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2014年3月31日 (月)

クジラ肉で大きくなった私

カテゴリーとしては、「食べ物」「国際」になるのでしょうが、私にとっては「青春」の思い出の一部です。
南極海での日本の調査捕鯨が国際捕鯨取締条約に違反するとして、国際司法裁判所は、調査捕鯨の許可取り消しと現在の形での捕鯨活動中止を言い渡し、日本政府も受け入れる意向を表明しました。

子供の頃、クジラは重要なタンパク源でした。
不味くて今でも思い出す「脱脂粉乳によるミルク給食」から始まって、中学生になると完全給食となり、パンにおかず皿が付くようになりました。
給食のおかずで、けんちん汁・カレーシチュー・クジラの龍田揚げが好きなベスト3でした。

家庭でも「クジラのステーキとクジラのカツ」のクジラ料理は当時のご馳走として欠かせないものでした。
父が役場勤めで多少の現金収入があったのと、5軒となりに魚屋さんが店を構えていたこともあったのでしょう。
店先には地元で取れるイカやカレイ・サバ・イワシ・キスなどに並んで、冷凍され筋(血管)を浮かせた大きな肉が血を滴らせて鎮座していました。
遠洋漁業でとれたクジラは流通の関係で魚屋さんの売り物だったのです。
月に二度くらいでしたか育ち盛りの子供4人に、クジラ肉のステーキかカツレツを奮発してくれました。
当時は捕鯨が盛んで値段も安かったのか、大人の手のひらよりも大きいものでした。
肉といえば家で飼っている鶏を潰すときだけの当時、これは最高の贅沢でした。
海のない岐阜出身の母でしたが、家庭菜園の野菜を主にタンパク源として地元の魚やクジラ肉を使って精一杯の料理を作ってくれました。

勤務地であった大阪のおでん屋のコロ(鯨油をとった脂肪の絞りかす)やオバケ(尻尾)も美味しかったけど、子供の頃に食べたクジラ肉のテキとカツが忘れられません。
「貧しかったけど、ひもじくはなかった」子供の頃の楽しい思い出です。

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青春」カテゴリの記事

コメント

日本が調査に名を借りて姑息とも思える捕鯨を長年続けてきたのは事実です。そうではなく、鯨を捕獲し、食べることの正当性をまっすぐ主張すべきです。食物連鎖と自然界のバランスを維持する上でも科学的な根拠に基づいた捕鯨は必要と思います。高等動物だから(何をもって高等、下等というのか理解不能ですが)ダメというのは理論的におかしいです。
しかし、私自身は鯨は苦手でした。給食のときや、学校から帰ると、台所に鯨肉が水に浸してあるのを見るとげんなりしました。

公ちゃん

捕鯨に関しては仰るとおりだと思います。
ミルク給食と完全給食に関しては、過去記事とリンクしておきました。
懐かしいですね。

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