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愛犬ハル

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    16年我が家の家族として、楽しませてくれた「晋平」が2005年 3月息を引き取りました。 代わりに今度は女の子を購入しましたが、恐がりで人になつか ないのが困りものです。 春に来たからハルと名付けましたが、血統書付きで本名は 「文美姫号」です。

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2014年1月

2014年1月30日 (木)

寒の餅 かき餅作り

5日に寒に入り20日の大寒、 小寒から節分までの30日間を「寒の内」といい、冬本番時期に餅をつきます。
但馬各地で「かき餅」作りが話題になります。

<上山ふるさと館(新温泉町)>
 エビ、ゆず、のり、黒ゴマ、黒小まめ、青豆、生姜の7種類を藁で編み上げて吊します。
4枚×7種で600円
 
<そば処てっぺん(新温泉町)>
 白、ごま、エビ、黒豆、青のり、梅じその7種類をそれぞれ砂糖味と塩味とに分けて、藁で編み、40枚1組の連を作り、天井からつるして乾燥させます。
1連650円
<伊佐屋(旧日高町・元菓子舗)>
 エビ、黒豆、青のり、昆布、黒砂糖の5種類をなまこ形に延ばして乾燥させ、縦4センチ、横7センチ、厚み3.5センチにカットします。
2日おいて網棚に並べて風も日も当たらぬ部屋で1ヶ月乾燥させてできあがりです。
こちらは自家消費用で販売はしていません。

1月27日に餅をついて、翌28日にカットし2日寝かせて30日に網に並べました。
黒砂糖                    青のり
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エビ                      ちび黒豆
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しっかり乾燥したものを、火力調整可能なオーブントースターの中火でじっくり焼いて、薄く醤油をつけて缶に入れておき、酒のつまみやお茶うけに使います。
辛党の我が家は焼き専門ですが、油で揚げても美味しいようです。
このかき餅が食べられるようになると雪国但馬にも春の訪れが感じられでしょう。

 

2014年1月27日 (月)

NHK新会長の不見識

NHK籾井新会長が25日の記者会見で、旧日本陸軍の「慰安婦」問題について「戦争をしているどこの国でもあった」などと発言したことが報道されました。
特定秘密保護法や靖国参拝などに関して政権への追従的意見もありました。

その後本人は「不適当だったと」と認め、官邸では「個人として発言したこと」として幕引きをはかっていますが、そんなことが通るはずはありません。
もともと意の如くにならぬNHKに安倍内閣が送り込んだ経営委員も入った新委員会で、「政治的中立性」も加味して選ばれたといいます。
こんな人間を選ぶお膳立てをした安倍総理と素早く期待?に応えた籾井氏に、恥ずかしく失望してしているNHK職員も多くいることでしょう。

早速、<NHKおよび放送番組についてのご意見・お問い合わせ>に抗議しておきました。

『安部内閣の期待を受けての就任への気負いか、会長としても人間としても不見識な発言に抗議します。
慰安婦云々の発言は取り消したり謝罪してすむ問題でなく、会長としての資質に欠けるもので、籾井氏の辞任を強く求めます。
こんな人間が統括するNHKの将来を嘆くものですが、権力におもねることなく、職員の皆さんが公共放送としての使命を果たされる
ことを期待します。
今後の結末次第では視聴をお断りするかもしれません。』

 

2014年1月25日 (土)

企画展 出石の殿様

Img_20140126_0002_3 但馬国府・国分寺館では「第31回企画展 出石の殿様-山名氏と仙石氏-」が開催されていて、講演会「出石の城跡」が開催されました。

豊岡市出石町は、皿そばと出石焼で知られる但馬の小京都。中世の出石では、山名氏が大きな勢力を築き、幕府にも強い影響力を持っていました。その後、天正年間における羽柴秀吉の但馬侵攻により山名氏は敗走し、近世になると小出氏や仙石氏が治めることとなりました。
 今回の展覧会では、但馬における中世・近世の支配者「殿様」の実像を、考古資料や歴史資料から概観します。戦乱の時代に生きた殿様の姿から、動乱期の豊岡・出石に思いを馳せていただければ幸いです。(同館パンフより)

講師は山名氏城跡保存会の会長で但馬の城郭研究第一人者、西尾孝昌先生です。
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竹田城人気に代表される歴史や城郭ブームと我らが殿様に気安さも感じて、資料も増し刷り補助椅子も総出のような盛況でした。
今まで何回か企画展の講演会に参加しましたが、10~20人がほとんどで主催者側もうれしい悲鳴でしょう。

講演は豊岡市の城跡(156)の概略から守護所(御屋敷)の変遷の説明の後、出石各地の山城を図面をもとに説明があり、戦国期や織豊期の特徴や城塞化した中世寺院にも触れられました。
後半は土造りの有子山城と山麓の居館 → 高石垣の有子山城と本丸・二の丸を中心とする第Ⅰ期出石城 → その後増築された三の丸を中心とする第Ⅱ期出石城と城下町の形成の歴史が話されました。

最後に国史跡の有子山城、八木城、竹田城の城跡・石垣がスライド説明されました。
昨今竹田城石垣のせり出しや土の流失など観光客急増による影響が心配されていますが、西尾先生によると「竹田城よりも有子山城のほうが深刻、八木城跡の石垣などはすでに崩落している箇所がある。史跡保存に行政も住民も力を入れて欲しい」ということでした。

出石のお殿様は南北朝期から山名氏支配が続きましたが、豊臣に制圧され1595年に播州龍野から小出氏が移封され、100年近く藩の基礎作りに貢献しました。
国府村史中巻や但馬史4巻の江戸後期伊佐新田開発の記事に、『竜野屋宗輔は姓を三木といい、小出侯が播州竜野の領主であったときからの御用商人で、同侯の出石移封に随従してきた」』と書かれています。
今回のテーマは山名氏と仙石氏ですが、「出石の殿様として小出氏を忘れてはならない」との先生の意見に同感でした。

ここ2~3年歴史講演会や城跡探訪など積極的に参加してきましたが、10覚えて7つ忘れるような恥ずかしい状況ですが、何回も聞くと点が線として繋がっていくところもあるので引き続き勉強を続けていきます。

<企画展 出石の殿様>
Ⅰ 会 期 平成25年11月28日(木)~平成26年2月25日(火)
Ⅱ 会 場 但馬国府・国分寺館 企画展示室

なお、講演第2弾として・・・・
出石の城主たち-有子山城・出石城 (講師:石原由美子氏)
2月15日(土)13時半~15時

  

2014年1月23日 (木)

加藤文太郎 記念マフラータオル

注文していた加藤文太郎記念グッズのマフラータオルが届きました。
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前回はTシャツ
Photo_2 但馬浜坂出身で不撓不屈の岳人加藤文太郎を顕彰し、その偉業を町内外に情報発信する会として「加藤文太郎山(さん)の会」が活動していて、私も三年前から入れていただきました。

同町には加藤文太郎記念図書館があり、資料室は文太郎ファンの「聖地」として知られています。
訪れたファンから「記念グッズを!」の声もあって会が制作したもので、濃紺は但馬の日本海を、山々に降る雪の白で「Buntaro Kato」と表記してあります。

①仕様   綿100パーセント 20㎝×110㎝
        濃紺字に白抜きで「Buntaro Kato」の文字を印刷
        揮毫 西川葉峯さん(加藤文太郎山の会会員)
②製作枚数 300枚            
③通常販売 価格 1,500円(税込)   
        販売窓口 加藤文太郎記念図書館
            669-6702 美方郡新温泉町浜坂842-2
                ℡ 0796-82-5251 Fax 0796-82-5250


別に神鍋マラソンの参加賞としていただいたものを持っていますが、普通のタオルと違い丈も長く肌触りもよいので、登山・ランニングやレジャーなどに重宝しています。

 

2014年1月22日 (水)

スモークチップ作り

スモークの元となるチップは山桜とリンゴを使っていましたが、先日知人のTさんから地元神鍋高原のリンゴの枝をいただきました。
リンゴの太枝             できあがりチップ
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スモーク材には広葉樹が用いられ、サクラ・ナラ・ブナ・クルミ・リンゴが一般的です。
風変わりなものとして使用済みのウイスキーオーク樽はウイスキーのいい香りが持ち味ですが、市販のものしかなく結構高価となるのが欠点です。
元々アウトドア料理や保存食づくりだった燻製なので、材料も安く、費用をかけない自家製が基本です。

費用は安いが手間は多くかかる自家燻製に凝っていることを知った人から、時々山ザクラやクルミの材をいただくことがあります。
木材をいただいて、自分でチェーンソーで切断し斧で小切りにして燻製チップにします。
サクラは主に肉類にリンゴは温薫でチーズや練り製品に使いますが、それぞれの木特有の香りが燻製に移ってできあがりの風味が違います。
リンゴやクルミのスモークは、果樹独特の甘い香りが持ち味です。
燻製の適期となる春まで、せっせとチップ作りに精を出すとしましょう。

 

2014年1月20日 (月)

81歳の挑戦 マラソンと登山

見落としていて教えていただいたのですが、朝日新聞元旦の「声」欄に知人のS・Hさんが登場していました。

今年こそ 81歳の挑戦 マラソンと登山     2014年1月1日

 50歳から走り始め、53歳で初マラソンを完走して以来、年1回のマラソンを続けていたが64歳で中断した。
75歳で一念発起して再びマラソンに挑戦。
昨年は80歳の節目の年で、京都府福知山市でのマラソン大会にエントリーしたが、台風被害のため大会が中止となり、出走すらできなかった。

登山は50代で近くの低い山から始め、このところ、年に1度は日本アルプスの夏山を楽しんでいる。
若い山仲間が何人も日本百名山の登頂を果たしたが、私には到底できないので70歳を過ぎてから日本に
21座ある3千メートル峰の登頂を目指してきた。
そして昨年7月、南アルプスの聖岳へ登り、20座目登頂。9月、最後に21座目の富士山を目指したが、悪天候のため8合目で登頂を断念した。

 81歳になる今年こそ月200キロのジョギングや月数度の登山を楽しみ、マラソン完走と富士登山を達成したいと思う。         (朝日新聞デジタルより)

同じ山友会ですが、こちら3年目あちらは数十年の会歴を持つ大先輩で、今は顧問を務めながら例会リーダーをも分担されています。
普段からの高い健康意識とたゆまぬ訓練と強い意志がさせるものでしょうが、15年後の自分には思いも及びません。
冬場は雪が積もるので、健康スポーツ施設「ウエルストーク豊岡」のジムで汗を流していらっしゃるのを見ました。
身近にすばらしいお手本があるので、その背中を追っていこうと思っています。


 

2014年1月19日 (日)

愛宕さんと新年会

今年の愛宕さん(愛宕講)は19日夜、昨年京都愛宕神社からいただいてきた軸を掲げて、近くの神社から「愛宕神社火災防護攸」と書かれた火伏札を頂き、各戸の戸主が代表してお参りしました。
もとは伊勢講だったのですが大正6年5月に橋上組内で起きた、手辺村大火災と関連しています。
私の家から4軒ほど上の、大工小屋から出た火は、わらぶきの屋根が中心だった当時あっという間に燃え広がり、5軒が全焼、1軒が半焼の大火災となりました。
大火を教訓として、火除け火伏せの神である愛宕さんのお札を奉じて、隣保を挙げて火の用心を誓ったものです。
時代が変わっても火事の恐ろしさや行事本来の意味を知って火の用心に努めたいものです。
愛宕本社の軸守          伊勢講からの厨子
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お参り後は新年会に変わり、場所も公民館から料理屋に移り、ご馳走を食べカラオケで大騒ぎする新年会になりました。
私達がUターンして30年、当時若かったメンバーの多くが高齢者になりましたが、顔を合わせての交流ができる好機に、相も変わらぬカラオケ中心のコミュニケーションです。
半ば無理矢理歌わせて、「イエーイ」と盛り上がる?定番宴会に疑問を持つ歳になりました。
 

 

2014年1月16日 (木)

シルフィーのクレーム

Conv0001 我が愛車はブルーバードシルフィー、U-ターンして三菱ランサーを2度乗って日産車に替えました。
サニー・セフィーロと乗り継いでシルフィーに換えたのが7年前でした。2年前から助手席側のダッシュボードがボツボツが出てきてとうとうこの状態になりました。

Conv0002 Conv0003
使わないときはガレージに置いてあるので、過酷な環境ではないはずなのですが、年々広がってきます。
さすがに気になり出したので、NETで「シルフィー ダッシュボード クレーム」などと入れて調べてみると・・・・・。
「症状が出ている車に対してのクレームのみ受け付けているみたいで、原因は接着剤とレザーの間に湿度が高かった為、水分が逃げられなくなり、後に気泡が出てきた。」
さっそく販売店に持ち込んで調べてもらうと・・・・
「クレームで修理しているが、3年間の受付期間を7年に延長している。この車は7年半経過しているので、メーカーと相談させて欲しい」との返事でした。

ダメとは言っていないので、よい返事を待っているところですが、嫁さんの車もサニーからモコ、二十数年利用し日産車の品質や販売店・担当者の対応など不満は全くないので、今回もそのイメージを壊さないでもらいたいと思っています。

車に限らずクレームや問題点などNETで調べると分かることがあります。
かくいうこのブログ記事も将来誰かのお役に立つのかも知れません。
   

2014年1月12日 (日)

2014初登り 小野アルプス

チームF1Bの恒例行事、新春初登りは小野市にある小野アルプス縦走。
一昨年は高御位山、昨年は明神山、但馬は雪の中なので、神戸や播磨に出かけます。
紅山コースと中コース
Img_20140114_0002小野カントリー横にある鴨池をスタートして→紅山の岩登り→展望デッキ→惣山(小野富士)→アンテナ山→総山→アザメ峠→鴨池へもどる周回コースで、小野アルプスの西半分、約3時間半標高差110mのハイキングコースです。

最初の紅山(184m)の岩場は下から見ると誰でもびびるほどの傾斜で、角度が35度はあるといわれています。
別の道もあるけど他のメンバーが登るというので、しぶしぶ覚悟を決めました。
前のペアが登り始めましたが途中で女性が無理と判断し、引き返しているのを見ましたが、降りる方がもっと大変そうでした。

慣れれば恐怖心は減るのでしょうが、滑り落ちると下まで転げて大けがは間違いありません。
なぜかロープも鎖もないのですが岩がでこぼこしていて滑りにくいのが頼りで、ほとんど手足を使う4点支持でひたすら上を見て登ります。
岩登り小さい点が人        上から下を覗く
P1120019 P1120035_2
今回のメインルートを過ぎると後は紅山を下り、小野アルプス中コースのルートを惣山(199m)で昼食、アンテナ山、総山と続きアザメ峠に降りて鴨池へと帰るハイキングコースでした。
紅山山頂              西:権現湖方向
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次に向かうアンテナ山と総山   振り向くと紅山の岩場
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あいにく曇りがちのお天気で、淡路島や明石大橋までは見えないものの、3連休でそこそこの数のハイカーでした。
小野アルプス最高峰惣山     アンテナ山
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最大標高差110mの物足りなさもあの岩登りが帳消しにしてくれる迫力で、昼休憩30分を含めて4時間半ののんびりハイキングを楽しみました。
昨年の明神山では遭難騒ぎがありましたが、今回は何事もなく終わることができました。
これから5月の麒麟獅子マラソンまでそれぞれがトレーニングを続けることになります。
 

伊智神社 護持の歴史 Ⅵ

 
古文書読解力や古建築知識など及ばぬことが多
く、間違いもあると思いますが、一つの見解としてまとめ区民の検証を待ちたいと思います。


       <伊智神社護持の歴史>
                       

<江戸期>

・天和3年 1683年(4代将軍綱吉) 本社建築(再建)  

・天保6年 1835年(11代将軍家斉)本社再建         

・嘉永元年 1848年(12代将軍家慶)燈籠一対設置        

・慶應元年 1865年(14代将軍家茂)高燈籠設置   

<明治期>  記録なし

<大正期>

・大正4年 1915年(御大典記念) 本社屋根替え       

                  燈籠一対設置       

                 狛犬一対設置        

・大正12年 1923年        二の鳥居新設        


<昭和期>

・昭和12年 1937年        本社屋根葺き替え     

                 神輿再建           

                 神輿倉再建          

                 伊智神社碑建立      

・昭和14年 1939年        漱水鉢設置        

・昭和40年 1965年        本社屋根を銅葺き

・昭和47年 1972年        漱水舎再建        

・昭和51年 1973年        日吉神社祠を瓦屋根    

<平成期>
・平成元年  1989年        五社再建         

・平成6年  1994年        日吉神社再建       

・平成8年  1996年        神輿及の全面修理  

・平成10年 1998年        本社玉垣再建       

                 籠堂再建             
・平成22年 2010
年        一の鳥居撤去、

                 御輿倉屋根修理 

現存する本社は天保6年(1835年=178年前)に再建され、以後大正4年、昭和12年と同40年の屋根替えをなどの修理を経て護持されてきたと思われます。
 (天保6年の棟札に、旧社は天和3年に建立したと書かれています)
    
現在の本社殿
Img_8883_2 Img_8882_2 Img_8850_2   

神輿も老朽化したものを昭和12年(奉加帳に記録)に新しく建造し、59年後の平成8年に500万円余をかけて関連祭具とともに全面修理が行われました。
          
神輿のお旅
Img_0146 Img_0142 

他に神社関連文化遺産「屋台」については、以下の記事をご覧ください ↓
http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-34a7.html

 

2014年1月11日 (土)

伊智神社 護持の歴史 Ⅴ

文書記録はほとんど見あたりませんが、社殿内の棟札や墨書、碑文などの資料から護持の歴史がある程度分かってきます。
天保6年再建      大正4年修理    
6  4
昭和40年屋根修理棟札(表・裏)銅板葺きに改修
40  40_3
手水舎墨書      高灯籠碑文(慶応元年)
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2014年1月10日 (金)

伊智神社 護持の歴史 Ⅳ

この時の府市場村出身の大口寄付者の碑が残っています。
20131127_090451 20131127_090500
16名で、高崎・東京・大阪・京都・神戸にブラジル在住者、総金額は一千六百五拾円に及んでいます。
20131127_090537今のお金に換算すると数百万円を超えるようです。
併せてこの時、参道正面に立派な伊智神社碑も寄進されました。

前にも触れましたが、農山村不況と日中戦争真ただ中にこれだけの大事業を成し遂げた先人の熱い思いと努力に頭が下がります。

2014年1月 9日 (木)

伊智神社 護持の歴史 Ⅲ

奉加帳を口語(話し言葉)に替えると、まず式内社としての由緒と村人の厚い尊崇を集めていることを述べています。

『年々歳々荒癈ニ荒癈ヲ重ネ斯クシテハ郷土ノ誇ヲ絶滅スルニ至ランヤモ難圖ク・・・』

社殿屋根荒廃が年々進み、村の誇りが絶滅する可能性があるとしています。
『而シテ神輿ハ是亦極度ニ荒癈シ祭禮ノ都度神輿ノ渡御ヲ願フモノアレドモ危險ヲ感ジテ唯静カニ村内ヲ渡御アルノミニテ當村従來ノ賑カサハ全ク影モナキ有様ニ有之。』
神輿などは「極度に荒廃が進んで危険なので、静かに区内を渡御するのみで、かっての賑わいが全く見られない」と嘆いています。

次に郷土の誇り、産土神伊智神社の来歴を絶滅させないため・・・・
①社殿の造営(修理)②神輿の新調③神輿収納庫の建設を決めたこと。

『然シナガラ當府市場ハ最近疲弊甚ダシク斯カル莫大ナル經費ノ負擔ハ堪エ得ル所ニ無之。サリトテ此儘荒癈ヲ拱手傍觀スルニ忍ビズ、茲ニ郷土出身ノ各位ニ此哀情ヲ訴ヘ、御義捐ヲ乞ヒ以テ素心ノ貫徹ヲ希フ次第ニ有之。』

農村疲弊の現状を訴え、莫大な事業費が負担できないこと。
さりながらこのまま手をこまねいて放置できないので、援助を郷土出身者に懇願しています。
荒廃の現状と村人誇りと願いがよく表現されている文章だと思います。
正本は継がれていませんが、昭和12年(1937年) 本社屋根葺き替えと神輿新調・神輿倉再建の一大事業が、村民の負担と出身者の寄付でなされたことが分かります。

昭和12年(1937年)といえば農山村貧困化のまっただ中、満州事変に端を発した日中戦争いわゆる支那事変が始まり、軍靴の足音が高まりだした大変な時期でした。
(亡き母の言によると、12年義父の秀蔵が東京の帰りに愛知県現西尾市の家に寄って泊まったそうです。神輿の検収(出来上がりの確認)だったのでしょう。
余談ですが、この時戦地にいた母の夫は翌13年に中国北部石家荘で戦死しました。)

哀しいことに、建物や神輿や神社碑・大口寄付碑は現存していますが、これだけの大事業の諸記録や写真、棟札さえも残っていません。
(この時新調した神輿は、59年後の1996年に神輿及び祭具の全面修理を経て大切に引き継がれています)

今のところ頼りは古老の記憶しかないのですが、これも70年数年前のことで無理かもしれません。
「降る雪や明治は遠くなりにけり」、中村草田男の句がありますが、物が残っても記録が散逸していて遠くなってしまった「昭和の大修理」でした。
  

 

2014年1月 8日 (水)

伊智神社 護持の歴史 Ⅱ

伊佐屋に残されていた60数年前の文書から引用します。
形式は奉加帳。
莫大な資金調達のため、府市場村出身者に寄付を募った内容が達筆の文語体(書き言葉)で書かれています。
思うにこれは原本ではなく、当時神社役員だった祖父秀蔵が予備として保管していたものと思われます。
         ← 奉加帳副本(写し)
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<緒言>
抑々當府市場産神伊智神社ハ創建年代詳カナラズト雖モ、人皇第二十一代雄略天皇秋七月「以黒田大連為多遅麻國造移府国府」トアリ、古来国府市場村ト號シ、又國司文書曰「大寳三年春三月國司櫟井臣春日麿祀其祖大使臣命於市ノ丘」トアリ、五百餘年以前勸請セン様申傳ヘ、延喜式内社トシテ郷土ノ尊崇厚キ由緒アル社二有之。

然ル處最近社殿屋根著シク荒癈致シ居候モ、何分打續ク農村不況ニ際會シ如何トモ難致手ヲ束ネテ傍觀致スノミニ有之。
年々歳々荒癈ニ荒癈ヲ重ネ斯クシテハ郷土ノ誇ヲ絶滅スルニ至ランヤモ難圖ク、漸ク郷土人士ノ之ヲ憂フルモノ數ヲ加エ候為、茲ニ有志相圖リ村民ノ與論ニ訴ヘ社殿屋根葺替ヲ計画仕候。
而シテ神輿ハ是亦極度ニ荒癈シ祭禮ノ都度神輿ノ渡御ヲ願フモノアレドモ危險ヲ感ジテ唯静カニ村内ヲ渡御アルノミニテ當村従來ノ賑カサハ全ク影モナキ有様ニ有之。

斯クシテハ由緒アル當府市場ノ産神伊智神社ノ來歴ヲ皆滅セシムル恐レアリ、社殿ノ造營ト併セテ神輿モ新調シ永ク子々孫々ニ傳フベク更ニ奉納庫ヲ建設スベク村民擧ッテ議決候。
然シナガラ當府市場ハ最近疲弊甚ダシク斯カル莫大ナル經費ノ負擔ハ堪エ得ル所ニ無之。
サリトテ此儘荒癈ヲ拱手傍觀スルニ忍ビズ、茲ニ郷土出身ノ各位ニ此哀情ヲ訴ヘ、御義捐ヲ乞ヒ以テ素心ノ貫徹ヲ希フ次第ニ有之。
何卒御諒察ノ上我郷土ノ誇リヲ永遠ニ傳フベク格別ノ御援助賜リ度此段奉懇願候  敬白

昭和十二年         
式内伊智神社氏子総代
各 位
 

2014年1月 7日 (火)

伊智神社 護持の歴史 Ⅰ

我が家は元旦行事として、家にある神棚と仏壇にお参りした後おせちをいただき、一段落したら先祖代々のお墓と氏神 伊智神社にお参りします。
P1060005
伊智神社[いち] 御祭神 「神大市姫命」兵庫県豊岡市日高町府市場字楮根935 

≪由緒≫

創祀年代は不詳だが、大宝3年(703)春、国司・櫟井臣春日麿がその祖神を祀ったものといわれる。
延長5年(927年)にまとめられた5年(927年)にまとめられた延喜式神名帳には小社に列し、近世までは八王子大権現と称されたが、明治2年伊智神社と改称し同5年に10月村社に列せらる。

境内の左右に境内社として・・・・
右手に日吉神社(大山咋神 )左手に一宮神社、愛宕神社、須賀神社(須佐之男神) 、芝神社、稲荷神社の五社。


「神大市姫命(かみおおいちひめのみこと)」ということは、もちろん女性の神様で、昔からそう伝えられています。
ところが、お社の千木(ちぎ)を確認すると男性神に多くみられる先端を地面に対して垂直に削る外削ぎとなっています。
例外もありますが、多くは女性神の場合は地面に水平に削っています。
また鰹木(かつおぎ)の数も、3本の奇数は陽数で男神の社に見られます。

伊智神社社殿建築調査表
「itijinjyakentiku.xls」をダウンロード

外削ぎの千木           大正4年の社殿
P1060006_2 Img_0002
昭和以前で唯一残っている大正4年の写真で確認すると、屋根や社殿中央部(向拝)などの外観が大きく変わっていて、千木に似たものは見あたらず鰹木代わりの束ねた藁?が見られるくらいです。
これ以降3回にわたる修理工事の棟札がありますが、内容の記録はありません。

気多神社本殿千木(内削ぎ)
Img_8725_3 もっとも、お隣の上郷区気多神社の本殿の千木は、内削ぎで伊智神社と逆ですが、鎮座されるのは大己貴命(おおなむちのみこと)は出雲大社の祭神大国主命の別名で、スサノオノミコトの息子とされ、大社の千木は気多神社とは違って男性神に多い外削ぎとなっています。
双方逆の造りが面白いのか、さしたることもないのか?

氏神伊智神社の資料は長期にわたって務めていた1人の役員(故人)が保持していたはずですが、全く引き継がれていません。
昔話同好会で、社殿内の8枚の棟札や墨書、碑文や区有文書など乏しい資料から社殿及び神輿等の護持の歴史を調べていますが、分かったことも多くあった反面、分からないことや謎も出てきました。
延喜式神名帳(10世紀・平安時代の官製記録)にある由緒ある神社、氏神の歴史をこれから調査して、後代に引き継ぐべく同好会として調査・研究を続けていきます。
  

七草がゆ

7日になると体も疲れ気味、特に胃袋殿には食と飲で大変なご負担をおかけしました。
P1070004今朝の朝食は粥と汁だけ、7種にこだわらないシンプルなもの。

3年前のマイブログ記事「七草がゆ 鳥追い歌」をアップしておきます。


正月の期間を、松の内(まつのうち)と呼び、一般には7日までとされます。
七日の朝に食べる七種粥(あるいは、七草粥とも)が、松の内の最後の行事で、門松や注連縄など正月飾りも片付けます。七草粥のいわれは、正月のご馳走で酷使された胃をいたわり休ませることにあると同時に「鳥追い行事」の意味もあったように思います。

子供の頃、父が菜を刻む時、菜切り包丁でまな板を叩いて大きな音をさせ
、「唐土(とうど)の鳥が、日本の国に渡らぬうちに七草そろえ・・・・・」と唱えていたのを覚えています。
父も子どもの頃に聞いた、害鳥を追い、疫病が流行せぬことを願った厄除けの一種でしょう。

七草粥は有名ですが「鳥追い」は余り知られてないので、Wikipediaで調べてみると・・・
『七種は、前日の夜に俎に乗せて囃し歌を歌いながら包丁で叩き、当日の朝に粥に入れる。囃し歌は鳥追い歌に由来するものであり、これは七種粥の行事と、豊作を祈る行事が結び付いたものと考えられている。
歌の歌詞は「七草なずな 唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、合わせて、バタクサバタクサ」など地方により多少の違いがある』
と記されています。

物が少ない昔でもその必要性が言われたのに、ましてやメタボ社会の現代、春の七草を粥に入れて胃を休める意味はますます大きくなります。
春の七草は「セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ、これぞ七草」と覚えました。


害鳥を追い払い豊作を祈る鳥追い行事は全国各地にあります。
また当地には似たようなもので、節分の「ムクロ(もぐら)打ち」がありました。
過去形でいうのは今はほとんど行われるどころか、知る人もいなくなったからです。

「ムクロ打ち」については 節分に再アップします。
早く知りたい人は、右上の「サイト内検索」窓に ムクロ打ち と入れれば過去記事が検索できます。
 

2014年1月 5日 (日)

賀状交換

正月の賀状交換は重大行事です。
一年のご無沙汰をこの一通で取り戻せるような魔法のツールでもあります。
手抜きといわれそうですが、十数年前からパソコンを使用して前年で一番印象的な自分たちの写真を添え、近況を少し加えるようにしています。
嫁さんは過去何十年と手書きの絵やイラストを入れたものを作成し、コピーしています。
02年ルミナリエ会場     14年蝶ヶ岳山頂
02    Img_20140106_0001_4
近年、「年賀交換辞退」の年賀状をいただくことがあります。
文面は・・・
齢○歳を迎えました。
寄る年波を感じるに至り、誠に勝手ながら本年を持ってご挨拶の交換を控えさせていただきたく存じます。
御一家の皆様のますますの御繁栄をお祈りいたします。

○が65歳だったり、70や80歳の方もありますが、不愉快と思ったことはありません。
義理的になっている年賀交換をこの際見直そうというお考えか終活の一環かも知れません。
かくいう私も無沙汰を詫びるのに疲れたり、増える年賀状を整理したくなり、昨年同様のハガキを一部の方に出しました。
長寿社会の一方、こういう年賀状もこれから増えてくるでしょうね。
 

2014年1月 3日 (金)

めでたさも

我が家も日常を取り戻しました。
考えて見れば暮れの喧噪は非日常の世界。
高齢者になると室町期の禅僧、一休師の言葉が現実味を帯びてきます。

正月や冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし

一休禅師は元旦に人間の頭蓋骨を杖に持ち、街を歩きながら歌ったといわれています。
人は正月が来れば目出たいといっているが、人生は夢まぼろしの連続で、ひと皮むけば骸骨でしかないではないか。年をとるほど あの世は近いぞ。骨になる前に 目を覚ませ。
非日常の認識を諭しているのでしょう。

ところで、有名な一茶の正月を詠んだ句も・・・。

めでたさも中くらいなりおらが春

今年を思う庶民の気持ちですね。

同じく亡き義父が娘に教えた一茶の句。

正月といっても全く改まるわけではない継続した世界。

正月や餅で押し出す去年糞

私が今年はかくあって欲しいと思う一茶の句。

世の中をゆり直すらん日の始め

これ以上の右揺れは許せません。

          

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