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愛犬ハル

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    16年我が家の家族として、楽しませてくれた「晋平」が2005年 3月息を引き取りました。 代わりに今度は女の子を購入しましたが、恐がりで人になつか ないのが困りものです。 春に来たからハルと名付けましたが、血統書付きで本名は 「文美姫号」です。

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2015年1月

2015年1月29日 (木)

百名山一筆書き踏破 小番組放送中

日本百名山一筆書き踏破 グレートトラバース。
登山家で作家の深田久弥が選んだ「日本百名山」。
その百の頂きを自分の足だけを頼りに踏破しようという前人未踏の挑戦。
スタートは屋久島宮之浦岳、そこから一切の交通機関を使わず一筆書きで北上、
利尻島利尻岳まで総行程7,800kmを7ヶ月間で踏破する。
挑むのは、日本を代表するプロアドベンチャーレーサー田中陽希。
今回の舞台は・・・・。
 
 
昨年5月から11月まで5集にわたってNHKBSで放送された、グレートトラバース~日本百名山一筆書き踏破~のナレーションです。
回を追う毎に話題になり、各地で待ち受ける応援者が増えて人気も高まってきました。
本編放送は終わったのですが、現在一座ごとの小番組「グレートトラバース15min~百名山一筆書き踏破への道~」が放送中です。
 
深田久弥「日本百名山」が出版されてから五十年。
私の周りでも百名山完登者が4名、挑戦中の方が何名か見受けられます。
百の頂きはそれぞれ魅力的ですが、極めるには「体力と気力、そして時間とお金と運」が要ると言われます。
いまの私にあるのは「時間」だけなので、陽希君に委ねるしかなく、番組を楽しみにしています。
自分の足だけを頼りにひたすら歩き走り登る体力もさることながら、彼の笑顔も魅力です。
 
屋久島宮之浦岳からカヤックで鹿児島に渡り、開聞岳ほか九州5山を踏破し、陸路を移動し、鳥取県の大山に登り、中国山地を越えしまなみ海道をわたり四国へ。
石鎚山と剣山を登り徳島から淡路島経由で紀伊半島に上陸して、今日放送は10座目、奈良県大峰山です。
15分番組と言いながらも、本編で紹介されなかった移動中の様子や一座ごとの逸話も紹介されています。
放送時間はBSプレミアム月~木、07:45、11:45の一日2回で、次回は2月2日(月)、奈良県大台ヶ原、その次の伊吹山を登ります。
 
前人未踏、過酷のアドベンチャーに挑む田中陽希君の挑戦のすごみと人なつこい笑顔と道中の出会いがほのぼのとした雰囲気の双方を感じさせてくれます。
信仰ではありませんが、西国三十三箇所や八十八箇所巡礼に似た「百名山巡礼の旅」を続ける彼にエールを送りたいと思います。
私の見立てによると今年の植村直己冒険賞の最有力候補は、日本百名山一筆書き踏破をやりきった田中陽希君でしょう。
 

2015年1月28日 (水)

ジビエ料理 シカ肉

山仲間のNさんからシカ肉をたくさんいただきました。
箱わなで捕獲したそうで、以前お会いしたときに「獲れたら是非ください」とお願いしていました。
見事なシカのもも肉

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残っている内臓の一部を切り離し、洗って血を抜しっかり処理をすると写真のようになります。
朝獲ったものをすぐに解体処理したそうで、野生動物はご覧のように赤身中心です。

早速晩ご飯にシカ肉ステーキとしていただきました。
いわゆる臭みはなく、猪のように雑食ではなく草や葉を食べるシカの風味が感じられます。
カツにしたり、シチュー、竜田揚げやしぐれ煮、もし残れば冷凍保存して大切にいただくことにします。
シカ肉は赤身がほとんどでヘルシーで栄養豊富、上手に料理すれば柔らかくて美味しいこと請け合いです。
獲ってすぐに解体処理したあと、しっかり加熱すれば問題ありません。
山や畑を荒らす増えすぎたシカの駆除ですが、ほとんど捨てられているそうです。
ジビエ料理として有効活用を望みたいものです。

 
 
シカ肉の有効活用について マイブログ記事をご覧ください。  
http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-97f2.html

 

2015年1月25日 (日)

学校給食週間に寄せて 完全給食編

3年前の「伊佐屋三木のblog」の「完全給食編」を再録します。
 
 
昭和36年の給食センターの完成で、小・中学校が隣接していた府中校区で完全給食が始まりました。
府中中学校校舎           中学校全景と校歌
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(小山譲 画)
カレーシチュー・けんちん汁・鯨の竜田揚げなどが人気メニューでした。
男の子はさっさとおかずと汁を済ませ、残ったパンをポケットに入れて、体育館や運動場で遊んだものでした。
アメリカからの援助は、米食中心の日本人をパン食に慣れさせて 、米国の小麦の輸出を図る狙いがありました。
米に較べて作りにくい小麦から作るパンを食べる習慣ができ、我が国の自給率がどんどん落ちたのを見ると、学校給食を通じて日本人の食生活を欧風化・小麦化する狙いは見事に成功しました。
その後学校給食にご飯が取りいれられたのは昭和51年それから徐々に増え、豊岡市では平成21年から5日間すべてがご飯に替わっているそうです。
ほとんど輸入に頼る小麦から、100%自給が可能な米に切り替えるのになんと時間がかかったことでしょう。
 
 

2015年1月24日 (土)

学校給食週間に寄せて ミルク給食編

今日は学校給食記念日。
当時学校で一番楽しみと言えば、給食(弁当)と体育の時間でした。
3年前の「伊佐屋三木のblog」の「ミルク給食編」を再録します。
 
本格的な給食が始まったのは中学生になってからで、昭和33年小学4年生の時「ミルク給食」が開始されました。
「ミルク給食」とは、弁当は持参し補助としてミルクのみ提供されました。
ミルクといっても 牛乳ではなく、戦勝国であるアメリカの援助物資「脱脂粉乳」をお湯で溶いたものでした。
いまのスキムミルクとは全く異なり、長い船旅もあってか、独特な匂いがして空腹でも喜んで飲む子はなく、これに希望者のみ「肝油」を斡旋して栄養を補っていました。
 
あとでガリオア・エロア基金やララ物資という言葉を知りましたが、かの国でバターやチーズに使う乳脂肪分を取り除き水分を除いて粉にしたもので、大きな紙製ドラム缶に入れられて蓋や側面に英語で文字が書いてありました。
アメリ本国では牛の餌だったと言う話しもありましたが、日本流に置き換えれば、「豆腐を作ったあとのおからを無料であげる」というに似ています。
グランド・中学校・体育館     グランドにフ中の人文字
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(小山譲 画)            (S31年航空写真)
給食が、主食・ミルク及びおかずを揃えた「完全給食」となったのは、中学生になって校内に給食室が完成してからでした。
 
 

2015年1月23日 (金)

学校給食週間に寄せて 弁当編

明日から学校給食週間、24日は記念日だそうです。

いまでは当たり前のこととなりましたが、団塊世代の私にとって給食には一杯思い出があります。
当時学校で一番楽しみと言えば、給食(弁当)と体育の時間でした。
3年前の「伊佐屋三木のblog」の給食関連3連発を再録します。
 
太平洋戦争敗戦後の昭和22年の生まれで、小学校入学は昭和29年、昭和35年の卒業までの6年間の弁当と給食の思い出です。
府中小学校正門           教室から大岡山  
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             (小山譲 画)
給食が開始されるまでは弁当持参で、アルマイト製の弁当箱に独立したおかず箱とご飯が詰められていました。
お茶は弁当の蓋に入れてもらって、斜めに傾けて角から上手に飲んでいました。
普段はそのままいただくのですが、但馬の冬は厳しく冷たいまま食べさせるわけにはいかないと、ダルマストーブの上に四角い大きな缶を乗せ、底に水を入れ蒸気で蒸して加温していました。
登校して石炭ストーブに火が付くと、弁当箱を順に缶に並べて積み上げるのが当番の仕事でした。
お昼前になり、缶の蓋を開けると温められた弁当からたくあんの香りが辺り一面に広がったのを覚えています。
 
昭和30年代はまだまだ物も少なく、貧しい時期だったと思うのですが、田舎でもあり米や野菜を自給しており、親の苦労はわかりませんが、ひもじいという思いはありませんでした。
希に母親の都合で、弁当の替わりに向かいの八代商店でパンを買って持参することがありましたが、周りから羨まれたりしてちょっぴり嬉しくもありました。
昭和29年に「学校給食法」が制定され、小4でミルク給食の開始、中1で完全給食が実施されたことで、遠足や運動会以外は無くなりました。
 
 

2015年1月18日 (日)

初登り 白髪岳722m

チームF1Bの恒例行事、新春初登りは篠山市の白髪岳。
3年前は高御位山、一昨年は明神山、昨年は小野アルプス、この時期但馬は雪の中なので、神戸や播磨・丹波に出かけます。
当初は姫路市北部の雪彦山の予定でしたが、一部に残雪があると聞き、厳しいコースを避け、白髪岳に変更しました。
白髪岳はガイドブックによると『篠山市の南端にあり、「丹波富士」とも呼ばれている。山頂を中心に、なめらかに広がる美しい稜線・・・山頂からの展望もよく・・・』と紹介されています。
但馬から豊岡道~若狭自動車道を乗り継ぎ1時間40分で登山口に到着です。
白髪岳                 登山口
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コース案内             尾根道
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天候は曇り、予報では昼頃から雪が降るとのこと。
予報どおり、白髪岳山頂11時30分で雪が降り出しました。
ロープ場                痩せ尾根
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クサリ場                山頂722m
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ご覧のようにメンバーは5人、途中でお会いしたのは地元の中高年グループと親子連れ・若いカップルの3組でした。
地元の方に山名の由来を尋ねると、「春になると山のあちこちにタムシバの白い花が目立ち、白髪のように見えることから付いたと聞いています」とのこと。
「山頂の眺めは抜群で、東は御嶽を主峰とする多紀連山が西方向は播州の山々が、南は六甲山系が見渡せる・・・」はずでしたが、ほとんど展望はありませんでした。
急な下り               ロープ頼りの下り
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雪がちらつき風も強いので山頂での昼食を諦め、次のピーク松尾山山頂に向かいます。
白髪岳から松尾山へは急道をロープ頼りに下り、尾根を下って登り返すと50分で松尾山山頂です。
松尾山685m           不動滝
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山頂は山城跡となっていますが、ほとんど展望はありません。
小休憩して南へ下ると仙ノ岩、戦国武将酒井氏の墓、愛宕堂、不動滝を経て林道を下ると出発点の登山道分岐です。
風と雪で食事する場所もなく、立ちながら握りやパンをほおばっただけ、登り始めてから4時間強、不満は残るものの今回の初登りはよいトレーニングになりました。
丹波や播磨・阪神の山は岩場が多く、クサリやロープが設置してあって、但馬の山と違ったスリルも味わえます。
体も冷えたので下山後は、近くの「こんだ薬師温泉ぬくもりの郷」でしっかり暖まって帰りました。
 
 

2015年1月17日 (土)

1995.1.17 但馬にて

95年阪神淡路大震災からちょうど20年、節目の年に追悼行事や報道特集がなされます。
都市震災として人や街に甚大な被害をもたらしましたが、いまはビルや住宅が建ち並び道や橋も整備され、外観上は震災の傷跡がほとんど見られません。
一方、死者 6,434人、負傷者 43,792人を始め心の傷跡は20年経ったいまも、消えるものではありません。

我が伊佐屋は同じ兵庫県に住み、兄弟2人が神戸に住んでいて、2人とも須磨区の北や北区だったので大きな被害は免れました。
母は当時日高町の社会福祉協議会の役員をしていた関係で、毎週のように炊きだしボランティアに神戸へ出かけていました。
日高町にはイベントで使うマロニエ鍋と呼ぶ大鍋があって、いつものように汁を作っていると、被災者の方が「美味しいお汁も嬉しいけど、この鍋でお風呂に入りたい」と言われた。人はお腹を満たすだけではすまないのだなあ」としみじみ話していました。
2009年1月17日の伊佐屋三木のblog「我が家の1.17」を再録します。
14年前の午前5時46分阪神・淡路大震災が起こった。
その日の但馬は前々日から降り続いた雪で、積雪は40cmを超えていた。
明け方に突然の揺れで目をさました。
寝室が二階なのと、屋根に雪が積もっていたことで、左右の揺れで柱がみしみしと音を立てていた。
揺れは止まず、ひょっとしたら家が倒れる心配も出てきた。
隣室にいた高校生の娘も目を覚まし、私達の部屋に逃げ込んできた。
急いで、テレビを付けると例のアナウンサーのうわずった声が、県南部の地震を告げていた。
揺れが治まった後、雨戸を開けると満月が見えた。
 
 
同じ兵庫県に住んでいながら、100km以上も離れていて被害という被害はほとんどなかった。 
兄と妹が神戸に住んでいて、電話では家財は壊れたりしたが、無事で心配するなとの連絡があるも、以後不通。
県中部に住んでいる大学生の娘に電話を入れるが、例によって留守。
連休なので、どこかに遊びに出ているらしい。
しようがない・・親に似たのだ。
後で聞くとテレビがベットの上に落ちていたらしい。
 
いつも通り出社すると、ワープロ本体の上に置いていたプリンターがずれていた程度で、被害は皆無。
豊岡が震度5と報道されたことで、県外の方々からお見舞いの電話を頂いた。
遠くの親戚からも安否確認の電話が入る。
近県なら都市の位置関係はわかるけど、離れれば離れるほどひとまとめに感じてしまう。
その後昼のニュースで、画像が提供され被害の一部を知ることができた。
この時死者は200人を超すとのアナウンスがある。
電話は繋がらず、ラジオとテレビだけが情報源でしかなかった。
豊岡市では前日成人式が行われ、参加した新成人が、勤務に就くため神戸に帰り、被災し死亡した悲しいニュースを後で聞いた。
この震災で最終的に、6,434人が亡くなった。
 
復興のシンボル曲『しあわせ運べるように』
作詞・作曲 臼井 真
歌 : 神戸市立港島小学校
阪神・淡路大震災からの復興を願って作られたすばらしい曲です。
震災の年度に生まれ、復興の歩みとともに成長してきた若者たちは、先日の成人式会場で「これからも決して阪神大震災を忘れない」と誓い、震災後に生まれた合唱曲「しあわせ運べるように」を歌ったそうです。
 
 
 

2015年1月15日 (木)

小正月と百人一首

7日までの松の内を「大正月」と呼び、15日を「小正月」と呼び、この日をもって正月の行事は終わり正月飾りがはずされます。
また、「どんど焼き」「左義長」と呼ばれる行事もあり、神社や田んぼなどで、正月飾りや古いお札などを燃やすところもあります。
また松の内に忙しく働いた主婦をねぎらう意味で、この日を「女正月」という地方もあり、歳末から正月と忙しく働いた主婦や女性達をねぎらう意味もあるようです。
 
時は昭和32年頃から、テレビが普及する38年頃、伊佐屋三木家に区内のご婦人方が集まり、「大かるた会」が毎年開かれていました。
松の内も過ぎ一段落した小正月、ミカンや駄菓子を手に母の友人10名程度が集まり、座敷を舞台に「源平戦」といって二手に分かれた団体戦を繰り広げていました。
皆が集まるまでは「乱取り」と言って、掘りごたつで誰もがフリーに取り合う方法で人が揃うのを待ちます。
それぞれに「おはこ」という得意札があり、それをものにするかどうか大騒ぎ、真剣な中にも笑いの絶えない和やかなものでした。
読み手はいつも父が勤め、当時小学生だった私も仲間に入れてもらい大いに鍛えられました。

帝国かるた選手會発行競技用「公正かるた」
Photo_7娯楽の少ない時期しかも地方の田舎町で、迎春仕事にやっと解放された主婦達の娯楽が、百人一首という「高尚」な遊びであったことは興味深いものです。
今では骨董品級の「東京かるた選手會発行の競技用カルタ」を持っていたことを見ても、元来伊佐屋三木家でたしなんでいたことが、交際好きな父母を通じて地域に広がったのでしょう。
一段落してミカンを食べて競技再開の時は、手を洗わされたり、終わった後は必ず数を確認するくらい大切に扱ってきました。
 
暮れに帰っていた孫1・孫2も小学中学年、そろそろ「坊主めくり」からステップアップする時期と思い、娘達も入れて競技したところなかなか筋がいいことに気づきました。
私たちがUターンしてから、冬休みになると父がコーチ役になって娘二人を毎晩特訓してくれ、それぞれ中学校のカルタ会では優勝かそれに近い成績でしたが、娘達は「偉大な父」を越えられませんでした。
今度は孫達の特訓役となり、「偉大なジジ」越えを目指させることにしましょう。 
 
 

2015年1月12日 (月)

成人式いろいろ

成人を祝う日「成人の日」が制定されたのが1948年(昭和23年)だそうで、当時は1月15日、2000年(平成12年)からハッピーマンデー制度が導入され1月第2月曜日に代わりました。

但馬の市町では、大学や就職で域外に出ている成人の便宜を図るため、前日の日曜日に開催されるようになりました。
成人式も学年単位が定着し、実態は卒業後最初に行う同窓会と変わりました。
庭のロウバイ
20150113_091903 合併前の旧日高町のときは、1月は雪が多くスキー場のかきいれ時と重なるため、11月3日に行われていました。
娘2人は大学生だったので、それぞれこの日に帰郷して出席しました。
「親のすね囓りの分際で振り袖は許さない。一張羅のスーツで出席しなさい」との頑固親父の一喝で、娘1はスーツで出席しました。
後で写真を見るとスーツは100人超の女子の中で2~3人、少しかわいそうな気もしましたが、かえって目だってよかったかも知れません。
「一生に一度のこと」という言に惑わされてはいけません。
人生に起こることすべてが一生に一度しかなく、成人式だけを特別扱いすることはないのです。
 
最近の成人の服装を観ると、女子は振り袖に白のショールで送迎付きが定番、男子はダークスーツのほか、タキシードや紋付羽織袴が増えているといいます。
大学進学率が50%を超えるいま、費用は親の懐から出ていて、本当の意味での「巣立ち」はまだまだ先のことでしょう。
 
我が身を振り返ってみると、時は1967年(昭和42年)1月15日、場所は松江市民会館で成人式が行われました。
学生ながらも松江市民となっていた私は、新成人として招待されていましたが、会場入り口でベトナム反戦・沖縄返還を求めるビラを撒いていたように記憶しています。
好景気に沸く日本で、前年のビートルズ来日に浮かれることなく、国内外の社会的矛盾の深まりを懸念していたのでしょう。
 
話は飛びますが、岡山にいる孫1は今年で10歳。
地域だったか学校かで「2分の1成人式」としてお祝いしてくれるそうです。
 
 
また、80歳となると「還暦後成人式」を祝う催しをするところもあるとか。
そういえば干支が一巡する還暦で生まれ変わるのだったら、これも有りかも知れませんね。
いろいろなことを考えさせられる「成人の日」でした。
 

2015年1月 9日 (金)

役員選出 歴史は繰り返される

十年一昔といいますが、10年前と同じようなことが我が村に起こりました。

区役員任期は2年と定め(同一職の継続は2期まで)、今年がその改選期です。
先般の初総会で選挙が行われ、区長は再選が決まったのですが、副区長選出で辞退者が相次ぎ、トランプの「ばば抜き」ゲームが延々続き、最終的には決まったものの後味の悪い結果となりました。
 
平成の初めまでは区規約もなく選挙は行われましたが、区長・会計・宮総代など10年以上継続して担当するのは当たり前の時代でした。
さすがに問題も多く規約作りが検討され、平成8年に新規約が作成されました。
慣例やその時々の取り決めを成文化し、役員は「分担と交代」を基本に「任期は2年、再選を妨げないが、同一職務の継続は4年を限度とする。」と定められました。
選出方法は新年に行われる総会で、事前の打診や工作も一切無く、投票での相対多数を獲得した人が指名されます。
「ガラガラポン」のような面もありますが、天命として受け止めたり、志の高い人がいてそれなりに機能してきました。
 
 
10年前のことですが、区長に会社経営の50代半ばの人が指名され、その人が無理と断り次点者も次々続き、とうとう総会で決まらないという前代未聞の事態となりました。
区長経験者による工作も行われたものの難産で、後日臨時総会を開き、最終期限の2月始めにやっと決まったことがありました。
 
今回「ばば」が次々と渡り、いままで「他人事」と考えていた区民の目を覚まさせたのと、「ばば」を引いた人達の多忙や体調不良を理由に断る人間性も垣間見られました。
 
副区長でさえこんな状態なので、責任が大きく多忙で苦労が多い区長選出において歴史が繰り返される可能性があります。
 
「自分の時間を制約されたくない」という最近の世相や仕事現役世代の「先輩方にお任せ」感覚も困ったことですが、世代交代を阻む団塊世代にも問題があります。
このような事態を招いた原因を分析して、選出方法も含めて対策を検討することが求められます。

(評論家のような立場で物言いをしていますが、私も何回か「ばば」を引きましたが、一度を除き「刑期満了」までお勤めしてきました)
 
 

2015年1月 7日 (水)

2015 七草粥と鳥追い歌

正月の期間を、松の内(まつのうち)と呼び、七日の朝に食べる七種粥あるいは、七草粥とも)が、松の内の最後の行事で、門松や注連縄など正月飾りも片付けるところが多いようです。
もっとも我が家は浄土真宗、いわゆる「門徒」であるので、昔から門松や注連縄の類はしませんが、これだけは続けていて鏡餅も片付けます。
七草がゆはとても美味とはいえず、普段は食べない草の味がするのは昔と同じでした。
買った七草セット
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粥を作るのに父がまな板で葉を刻む時、叩いて大きな音をさせ、「唐土(とうど)の鳥が、日本の国に渡らぬうちに七草そろえ・・・・・」と唱えていたのを覚えています。
害鳥を追い、疫病が流行せぬことを願った厄除けの一種でしょう。

 
七草粥は有名ですが「鳥追い」は余り知られてないので、Wikipediaで調べてみると・・・
『七種は、前日の夜に俎に乗せて囃し歌を歌いながら包丁で叩き、当日の朝に粥に入れる。囃し歌は鳥追い歌に由来するものであり、これは七種粥の行事と、豊作を祈る行事が結び付いたものと考えられている。
歌の歌詞は「七草なずな 唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、合わせて、バタクサバタクサ」など地方により多少の違いがある』
と記されています。

食物が少ない昔でもその必要性が言われたのに、ましてメタボ社会の現代、春の七草を粥に入れて胃を休める意味はますます大きくなりますね。

2015年1月 6日 (火)

「紅白」場外編

大晦日の国民的行事?NHK紅白歌合戦も終わりましたが、その後ツイッターなどで話題になっていると知りました。
今朝の朝日新聞30面には、「ピースとハイライト」という一石という記事が載っています。

31年ぶりにNHK紅白歌合戦に出場したサザンオールスターズ。そこで披露した歌が反響を呼んでいる。どうしてなのか。
 昨年の大みそか、ちょびひげを付けた桑田佳祐さんがテレビ画面に映し出された。横浜での年越しライブ会場から中継で登場した桑田さんが歌ったのは「ピースとハイライト」だった。
 世界各国の言葉で「平和」という文字が映し出された映像が流れる中、桑田さんは少しおどけたように歌った。
 ♪都合のいい大義名分(かいしゃく)で
 争いを仕掛けて
 裸の王様が牛耳る世は……狂気
 
 この「都合のいい大義名分」を、集団的自衛権行使容認のための憲法解釈変更に重ね合わせて聴いた視聴者らがネットで反応した。
曲名を「平和(ピース)と極右(ハイライト)」と読み替えたり、「裸の王様」を安倍晋三首相への揶揄(やゆ)と受けとめたり――。
ツイッターには「安倍政権の極右旋回へのプロテスト(抗議)と戦争への危惧」「すばらしい(安倍政権への)カウンターソング」。一方では、「今後一切応サザンは応援しない」「日本に対するヘイトソングを歌う為に紅白にでたわけか」というツイートも。
 
我が家では紅白で聞いたとたん前者の意味を持つメーッセージかなと感じたようです。
実際のところサザンの意図は定かでありませんが、一昨年のアエラ 13年8月12-19日号 インタビューで桑田佳祐は、「歌を投げかけて、考えてもらって、反応をうかがうのは、いつもなんです。 あくまでポップミュージックとして、直截なメーッセージより、歌った方が届くんじゃないか」と宣っています。
 
あいにく私は飲んだくれて紅白を観ていないので、You tubeにアップされているのを紹介します。
歌詞全体を確認して、自分の目でご確認ください。 
(当初アップしていた紅白の動画は「NHKから著作権の申し立てがあったため削除されました」そうなので、「期間限定公開」の別動画でご確認ください)
 
 
すでに終わった紅白でここまで話題になったのは、2013年の美輪明宏「ヨイトマケの歌」以来でしょうか?
ついでにマイブログの記事 石場つき唄 ヨイトマケ をクリックしてご覧ください。
 
 

2015年1月 3日 (土)

3R+O

「3R+O」と訳の分からない数字と記号ですが、マイブログのポリシーのようなものです。

2007年4月開設、足かけ9年にわたってアップした記事が1753件、アップロードした画像は12,000を越します。
ココログのフリープランの利用可能なディスク総容量:2,000 Mのうち利用ディスク容量:1,876.59 MB (93.83%)と、もはや満杯状態です。
そのうち新しいブログに置き換えるか、容量が多い有料プランへ移行するか、やめるかの三択を迫られます。
R=Report    報告であり
R=Record    記録であり
R=Reminder   思い出を呼び出すものであって
O=Opinion    ちょっぴり自分の意見も載せます
 
 
ストレス解消のつもりがかえってストレスとなったり、家族からの検閲や削除要請もありました。
主に後ろ姿にするのと顔が写ったデータは小さくしたりして個人情報に配慮したつもりですが、いろいろ迷惑をおかけしているかも知れません。
 
これからもできるだけ続けていくつもりですが、「最近記事が少ないとか、間隔が空いているが無事か?」などと安否確認には使わないでください。
そのうちもう一つのR=Remainder (遺作・遺物)とならないよう健康に留意します。
 

2015年1月 1日 (木)

2015 元旦の雪景色

新年おめでとうございます。

昨年のご挨拶、「めでたさも」は少しひねくれていましたが、素直に新しい年を祝いたいと思います。
久しぶりに雪景色で新年を迎えました。
5センチ程度の雪ですが、年末から帰っていた孫達が早速雪だるまを作りました。
雪だるま              拡大版
P1010006 P1010003_2
二家族とも近くのスキー場でスキーを楽しみ、新年の挨拶とおせちを食べ、お年玉をもらって午後にはそれぞれ婿殿の実家に向かいました。
帰ったとたんに雪が降り始め、積雪数センチが数十センチに変わり大びっくり。
雪国といっても、午後の雪がどんどん降り積もるのは珍しいことです。
午後三時玄関の積雪       裏庭の積雪
P1010013 P1010015_2
雪が大好きなハル
20150102_100744_2大晦日の雷におびえていたハルも朝になると雪の中のお散歩に大満足です。
静かになった居間で掘りごたつに入ってのんびりしています。
これからも娘3のハルとの三人暮らしに戻ります。

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