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2013年1月25日 (金)

国府駅物語 Ⅲ

山陰本線京都・下関間が開通したのは、桃観トンネル余部鉄橋が完成した明治45年ですが、その3年前の明治42年に江原駅が建設されていて、開業100年のお祝いも2009年に行われました。

この江原駅新設に関してはいろいろ紆余曲折があり、八鹿-豊岡間17.2kmの中間点を原則として考えられた。その場所は松岡、土居にかけての地点が該当したが、この付近の住民は円山川の舟運に頼っていた者が多く、農民は零細な小作が主であって、「わらじ」を作って舟の関係者や旅人に売って生計を営んでいる面もあり、鉄道がつけられれば失業するとして反対した。
次の候補になった府市場、府中新も鉄道が敷設されると・・・
①住民が夜逃げする
②泥棒が侵入する足場を与える
③煤煙により桑の木が害を受ける
④青年が堕落する
などの理由をあげ、国府村会もこれを受けて駅の設置を拒否する決議をしたためにこの案もながれた。
<日高町老人クラブ 「日高のむかしばなし」より>


これはあり得る話しとして聞いたことがありますが、国府新駅建設の「停車場設置請願書」を逓信大臣に提出したのが明治41年、江原駅開業の前年にあたります。
もしほんとうなら駅建設はずっと前から検討されていたとはいえ、国府村民に先を見る眼がなかったことになります。
「もし・たら・れば」が許されるなら、その時国府地区内に今の江原駅が設置されていたら、町の形成や繁栄は大きく違っていたでしょう。
 

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コメント

Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、と面白いですね。
鉄道好きにはたまらないです!
しかし昔の人はそのような理由で駅舎建設
反対されたんですね。
なんだかわかる気がするような、というのも
いつの時代も新しいものに対する拒否の姿勢って
変わらないものがあるんですね。
表現は変わってもその時はそのようにして
反対せざるをえなかったんでしょうね。

一つ一つの駅にはそれぞれの歴史、思い出があり、人生の一こまの様に、人それぞれが駅に心の風景を持っているのでしょう。私は江原から乗って豊岡まで通学。駅まで歩いて10分程度でしょうか。ギリギリまで寝ていたので、立ったまま靴を履きながら朝食を流し込んで、走って江原駅に突入ということもよくありました。国府駅に着くと、かなり遠くから駅に向かって走ってくる学生があり、どうするのかと心配しながら見ているとようやく間に合って出発という風景も思い出します。伊佐屋と初めて出会ったのは、国府駅の列車内ではなかったかと思います。

列車と競争して自転車を走らせるぎりぎりな生徒もいましたが、積み残されるようなことはなかったね。
それよりも、江原で乗った生徒がデッキの中程でたむろしているため、国府からの生徒はデッキにぶら下がっていたことを思い出します。
自動ドアのいまでは考えられないでしょう。

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