小年齢  55才     43才     13才
・合格者の最高年齢  70才     79才     80才
・合格基準     70点以上  60点以上  70点以上

■受験者の地域別内訳
 但馬内  166名
 但馬外   23名
 内兵庫県内 12名
 兵庫県外  11名〔愛知、石川、大阪、京都、鳥取〕

07年に第1回検定が3級からスタートし、最速で1級まで進
みました。
いい意味で予想が外れてやれやれです。
僅か1点が天国と地獄の分かれ道・・・
冒頭の一茶の句はまさに今の私の心境です。
 

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2009年3月25日 (水)

十二所神社 ばば焼き祭

自宅近くの松岡区十二所神社鳥居の工事が行われて
います。
鳥居が壊れていて新調するとのこと。
Img_7164 Img_7169_2   
この神社の祭神は伊邪那岐・伊邪那美で、春の例祭
におこなわれる「ばば焼き」は結構有名です。
鎌倉末期の承久の変に由来するもので、老婆の姿をした
人形を松にはりつけにして、焼き殺します。

奇祭「ばば焼き祭」については、伊佐屋三木のblog 
(クリックしてご覧下さい)
http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_38db.html 
境内には、この祭の由来を記した碑があります。
Img_7166
ここから道路を隔てた円山川、鶴岡橋、井田神社のある
八幡さんから進美寺山にかけての眺めもお勧めです。
 

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2009年3月16日 (月)

第3回但馬検定 サクラ散る

第3回但馬検定が15日(日)に実施されました。
今回は2級合格者17人が、始めて実施される1級に
チャレンジしました。
   
  右端が私です    (クリックで拡大)
Conv0001_2 
ほかに、2級に64人、3級に108人が挑戦しています。

1級合格には、四択70問以外に記述式で10問の合計
80問中70問以上の正解が求められます。
問題用紙が持ち帰れるので、自己採点したところ
69問正解で不合格でした。
あと1点・・・・・・(;o;)クスン。

そこそこの自信はあったのですが、出題範囲が広が
ったのと性格から来るところのケレスミスが出てし
まいました。
僅か1点で残念ですが、気持ちを切り替えて来年を
目指して再度チャレンジします。(p^-^)p ファイト
今年で三回目になる「但馬ふるさとづくり大学」の
受講を申し込んでおきました。

「但馬ふるさとづくり大学」については 
http://www.tajima.or.jp/furusato/jinzai/university.html
案内及び申込書もここから取れます。
 

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2009年1月29日 (木)

ご当地検定 但馬版

ご当地検定ばやりですが、但馬の自然や歴史・文化・産業
人物などの知識を問う「但馬検定」が実施されます。
今年で3回目、今回は過去二回の検定で、のべ469人が
受験しました。

但馬検定については 伊佐屋三木のblog 
(過去問や合格率などが載っています)
http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-2c92.html

テキストも千円で発売され、書店で求められます。
ふるさとのことを知る良い機会なので、チャレンジしてみま
せんか?

朝日新聞1月29日但馬版 
Conv0001_2


<第3回但馬検定 3級・2級・1級>
・実施日  3月15日(日)
・受験料  千円
・締め切り 2月27日(金)

 

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2009年1月22日 (木)

ボランティアの先駆け 北但大震災 Ⅱ

北但大震災で救命・消火の最前線で活躍した生徒が、そ
の後作文を残しています。

・学校運動場が炊き出し場所になったり、被災者案内が
 掲示されたり、阪神大震災と様子が似ています。
・円山川改修工事に来ていた朝鮮人労働者による救援
 活動に感動し、高く評価しています。
 『3年前の関東大震災では、「朝鮮人が火をつけた」「暴
 動をおこした」などの流言が飛び、罪もない人達が、民
 間の自警団に殺されたことから考えると、地方では人間
 同士の助け合う心が発揮されています』
・鳥取高等農学校の学生たちが、寮生大会で支援を決
 議し、身近にある農具を持って、鉄道が不通区間は徒
 歩で支援に駆けつけた。
 これは学校に無断で行動したことだが、学校側も不問
 に付した。

但馬の近代化遺産 「絵葉書に見る北但大震災
venex1 さんのブログは 
http://venex1.exblog.jp/7139119/

平成16年10月台風23号により、豊岡市は大水害を蒙り
ましたが、このときも多くの方々の支援を頂きました。
災害自体は不幸なことですが、人がお互いを思い合うこ
と、そして助け合うことの大切さを教えてくれますね。
 

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2009年1月21日 (水)

ボランティアの先駆け 北但大震災 Ⅰ

阪神大震災で、住民同士の絆の大切さと今までにない形
のボランティア活動が注目され、95年を「ボランティア元年
」と呼ぶようになりました。

その先駆けともいえるボランティア活動が当地の記録に残
っています。
84年前の1925年(大正14年)5月23日午前11時10分に豊
岡や城崎など北但一帯を襲った地震は、「北但大震災」と
名付けられ、多くの家屋が倒壊・焼失し、多数の負傷者や
死者が出ました。

北但大震災被害の概況 死者428名、負傷834名、焼失
家屋2,180戸、全半壊2,068戸

当時の旧制豊岡中学校には、但馬各地から一年生から
五年生まで、567人が在校していました。
地震直後から寄宿舎生約80名と鉄道不通のため帰宅
出来なかった遠距離通学生たちが中心となって倒壊家
屋の下敷きになった死傷者の救出や消火、家財の搬出
など、通学生も併せてた190人が活躍し、知事から感謝
状が贈られたことが資料に残っています。

地震直後、校長はこう指示したそうです。
「自宅通学生は自宅に帰り、安否を確認したら、帰校して
寄宿舎の生徒と共に、救援活動に参加しなさい」
その後参加を抑えられていた下級生も加わったり、事故を
恐れた親に参加を止められても現場に駆けつけた生徒も
いたり、危険な活動の中でも生徒は誰もけががなかったこ
ともすばらしいことでした。

 

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2008年12月24日 (水)

但馬国分寺遺跡発掘調査 現地説明会

日高町国分寺の但馬国分寺跡で発掘調査進められてい
て、23日に現地説明会が開かれました。
あいにくの雨でしたが、考古学ファンが集まり、担当の前
岡学芸員から熱心な説明を受けました。

(説明会の様子と遺跡の全体  )
1 Photo
但馬国分寺跡は1973(昭和43年)から発掘調査が進めら
れていて、今年10月末からの第25次調査で、寺の東端と
される場所から柱の礎石や柱穴・溝跡から多数の土器が
掘り出されました。

遺跡の配置図 「j4.JPG」をダウンロード 

なかでも、「三綱」「僧寺」「養父」と墨書された奈良時代
後半(700年代後半)の土器の破片が見つかっています。
「僧寺」は「但馬国分僧寺」の略で、「三綱(さんごう)」は
位の高い僧侶を意味するものです。

(建物の礎石2カ所と南北溝  )
Photo_2 Photo_3
(掘立柱建物  )
Photo_4 Photo_5 
(今回発掘された墨書土器と木簡  )
25 25_2
付近には昔の調査で幅1.7mと全国でも屈指の井戸跡や
「大院」の文字が書かれた土器、「三綱炊屋(かしきや)」
と書かれた木簡も見つかっていることで、僧侶たちの食
事をつくる「大衆院(だいしゅいん)」がこの付近にあった
のがほぼ確定されました。

(以前発掘された木簡(複製)と墨書土器  )
5 16
但馬国分寺の規模では、大衆院・三綱が寺務を処理す
る「政所院(まんどころいん)」も兼ねていたと考えられて
いて、今回、「三綱」が使っていたとみられる土器が出土
したことで、但馬国分寺東端の位置に大衆院があったこ
との裏付けとなります。

遺跡の今後の始末を尋ねたところ、調査を終えたので、
正月明けにも砂を入れ埋め戻してしまうそうです。
砂で埋めるのは、もし次回調査することになっても容易
に掘り出せるからです。

(但馬国府国分寺資料館のホームページ  )
http://www.city.toyooka.lg.jp/kokubunjikan/top.html

館外展示「新発見!豊岡の歴史展」開催中です。
(このコーナーは無料です)

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2008年12月17日 (水)

邪馬台国時代の但馬 

昨年に続き「但馬ふるさとづくり大学」を受講し、先週第
13回の最終講義が終わりました。
今回のテーマは「邪馬台国時代の但馬」で、講師は、
「兵庫県立考古博物館」館長、石田博信氏です。
Img_6116_2
90分にわたる講義でしたが、三国志時代の中国と歴史
の教科書に出てくる「卑弥呼」の世界が但馬と大きく繋が
ることがわかりました。
邪馬台国の場所は九州説と畿内説があるのは定説です
が、当時大陸に向けて開かれていた表玄関は日本海岸
の地域です。
豊岡市森尾古墳から出土した「三角縁神獣鏡」は青銅製
の鏡のなかで、中国の年代の正始元年(240年)の銘が記
されています。
(女王卑弥呼が魏に使節を送り、金印を授けられたのが
 景初三年 239年)
また、同時に見つかった鏡の一つが1世紀に中国でつくら
れた近畿で最古級の「方格規矩四神鏡」で、以前紹介した
平尾住宅の平尾源太夫氏が保管されています。

魏志倭人伝にある卑弥呼が使いを出したのが239年、使
いの帰国が240年であることから、まさに邪馬台国に関連
する出土品です。

邪馬台国時代から大和時代の遺跡は森尾古墳のほかに
朝来市の若水などの古墳があります。
また、豊岡市出石町袴狭遺跡では3世紀~四世紀頃の
船団を書いた板も出土しています。
この頃の遺跡の出土品として、剣・かんな・鏃(やじり)な
ど鉄製具を多く持っていたことが特徴です。
海の幸と山の幸、自然にあふれた土地柄が多くの人口
を生み、文化を育てているのがわかります。                                                      
山陰とか過疎地・地方などと今は言われて、我々も劣等
感まで感じていますが、古くは大陸文化受入の先進地と
しての歴史と繁栄があったことを忘れないようにします。

ここで学んだことを整理しながら3月の但馬検定への準
備を始めていきます。

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2008年12月 9日 (火)

但馬検定にチャレンジしませんか?

但馬検定も3年を迎え、いよいよ3クラスが揃います。
実施日は来年3月15日(日)です。
Photo_3 
・3級  100問で70問(70%)以上正解が合格。
・2級  3級に合格し、80問で60問(75%)以上。
・1級  2級に合格し、80問で70問(88%)以上。
(多分2級と同じ問題で、正解数で差をつけるようです) 

昨年は難問が多く、3級合格率は45.8%、2級合格率は
17.4パーセントでした。
私は運良く2級合格の19人に入ったので、さらに上を狙
ってみます。
但馬検定テキストブック以外に、新聞の但馬欄や今まで
発行された「但馬風土記」や情報誌「T2」にも目を通し、
出かけられるところは、実際に見て学ぶようにしています。
併せてホームページ「但馬情報特急」も目を通します。
http://www.tajima.or.jp/

これを始めて但馬の自然・歴史・文化・観光・産業・暮らし
についていろいろ学ぶことができ、郷土に対する誇りと
愛着を持つことが出来ました。
まずはテキストを購入し、少しずつ読むことから始めませ
んか?

但馬検定及び公式テキストブック「ざ・たじま」 は 
http://www.tajima.or.jp/modules/official/index.php/tajimakentei/top.html

第1回検定3級問題のうち20問です。
「EPSON001.jpg」をダウンロード
「EPSON002.jpg」をダウンロード 

第2回検定2級問題のうち20問です。
「2115.jpg」をダウンロード
「24964.jpg」をダウンロード

昨年難しかったということは、世の常として今年は易しく
なることが予想されます。

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2008年12月 8日 (月)

シカ肉の活用

シカやイノシシの攻勢に、柵や網の中に逃げてばかりも
いられません。
一定のルールに基づいて、捕獲→処理→加工→消費の
取り組みが進んでいます。

近畿農政局の資料によると、丹波で食肉加工販売の取り
組みがされています。
捕獲した鹿を焼却処分する際、1頭当たり約2万円の処分
費用がかかるなど市の負担も大きく、山に埋める場合で
も大変です。
鹿から取れる食肉は体重の3分の1以下と少ないことに加
え、他の部位の処分費用もかかることから、和牛並みの
価格となるそうです。
野生の鹿肉は、牛肉や豚肉に比べカロリーが3~4分の1、
脂肪分は80分の1で、鉄分やタンパク質を多く含んでおり、
健康志向の消費者などから好評としています。

私も何回かシカの背肉を頂きました。
背肉は最高の部位で刺身が一番と言われていますが、
E型肝炎感染の恐れがあるので、生で食べることはありま
せん。
背肉以外も頂くことがあり、ステーキやシチューに入れたり
タレに漬けて油で揚げる竜田揚げもお勧めです。
燻製では、細切りにしてタレに漬け込んで、ジャーキーに
するとお酒のアテに最適です。

(自家製シカ肉ジャーキー シカとイノシシ肉の燻製  )
P1010005 P1010006
先日佐用町でシカ肉をミンチにして、カツやハンバーガ
で提供しているお店を利用しました。
「期待」していた癖もなく、大変美味しく頂きました。
(食堂いっきゅうとシカ肉ミンチカツ ↓ 
P1020081 P1020082
(店内のポスターとシカ肉バーガーの新聞記事 ↓ 
P1020084   P1020080_2   

お隣の京丹後市でも「イノシシとシカを特産品に」と食肉
処理・加工施設を建設すると決めました。
人間とシカとの闘いは続きます。
(両丹経済新聞 10月21日記事 ↓ 
Photo

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2008年12月 7日 (日)

シカ被害

近年シカによる被害が増えています。
戦後の森林伐採などで荒廃していた山林が回復してきた
ことに伴い、シカの数が増加しているそうです。
つまり森が豊かになった分、個体数が増えすぎて、餌を求
めて人里に下りてくるシカが増えているといいます。
今まで南但馬に多かった鹿が、北但馬にも増えて、農作
物に被害を与えます。

伊佐屋三木のblog「なんと昼間に鹿が」 
http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_c27c.html

雪が深いと鹿の行動が制約されるのが、最近の暖冬で、
行動範囲も広がり、子鹿も育ちやすいからともいいます。
有害鳥獣とは言いながらも、勝手に撃ったり捕獲すること
は許されません。

・田畑へ被害
草食の為若芽を食べたり、収穫間近の作物を食べます。
対策は電気柵や網で囲うことしかなく、人間様が檻や柵
で囲まれている状態です。
それをしても、少々の柵はジャンプして越えてきます。

・交通事故
夜間走行する車との衝突事故が増えています。
シカにとって致命傷になるだけでなく、車にも大被害を与
え、廃車を余儀なくされる場合もあります。

・列車事故
播磨地域の山間部を走るJR姫新線や播但線で、列車
とシカの衝突事故が急増しています。
10年ほど前までは年に数件程度が、今年は11月末ま
でで姫新線56件、播但線145件に上ります。
捕獲数も1997年度の約5,100頭が、2007年度は
16,200頭と10年で約3倍です。

今年はさらに増えて、豊岡・養父・朝来各市の捕獲奨励
金の予算が底をつき、急遽増額されました。
我が菜園は山との距離があり、円山川と国道に挟まれ
ていることで幸い被害は免れています。

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2008年12月 5日 (金)

日和山海岸 竜宮城 虹

北部が山陰海岸に面している豊岡市では、すばらしい海
岸美が売り物の一つで、京都と鳥取・兵庫の三府県で、
ユネスコの世界ジオパーク登録を目指しています。

「山陰ジオパーク構想」については伊佐屋三木のblog 
http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-eaf0.html

観光地で知られる日和山海岸近くの得意先に訪問する途
中で、きれいな虹を見ました。
昨日までの晴天から寒冷前線が通過し、冬型に変わり、
時雨れ模様が繰り替えされますが、これから虹の発生す
る機会も増えてきます。

日和山海岸展望台からの虹       
1 3

「竜宮城」と遠くに見えるのは丹後半島 
2_2
日和山(ひよりやま)というくらいですから、近くの津居山
漁港の漁民が船を出すか否かを決める際に日和を見る
ために利用した山で、各地の漁港付近に見られます。
このお隣の香美町佐津漁港では「魚見台」と呼ばれる高
台があります。
山でも高台でも生活に根ざした名がつけられているのが
分かります。

もっとも「日和見」とは、天気を見て行動を決めるところか
ら、形勢の有利な方につくという誉められない言葉の語源
でもあります。
同義語に「「洞ヶ峠を決め込む」 があります。
こちらは山崎の戦いで、筒井順慶が、洞ヶ峠に軍をとどめ
明智か羽柴かと形勢を見て、有利な方に味方しようとした
ことから来るものでしたね。

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2008年11月20日 (木)

平尾源太夫邸見学 国登録有形文化財

豊岡市森尾に所在する「平尾源太夫邸」の見学会に参加
してきました。
国登録有形文化財に登録され、4月についで2回目の一般
公開です。
事前にアナウンスされていたことで、多くの見学者で賑わい
ました。
Img_5720 Img_5719 
(家側から見た玄関・長屋門と母屋 

Img_5730 Img_5782 

当日配布された資料をご覧下さい。

「hiraotei-1.pdf」をダウンロード
「hiraotei-2.pdf」をダウンロード
「hiraotei-3.pdf」をダウンロード
「hiraotei-4.pdf」をダウンロード

当家は江戸期において但馬地方最大、兵庫県下において
も屈指の大地主で、幕末期には207町歩の田畑を所有し
ていました。
当主の十代目平尾源太夫氏は二代前の豊岡市長を務め
られ、今なお矍鑠(かくしゃく)としていらしゃって、この日も
在宅でした。
主屋は明治の中頃の完成で赤茶色の石州瓦が美しい重
厚な風格があります。

(母屋 右に写っている白髪の後ろ姿が源太夫氏 
Img_5777
1,200坪の広大な敷地に大小20の建物が配置されており
屋敷内に川を取り込んで、洗い場や防火用水池ももうけて
あります。
(屋敷内の「川イト」と右は貴賓客を迎える「御成門」 
橋はなく、門前の川にその際に架けるのだそうです。
Img_5778_2 Img_5726_3
(禅宗のお仏壇とアメリカ製で現役の大時計 
Img_5754 Img_5762
土間などの生活部分は、「くど」や「竈」「水溜」などが残され
ています。
Img_5785_4 Img_5789_4
長屋門や離れなど江戸後期のものも現存していて、奧には
池を中心に落ち着いた風情の庭が設けられています。

以前、中筋の赤木邸も見学しましたが、大地主の居宅なが
らも決して華美に流されず、実直かつ堅実な暮らしぶりは
家訓もさることながら但馬に住む人々の心が伺われます。
何よりも立派なのは、代々当主によって大切に使用され、
十分に維持管理がなされているということです。
有形文化財登録へも私であって私でない、地域や住民に
とっても保存すべき財産というお考えもあるのでしょう。

(上の部屋と呼ばれる離れの玄関と客間 
Img_5736 Img_5737
(客間  )

Img_5735  Img_5747
(欄間 軍配と幕 
Img_5755 Img_5761
Img_5768 Img_5770
(奧の庭  )

Img_5732 Img_5740
(屋敷東側と西側 ↓)

Img_5798_2 Img_5802_2
(近所の菩提寺 臨済宗南禅寺派 盛重寺  )
Img_5804_2
一時間かけて、じっくり見学させて頂きました。
気になったのは、庭の見学時に飛び石を歩かず、平気で
苔を踏んで傷めている見学者です。
現住されている居宅の開放には相当なご苦労もあったこ
とと推察します。
この機会を頂いた当主の源太夫氏とお世話されたスタッ
フの皆さんに感謝し、お礼を申し上げます。

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2008年10月27日 (月)

グルメな一日 PartⅡ シシ肉、ムジナ、アンコウ

但馬学例会が終了した後、part2 としてシシ肉、ムジナ、
アンコウを楽しむ会に参加しました。
交通の不便な地区のお年寄り達を対象に、移動スーパー
を営んでいた講師の太田さん達のお膳立てで、場所は香
住に抜ける178号の河内農産物直売所です。
太田さんの商売も地区の人口が減り、廃業されたのです
が、仲買人資格を持っていて、鋭い目利きでよい物があ
れば、自分たちで楽しむために仕入れてくるそうです。
この日は小振りながらいいアンコウが手に入ったので、鍋
にして、新鮮野菜もたっぷり入れて、ポン酢で頂きました。
これからは松葉ガニが有名ですが、但馬では結構いいア
ンコウが取れ、肉の歯ごたえがふぐに似ています。

Photo

一方ではニンニクの効いたタレに使ったイノシシ肉のあば
ら部分の炭火焼きを準備します。
骨についた実を食べ、歯で薄膜をちぎり取ります。
骨付きカルビもそうですが、この部分が一番美味しいという
人が結構います。

Photo_4 
そして、圧巻は罠で捕まえたムジナ鍋でした。
ムジナとは「貉」と書き、アナグマのことを言い、狸と同
類で、人をだますと言われ、小泉八雲の「怪談」にも登場
します
見た目は豚のようで、すき焼き味でゴボウを多く入れて
猪鍋風に煮込むとなかなかの美味でした。
食べていると気が付かなかったのですが、後からきた人
が、野生の臭いがすると言いました。
「癖があるとかないとか」を美味しさの一基準とするのは
好きではありませんが、獣の風味は少しあるもののそれ
が旨味になり、歯ごたえもしっかり残っています。

Photo_5
Photo_6 
「美味なる物には匂いではなく臭いがある」をモットーとす
る私に、人はゲテモノ食いとか味オンチといいます。
そんな好奇心・挑戦意欲と鈍感力を授けてくれた父母に
感謝しています。

(くさやと鮒寿司の異臭文化の話は ↓ )
http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_419d.html

お昼には川蟹・ソバ・栃餅入りぜんざいで、夜にはシシ肉
ムジナ・アンコウと盆と正月と祭りがいっぺんに来たほど
の贅沢を味わいました。
こんないい研究をさせていただいた但馬学研究会の皆さ
んに感謝の気持ちを忘れないようにします。

    

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2008年10月26日 (日)

グルメな一日 川蟹、蕎麦、栃餅

友人の誘いで、但馬学研究会10月例会にゲスト参加して
きました。
18年も前から、但馬についていろいろな角度から学ぶ息
の長い会で、今年の例会テーマは「食」です。
をテーマに、毎月一度の例会で勉強されています。
但馬学研究会 ホームページ 
http://www.tajimagaku.net/

場所は竹野川沿いにある食事処「ドライブイン山里」
講師は店主のの井上さんと友人の太田さん。
食材は、川蟹・蕎麦・栃餅入りぜんざいです。

このお店は、蕎麦が美味しいことで知られていますが、「川
ガニ釜飯」が季節料理です。
Img_5227 Img_5231
メニューは、「出来上がりに50分かかるので、予約して下
さい」と書いてあります。
食事後のお話しは、但馬のなかでも数少ない清流竹野川
での漁の様子や、平家の落人集落と言われる川南谷(か
なんだに)で伝えられた自然薯を使ったソバ、栃の実の採
取から灰汁抜きの工程など山・川・里の恵みのお話しです。

(講師は、店主の井上さんと太田さん)
Img_5235
国府平野の中、山が遠く、近くの川で遊ぶことが多かった
私ですが、川蟹を食べることはあまりありませんでした。
湯がき蟹は大きな雄を使い、釜飯には小さい雌蟹を入れ
て炊き込みます。
蟹の風味とうま味がご飯のなかに炊き込められ、美味しく
頂きました。

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2008年10月21日 (火)

豊岡高校 達徳会総会 高校力

朝日新聞週刊誌 「AERA」の2005年11月の記事に全国
「高校力」の特集がありました。
『大学より高校力 182校調査=日本社会に地下水脈の
ように流れている高校人脈を徹底調査』

私の母校兵庫県立豊岡高校も載っていて、「地方出身者
は人脈を大事にするので有利である」との設定です。

確かに前身である旧制豊岡中学は、明治29年設立で、県
下では姫路中学(姫路西高)に次ぐ、歴史があります。

(豊岡高等学校のホームページ ↓ 
http://www.hyogo-c.ed.jp/~toyooka-hs/

現在までの卒業者は同窓組織「達徳会」の資料によると・・
・旧制中学  4,952人
・旧制高女  4,122人
・新制高校  27,602人  合計 36,676人 の大組織です。

もちろん物故者もありますが、これだけの数が全国に散ら
ばり、活躍しているとネットワークも相当なものになります。
但馬という地域、独特の風土や歴史・文化そして言語・気
質が仲間をより大切に思わせるのでしょう。
東京・大阪・京都・神戸にそれぞれ支部があって、定期的
な交流が続いています。

(旧制豊岡中学校本館 達徳会館 県登録有形文化財)
Toyooka09_3 
YouTube 近代遺産シリーズ 達徳会館の動画 
http://jp.youtube.com/watch?v=Zvot3ebIEW4
さらに詳しくは「venexさんのブログ」但馬近代化遺産 
http://venex1.exblog.jp/i3

高校力=人脈のベースとなる「達徳会懇親総会」が、日
曜日に開かれ、私達「高校18期生」がお世話をしました。
過去ずっと「和魂ホール」で総会懇親会を行ってきましたが
「飲食を伴う会の使用は控えて欲しい」という学校側の強い
要望で、やむなく近くの3会場に分かれての懇親会です。
出席者も会場の関係もあって、積極的に参加を呼びかけな
かったことで、400人超に減りました。
<写真はすべてクリックで大きくなります>
(3校の校旗) (独逸在住の声楽家 尾畑君の講演と独唱)
Photo_2 Photo_3
(中学、高女、高校の3校歌斉唱)
1 2
(じばさん2階)         (市民会館4階 )
1_2 2_2
(じばさん5階)         (18期生 幹事60余名)
3 Photo_4

私は当日だけでしたが、当番の18期生が昨年から何回も
打ち合わせを重ね、準備してきました。
懇親会場が分かれたこともあって、一番苦労をしたのが卒
業年次別の座席配置でしょう。
いろいろ配慮したつもりでも、なお当日になって中学・高女
の大先輩から苦情があり、会場係や本部が対応に追われ
ました。
もともと少し辛抱をすれば済むことです。
こんなうるさい「大先輩」にはならないようにしたいですね。

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2008年10月19日 (日)

天空の城、竹田城跡、但馬霧、雲海

秋晴れが続くこの時期、昼と夜の寒暖の差が放射冷却と
なり、河川の湿気とあいまって霧が発生します。
山に囲まれた盆地地形に霧が滞留し、高地から見ると雲
の海となり、但馬の風物詩として有名です。

好天が続く中、全国でも有数の山城竹田城を望む朝来山
の中腹に、夜明け前に登り雲海に浮かぶ城を撮影してき
ました。
雲の海に浮かぶ竹田城は、2,400mの高地ににある空中
都市の遺蹟マチュペチュの日本版とも言われます。

夜も明けきらぬ午前6時前、ベストポジションとして有名な
中腹の愛宕神社前「竜神の滝上部」に向かいました。

立雲峡駐車場から約20分、現地に着くと先客数名が三
脚を据え、スタンバイしていました。

(写真はすべて、クリックで拡大します)

1_2 
挨拶をして入れてもらうと、霧が晴れるにつれ、山城が浮
かび上がってできます。
4
山城の石垣に朝日の射し込む様は、空に浮かぶ城その
ものです。
5_1
話を聞くと、一人は明石からもう一人は千葉在住で、深夜
から待機していたと言います。
千葉はともかく、カメラを趣味にしている人なら一度は撮っ
てみたい景色です。

朝来山は、中腹にあるち立雲峡の山桜が見事な花を咲か
せる時期と、山頂の眺めがよいのでたまに訪れますが、
雲海時期も趣があります。

竹田城は戦国期、山名宗全の四天王と呼ばれた太田垣氏
が配されましたが、秀吉による但馬侵攻により落城し、その
後廃城となりました。
天守台を中央に南千畳・北千畳・花屋敷が放射線状に配
され、城の築かれている山全体が、虎が臥せているように
見えることから「虎臥城( とらふすじょう・こがじょう)」とも呼
ばれています。
1990年公開された映画「天と地と」には石垣の上に城を
築き、上杉謙信の居城である春日山城に模せられ、撮影
に使われました。

明日の地球
http://www.tomorrowearth.com/

史跡・遺蹟のなかで、和田山竹田城が紹介されています。
http://www.tomorrowearth.com/2008/08/takeda-castle.html

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2008年10月15日 (水)

伊智神社 秋祭り 文化の伝承

この時期になると、あちこちで収穫感謝と区内安全祈願の
秋祭りが行われます。
日程はもともと10月15日が多かったのですが、体育の日に
統一され、ハッピーマンデー法からは前日の日曜日に行わ
れることが多くなりました。

私の住む府市場区はもともと但馬の国府が存在していた
場所と言われ、その中でも市場として栄えた地区です。
祭りともなると、子供だんじり、大人だんじりが練り歩くのは
もちろんのこと、3年に一度は御輿が区内を巡行します。
今年は御輿の渡御もないため、有志によって昔懐かしい
屋台と子供だんじり
を組み立て披露することになりました。
地域によっては形状は違いますが、「だんじり」「屋台」「や
っさ」「み輿」と呼ばれているようですね。

(現在の子供だんじり)   (40年前の子供だんじり
9   Photo_3
(大人だんじり)       (堤防からの宮入風景)
Photo_8 Photo_9

その昔は、御所車風の「屋台」が東の「国府市場」と西の
「手辺」の二台が曳行されました。
台上には鼓・太鼓・笛・鉦・三味線の裃付けた男衆が10人
並んで囃子たて、主立った辻になると停めて、子供達が手
踊りを披露するほどの艶やかさでした。
時代の流れか、昭和27年を最後に取り止められました。
屋台の部材は残されていて、それなりに再現はできました
が、囃子や踊りなどソフトの部分は、50年以上経過すると
残念ながら復活はできませんでした。
休止のつもりが、そのま続いて、後継者を育てなかったの
が原因ですが、戦後の大変な時代は類推されますが、今思
うと残念な気がします。
苦しくとも頑張って残すか、取りあえず休むかその時のわず
かな違いが分かれ道になりました。

久々に組まれた 屋台前景 )
Photo_6

人と比べると大きさが分かります。見送り幕も立派)
Photo_7

祭り当日の宮神事 自慢の御輿も据えられます。
(伊智神社 由緒)
Photo_3

伊智神社の紹介は「玄松子の記録」 
http://www.genbu.net/data/tajima/iti_title.htm
Img_0414
Img_0405
渡御は三年に一度と決められていて今度は来年です。
その際には白装束の白丁が烏帽子をかぶって担ぎ、装束
をつけ道具を持ったお供が従います。

(二年前、2006年の「お旅」風景を紹介します  )
Img_0144
Img_0163

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2008年7月26日 (土)

蓮生寺 熊谷直実 青葉の笛

加藤清正に由来する「清正公大祭」に続いて由来シリーズ
ですが、私に住む豊岡市日高町に熊谷山「蓮生寺」があり
ます。
Img_4066
その名の通り、熊谷直実に由来する浄土宗の名刹です。
直実は源平の頃の頼朝のご家人で、一ノ谷の合戦で平家
の公達、平敦盛を討ち取ったことで有名です。

平家物語には、『良き敵を探し求めていた次郎直実は、波
打ぎわで、平家の貴公子平敦盛を呼び止め、一騎打ちをし
て首を取ろうとすると、ちょうど自分の子ぐらいの年だった。
直実は、一瞬敦盛を逃がそうとしたが、背後に味方の手勢
が迫る中、「同じことなら直実の手におかけ申して、後世の
ためのお供養をいたしましょう」といって、泣く泣くその首を
切った』という話が有名です。
これには、先ゆく船に乗らんとして馬で乗り入れて進んでい
る敦盛が「敵の将が後を見せて逃げるのか」という挑発に
わざわざ戻ってきて、一騎打ちに応じる健気さと潔さ、平家
一族の儚さが読む人の心をうちます。

このことがあってから、直実の仏門に帰依する思いは、いっ
そう強くなり、後に出家して法然上人の弟子となり、全国に
縁がある寺の中で、蓮生が大如院と号する庵をむすび念仏
道場としたのがこの寺の由来だそうです。
Img_4067

「青葉の笛」は、このとき敦盛が身につけていたものです。
この物語を題材にした歌が、唱歌「青葉の笛」です。

♪ 一の谷の 戦いくさやぶれ
  討たれし平家の 公達あわれ
  あかつき寒き  須磨の嵐あらしに
  聞こえしはこれか 青葉の笛 ♪ 

これを作曲したのは、但馬のすぐ隣、鳥取岩美町出身の
童謡作曲家 田村虎蔵です。

(田村虎蔵については ↓)

http://www.pref.tottori.jp/doyo/artist/tamura/tamura.htm

ついでに言わせてもらうと、この歌は映画「無法松の一生」
にも出てきます。
無学で乱暴者の車夫松五郎が恋心を抱く未亡人の一子、
敏雄少年が小学校の音楽会でこの歌を一生懸命唄います。
この映画で、この歌を知ったというのは、私以外にもいらっ
しゃるでしょう。
もう一つついでに言うと、唱歌「青葉の笛」の二番には、平
家の武将で、歌人でも有名な平薩摩守忠度の「花や今宵」
の歌が出てきます。
これについてはまた後日紹介します。

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2008年7月13日 (日)

甦った芝居小屋 永楽館 Ⅱ

芝居小屋内部に続いて、奈落に潜り込んで、回り舞台
迫り、花道下などを紹介します。
ここは昔通り人力で動かします。

写真をクリックすると拡大します」

(奈落)              (回り舞台)
Photo_14       Photo_27
(回り舞台仕掛け)         (回り舞台 ローラー)
Photo_28   Photo_20
(迫り 迫り上がる位置です)  (迫り 仕掛け)
Photo_21   Photo_22
(花道 少し傾斜してます)   (花道下)
Photo_23      Photo_24
(ラムネ箱と炭火鉢)    (落書き 芸人が書きます)
Photo_2     Photo_3 

芝居小屋としてのひととおりの機能を備えていて、工事
で復原されましたが、一部がパチンコ屋になったり映画
館として利用された時期もありました。
工事にあたっては、昔の図面や資料だけでなく、6回に
渡る聞き取り調査が重視されました。
古民家再生技術を活用して復原なった「永楽館」です。

復原工事の中心となった設計士と棟梁のお二人が
「芝居でもコンサートでも何でもいいから、市民に幅広く
活用してもらいたい。生きた劇場として、100年、150年
と使い続けて欲しい」と話されていました。

甦った劇場として、芝居だけにこだわらず、いろいろな
活動に利用したいですね。

     

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2008年7月12日 (土)

甦った芝居小屋 永楽館 Ⅰ

但馬ふるさとづくり大学で見学した永楽館の続報です。
芝居小屋内部を紹介します。
この芝居小屋の定員は350人程度とされています。
平成18年から復原工事が始まり、2年の歳月と3億円
の費用をかけて、完成を迎えました。
(3年前の合併によって認められた「合併特例債」を財源
とします。
「写真をクリックすると拡大します」

(舞台正面)          (向正面)
Photo_2   Photo_3
(上手側桟敷席)        (下手側桟敷席)
Photo_4      Photo_5
(上手看板)          (下手看板)
Photo_6  Photo_7
(舞台二階の楽屋)      (楽屋)
Photo_9   Photo_11
(カツラ場)             (1階囃子場・2階太夫場)
Photo_12      Photo_13

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2008年7月 9日 (水)

100年の時を超え甦る芝居小屋

出石町は松平・小出・仙石氏が治めた城下町として、但馬
の小京都とも呼ばれ、歴史と文化が残っている町です。
その一つとして、芝居小屋「永楽館」が残っていて、昭和39
年の閉館以後、放置されていました。
永楽館は明治34年、小畑家によって建てられ、場所移さず
に残る劇場としては国内最古、明治期から残る芝居小屋と
しては、近畿では唯一のものとされています。
Img_3574
かってここで遊び楽しんだ町衆の願いが通じ、豊岡市の文
化財保存事業として、復原工事が行われ、8月1日から柿
落し(こけらおとし)興業が行われます。
Epson001
先日館内をくまなく見学させてもらいました。
芝居小屋としてほとんどの機能を備えている永楽館を二回
に分けて紹介します。

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2008年6月24日 (火)

但馬国府跡に大量の木簡出土

奈良時代から平安時代にかけた律令制の頃、全国60余州
に国府がおかれていて、中央から派遣された国司が国を治
めていました。
但馬では私の住む地区に「国府」「府中」「国府市場」などの
地名が残っていて国府の所在を感じさせます。

今回スーパー建設工事場所で、全国でもトップクラスの大
量の木簡が発見された祢布(にょう)ケ森遺蹟は、移転の
記述から「第二次国府跡」とされている場所で、国府地区
からは、南西に3km離れた日高町役場(現豊岡市日高
総合支所)のあるところです。
ここは但馬の南北を走る312号線と東西を走る482号線の
交差地点で、発掘場所横には「但馬国府・国分寺館」が
3年前に建てられています。

Img_3496

但馬国府・国分寺館は  をクリックすると開きます
http://www.city.toyooka.lg.jp/kokubunjikan/top.html

木簡とは、紙が普及する以前に細長く削った木札に文字
を書き記したもので、公式には帳簿がわりになったり、私
的にはノート代わりに使われていました。

国府国分寺館には発掘された木簡が展示されていて、昼
休みに見学してきました。(資料室は無料 7月8日まで) 
1,000年以上前のものにしては、字がはっきりしていて
中国の最古の詩集である詩経の訳を書き写したものや掛
け算の九九を書いたり、当時の役人の勉強姿勢が伺われ
ます。
(九の段で、三九 廿四 と間違っているのがおもしろい)

祢布ケ森遺蹟の木簡大量出土の神戸新聞記事 
「kobetop.jpg」をダウンロード
「kobeshakai.jpg」をダウンロード
「kobetajima.jpg」をダウンロード

朝日新聞但馬版
「asahitajima.jpg」をダウンロード

毎日新聞記事
http://news.www.infoseek.co.jp/mainichi/society/story/photo02mainichiF20080621k0000m040124000c/

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2008年6月11日 (水)

コウノトリの雛 巣立ちです

昨年46年ぶりにコウノトリが巣立ちした人口巣塔で残ってい
た2羽目がついに巣立ちをしました。
(巣立ちの瞬間  コウノトリの郷公園提供)
1213089245

昨年に続き、巣立ちの瞬間を待ちかまえるファンが何日も
巣塔の近くでカメラを据えて待機していました。
(巣立ち前日の様子です ↓ 
Img_3407_2
親鳥から餌をもらうのではなく、自力で餌を採ることになり
ますが、当分は親鳥と一緒に行動するのでしょう。
人間で言えば、就職をして給料をもらうこととおなじですが
いつまでも餌を与えると自立しないので、いつかどこかで
突き放すことが必要ですね。

繁殖が進んで、巣立ちなど珍しく無くなる日がそのうちやっ
てきてほしいものです。
昨年は後にも先にも1羽だけでしたが、今年はこれで2羽
孵化して育った巣立ち前の幼鳥も4羽残っています。

(コウノトリに関しては 兵庫県立コウノトリの郷公園  )
http://www.stork.u-hyogo.ac.jp/
ここで、コウノトリのすべてが分かり、ライブカメラで様子を
知ることが出来ます。

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2008年6月 5日 (木)

メモリアルマークⅩ(番外編)

2004年の10月20日~21日にかけて、台風23号(tokage)
の集中豪雨により円山川本流支流の堤防決壊・氾濫、土
石流・山崩れによって大きな被害がもたらされました。
「時がたてば、記憶も薄くなる。災害の怖さと防災の誓い
として浸水位に目印をつけたらどうか」という意見がでて
被害の大きかった各所でこれらの「メモリアルマーク」が作
られました。
Ⅰから順次紹介してⅨで完結したシリーズですが、新たに
2カ所確認しました。

日高町国府駅近くのろうきん住宅「虹の街」です。
過去にも被害にあったところですが、基礎をこれだけ高くし
ていても浸水位2.7mで、被害を受けました。

Photo_2 1

もう一つは、私の会社がある日高町浅倉地区で、私の席か
ら窓越しによく見えます。
ポールでは間に合わないのか、電柱に取り付けています。
ここは3.1m、通常では家の二階まで浸水する高さです。

Photo_3 1_2

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2008年4月15日 (火)

奇祭(お塔祭り 婆焼き)

松岡区に古くから伝わる神事で昨日14日行われました。

(お柱松に女竹を使って鉢を作ります  )
Hati

(虚言で妃を死に追い込んだ老婆の人形を置きます)

Babaa

(人形もろとも鉢を焼き尽します  )
Hituke

円山川沿いの十二所神社前の円山川河川敷に据えられた
巨大な「御柱松」に火を灯す火祭りである。
祭りの由来は、1221年(承久3年)の承久の変で豊岡市
高屋に流刑になった雅成親王(後鳥羽上皇皇子)のあと
を追って、円山川に身を投げたという妃・幸姫の霊を慰
めたことが始まりと伝えられる。
竹とわらで「お鉢」と呼ばれる鉢形の土台をつくり、そ
の上部に「御柱松」を立て、老婆に見立てたわら人形を
くくりつけ焼き捨てるという奇祭である。
俗に「ばば焼き」と呼ばれている。  (但馬辞典より)

承久の変(乱) ↓

http://www4.kcn.ne.jp/~usuitoge//jyokyunoran.htm

他に川沿い数カ所で、お塔祭りと呼び、同様の神事がお
こなわれていました。
私が住んでいる府市場区では、松岡以外で今でも4月14
日神事をおこなう「お塔講」が残っています。
村の有力者が出資をして「お塔田」を所有し、その年貢や
売買後の利息で、祭りの経費をまかなっていた記録が残
っています。
府市場では藁中心の鉢で人形は作りません。
私も含め講員の高齢化で、今は5年に一度の婆焼きにな
り、それも取りやめとなる可能性がでています。

鎌倉時代武家政権への上皇方のクーデターで有名です
が、その影響が但馬の地に残り、引き継がれているのは
興味深いものです。

気圧配置の関係からこの時期には、強い南風が吹いた
り、円山川に水害が多く発生することに対する安全の願
いが、故事を元にした祈りに変わったという説もあります。

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2008年4月 3日 (木)

但馬検定2級に合格しました

以前にもお伝えした但馬検定2級の合格通知が届きました。
主催者のホームページによると・・・

■試験結果
        2級(80点満点)    3級(100点満点)    計
・受験者数      109名      107名      216名
・合格者数       19名       49名       68名
・合格率         17.4%     45.8%
・平均点            49.0点     66.3点
・最高点          71点       94点
・合格者の最小年齢   20才      29才
・合格者の最高年齢   80才      83才
・合格基準             60点以上    70点以上

■受験者の地域別内訳
 但馬内  198名
 但馬外   18名
 内兵庫県内 11名
 兵庫県外   7名〔東京都、奈良県、大阪府、鳥取県〕

昨年は最初だったので3級だけが実施され、80%の合格
でしたが、今回は一転難易度が上がりました。
それにしても2級合格率17.4%とは驚きましたね。
ラッキーでした。

(2級検定会場です ↓ 真ん中2列目にいます) 

20080316_488021_2

テキスト以外の広範囲からの出題でしたが、他に但馬関連
の図書を読んで補完しておきました。
勉強は3日前からですが、この一年新聞の但馬欄に丁寧に
目を通すのと但馬各地をこまめに回り、見聞を広めたことが
奏功したのでしょう。
14回にわたって受講した「但馬ふるさとづくり大学講座」もと
ても勉強になりました。
合格者の19人だけに1級チャレンジの資格があるというこ
となので、来年チャレンジしてみます。

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2008年3月24日 (月)

「国府ものがたり」が出版されました

今日は郷土の歴史シリーズです。
私の住んでいる国府地区は府中小学校の校区で、住んでい
るところは府市場です。
つまりすべてに但馬の国・国府に縁がある名が、つけられて
います。
校区は13の行政区で構成され、公民館を中心に地域活動が
おこなわれています。
一昨年からふるさとの話や風景をもとに「国府カルタ」を作る
ことが決まり、順番に「伝承を聞く会」が催され、たくさんの話
が得られたことから、本として発行することになりました。
( クリックで拡大されます ↓ 
Photo 
府市場区の紹介では、手辺市・歌舞伎浄瑠璃の手辺座・御
輿や屋台・延命地蔵・たたり田・首切り地蔵などの話が収録
されています。
私は若輩者で昔話をする年代ではありませんが、資料など
物持ちがよいのを見込まれて、区長とともに資料提供など協
力させていただきました。

昨年府中小中学校卒業生で同窓会を開きましたが、ふるさと
への思い入れは強く感じました。
国府に縁のある方は是非一冊お求めください。
内容豊富181ページで、1,000円です。
申し込みは 
http://www3.city.toyooka.lg.jp/kokufuchiku-cc/index.htm

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2008年3月22日 (土)

今年もコウノトリ雛誕生です

昨日このブログで昨年のコウノトリ巣立ちに関する記事を
紹介しました。
そのとき「今年も同じペアが卵を5個産み・・」と書きました
が、今日そのうち三羽の雛がかえったのが確認されました。

00885438   神戸新聞記事より 

http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0000885389.shtml

十数メートル上の巣から、卵の殻を落としたので高所作業
車を使って確認したとあります。
残りの2個は不明ですが、3羽は元気に育って、巣立ちで我
をイライラさせたり、心配させてくれるでしょう。

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2008年3月21日 (金)

コウノトリの巣立ちにかける想い

合併後の3市2町で構成される但馬の中で、豊岡市は人口
半分を占め、中心的な役割を果たしていますが、特徴的な
のは、海・山・川・高原・温泉など自然的要素のほとんどを抱
えていることです。
でもそれは旧1市5町が持っていた要素が集まってできたか
らに他なりません。
その中でもとりわけ独自性があり、話題性があるものが「コ
ウノトリ」にまつわる物語だと思います。
とくに46年ぶりとなった国内での雛の誕生は全国的なニュ
ースになりました。

田圃の真ん中にコウノトリのつがいが巣を作り、抱卵を始め
てから、雛誕生のニュースを喜びました。
雛が誕生すると、次は巣立ちの瞬間を雨の日も風の日も、初
夏から夏の日差しにも負けずにひたすら待ち続けます。
巣立に踏み切らない子に対する父と母の対応の違いなど、ま
るで人間社会さながらのシーンもありました。
今年も同じペアが5個卵を産み、雛誕生とその後の巣立ちを
楽しませてくれるはずです。

以下コウノトリの雛誕生にまつわる話題を「但馬情報特急便」
から転載します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

~報道記者が見たコウノトリの巣立ち~

昨年の夏、但馬のとっておきの話題といえばコウノトリの自
然界での巣立ち。
子供のコウノトリが巣を飛び立とうと身構えては、やっぱり
怖いと躊躇してしまう。
そんな場面が何度となく繰り返され、誰もがやきもきしたの
も記憶に新しいですね。

そんな笑みの漏れそうな場面の裏側では、貴重な一瞬を
逃すまいと、巣立ちまでの長きにわたる時間、その場でず
っと待ち続けた報道記者の方々がいます。
その並外れた忍耐力をもってして、感動の瞬間を世界中
の人々に伝えてくれました。

今回但馬情報特急では、そんな報道記者の方々の苦労
話やエピソード話などをまとめた、取材手記をご紹介して
います。

歴史的な瞬間を目の当たりにしていた報道のプロによる
生の声はたいへん貴重なもの。様々な角度からのコウノ
トリへの思い。

読み応えたっぷりな内容です。どうぞご堪能ください。

■コウノトリにかける想い~報道記者が見たコウノトリ~
 http://www.tajima.or.jp/modules/special/index.php/
kounotori/top.html

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2008年3月17日 (月)

挑戦者たち(但馬検定2級)

 日曜日に「第二回但馬検定」が実施され、216人が受験し
ました。
今回は昨年の3級合格者を対象に、2級試験に107人、3級
にも109人がチャレンジしてなかなか盛況のようです。
私は2級挑戦者の1人です。
昨年3級を受験し、ふるさとづくり大学の講義を受けたり
自然や文化財・建造物など従来とは違った感じで接するこ
とができ、ふるさとに大いに愛着を感じるようになりました。


(左列2番目 黒い服の髪が黒く見えるおっちゃんが私です
Photo_3

記事にもあるように、なかなか歯ごたえがある問題で、テキ
スト以外から3割くらい出題されました。
出題ジャンルも、自然・歴史・神社寺院・近代化遺産・伝統
芸能・人物・暮らしなど多岐にわたっています。

自己採点では80点中67点で一応合格ですが、13問も間違
えていました。(60点以上が合格)
正式発表は3月末ですが、来年さらに上の1級合格を目指
し「但馬ふるさとづくり講座」の申し込みをしました。

試験問題を以下80問載せているので、チャレンジしてみてく
ださい。 scissors

     

「12.jpg」をダウンロード
「34.jpg」をダウンロード
「56.jpg」をダウンロード 
「78.jpg」をダウンロード
「910.jpg」をダウンロード

正解が知りたい方は 以下に問題番号をメールしてください。
izayamiki@ybb.ne.jp (伊佐屋三木)

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2008年3月15日 (土)

但馬の情報誌T2(ティーツー)

先週全戸配布された但馬の情報誌T2(ティーツー)に私の
住んでいる府市場区が紹介されています。

Img_2586

財団法人但馬ふるさとづくり協会が年4回発行し、3市2町
6万世帯に配布されます。
記事は「裏路地探検シリーズ」で但馬国府跡の一つと推定
される府市場の紹介です。
私も案内役として参加しましたが、よくまとまっています。

( クリックするともっと大きく見られます↓ )

但馬の方は実物をご覧下さい。

Fuichibaurarozi




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2008年3月13日 (木)

なんと昼間に鹿が

 今日の正午近く仕事で、豊岡病院へ向かっていると田んぼ
で鹿が悠悠と遊んでいました。
思わず車を止めて、パチリ!

Img_2580_2 

山が多い当地は鳥獣被害が深刻な問題となっています。
稲や畑の作物を食べられたり、植林した木の皮を食べら
れたりします。
もっと怖いのは、夜間ですが道路に飛び出して車に衝突
することです。
この被害も結構あります。
車は車輌保険で治りますが、鹿はほとんど事故死します。
狩猟期になると、鹿肉をいただくことがあります。
焼いたりシチューにしますが、指大に切ってタレにつけ込
み燻製にする、「鹿肉ジャーキー」が絶妙の味です。

この鹿がいた場所は、山から少し離れていて、JR山陰線
と市道が並行して走る場所です。
3月に入ってぽかぽか陽気が続き、つい「越境」してきたの
かもしれません。
安芸の宮島や奈良公園で、人に寄ってくる鹿はいますが
車や人を気にせず、悠然としているこやつは子鹿ながら
大物ですね。

Img_2583

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2008年1月31日 (木)

コウノトリの贈り物

 豊岡市が奨めている環境をテーマに経済を活性化させた成
功事例をホームページに載せています。
http://www.city.toyooka.lg.jp/www/contents/1138939802312/files/jirei.pdf
どれもそう大きなものはありませんが、コウノトリとの共生ばか
りでは飯が食えないとの批判もあります。
いや、ありましたと過去形で書くべきかもしれませんね。

豊岡市の「コウノトリの郷公園」は県立施設であり、園内にあ
るコウノトリ文化館「コウノピア」は市の施設であり、入場料は
一切取りません。
駐車場も含めてお金がいらないこと、園内が整備されてきれ
いなことで、バスや自家用車の観光客が詰めかけます。
もともと城崎温泉や城下町出石・神鍋高原・山陰の海やカニ
で、観光客が多いところにコウノトリ人気で、4~5年前は15万
人程度でしかなかった年間来園者が、いまは50万人を超す
勢いで、休日となると広い駐車場もバスと車で埋まってしまい
ます。

 これを経済に結びつかせない手はないと敷地内に市のお声
掛かりで作られたのが「コウノトリ本舗」です。
http://kounotori-honpo.jp/

ここでは環境配慮型の食品、グッズなどの商品を店舗販売して
安全な有機農法で作られたコウノトリ育むお米のネット販売もし
ています。
敷地内では近くの農家で作った有機野菜も販売していますが、
思惑とは違い、現在のところ経済効果は大きくないと聞きます。

我々は都市の諸施設や便利さをうらやましく思いますが、水と
空気はもちろん山も川も海もきれいな地に誇りを感じます。
コウノトリが住める環境は人にとっても優しい環境です。
人口の割に地方に金をかけ過ぎだとの意見も聞きますが、地
方が都市も含めた環境全体を守っていることになり、その感謝
の気持ちとして、出来るだけお金を落としてもらいたいですね。

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2008年1月19日 (土)

裏路地探検

 (財)但馬ふるさとづくり協会発行の情報誌「T2」は、季刊
発行でふるさと但馬の情報が載っています。
そのシリーズ記事で旧街道を歩く「裏路地探検」の対象に私
の住む日高町府市場が選ばれ、今日実施されました。
但馬のあちこちから事前に申し込まれた方々約30名に2時
間に渡って、当区をじっくり歩いて頂きました。
(大正期から昭和にかけて商店が建ち並び、盆暮れには
季節用品や飲食の露店が集中した「手辺市」で賑わった
通りです  )
我が家もここで菓子屋「伊佐屋」を営み、羊羹・巻きせんべい
水飴・松露糖を販売していました。
私が建て替えるまでは、虫籠窓に塗り壁・屋根にはうだつが
上がっている貫禄ある建物でした。
100年も経つと、手辺市を構成していた店舗約40軒のうち
残っているのは菓子屋・タネ物屋・食品店など4~5軒しかな
く、建物はほとんど残っていません。

手辺の町並みは↓を開いてください
「tehen.jpg」をダウンロード
 

Img_1982 Img_1985

「府市場昔話同好会」のメンバーとして、ふるさとの歴史を勉強
してきたご縁で、講師としてご一緒することになりました。
雨もやみ、まずまずの天気の中、資料を交えての説明です。

①但馬の国府の所在地で、その後市場として栄えた町並み
②神社仏閣(寺・神社・観音堂・稲荷社・地蔵・薬師堂・妙見社)
②東西に別れた地域の特徴と、宮行事に関係する御輿・屋台
 だんじりなど区民が守り育ててきた文化財

などを見て頂きました。

Img_1989_2 Img_1993

案内して感じたことは、自分でも知っているようで知らなかった
ことが多いのと、ほんとうに聞いてもらいたい地区住民の方々
の参加が少なく残念だったことです。
説明資料では当村に生まれ、九州の伊万里に移住された菅
村駅一さんの著書や大正初期に生まれた同年代の方々に聞
いて作った記録が大いに役立ちました。
言葉から文字に、そして写真からデジタルデータにと表現や
記録のツールは進化しましたが、やはり人間の記憶がベース
になります。
ふるさとの記録を後の時代に引き継ぐ、責任のようなものを
感じた一日でした。

今日の内容は3月発行全戸配布の「T2」春号で紹介されま
す。

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2008年1月10日 (木)

宵田本えびす

 10日は本えびすの日、関西では今宮戎や西宮戎が有名
ですが、当日高町には宵田区に戎神社が祭られています。
商売の神として、旧豊岡市内や出石から商人だけでなく幅
広い参拝客があります。
何年か前に気軽に参拝して以来、途中でやめるのもどうか
と思い、お参りを続けています。
例年は本えびすだけですが、今年からは宵戎も始めたこと
や3月を思わせる陽気で、多くの参拝者でした。

D1010070_2

かってない列の後尾に並んだものの、神前にたどりつくまで
なんと40分もかかってしました。
宵田えびすの特長は空くじ無しの抽選くじにあります。
一本200円ですが、ほとんどの人が5本・10本と買い求め
るのですが、10時以降は一人一本の制限がかかるほどの
売れ行きでした。

 地方でかつ小企業や個人が多い関係で、景気回復の願
いはとりわけ強いものがあります。
その「神頼み」の列にいつの間にか私も加わるようになりま
したが、今回のえべっさんの「好景気」にあやかりたいと思
います。

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2008年1月 4日 (金)

ご当地検定

 ご当地検定の但馬版である但馬検定が今年も行われます。
今年は2級を受験します。
昨年は3級のみが実施され、11歳の小学生から82歳のお年
寄りまでの約250人が受験しました。
90分の時間でしたが、意外に基本問題が多く自己採点では
94点の合格でした。

(但馬検定については、こちら↓ クリックすると開きます)
http://www.tajima.or.jp/modules/official/index.php/tajimakentei/top.html

3級検定はテキストブック「ザ・たじま」から90%以上が出題さ
れますが、2級検定はテキストからの出題は70%以上で、他
の範囲からの問題が増えるとあります。
昨年全14回に分けて受講した「但馬ふるさとづくり大学」の講
習内容からも出題ます。

( 勉強の種本3冊です ↓ 

ザ・たじま   → 但馬ふるさとづくり協会発行
但馬読本   → 但馬文化協会
但馬風土記 →  但馬文化協会


Img_1725
 
 当地へUーターンしてから25年、生まれ育った場所とはいえ
あまりにも無知だったことを自覚し、ふるさとの良さと誇りを学
びたいと感じました。
そんな気になるのも年を重ねたせいで、学んでいるのも同輩
や先輩方が多いですね。
検定のジャンルは歴史・古墳遺跡・近代化遺産・自然・伝統芸
術・人物・・暮らしに及びます。

(ふるさと但馬ついてはこちら↓ クリックすると開きます)
http://www.tajima.or.jp/furusato/

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2007年12月10日 (月)

但馬ふるさとづくり大学を修了しました

 但馬ふるさとづくり大学の最終講義と閉講式がありました。
これはもともと但馬の自然・歴史・風土・文化・観光を学び
その知識をふるさとづくりに生かすことを目的にしています。

主催団体の但馬ふるさとづくり協会については 
http://www.tajima.or.jp/furusato/jinzai/university.html

一方今年実施された「但馬検定3級」の合格者を対象とす
る2級(20年実施予定)レベルとリンクしたものとして人気
を呼び、約100人が4月から半年にわたって受講しました。
全14回にわたっての講義でしたが、幅広い分野に渡って
研究者の講義を受け大いに参考になりました。
検定の問題は、検定テキスト「ザ・たじま」から出題されま
すが、2級はこの講義の内容からも出題されるとのことで
結構緊張感のあるものでした。
 
 最終講義は出土文化財管理センター所長の瀬戸谷さん
の「古代但馬と日本海」をテーマに、朝鮮半島から渡来し、
但馬の地に残っている遺跡からその影響が報告されました。
( ↓ )

Img_1224

 今だから山陰・裏日本と言われますが、ある時期までは
すべてと言ってよいほど人や物そして文化はアジア大陸とり
わけ朝鮮半島から日本海を渡ってもたらされました。
その玄関口として、日本海に面する九州北部・山陰・北陸が
あったはずです。
つまり江戸時代前までは表日本は日本海側であったのです。
そんなことを但馬に残る古墳時代前後期の遺跡から証明で
きることを学びました。
 
 14回の講義の内10回を受講したので、無事修了書を頂
きましたが、3月の但馬検定2級に備えて勉強を始めたいと
思います。
但馬検定に関しては、こちら↓ クリックすると開きます。
http://www.gotochitsu.jp/gotochi_kentei/ki_012.html

 このときに出された、試験問題予想は・・・
①記・紀にも記述のある但馬の始祖天の日矛(アメノヒボコ)
は朝 鮮半島のどこの国の人間か?
②但馬最古と言われる瓦が出土した朝来市の遺跡の名は?
③粟賀神社の古文書にある古代の氏族の名は何というか?
④豊岡市で発見された遺跡の中で、渡来色の強い古墳はど
 こか?
 こんなところです。

答えが要る方はコメントでで聞いてください。

春に実施された3級試験の一部(20問)を添付しておきます。
「110.jpg」をダウンロード
「5160.jpg」をダウンロード

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2007年11月24日 (土)

国府ふるさと歴史探訪

 久々のお勉強シリーズです。
私の住む国府地区は文字通り、但馬の国府と縁があります。
以前から歴史勉強が盛んで、ここ何年かは公民館行事として
地区内の戦国時代の山城を中心に探訪を続けています。
 23日は近くの伊福(ゆう)城跡・来山(らいのやま)城跡そし
て楯縫(たてぬい)古墳群の探訪に参加してきました。
 気多郡から出石に抜ける要衝の拠点として置かれたもので
普段は里に住んで、いざとなると城に立て籠もり戦うそうです。
山の樹木は火攻めに備えてすべて切ってしまうので、攻め方
の兵は露出し、上からねらい打ちにあいます。

 以前学んだところでは、城と一口に言っても、中世城郭(山
城)、織豊系城郭、そして近世城郭に分かれていて、その9
割以上が織豊期以前の山城です。
国府地区内の水生城・竹貫城・上郷城・才谷城、そして今回
の城もこれにあたるのだと思います。
地方にとって大きな出来事は、織田・豊臣による但馬制圧と
関ヶ原以降の徳川幕府の確立です。
通常言われる○万石の藩拠点である近世城郭は、豊岡藩・
出石藩・村岡藩・別格は生野代官所の4カ所だそうです。

30人の歴史ファンが講師の西尾先生の先導で、徒歩で出
発です。
山城見学はこれで確か7回目、講師の西尾先生は以前「宵
田城」や「有子山城」「金蔵寺城」見学でみっちり教え
ていた
だきました。

今回も期待に違わず、竪堀・郭など、地元にいながら気づか
なかった戦国時代の山城
の配置やそのもつ意味などを学び
ました。

(伊福城主郭跡 地区内でも有数の広さを持っています ↓ 
館も建てられていたと思われます)

Photo

(竪堀 ↓ 敵方の横移動を防止するもの 作った当時は背
よりも高い)

Photo_2


 険しい山道もあり前日の雨で滑りやすく、登りも下りも難儀
したりしましたが、役員の方々に事前の下刈りなどをして頂
いたり、道中飲物サービスなどの支援のおかげで全員のこ
らず見学できました。
 
続いて古墳群の中の最大楯縫古墳の見学です。
中学生以来ですが、その規模の大きさに感心させられます。
但馬でも有数の規模の大きさから、この地の豪族達の勢力
の大きさが推測できます。

Photo_3

(古墳内部はがれ落ちた天井石あとから 玄室を写す ↓ )

Photo_4


もっと大規模な古墳群は、養父神社向かいの右岸道路から
すぐの大藪古墳群があります。
そこには但馬最大級の「禁裡塚古墳」「西ノ岡古墳」「コウモ
リ塚古墳」などがあります。
道路からすぐで、立て札も立っています。
大藪古墳群は 以下 ↓ をクリックすると開きます
http://www.tajima.or.jp/modules/pukiwiki/?%C2%E7%CC%F9%B8%C5%CA%AF%B7%B2

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2007年11月 1日 (木)

メモリアルマークⅨ(最終編)

 浅倉尾川橋近くの例のドラム缶から始まったメモリアルマ
ークもこれで最終です。
今年2007年の台風上陸は4号5号9号の3個だけで、そう大
きな被害はありませんでした。
2006年は2個、2005年は3個というのですから、2004年の
10個は異常なほど多かった年でした。
2004年10月21日台風23号(tokage)の水が引いた後の写
真です。
見えるすべてが大規模半壊かそれ以上の被害を受けました。
「床上」どころか「天井下○○cm」と言うほどでした。
特にこのふるさと農道では堤防がないため本流が流れ込み
二人が亡くなりました。 

Photo_2 

(水の流れで道路の鉄柵がぺちゃんこです  )
Photo_3
  対岸の赤崎地区は知事が視察に来て「県下一の被害」と
述べたくらい大きな被害を受けました。
水は6mを超え二階の天井を破って屋根裏に避難したほど
です。
これで治まったのは、ひとえに下流にある「豊岡地区の堤
防が決壊した事によるものです。
聞けばその頃(11時)から一気に水が引きだしたそうです。
一方の豊岡はその後市内まで水があふれ出しました。
人の不幸と幸運が天秤関係になるのは、何ともやりきれな
い思いがします。

(浸水位は3.2m 亡くなったお二人の祈念碑も建てられま
した ↓ )
Photo_4

国の緊急治水対策を中心に2009年までに付近の築堤、河
川改修都市整備が進められことになっています。

(完成予想図です  )
Photo_6
国交省近畿地方整備局 豊岡河川国道事務所の円山川

(緊急治水対策のホームページは ↓ )http://www.kkr.mlit.go.jp/toyooka/approach_02.html

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2007年10月28日 (日)

メモリアルマークⅧ

 このシリーズもいよいよ「ラス前」を迎えました。
河川国道管理の元締めである国土交通省豊岡事務所前
で、不名誉の記録そのものですね。
国道312号豊岡市内で、ここから城崎温泉に向かいます。
「国土交通省近畿地方整備局豊岡河川国道事務所」の
ホームページは こちら クリックすると開きます。
http://www.kkr.mlit.go.jp/toyooka/
単なる行政情報だけでなく、但馬に関するいろいろな情報
が載せられています。
円山川ライブカメラでは、自宅近くの上郷橋カメラもあり
散歩やランニング姿の私が写っていることもあるかも。


Img_0032_2
 次回はいよいよ最終、私の会社がある日高町浅倉地区。
最初でもお伝えしましたが、2名の方が亡くなりました。

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2007年10月24日 (水)

メモリアルマークⅦ

  日高町上石の国道312号出光のガソリンスタンド付近
の メモリアルマーク です。
水位1.0mとあります。
付近の虹の街区・上石区の方々が床上、床下浸水の被害
に遭いました。

(上石公民館前 国道312号 ↓ )
Img_0034_4
 近くを流れる八代川と円山川本流の合流地点のため
内水問題に悩まされてきました。
本流からの逆流を防ぐため水門を閉めると、オーバー
フローします。
長年の運動でポンプを5台据え付けて、水を強制的に
本流へ排水することになっていましたが、23号では下
流で破堤のおそれがあったため、ポンプも停止されてし
まいました。

(同じく312号 ↓ ガードレールを超えています )
Img_0039_2 
 台風23号の翌朝には大津市を始め自衛隊などの
救援車輌が被害の大きい豊岡市街地に向かいまし
たが、ここが通行止めで立ち往生していました。
水位はさほど無いようですが、幹線道路の遮断という
思わぬ障害で救援が遅れてしまいました。

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2007年10月18日 (木)

メモリアルマークⅥ

3年前の台風23号(tokage)のThe dayまであと2日。
被害が大きかったのは旧豊岡市の中では梶原でした。
円山川と支流の六方川・鎌田川の合流点で昔から内水
被害があり、古くからある住宅は高い石垣を築いて対応
してきました。
23号のときはすぐ近くの円山川堤防が決壊したことで
住宅密集地でもあり、大きな被害をもたらしました。
梶原地区の中心地梶原駐在所横にポールが立てられ
ています。
そこには「2.7m」と記してあります。
それは見上げるほどの高さであり、堤防決壊による濁
流が一気に流れこむことで地域の住宅にもたらした被
害は今では想像することができないほどです。
地震や火災とは違って、あとから見ると何事もないよう
に思えますが、水が引いた後の泥とゴミの後処理や
住居の清掃・修理は口では言えない苦労でした。
Img_0028

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2007年10月12日 (金)

メモリアルマークⅤ

このシリーズも5回目です。
場所は旧豊岡市市谷(いちだに)地区、上郷と中郷に挟まれ
この間の約300mだけ、無堤防地区です。
円山川が蛇行していて低地となっていて、台風や集中豪雨の
度に国道482号は通行止め、田や畑や一部家屋まで被害を
受けていました。
3年前の23号台風では、道路から水位「2.0m」を記録し
道沿いの家屋に大きな被害をもたらしました。
Img_0023
国の事業として、この間に堤防を建設すべく計画が進めら
れていると聞いています。

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2007年10月11日 (木)

ダーウインが来た!にコウノトリが登場します

但馬夢会議のMLで教えてもらった番組情報を転載します。
全国ネットのメジャー番組なので、楽しみですね。

> 10月14日(日) NHK総合テレビ19:30~20:00
> ダーウィンが来た!生きもの新伝説
> (再放送:10月16日(火)午後3時00分~3時30分BS2)
> 『コウノトリ 46年ぶりの巣立ち!』
> http://www.nhk.or.jp/darwin/ 予告編をご覧頂けます!

> 今年7月、兵庫県豊岡市で、日本の野生下では46年ぶり
> にコ ウノトリのヒナが巣立ちました。
> 豊岡市では、日本では一度絶滅したコウノトリを再び野生
> に蘇らせようと、人の手で増やしたコウノトリを放して繁殖
> を期待しています。
> 2年目の今年は2組のカップルが誕生。しかし、危険な電
> 柱に巣作りしたり、突然巣を放棄してしまったり。
> ようやく生まれたヒナにも外敵が襲いかかります。
> 巣立つまでの密着取材がとらえた知られざるドラマを紹介
> します。

> ※番組編集者より
>  
> 今回はこの春のコウノトリの繁殖成功からヒナの巣立ちま
> での物語です。
> 途中に2箇所ミニコーナーがあるのですが、後半のコーナ
> ーではコウノトリを支える環境作りとして、簡単ではありま
> すがコウノトリ育む農法と魚道とを紹介します。

> 30分という短い番組ですがたっぷりと
> コウノトリを楽しんでいただける内容となっていると思います。
> 是非ご覧下さい!

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2007年10月10日 (水)

メモリアルマークⅣ

兵庫県には南部の神戸とともに豊岡に測候所が置かれ
気象観測が行われていました。
県南部とは違った日本海側の複雑な気候を観測し、的確な
予報が必要だからです。
1mを超す大雪が降るかと思えば、夏は全国一の気温を記
録することがあります。
過去形になったのは、9月末を持って90年続けられていた
観測が廃止されたからです。
建物は取り壊され、敷地にあった但馬の春を呼ぶ桜の標準
木は切られてしまいました。
管理ができないとの理由ですが、標準木とはその地方で桜
の開花を確認する基準となるもので、代わりにどこかの木が
選ばれたのでしょうか?

ここの場所は豊岡市の住宅街ですが、低地にあるため台風
23号で浸水し、観測機械が動かなくなり大事な時に観測停
止に追い込まれました。
ここのメモリアルポールには「1.4m」と記してあります。
当然周囲の住宅も床上浸水の被害を受けました。
建物や人が無くなっても観測機器は設置してあって、神戸気
象台へはデータが送られ、予報には支障がないそうですが、
高校生の頃から見慣れていただけに寂しい気がします。

Photo

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2007年10月 5日 (金)

台風23号メモリアルマークⅢ

あと一カ所浅倉にメモリアルマークがあります。
そこには亡くなった2名の方の慰霊碑と治水の祈念碑が
建てられています。
それは最後に紹介します。

次は日高町で赤崎・浅倉に次ぐ被害があった岩中区です。
円山川に押しとどめられ水がはけなくなった稲葉川が氾濫
し堤防を越え、近隣の民家や事業所が被災しました。
(岩中区公民館)
Img_0138

岩中区の公民館前のメモリアルマークです。
もともと周囲の民家と比べて、1mほど高くしてあるのですが、背の
高さを遙かに超え「2.6m」と記してあります。
この場所で先日河川改修・築堤工事起工の集まりが開かれました。

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2007年10月 4日 (木)

台風23号メモリアルマークⅡ

主に浸水位をあらわすメモリアルマークですが、第2弾も浅倉
地区です。
八鹿町宿南と浅倉との間には岩山が立ちはだかっていて
列車はトンネルで抜けますが、旧312号は岩山と円山川の間
の狭いところを通っています。
何度か崖崩れがあった関係で、浅倉洞門として天井をふさぐ
横開放型のシェルターが作られています。
Img_0022_2 
今は円山川沿いに堤防が作られ、河川からの直撃は
免れるようになりましたが、以前はここから浅倉に続く
道は台風や集中豪雨で、河川と化して恐ろしいくらいの
流れになり、国道沿いの事業所や民家に被害をもたら
しました。

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2007年10月 3日 (水)

台風23号メモリアルマークⅠ

3年前の2004年の10月20日~21日にかけて、台風23号
(tokage)の集中豪雨により円山川本流支流の堤防決壊
・氾濫、土石流・山崩れによって大きな被害がもたらされま
した。
豊岡市での建物被害は、全壊333棟、大規模半壊1,082棟
半壊2,651棟、一部損壊292棟、床上浸水545棟、床下浸水
3,326棟におよび、兵庫県下における被害の約半数を占め
るとともに、7人の方が犠牲になりました。
たまたま私が委員を務めていた県土整備部関係の懇談会
で、「時がたてば、記憶も薄くなる。災害の怖さと防災の誓
いとして」浸水位に目印をつけたらどうか」という意見がでま
した。
いま被害の大きかった各所でこれらの「メモリアルマーク
が作られています。
私は最大級の被害を受けた日高町浅倉に事務所を構えて
いて、事務所が二階にあったため大きな被害は免れました
が、兄弟会社や友人達が床上2~3メートルの大被害を受け
ました。
災害後、激甚災害対策特別緊急事業により、河川や道路
の防災工事が進められています。
「天災は忘れた頃にやってくる」(寺田 寅彦)
忘れぬためにも、これから順次紹介していきます。

最初は人間が作ったマークではなく、洪水によって作られ
今なお流水位のマークとして残っている有名な青いドラム缶
です。
場所は円山川と支流稲葉川の合流点「靴のヒラキ」付近です。

尾川橋からの現在の写真です  ↓
Img_0023   

2004.10.21 災害直後の写真です。↓
Photo

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2007年10月 2日 (火)

明日豊岡がNHKテレビで紹介されます

豊岡市ホームページからの転載です。
放送予定  NHK総合テレビ「ふるさと一番!」
        平成19年10月3日(水) 午後0時20分~
        43分
テーマ    「羽ばたけ! われらのコウノトリ」
旅 人    千堂 あきほ さん
 今回の放送では、コウノトリが舞うまち・豊岡で、コウノト
 リ自然放鳥に至る試みと、野生復帰を支えてきたまちの
 人々の姿を全国の皆さんに伝えようというものです。
ぜひ、ご覧ください!

番組ホームページ  http://www.nhk.or.jp/furusato

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2007年9月29日 (土)

ソバの花盛り

これもまた自宅の近所ですが、ソバの白い花が満開になっ
て、風に揺れています。

Img_0161_2

収穫して食べるのではなく、転作作物として確認を受ければ
そのまま土にスキ込んでしまいます。
もったいない話ですが、まずコンバインなど実を収穫する機
械が無いことと、当地ではソバを食べる習慣が無く、ノウハ
ウもないことが原因のようです。
たまに鎌で刈って、干して、ひいて、粉にして食べたという話
を聞きますが、懲りたのか翌年はほとんどの人がやめてしま
います。
ソバは肥沃な土地でなく、痩せた谷間の霧深いところで作る
ものが美味しいといいます。
国府(高生たこう)田圃の恵まれた肥沃な土地で、米の替わ
りにわざわざ適さないソバを作り、捨ててしまう今日の農業
事情には考えさせられますね。

向こうに見える山は大岡山で、円山川・国府平野とともに、
府中の校歌に必ず登場します。
「♪大岡山の円かなる姿をおのが鏡とし、知徳を磨く学舎は
・・」
山見のベストポジションは、少し北の府中新から小学校まで
の間です。

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2007年9月28日 (金)

コウノトリ自然界へ

6月から日高町山本地区で、網囲いの中で飼育されていた
コウノトリが23日に網を除いて、野に放たれました。
(山の上に見えるのは但馬空港の滑走路入り口です)
Dc092801_4
Dc092802_2
3歳の雄と2歳の雌のベストカップルで、放鳥後の行動を
モニター担当員が行動を逐一調査されています。
居心地がよいのか、山本から竹貫に至る国府平野の西
側で行動し、今のところ他地区への移動は見られません。
たんぼ道にたまに車が通っても、あまり驚く様子もなく落ち
着いています。
近くには巣搭も用意され、来年の繁殖期には雛の誕生が
期待されます。

併せて、城崎地区の楽々浦でも3羽が放鳥されました。
こちらは馴化訓練がされていないのか、行動半径後広くあ
ちこちを飛び回って、モニター担当の方をあわてさせている
そうです。
これで豊岡の空を飛ぶコウノトリは合わせて20羽になります。

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2007年9月19日 (水)

伊佐屋の由来

「伊佐屋」は我が三木菓子店の屋号です。
もとの屋号は「龍野屋」で、当主は代々「治郎市」を名乗っ
ていました。
眉唾ものですが亡くなった父が、「お前で25代」と言ってい
ました。
江戸末期に八鹿伊佐村の新田開発を願い出たが、難工
事のため身上をつぶしかけ撤退したと八鹿町史に載って
います。
お上の許しを受けて、公共事業を商人が興すなど商人が
力をつけてきた時代になってきたことがわかります。
そんな縁があって、「伊佐屋」にしたのかも知れません。
菓子の指導を受けた人が伊佐の住人だったという説もあ
ります。
出石藩主小出公の龍野から国替えに商人として随身し
国府の商業地=府市場に土着しました。
名字の「三木」もそこから決めたのでしょう。
これは、但馬史第4巻国府村史に記述があります。
但馬史4巻目次 
http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Drum/6260/tajimashi4.html
新田開発の他、小出氏断絶の際、自宅及び出石安良村
にあった出先が百姓による打ち壊しにあったと不名誉な
記述もあります。
ということで、出石藩の御用商人からスタートして、「札元」
(銀行のようなもの)を業として、酒札なども発行していて、
これには「手辺」「龍野屋」が刷られています。
村では名主・百姓代に次ぐ「年寄」として役員を務め、大正
から昭和は菓子屋を営んでいました。
戦争で材料が無くなりお菓子屋はたたんでしまいました。
出石藩の「札元」をつとめていたくらいですから、先祖はお
金儲けがうまかったようですが、その血はとっくに薄れてし
まいました。
そんなこんなで、私のブログには「但州国府伊佐屋三木治
郎市」と付けたかったのですが、長すぎるので短くしました。

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2007年8月 3日 (金)

コウノトリ様が日高町にいらっしゃいました

6月中旬の話ですが、私の住んでいるところから1km
ほど西の田んぼの真ん中で囲いを作り、コウノトリの
つがいの飼育が始まりました。
3歳の雄と2歳の雌のベストカップルで、周辺の環境に
慣れさせたあと9月下旬にケージから野外の放つ予定
です。
近くにはすみかとなればと人工巣搭も作られています。
地域は山本区になり、営農組合がコウノトリの生育に
優しい稲づくりに取り組んでいます。
仮の住まいにマイホームそして周りには餌場が作られ
この地への定着に期待しています。
先日自然界で誕生した雛が巣立ちに成功しましたが、
このカップルで産卵→孵化→巣立ちを迎えたいですね。
Img_0003_3

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2007年6月12日 (火)

モブログ

モブログ = 携帯からの書き込みです。

但馬検定二級合格目指して、但馬ふるさとづくり大学を受
講しています。
一回は田辺真人先生の「兵庫の中の但馬」で、兵庫県の
成立過程と但馬の占める位置を歴史的にお話しいただき
ました。

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2007年5月10日 (木)

但馬検定2級にチャレンジ

3級合格者は来年3月に行われる2級検定の受験資格が

与えられます。

つまり200人が対象になるわけです。

当然問題も難しくなることが予想されるので、「ふるさとづくり

大学講座」を受講することにしました。満開の仙桜(大屋町)に

雪が積もった珍しい写真です。

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2007年4月19日 (木)

但馬検定3級合格しました

3月18日日曜日に但馬検定3級試験がありました。
11歳の小学生から82歳のお年寄りまでの約250人が受
験しました。
90分の時間でしたが、意外に基本問題が多く自己採点で
は94点の合格です。
オッチョコチョイの性格で、ケアレスミスが2問ありました。
(70点以上が合格)問題はほとんどテキストから出題され
ましたが、地域やジャンルが広いので勉強が大変でした。
「但馬通」目指して、来年は2級を狙うことにします。
写真付きで各紙但馬版に掲載されましたが、座った場所
がいいのか悪いのか、サンケイを除く全紙に写っていまし
た。

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