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2013年1月26日 (土)

「袴狭遺跡は但馬国府か!?」

但馬国府・国分寺館では「第28回企画展 袴狭遺跡は但馬国府か!?」が開催されていて、26日には学芸員講座が開催されました。
但馬国府の候補地に住むものとしてセンセーショナルなテーマに惹かれて参加しました。
企画展案内ポスター
Scn_0001_2但馬国府の所在地は『日本後記』に延暦23年(804年)に「但馬国治を気多郡高田郷に移す」と書かれていることから2箇所あったと考えられています。
旧日高町役場や但馬国府・国分寺館がある祢布ヶ森は、近年の発掘調査で移転した第二次但馬国府であることが分かりました。

一方移転する前の但馬国府の所在が気になりますが、候補地として国府地区の府市場・土居・上郷のほか日高地区の八丁路説・日置説があげられ、袴狭遺跡の発掘で出石地区も有力とされました。

但馬国の国司が政務を執る役所が置かれた国府であることは、朝来・養父・出石・気多・二方などの郡域を越えた遺物が発見されることが条件で、祢布ヶ森遺跡が但馬国府跡とされたのは遺構のほかそれが大きな理由でした。

袴狭(はかざ)遺跡が有力とされたのは、主に次のことによるものです。
①但馬一宮の出石神社に近く、アメノヒボコ伝承が残る位置である。
②役所の存在を示す礎石や建物跡が発見されている。
③木簡44点、祭祀具5,500点などや土器1,000点以上の遺物が見つかり、なかでも大量に見つかった祭祀具は郡衙を超える役所の存在ではないか。
前岡学芸委員
P1260023_3 学芸員講座では、判読できた木簡のなかで郡の域を越えた記述があるのは1点だけで、ほかは直接郡内の郷や里の地名や郡司の職名が書かれていること、銅鏡や釉薬を使った香炉など立派で優雅な生活が伺われるが、国府跡ではなく郡衙であったと判断するのが妥当ではないかということでした。

一年前の「但馬国府の謎を探る」というテーマで館長講座を拝聴しました。
私の住む国府地区では国府に関係する地名が数々残っていますが遺構や遺物はとくに発見されず、804年に移転前の但馬国府の謎は深まるばかりです。
但馬国府国分寺館の企画展は2月26日まで行われていて、私もその恩恵に浴しましたが65歳以上の方は半額で入場することが出来ます。
 

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コメント

おもしろい話です。この手の歴史、古代史は学生の頃は苦手でありましたがかみさんの実家が吉野ヶ里の近くであることや(邪馬台国九州説)大学が大宰府政庁跡に近いことや、年をとってから好きになりました。また国分寺資料館が近くでもありますし。

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