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2013年7月 7日 (日)

薬師堂の由緒

私の住む府市場区には、氏神伊智神社・観音堂・地蔵堂・薬師堂・稲荷社・妙見堂など文化財(宗教施設)があります。
区の東に位置する薬師堂は、旧国府市場(こうのいちば)村の二つの隣保によって交互にお祀りされています。
薬師如来が安置されている内堂は普段は二重に鍵がかけられていますが、祭典の日だけ飾られるので、昔話同好会としてお祀り準備に参加させてもらいました。
中には棟札が3枚残っていて、江戸期のものの他昭和15年に書かれた由緒書きがありました。
薬師堂                薬師如来像
P1060538 P7070044
棟札                由緒書き
P7070072 P7070064_2
以下は私が棟札の由緒書きをまとめたものです。

<薬師如来像の由緒>(善応寺 紫安住職の昭和の由緒札より)

薬師瑠璃光如来は広く人々の病気を治すだけでなく、精神的な苦痛までも取り除くという如来である。
ここに安置された木像はすなわち薬師如来にして、貞享二年(1685年=328年前)府市場薬師講中とのみ、台座裏面に記されているだけで動機や発願者は詳しくは分からない。
未確認)

<江戸期の薬師堂>

堂宇は享保十四年(1729年=284年前)八月、大工や組頭が記された小型の棟札があった。 未確認)
その後文化十二年(1815年=198年前)四月薬師堂を再建、施主惣村中庄屋・組頭・大工・世話人数名が記されている。

(文化の棟札あり)

<昭和の再建(昭和十四年)>

江戸期の堂は草葺き屋根二間半四面で、百二十六年経ち風水害等で地盤がゆるみ床が落ちて、横に傾いて危険になったので修繕に憂慮していた折、たまたま手辺田結庄源治氏の長女で、源三氏の姉、大阪在住の「浜田さく」さんの特志によって基礎や瓦葺き堂宇が建立された。(堂前に石碑あり)
それだけでなく、お祭りする仏具や鉦や鰐口・高張提灯や打敷その他賽銭箱なども寄進を受け、昭和十四年十月十六日には村内の各寺院の参列で入仏・安庫の大供養が執りおこなわれた。
浜田ご夫人の特志を不朽のものとして後世に伝えるものである。

<平成の移転(平成四年)>

新たに子供の遊び場を設置するにあたり、堂の移転(東に寄せ、向きを南から西向きに九十度振った)を府市場区の事業として行いました。
翌年の平成五年には有志の特志により、南に接して地蔵堂を新築・再建ました。


当番諸氏にお聞きしたところ内堂の中は確認しないので、中味は読んだことがないということでした。
人の記憶より記録が大切な典型事例で、但馬の国気多郡国府市場村の薬師講中によって創建され、江戸期から数えて三度の再建を経て受け継がれてきた由緒が明らかになったことは大きな収穫でした。
西側の手辺村におわす観音堂も同時期に移転再建されていることから、17日の祭典時に調査することにします。
   

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コメント

こういう由緒書きなどがしっかり残されているところはそちらの地区の民度の高さを感じさせてくれます。すばらしいです。
 見習わねばと思っております。

 しかもとてもきれいな筆遣いですね。こうして後世に伝えてゆくことが大事だと思います。

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