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環境・まちづくり

2015年5月19日 (火)

2015 コウノトリ 山本巣塔 育雛中

3月26日に記事にした「コウノトリ 山本巣塔巣 抱卵」ですが、その後2羽のひなの孵化が確認されました。
大食いのこども達の食欲を満たすため父鳥は大忙しで餌取り、母親はカラスなどの外敵から雛を守っています。
餌探し                 カエルを持ち帰り
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給餌                  一服中
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周辺はより付加価値の高い米の収穫と環境作りを目指し、「コウノトリ育む農法」で冬季でも水を張っているところもあります。
5月に入ると田植え準備で水が入れられ、餌の採取も楽になることでしょう。
 

2015年3月26日 (木)

コウノトリ 山本巣塔巣 抱卵

2月8日 (日)の記事「コウノトリ 山本巣塔 巣作り準備」で報告しましたが、いよいよ産卵が終わり孵化に向けて、親鳥の抱卵が始まりました。
 
オス鳥は近くの田で餌を探し、時々巣塔のメス鳥に運んでいるのが見られます
(写真は画面をクリックで拡大、右上の閉じるボタン(×)で元に戻ります)
メスは抱卵
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オスは近くで餌探し
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近くで観察されていたコウノトリウオッチャーにお聞きすると、卵を抱きだしたのが3月15日頃で約1ヶ月後に孵化し、その後2ヶ月で巣立ちするそうです。
昨年とほぼ同時期で、卵の数は孵化するまで分からないとか。
 
同じ市内の三江小学校にある人口巣塔では、早くも2羽が孵化したニュースがありました。
ここ山本巣塔のコウノトリも連続して3羽の子育てに成功した上手者、家から2kmほどの散歩道なので、これからも見守っていきます。
 

2015年3月11日 (水)

私の3.11

4年前の3月11日でした。東北をはじめ東日本に大地震が発生し、東北の沿岸部を津波が襲い多くの人が犠牲になりました。

津波は建物や設備など物にも甚大な被害与え、極めつけは福島原子力発電所の爆発・放射能漏れ事故を引き起こしました。

東日本大震災関連のマイブログの記事の一部は・・・・
「津波てんでんこ」で書いたように、今回の大震災で、死者・行方不明者が1,200人以上に上った釜石市で、児童・生徒の犠牲者がなかったことで「釜石の奇跡」と呼ばれています。
今朝の朝日新聞天声人語に、『学校にいた児童全員が助かった「鵜住居小学校」で、1人だけ職員室に残った女性事務員がいた・・・。犠牲になった女性の夫が「釜石の奇跡」という称賛を聞く度に、妻の存在を消されるようでつらかったそうだ。▼児童の親からの電話に備えて残ったらしいとしか分からない。夫の思いをくんで、市は「釜石の出来事」と表現を変えたという・・・』

あの日から4年、隠れた悲劇はまだあるでしょうし、被災した人の傷は癒されることなく、あの日の思いは続くことを感じさせられます。
 
地震・津波・原発事故と未曾有な災害に対し、人は支え合いながら立ち向かい災害に対する多くの教訓も生まれました。
それにつけても事故原発の廃炉作業や除染も進まず、22万9千人が避難生活を続けているにもかかわらず、政府も電力会社も原発再稼働を進めていることに憤りを感じます。
 

9日来日したメルケル首相のドイツは福島原発事故の直後に脱原発に方針を転換し、8基を即時廃炉にし、残りの9基も2022年までに廃炉を決め作業を進めています。
第二次大戦での侵略と戦争犯罪を率直に総括し、近隣諸国との和解も実現しています。

どちらも日本によいお手本を示しています。
「反省だけなら猿にでもできる」といいますが、その反省さえ未だにできていないことに国民としてただ恥じるばかりです。
 

2015年2月 8日 (日)

コウノトリ 山本巣塔 巣作り準備 

2月に入ってから目につきだしたのが、自宅近くの日高町山本のコウノトリ巣塔です。
つがいが巣塔に止まったり、田んぼで餌をあさったりしています。
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よく見ると巣塔の下にも二羽のコウノトリがいます。
たぶん昨年巣立った子どもでしょうか?
巣塔と田んぼにペア
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人工巣塔を2007年に設置してから、昨年まで3~4年続けてコウノトリのつがいが巣を作り産卵・孵化・巣立ちが確認されています。
昔なら松に巣を作ったのでしょうが、近くに住宅もホテルも立ち並ぶ大規模圃場が気に入ってくれたようです。

消費が減り、米余りで価格低下が深刻ですが、安全で美味しいお米作りづくりの取り組みが続けられています
有機質資材の肥料を多く使い、コウノトリを野生に戻す環境づくりの中で、減農薬や無農薬のブランドで一定成功しているようです。

豊岡市も付加価値の高いお米作りとして、抑草効果や収穫量向上などに効果が期待される「ポット成苗によるコウノトリ育む農法無農薬栽培」を勧めています。
栽培時には、専用田植機や乗用型除草機を貸し出し、専門的な技術指導を行うとしていて、触れ込みでは少労力高効率な有機栽培だそうです。
ポット成苗実証ほ場        冬季湛水ほ場
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我が家のお米は少量自家消費のため、無農薬ではありませんが農薬は最初に使う除草剤だけで、土作り・元肥・穂肥すべて有機入り肥料を使っています。

2015年1月17日 (土)

1995.1.17 但馬にて

95年阪神淡路大震災からちょうど20年、節目の年に追悼行事や報道特集がなされます。
都市震災として人や街に甚大な被害をもたらしましたが、いまはビルや住宅が建ち並び道や橋も整備され、外観上は震災の傷跡がほとんど見られません。
一方、死者 6,434人、負傷者 43,792人を始め心の傷跡は20年経ったいまも、消えるものではありません。

我が伊佐屋は同じ兵庫県に住み、兄弟2人が神戸に住んでいて、2人とも須磨区の北や北区だったので大きな被害は免れました。
母は当時日高町の社会福祉協議会の役員をしていた関係で、毎週のように炊きだしボランティアに神戸へ出かけていました。
日高町にはイベントで使うマロニエ鍋と呼ぶ大鍋があって、いつものように汁を作っていると、被災者の方が「美味しいお汁も嬉しいけど、この鍋でお風呂に入りたい」と言われた。人はお腹を満たすだけではすまないのだなあ」としみじみ話していました。
2009年1月17日の伊佐屋三木のblog「我が家の1.17」を再録します。
14年前の午前5時46分阪神・淡路大震災が起こった。
その日の但馬は前々日から降り続いた雪で、積雪は40cmを超えていた。
明け方に突然の揺れで目をさました。
寝室が二階なのと、屋根に雪が積もっていたことで、左右の揺れで柱がみしみしと音を立てていた。
揺れは止まず、ひょっとしたら家が倒れる心配も出てきた。
隣室にいた高校生の娘も目を覚まし、私達の部屋に逃げ込んできた。
急いで、テレビを付けると例のアナウンサーのうわずった声が、県南部の地震を告げていた。
揺れが治まった後、雨戸を開けると満月が見えた。
 
 
同じ兵庫県に住んでいながら、100km以上も離れていて被害という被害はほとんどなかった。 
兄と妹が神戸に住んでいて、電話では家財は壊れたりしたが、無事で心配するなとの連絡があるも、以後不通。
県中部に住んでいる大学生の娘に電話を入れるが、例によって留守。
連休なので、どこかに遊びに出ているらしい。
しようがない・・親に似たのだ。
後で聞くとテレビがベットの上に落ちていたらしい。
 
いつも通り出社すると、ワープロ本体の上に置いていたプリンターがずれていた程度で、被害は皆無。
豊岡が震度5と報道されたことで、県外の方々からお見舞いの電話を頂いた。
遠くの親戚からも安否確認の電話が入る。
近県なら都市の位置関係はわかるけど、離れれば離れるほどひとまとめに感じてしまう。
その後昼のニュースで、画像が提供され被害の一部を知ることができた。
この時死者は200人を超すとのアナウンスがある。
電話は繋がらず、ラジオとテレビだけが情報源でしかなかった。
豊岡市では前日成人式が行われ、参加した新成人が、勤務に就くため神戸に帰り、被災し死亡した悲しいニュースを後で聞いた。
この震災で最終的に、6,434人が亡くなった。
 
復興のシンボル曲『しあわせ運べるように』
作詞・作曲 臼井 真
歌 : 神戸市立港島小学校
阪神・淡路大震災からの復興を願って作られたすばらしい曲です。
震災の年度に生まれ、復興の歩みとともに成長してきた若者たちは、先日の成人式会場で「これからも決して阪神大震災を忘れない」と誓い、震災後に生まれた合唱曲「しあわせ運べるように」を歌ったそうです。
 
 
 

2014年11月25日 (火)

40周年記念総会に参加してきました

作家 吉開那津子さんの講演
20141124_143613_2先日記事にした記念集会に参加してきました。
地元兵庫を始め各地から県高等学校教職員OBや当時の八鹿高校在校生、人権運動組織、政党の方々、私のような一般参加もあって会場の長寿の郷で一番大きい郷ホールは満員でした。
高校時代の担任の懐かしいお顔も見られましたが、被害者も生徒も参加者も40年の長い月日が感じられました。

八鹿高校生徒自治会新聞
Pb260187 会場で配布された当時の生徒自治会新聞を読むと、生徒の側から見た事件の様子や経過が書かれていて、生徒の意識の高さと冷静にものを見る立場に感心させられます。
校長・教頭・南但馬八町長・警察などに出した要求書には、事件の責任の追及と正常化を求めて生徒・教師の身の安全を保証し、教師を学校現場に復帰させることが記されています。
 
 
事件の背景には部落差別の歴史や解放運動の路線対立、八鹿高校で実践されていた民主教育を目の上のたんこぶする教育行政の狙い、教職員組合や政党間の対立など複雑な要因が考えられます。
なにをおいても憲法下の民主主義の時代に不法・無法な暴力が公然と教育現場で行われたことは全国に衝撃を与えました。
三日後の11月25日  衆議院文教委員会 山原健二郎 議員の質問の文部省や警察庁とのやりとりを見ると当時の様子がよく分かります。
集会を伝えるSA紙(11・25)
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加害者側の闘争本部で赤ハチマキを締めて煽っていた但馬教育事務所長や被害教師の中に豊岡高校時代の先生がいらっしゃいました。
集団による強い脅しや暴力に対し人は一時的に無力であっても、不正義はいつまでも続かないことを身をもって教えてくれました。
つらく悲しい経験でしたが、その後の地方自治や解放運動に影響を与え、民主主義の成長に役立ったことが救いでした。
 

2014年11月21日 (金)

あの日から40年

あの日から40年。
カテゴリーとしては「歴史」になってしまった感がある事件ですが、但馬人にとっても全国的にも忘れられない出来事でした。

1974年11月22日、部落解放同盟の一派による教育史上例を見ない暴力事件が八鹿高校教師に加えられました。
けっして許されない人権侵害の部落差別ですが、当時但馬も含めて住んでいた大阪でも「部落民以外はすべて差別者」の論理に基づいて、確認会、糾弾会の名で行政等に対する暴力的圧力による運動が広がっていました。
不法な暴力的手段による糾弾の的となった対象に、豊岡高校在学時代のT先生やH先生がいらっしゃいました。

許せなかったのは、学校管理者や県教委・町行政・一部の組合がそのお先棒を担いだり、警察も見逃す態度をとったことでした。
これをきっかけに市民の中にも「少しでも批判的な意見を言えば、糾弾されるのではないか」という恐れが生まれましたが、暴力に屈しない運動が広がり、南但馬の八鹿町・養父町・朝来町に暴力的圧力に屈しない町政が誕生しました。

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昔私が通っていたT歯医者さんが、「裁判が(教師側の勝訴で)結審したので被害教師の診療カルテが返されてきた」と仰っていましたが、暴力による被害は相当なもののようでした。
娘1が誕生したのは「八鹿高校事件」の一日後でした。
ふるさと但馬で、恩師が事件の対象となり全国で注目された事件をあらためて勉強したいと思います。
 

2014年5月24日 (土)

山本巣塔コウノトリすくすく育ってます

私の住むのは国府平野の近くで、昔から有名な米どころです。
「大規模経営、担い手農家の育成、地域の活性化」の名の下に、「圃場整備」を10年前に終え、一区画が75m×200m=15,000㎡(150㌃・1.5㌶)、昔流で言うと、1町5反の大規模圃場も生まれています。

国府平野の代掻き中
                 田植え済みの圃場             
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競争力を強化した効率的な大規模圃場は生まれたものの、日本の農業事情を反映して、生産調整=作付面積の削減が求められ、相当部分の「減反」を余儀なくされています。

その西側山本地区に、5月1日に記事にしたコウノトリがすくすくと育っています。
GWの頃は頭がチラリとしか見えませんでしたが、それから20日経つと随分大きくなりました。
子供達の食欲を満たすためパパとママの餌取りは大変ですが、周りは水を張った田んぼなので、カエルや水生昆虫が豊富です。
ママと子供達              パパは餌取り
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2014年5月 1日 (木)

山本巣塔コウノトリ育雛中

19日に日高町山本巣塔でひな2羽の孵化に成功したと報告されました。
続いて30日に、3羽目のひなも確認されました。
日高町山本地区は我が家から西へ1.5km、昔なら山裾の松に巣を作ったのでしょうが、5年前に用意された田んぼの巣塔が気に入ったようです。
ひなを見守るママ?        ひなの頭がチラリ
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コウノトリの郷公園以外に生息地を増やす試みで、ここにケージを作ってつがいを入れて環境に慣れさせ、順次放鳥したのが5年前の2007年でした。
しばらくは近くに居たものの、騒がしい環境を嫌ってか、餌が容易に手に入るのがいいのか、郷公園に戻ってしまい、住民をがっかりさせました。

このペアは雄5歳と雌9歳で、昨年一昨年と二年続いて3羽を巢立ちさせた子育て上手です。
折から耕耘のトラクターや肥料散布で人の出入りが増えて、警戒しているのか巣塔近くを飛び回っていました。
田んぼの中の一軒家       悠然と舞うパパ?
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これから外敵に備えつつ3羽のひなに餌を与え、7月の巣立ちまでこのペアの育雛が続きます。
 

2014年4月19日 (土)

菓子祭前日祭と新庁舎グランドオープン

2011年から着工し旧庁舎も残しつつ、7階建ての新庁舎が昨年8月完成していました。
続いて旧豊岡郵便局だった南館などを撤去し、芝生広場や駐車場を整備したグランドオープン式典が開かれました。 
 オープンセレモニー 
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この日は菓子の神様中嶋神社の菓子祭りにあやかって、「菓子祭前日祭」も行われました。
豊岡駅から東へ延びる大開通商店街を歩行者天国にして、通りの片側に50店舗がテントを連ねいろいろなお菓子を販売しています。
数日前は雨の予報心配されましたが、好天に恵まれ家族連れがどっと繰り出しました。
今年で4回を迎える「菓子祭前日祭」、通りは人であふれかえり、行列のできるお店もでる但馬では滅多にお目にかかれない光景でした。
歩行者天国入り口         北但震災復興建築群
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行列風景               製造直売店        
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前日オープンした旧銀行跡を改築した「豊岡1925」(愛称:25(にいごお))も、大勢の人で賑わっていました。
豊岡1925玄関           1階スイーツ販売コーナー
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1階にはスイーツの販売コーナー、スイーツと軽食が楽しめるパーラーやアンティーク時計や玩具の展示のギャラリー、2階には客室、地階には地ビールとハイボールがたのしめるBARも置かれています。

少し離れた宵田町のカバンストリートでは、豊岡かばんの拠点施設「カバン・アルチザン・アベニュー」がオープンしました。
地域ブランド「豊岡鞄」を中心に約100種類をそろえ、かばん職人の養成学校もあるそうです。
アルチザンとは「職人」      セレモニー
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子供の頃は柳ごうりの製造風景はあちこちで見られました。
その後ビニールカバンに変わりましたが、豊岡を代表する地場産業の地域ブランドとして成長してもらいたいものです。
 

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