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但馬史談義 中井権次一統
不定期で行われている但馬史研究会の但馬史談義ですが、今回のテーマは社寺建築の中の彫り物で、丹波柏原の名彫刻師「中井権次一統」の研究です。
普段は十数人の参加だそうですが、興味深いテーマに50人が集まり、会場が集会室から会議室に変更になったほどの盛況です。
講師は但馬史研究会の飯田さんです。
社寺を訪れると拝殿や本殿の向背や木鼻・脇障子、庫裏の欄間などに、龍や鳳凰・獅子・象・漠、牡丹や菊・蓮などの彫刻が施されているのに気がつきます。
北近畿の社寺で目を引く彫り物に、「丹州柏原 彫物師 中井権次○○」の名があり、格式のある社寺を始め、但馬北西部に多く見受けられるそうです。
飯田さんは古文書や但馬史を勉強され、近年は名彫物師「中井権次顕彰会」一員として各地の社寺を訪ね勉強されていて、寺社を訪ね歩き作品を確認してきた苦労話もお聞きしました。
内容が豊富だっただけに、資料や写真をパソコンとプロジェクターを利用して説明していただければさらに理解がすすんだことでしょう。
私も何年か前から社寺建築に興味を持ち、勉強グループに入れていただき、播磨や丹波・但馬の社寺を探訪し、建築様式や手法を学んでいます。
いままでは由緒・縁起から歴史が中心だったのが、構築物からから見ると別の興味が湧いてくるものです。
リーダーのN建築設計士さんは京都の専門講座や大手ゼネコンが主催される勉強会でも学んでいらっしゃるそうで、豊富な資料をもとにいろいろ教えていただけます。
そういえば昨年訪れた満福寺・進美寺・大乗寺・遍照寺に中井権次一統の見事な彫刻が見られました。
(「一統」には、四代言次君音から九代権次貞胤まで180年間の彫刻作品があります)
満福寺薬師堂名札 府市場妙見堂の墨書
(6代青龍軒中井権次正貞) (竹野浜 中野宇之助)

彫刻師の名を確認するには、向背や木鼻に上がって確認するしかありません。
中井権次一統の手によるものは朱を入れた名が彫り込んであるのですが、希に墨書もあるそうです。
もちろん中井一統以外の彫り物師もいて、昭和8年建立の我が村の妙見堂を調査したとき、象の木鼻の頭部に「城崎郡竹野浜 中野宇之助」と墨書きされていました。
構造物には寄進者や大工の棟札が、彫刻には彫刻師の名が残されているのは、それぞれ仕事師の矜持なので、確認するのも意味のあることです。
中井権次の足跡ガイド
会場で販売(100円)されましたが、中井権次一統の作品マップ兼ガイドブックが昨年末に「中井権次顕彰会」から発行されています。
作品が確認された社寺名や地図の他に、「丹波の名彫物師 中井権次一統とは」「中井権次作品の特徴とその魅力」など解説も載っています。
中井権次顕彰会のホームページ ↓
http://gonji.sub.jp/ もどうぞご覧ください。
原爆ドームは、第2次世界大戦末期に人類史上初めて使用された核兵器(かくへいき)により、被爆(ひばく)した建物です。ほぼ被爆した当時の姿のまま立ち続ける原爆ドームは、核兵器の惨禍(さんか)を伝えるものであり、時代を超(こ)えて核兵器の廃絶(はいぜつ)と世界の恒久(こうきゅう)平和の大切さを訴(うった)え続ける人類共通の平和記念碑(へいわきねんひ)です。
(写真・文とも広島市ホームページより)
広島市がかき船「かなわ」を現在の平和大橋南から、原爆ドームのわずか200㍍地点の元安橋近くに移動することに反対の声があがり、市民団体が「かき船問題を考える会」を結成し、計画の撤回・再考を求めています。
世界文化遺産保護に関わるNGO日本イコモス国内委員会も移設への「強い懸念」を表明する文書を広島市に届けました。
「icomos-kakibuneiten.pdf」をダウンロード
松井広島市長は移転は「問題ない」として、今後も説明を尽くすとして、当のかき船「かなわ」は、「江戸時代に広島のカキを全国に広めたかき船という文化や歴史を伝えたい」としています。
原爆ドームは歴史の証人として、平和の大切さを訴えるモニュメントとして、世界遺産に登録されました。
私も原水爆禁止世界大会などで何回訪れ、戦争の悲惨さと平和の大切さを学び、その都度核廃絶の誓いを新たにします。
ドーム付近は原爆で焼かれた被爆者にとって特別の意味を持っていて、「平和を祈る場に常設の水上レストランはふさわしくない」という考えに共鳴します。
こんなことだと世界遺産の原爆ドームが危機遺産リストに入れられ、世界遺産から登録が抹消される可能性がないとはいえません。
カキは大切な食文化であり私の大好物ですが、とても原爆ドームのすぐ側でカキ料理を楽しむ気にはなれません。
もともと移転は「治水上問題がある」と国が指摘したこと、県や市も市民も含めて広く意見を交わして、新たな解決を図るべきです。
12月から2月までの積雪期は月に一度、スノーシューを履いて散策会が予定されています。
前日はすばらしいお天気でも長続きせず、雨か雪の予報でしたが嬉しいことに曇天に変わりました。
スノーシュー装着 いざ神鍋山山頂へ

スミレ ツチグリ

神鍋山の山頂噴火口からは四方が見渡せますが、近くの高い山には雲がかかっていて、大杉山、三川山頂は望めませんが、法沢山・高竜寺岳・床尾山・粟鹿山・青倉山が見渡せました。
南東方向の眺め 標識も雪の中

ダンコウバイ冬芽 下山開始

滑りやすいので踏み跡を避け新雪を踏みながらの下山ですが、勾配が急になると転倒もあって、最後の頼りはお得意の「シリセード」のようでした。
スノーシュー初体験の方も入れて総勢12名、会員で苔や樹木にも詳しいYさんの説明を聞きながら楽しい観察でした。
午後からは神鍋を下った十戸で、湧き水影響でいち早く咲く春の草花を観察しました。
3月10日(火)は春の活動スタート、3月24日(火)に総会が予定されています。
今日16日(月)から確定申告の受け付けが始まり、公的年金以外の収入や手当が若干あるので、還付のための申告を行いました。
以前国税庁お薦めの電子申告納税システム「e-tax」で行ったこともあるのですが、こちらの勘違いと税務署側の雑な対応で送信が出来ていませんでした。
「無申告加算税」および「延滞税」が課せられることになり、豊岡税務署への異議申立、大阪国税不服審判所への「審査請求」へと大揉めしました。
以後は国税庁ホームページの所得税確定申告書等作成コーナーで作成し、諸資料を添付して税務署に出向くことにしています。
豊岡税務署
税務署正門には交通整理の方がいて、誘導してもらえますが結構混雑していました。
さしたる収入があるわけでなく、三年前から確定税額ゼロとなって、源泉済みの税がすべて還付されるようになりました。
だれでも税金を払うのは好きでないでしょうが、払わなくてもよいとなると、寂しいやら社会に対し申し訳ないやら複雑な気持ちです。
給与所得者として、過去40数年真面目にお支払いしてきたので勘弁して頂きましょう。
今年で19回を数える「植村直己冒険賞」の授賞式など一連の行事中止が豊岡市から発表されました。
選考委員によって42歳の女性登山家に内定し通知したものの、「大変光栄ですが、現時点で栄えある賞に値する行動を成し遂げたとは思えません」と辞退の連絡があったそうです。
植村直己冒険館ホームページ ↓
http://www3.city.toyooka.lg.jp/boukenkan/index.html
冒険賞受賞賞 歴代受賞者 ↓
http://www3.city.toyooka.lg.jp/boukenkan/pages/special/special03.html
いきさつはよくわかりませんが、賞といえばなんとか勲章のように「功なり名を遂げた者」というイメージがあって、自分には「まだまだ受け取れない」という思いがあったかもしれません。
マイブログで植村直己冒険賞の候補者に「日本百名山一筆書き踏破 グレートトラバース」の田中陽希くんを挙げましたが、渡す側と受ける側の思いに差があるのは当然です。
冒険賞は「植村直己さんの優れた人となりを後世に継承するために設けたもので、自然を相手に創造的な勇気ある行動をした人や団体に贈られる」とされています。
植村直己さんは幼・小・中・高校の6歳先輩、川を隔てた隣村の出身で、牛飼いの手伝いをしたり、野山を駆け巡って遊ぶ普通の男の子でした。
もとはといえば冒険家というより飾らない性格で自然体で生きた直己さんです。
成長過程であったり、発展途上の方でもあまり気にせずに気楽に受け取ってもらいたいものですね。
(そうはいきませんかね)
<植村直己ふるさと公園 墓地碑文>
「乾坤院直心不撓居士」
「北米最高峰アラスカのマッキンリーで眠る」
A Brave Man And A Great Adventurer
<植村直己生家 碑文>(西掘栄三郎)
「牛おいし 里に帰って 名は永遠に ここに往きる」
<東京板橋区乗蓮寺 植村直己供養墓 碑文>(草野心平)
地球にはもう彼はいない
けれども生きている
修身に化けて
植村直己は
私たちの心中に
生き続ける
昨日11日は「建国記念の日」。
これほど国民に定着してない祝日はないでしょう。
わが区でも国旗掲揚していたのは、兵庫県警豊岡南署府市場駐在所だけでした。
もとはといえば、戦前の「紀元節」を国民の祝日として復活させたものです。
明治政府は、初代天皇といわれる「神武」が即位したとされる日を「紀元節」と定め、その後の天皇神格化、軍国主義の浸透に利用してきました。
戦後、日本国憲法の精神にそぐわないとして廃止されましたが、1966年に「建国記念の日」として復活しました。
日本書紀による神武天皇即位の日がもとになるのだからまさに神話の世界ですね。
ところで、我が府市場区の神社に「神武天皇遙拝所」という碑が残っています。
以前ブログ記事にした府中小学校旧正門にある「明治三十七八年戦役(日露戦争)凱旋記念碑」は、こちらは昭和の戦争遺物とは違い、昔のままに従軍者名を刻んで旧正門に屹立しています。昨年11月の納会で活動を締めましたが、2月総会から活動開始です。
前身は国鉄の職場サークルであった「山の会」が、氷ノ山林道建設時の自然保護運動と結びつき、「但馬自然保護協会」として発足したのが1970年。
会の名前を但馬山友会に改めて15年となるそうで、総勢170名を超す中でキャリア40年の古参もいらっしゃいます。
開会前にAED講習 総会開始
2日前の大雪にもかかわらず52名の参加で、開会前にAEDと胸骨圧迫の実地講習を受けました。
AEDも万能ではなく、気道確保・胸骨圧迫・人工呼吸などの処置が必要なことと救急車が着くまでの処置として有効だということを学びました。
久しぶりにまとまった雪、雪予報はあるものの平野部は除雪が必要なほどの積雪は多くありません。
早朝出動する除雪車の音を聞くと降雪量がわかります。
今日でたしか3回目、15CM以上の積雪で出動するのです。
伊佐屋周辺の積雪

小学生の通学風景
2015年1月の積雪は元日と7日だけ、2月は初めての積雪ですが、蛇口付近の凍結も見られません。
平野部に雪がありませんが、神鍋山・鉢伏・ハチ北の各スキー場には充分積もっていて、そこそこ賑わっているようです。
32年前家族4人で大阪からUターンした年は、’83-84(58-59)豪雪でした。
クリスマスイブから降り出した雪は、春まで解けることはなく、最初は喜んでいた子どもたちも、降り続く雪にうんざりしていました。
私の子供の頃は道の雪と屋根から降ろした雪で、一階部分は暗くなるほどでした。
積雪で居室の戸が開きにくくなれば、雪下ろしのサインです。
いまは降っては解け、解けたら降るの繰り返しで、屋根の雪下ろし風景は山間部でも見られなくなりました。
昭和後期ごろからか暖冬雪不足で、スキー場の運営が難しいこともありましたが、近年は雪不足で泣くことは見られなくなりました。
スキー場へのタイムリーな積雪に助けられていますが、確実に暖冬現象はすすんでいます。
道路網の整備と暖冬のおかげで但馬への観光客も、雪遊びから松葉ガニ目当てのグルメ客が増えてきました。
「山には十分な雪を、里や港には雪景色程度を」そんな勝手を願いたい但馬人です。
2月に入ってから目につきだしたのが、自宅近くの日高町山本のコウノトリ巣塔です。
つがいが巣塔に止まったり、田んぼで餌をあさったりしています。

よく見ると巣塔の下にも二羽のコウノトリがいます。
たぶん昨年巣立った子どもでしょうか?
巣塔と田んぼにペア

人工巣塔を2007年に設置してから、昨年まで3~4年続けてコウノトリのつがいが巣を作り産卵・孵化・巣立ちが確認されています。
昔なら松に巣を作ったのでしょうが、近くに住宅もホテルも立ち並ぶ大規模圃場が気に入ってくれたようです。
消費が減り、米余りで価格低下が深刻ですが、安全で美味しいお米作りづくりの取り組みが続けられています
有機質資材の肥料を多く使い、コウノトリを野生に戻す環境づくりの中で、減農薬や無農薬のブランドで一定成功しているようです。
豊岡市も付加価値の高いお米作りとして、抑草効果や収穫量向上などに効果が期待される「ポット成苗によるコウノトリ育む農法無農薬栽培」を勧めています。
栽培時には、専用田植機や乗用型除草機を貸し出し、専門的な技術指導を行うとしていて、触れ込みでは少労力高効率な有機栽培だそうです。
ポット成苗実証ほ場 冬季湛水ほ場

我が家のお米は少量自家消費のため、無農薬ではありませんが農薬は最初に使う除草剤だけで、土作り・元肥・穂肥すべて有機入り肥料を使っています。
朝起きると新聞(夕刊がない当地では朝刊とは言わない)の但馬版にまず目を通します。
「悲しみ=おくやみ」で知人がいないかチェック。
長く生きているといろいろ義理ができるので、これは欠かせません。
ついでに「赤ちゃん」欄もチェックしますが、こちらは無関係で気楽ですが驚くことがあります。
いわゆるキラキラネームのオンパレードで、漢字だけではとても読めません。
まずは語呂のよい音で名を決め、漢字はあとで流行の文字を当てはめているかのような仕業です。
同じ漢字でも読み方が違うものが出るのは当然で、入学期の名簿作りや名刺を作る社会人になった時にどうなるか要らぬ心配をしてしまいます。
私の友人は、「人事担当者であれば、キラキラネームを使ってる学生は採用しない」と断言します。
理由は親の見識の程度がわかるからだそうで、「名は体を表す」といって性質や実体を表わしているといわれました。
「子どもには親の夢や願いや思いを込めるもの」「両親や祖父母から一字もらって」「子どももそれを感じて育つ」と確信している世代なのです。
子の名に使用できる常用漢字および人名用漢字の範囲が規定されていますが、読みは戸籍上登録されないため、どのような読みの名前であれ法的には問題がないのです。
新聞の「悲しみ」欄で昭和初期の名を、「赤ちゃん」欄での昭和後期の保護者と平成期の子どもの名、三世代の名を見ると名付けの変遷が見えてきます。
そしてもう一つ「悲しみ」と「赤ちゃん」の人数差が減少人口であることも・・・・・
伊佐屋三木のブログ記事 2010年 「名前考」もついでにどうぞ↓
http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-3066.html
「第5回 但馬の民俗芸能の保存・伝承を考えるフォーラム」に参加してきました。

出石神社に伝わる「幟まわし」をテーマに、伝統行事と神社のかかわり、出石神社の歴史などを宮司の長尾さんからお聞きしました。
寒い時期にもかかわらず、但馬民俗芸能応援隊会員のほか会場はほぼ満員の盛況でした。
ビデオ上映
長尾宮司の講演に先だって、谷垣会員の撮影編集による広谷観音祭囃子、別宮のお綱うちに続いて、出石神社幟まわしがビデオ上映されました。
講演では出石神社のまつりというより、宮内区の初節句のう子を祝うまつりであること。
祭の起源は不明だが昭和3年の資料が残っている。
祭神天日槍が円山川河口の瀬戸を切り開いた後、出石に幟を立てて凱旋した故事に基づいているなではないかとも・・
祭のフィナーレ餅まきには、初節句を迎えた各家が1斗2升ずつ用意するそうです。
「初節句の男の子がいない場合どうするのか?」の質問に、「空まつり」といって神社が用意することになっていると聞きました。
かって自身も祝ってもらった中学生男子が、祝いの言葉を述べる「言上役」、ホラを鳴らす「竹ボラ役」、幟を突きながら廻る「石突き隊」に分かれて務めています。
世帯総数145世帯、人口594人の宮内区も少子化で、対象者が減少しているそうです。
男の子だけのまつりというのが少し気になりますが、区をあげて子の健やかな成長を願う行事として、長く伝えてもらいたいものです。
神戸新聞社撮影の幟まわし You tube より
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