フォト

鹿鳴人のつぶやき

神鍋山野草を愛でる会

無料ブログはココログ

« 健さん死す | トップページ | 40周年記念総会に参加してきました »

2014年11月21日 (金)

あの日から40年

あの日から40年。
カテゴリーとしては「歴史」になってしまった感がある事件ですが、但馬人にとっても全国的にも忘れられない出来事でした。

1974年11月22日、部落解放同盟の一派による教育史上例を見ない暴力事件が八鹿高校教師に加えられました。
けっして許されない人権侵害の部落差別ですが、当時但馬も含めて住んでいた大阪でも「部落民以外はすべて差別者」の論理に基づいて、確認会、糾弾会の名で行政等に対する暴力的圧力による運動が広がっていました。
不法な暴力的手段による糾弾の的となった対象に、豊岡高校在学時代のT先生やH先生がいらっしゃいました。

許せなかったのは、学校管理者や県教委・町行政・一部の組合がそのお先棒を担いだり、警察も見逃す態度をとったことでした。
これをきっかけに市民の中にも「少しでも批判的な意見を言えば、糾弾されるのではないか」という恐れが生まれましたが、暴力に屈しない運動が広がり、南但馬の八鹿町・養父町・朝来町に暴力的圧力に屈しない町政が誕生しました。

Scn_0005_2
昔私が通っていたT歯医者さんが、「裁判が(教師側の勝訴で)結審したので被害教師の診療カルテが返されてきた」と仰っていましたが、暴力による被害は相当なもののようでした。
娘1が誕生したのは「八鹿高校事件」の一日後でした。
ふるさと但馬で、恩師が事件の対象となり全国で注目された事件をあらためて勉強したいと思います。
 

« 健さん死す | トップページ | 40周年記念総会に参加してきました »

環境・まちづくり」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。