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愛犬ハル

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    16年我が家の家族として、楽しませてくれた「晋平」が2005年 3月息を引き取りました。 代わりに今度は女の子を購入しましたが、恐がりで人になつか ないのが困りものです。 春に来たからハルと名付けましたが、血統書付きで本名は 「文美姫号」です。

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2015年1月17日 (土)

1995.1.17 但馬にて

95年阪神淡路大震災からちょうど20年、節目の年に追悼行事や報道特集がなされます。
都市震災として人や街に甚大な被害をもたらしましたが、いまはビルや住宅が建ち並び道や橋も整備され、外観上は震災の傷跡がほとんど見られません。
一方、死者 6,434人、負傷者 43,792人を始め心の傷跡は20年経ったいまも、消えるものではありません。

我が伊佐屋は同じ兵庫県に住み、兄弟2人が神戸に住んでいて、2人とも須磨区の北や北区だったので大きな被害は免れました。
母は当時日高町の社会福祉協議会の役員をしていた関係で、毎週のように炊きだしボランティアに神戸へ出かけていました。
日高町にはイベントで使うマロニエ鍋と呼ぶ大鍋があって、いつものように汁を作っていると、被災者の方が「美味しいお汁も嬉しいけど、この鍋でお風呂に入りたい」と言われた。人はお腹を満たすだけではすまないのだなあ」としみじみ話していました。
2009年1月17日の伊佐屋三木のblog「我が家の1.17」を再録します。
14年前の午前5時46分阪神・淡路大震災が起こった。
その日の但馬は前々日から降り続いた雪で、積雪は40cmを超えていた。
明け方に突然の揺れで目をさました。
寝室が二階なのと、屋根に雪が積もっていたことで、左右の揺れで柱がみしみしと音を立てていた。
揺れは止まず、ひょっとしたら家が倒れる心配も出てきた。
隣室にいた高校生の娘も目を覚まし、私達の部屋に逃げ込んできた。
急いで、テレビを付けると例のアナウンサーのうわずった声が、県南部の地震を告げていた。
揺れが治まった後、雨戸を開けると満月が見えた。
 
 
同じ兵庫県に住んでいながら、100km以上も離れていて被害という被害はほとんどなかった。 
兄と妹が神戸に住んでいて、電話では家財は壊れたりしたが、無事で心配するなとの連絡があるも、以後不通。
県中部に住んでいる大学生の娘に電話を入れるが、例によって留守。
連休なので、どこかに遊びに出ているらしい。
しようがない・・親に似たのだ。
後で聞くとテレビがベットの上に落ちていたらしい。
 
いつも通り出社すると、ワープロ本体の上に置いていたプリンターがずれていた程度で、被害は皆無。
豊岡が震度5と報道されたことで、県外の方々からお見舞いの電話を頂いた。
遠くの親戚からも安否確認の電話が入る。
近県なら都市の位置関係はわかるけど、離れれば離れるほどひとまとめに感じてしまう。
その後昼のニュースで、画像が提供され被害の一部を知ることができた。
この時死者は200人を超すとのアナウンスがある。
電話は繋がらず、ラジオとテレビだけが情報源でしかなかった。
豊岡市では前日成人式が行われ、参加した新成人が、勤務に就くため神戸に帰り、被災し死亡した悲しいニュースを後で聞いた。
この震災で最終的に、6,434人が亡くなった。
 
復興のシンボル曲『しあわせ運べるように』
作詞・作曲 臼井 真
歌 : 神戸市立港島小学校
阪神・淡路大震災からの復興を願って作られたすばらしい曲です。
震災の年度に生まれ、復興の歩みとともに成長してきた若者たちは、先日の成人式会場で「これからも決して阪神大震災を忘れない」と誓い、震災後に生まれた合唱曲「しあわせ運べるように」を歌ったそうです。
 
 
 

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コメント

僕は当時学生で福岡にいたので
そのすごさを経験してません。
しかし、その春に入行した但馬銀行では
同期入行の行員は、けっこうな人が被災していました。
今は学校で歌を習うようで、息子が歌って聴かせてくれます。

もう20年経ったのですね。あの日のことははっきり憶えています。下から突き上げるような衝撃で目が覚め、続いて激しい横揺れが続きました。頭上にタンスが落ちてくる恐怖から上半身を起こしたのですが、何もできずただ揺れに任せるしかありませんでした。幸い被害はなかったのですが、これは大変なことになったと確信しました。
理不尽とも言える程多くの人命が失われましたが、4つのプレートがぶつかる地震源の上にある日本に、ここなら大丈夫と言える地域はありません。こんな日本にいつのまにか53基もの原発ができていました。桁違いのリスクの巨大さを考えると、設計基準が強化されたとは言え焼け石に水のような気がします。現在原発のためにつぎ込んでいる巨額の税金を再生可能なエネルギーの開発に回せば原発などなくなるのは自明とおもうのですが。この点は、小泉単純一郎さんと同意見です。

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