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2013年4月29日 (月)

八木城山 409m

カテゴリーとしては「山歩き」より、「歴史」「但馬物語」がふさわしいような山城に登りました。
ここは養父市八鹿町八木、私の祖母民恵の里が上八木にあり、生家は今でもうだつが上がり、白壁に虫籠窓が残っています。

八木城は垣屋氏(楽々前城)・太田垣氏(竹田城)・田結庄氏(鶴城)と並ぶ但馬守護山名氏四天王と称された八木氏の居城で、本丸から200m上がったところにある土(つち)城はさらに古い南北朝・室町時代の特徴も残している城といわれています。
車は下八木公民館に駐車し、9号線を横切ったところにある登山口の獣害防止柵を開けて登り始めます。ネザサ・葛・杉・檜の間を整備された遊歩道を進み、約40分で本丸跡330mに到着です。
有力国人八木氏の居城だけに石垣も大きく、南方向には八木川沿いの幹線道路や関宮・琴弾峠が見渡せます。
下八木登山口           整備された登山道
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休憩所・秋葉さん          本丸跡・供養塔
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高石垣跡
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続いて石垣沿いの道をさらに登ると15分で旧城の土(つち)城へと到着します。
林の中に何層もの曲輪が階段状に続き、土塁跡をたどって登ると標高409mの土城主郭跡に到着します。
土塁跡
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曲輪跡(城郭がめぐらされていた)
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中世の山城に防御の備えとしてよくある竪堀が見られないのに疑問を持ちましたが、同行のTさんの言によると、近隣豪族と関係がよかったので防御のレベルが低かったのではないかとのこと。
南北朝期に築かれた土城を「食違い虎口」などの改修しながら、織豊期に築かれた高石垣の八木城ですが、羽柴秀吉の二度にわたる但馬侵攻で攻められて、八木但馬守豊信は降服しました。
後に別所重棟が八木城主となりましたが、重棟の子吉治は1600年の関ヶ原の戦いで西軍に属した為除封され、八木城は廃城となったそうです。
土城・石城の二面を持つ八木城跡を訪れ、中世に思いをいたした一日でした。

  

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