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愛犬ハル

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    16年我が家の家族として、楽しませてくれた「晋平」が2005年 3月息を引き取りました。 代わりに今度は女の子を購入しましたが、恐がりで人になつか ないのが困りものです。 春に来たからハルと名付けましたが、血統書付きで本名は 「文美姫号」です。

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2013年1月

2013年1月31日 (木)

門球 2013

門球とはゲートボールの漢字表記でまさに直訳そのものです。
国府地区でも30年以上前に父が同級生と始め、その後高齢者を中心に爆発的に広がりました。
最近はグランドゴルフ全盛で、門球競技人口は確実に減りつつあります。
グラウンドゴルフと較べると人数やコートに制限があるのとルールや作戦が複雑なので、これから始める方には取っつきにくいようですが、チームとしての作戦と個人技術で競うおもしろさは抜群です。
一方では「相手ボールに当てて外に出すのが陰険」「感情的になりやすくケンカが起きる」「実力差がでて皆で楽しむことができない」など悪評もしきりです。

思うに体力を使わないという点のみが高齢者向けで、安定した技術は勿論のこと柔軟な思考と記憶力・ゲームマネジメントが求められるので、誰でも楽しめるものではないようです。
つまりグランドゴルフに較べて、「はさみ将棋と本将棋」くらいの差でしょうか。
「お年寄りならゲートボール」と単一化されたのがそもそもの間違いということでしょう。

私の住む府市場チームは8年前にメンバーが少なくなって解散したのですが、リタイアして暇そうにしていると見られ、隣の土居区から声がかかりました。
神鍋高原 但馬ドーム       ドーム内コート     
20130131_104606 20130131_104500_2 
この日参加したのは12チーム、4チームが3つのコートに別れてリーグ戦をたたかい、我がチームは3勝したものの、得失点差などで3位に終わりました。

雨や雪で戸外スポーツ・レクレーションができない但馬ですが、神鍋高原に位置する県立但馬ドームでは片方では交流グラウンドゴルフが開催されていて、平日ながらにぎわっていました。
またこの日はこの冬一番ともいえる好天気で、周りが雪に囲まれ底冷えのするドームも暖かく感じられました。
ゴルフの漢字表記は、ボールにあるくぼみ(ディンプル)から孔球ですが、グラウンドゴルフのボールはくぼみがなく、場孔球とは呼ばないのかも知れません。
 
 

2013年1月27日 (日)

この冬一番の積雪

今冬最強クラスの寒気が流れ込んだ日本列島は、日本海側を中心に大雪となりました。
但馬では28日まで続くとされていて昨年一昨年ほどではありませんが、昨日今日と降り続き我が家付近でも25~30cm近い積雪になりました。
26日の吹雪模様          自転車通学の生徒
P1260017 P1260015
昨年の2月に積雪1mとなり28年ぶりの豪雪となった豊岡市は全国報道され、県外の家族や知人に心配をかけました。
うってかわって今年は数度の積雪はあったものの10cm程度で収まっていて、降っては溶けるの繰り返しでした。
とはいうものの大寒(だいかん)から立春までの期間はもっとも寒い時期となります。
同じ町の神鍋高原(車で20分)がスキー場にはそこそこの雪を、里には手心を加える冬であって欲しいものです。
             今朝の積雪
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2013年1月26日 (土)

「袴狭遺跡は但馬国府か!?」

但馬国府・国分寺館では「第28回企画展 袴狭遺跡は但馬国府か!?」が開催されていて、26日には学芸員講座が開催されました。
但馬国府の候補地に住むものとしてセンセーショナルなテーマに惹かれて参加しました。
企画展案内ポスター
Scn_0001_2但馬国府の所在地は『日本後記』に延暦23年(804年)に「但馬国治を気多郡高田郷に移す」と書かれていることから2箇所あったと考えられています。
旧日高町役場や但馬国府・国分寺館がある祢布ヶ森は、近年の発掘調査で移転した第二次但馬国府であることが分かりました。

一方移転する前の但馬国府の所在が気になりますが、候補地として国府地区の府市場・土居・上郷のほか日高地区の八丁路説・日置説があげられ、袴狭遺跡の発掘で出石地区も有力とされました。

但馬国の国司が政務を執る役所が置かれた国府であることは、朝来・養父・出石・気多・二方などの郡域を越えた遺物が発見されることが条件で、祢布ヶ森遺跡が但馬国府跡とされたのは遺構のほかそれが大きな理由でした。

袴狭(はかざ)遺跡が有力とされたのは、主に次のことによるものです。
①但馬一宮の出石神社に近く、アメノヒボコ伝承が残る位置である。
②役所の存在を示す礎石や建物跡が発見されている。
③木簡44点、祭祀具5,500点などや土器1,000点以上の遺物が見つかり、なかでも大量に見つかった祭祀具は郡衙を超える役所の存在ではないか。
前岡学芸委員
P1260023_3 学芸員講座では、判読できた木簡のなかで郡の域を越えた記述があるのは1点だけで、ほかは直接郡内の郷や里の地名や郡司の職名が書かれていること、銅鏡や釉薬を使った香炉など立派で優雅な生活が伺われるが、国府跡ではなく郡衙であったと判断するのが妥当ではないかということでした。

一年前の「但馬国府の謎を探る」というテーマで館長講座を拝聴しました。
私の住む国府地区では国府に関係する地名が数々残っていますが遺構や遺物はとくに発見されず、804年に移転前の但馬国府の謎は深まるばかりです。
但馬国府国分寺館の企画展は2月26日まで行われていて、私もその恩恵に浴しましたが65歳以上の方は半額で入場することが出来ます。
 

2013年1月25日 (金)

国府駅物語 Ⅲ

山陰本線京都・下関間が開通したのは、桃観トンネル余部鉄橋が完成した明治45年ですが、その3年前の明治42年に江原駅が建設されていて、開業100年のお祝いも2009年に行われました。

この江原駅新設に関してはいろいろ紆余曲折があり、八鹿-豊岡間17.2kmの中間点を原則として考えられた。その場所は松岡、土居にかけての地点が該当したが、この付近の住民は円山川の舟運に頼っていた者が多く、農民は零細な小作が主であって、「わらじ」を作って舟の関係者や旅人に売って生計を営んでいる面もあり、鉄道がつけられれば失業するとして反対した。
次の候補になった府市場、府中新も鉄道が敷設されると・・・
①住民が夜逃げする
②泥棒が侵入する足場を与える
③煤煙により桑の木が害を受ける
④青年が堕落する
などの理由をあげ、国府村会もこれを受けて駅の設置を拒否する決議をしたためにこの案もながれた。
<日高町老人クラブ 「日高のむかしばなし」より>


これはあり得る話しとして聞いたことがありますが、国府新駅建設の「停車場設置請願書」を逓信大臣に提出したのが明治41年、江原駅開業の前年にあたります。
もしほんとうなら駅建設はずっと前から検討されていたとはいえ、国府村民に先を見る眼がなかったことになります。
「もし・たら・れば」が許されるなら、その時国府地区内に今の江原駅が設置されていたら、町の形成や繁栄は大きく違っていたでしょう。
 

2013年1月24日 (木)

国府駅物語 Ⅱ

人や物が行き交うには水路や道路・鉄道など交通が欠かせません。
円山川の水運や未整備の県道を行き来する馬車に頼っていたのが、鉄道が明治41年に和田山八鹿間、翌年には城崎まで延伸されました。
国府駅は40年に及ぶ国府村民の請願活動によって、昭和23年10月13日開通式が挙行されました。
駅設置に際し国府村側から、次の二点が申し出されています。
①駅敷地は全部無償をもって寄付すること。
②敷地の土盛費及び建築費等全額地元負担とする。
       国府駅 旧駅舎
  Scn_0001_3 
土地代と建設費用は、国府13部落が新駅への距離(利便性)や戸数・経済力をもとに幾多の利害調整によって決定され、人夫も割り当てされました。
(総工費 262万1千631円)
この駅から2番目に遠い上郷区でも負担金約16万5千円を、気多神社参道の樹齢3百年から6百年の松並木51本を17万8百円で売却して捻出したという記録が気多神社誌に残っています。

『気多神社の松畷の松樹数百年の老松を伐採に着手し、氏神の象徴として但馬にも珍しき崇厳なるものにして、当村に生を得たる者は勿論、通行の者も杖を止める位の品位を有し当村唯一の誇りたらん老松も今日限り姿を没するは実に氏子として、又当村を担当する区長として誠に遺憾至極の次第にして後年の村人の多くは叱責さるることは深く覚悟はしましたが、国府駅設置は全額地元負担にして、遠き将来を勘案する当村としては立地条件として賛成し難きが、国府村政上、上郷橋を県道編入と云う交換条件には坑するを得ず、然し村民は今一戸約弐千円の負担は事実上出来難く万難を排して責任を一身に負いて惜しみて尚余りある之の老松に村の救助を仰ぐ以外に策なく決行す。
後年の氏子諸賢の清鑑を仰ぐ次第であります。(昭和23年度駐在員総代 区長)』 


ここには全村一致の運動であったとはいえ、経費の負担となると駅から遠く利便性が低下した部落の心情や交換条件などの駆け引きも読み取れます。
上郷部落だけでなく新駅建設は決まったものの、費用全額負担は当時の村民にとって過大なもので相当苦労したことがわかります。

府市場部落の割り当ては約21万円、昭和23年といえば敗戦直後、物も金もない時期に巨額の負担金をどのように捻出したのか会議議事録などから調べてみるつもりです。
 
 

2013年1月23日 (水)

国府駅物語 Ⅰ

伊佐屋のある府市場から一番近い駅は、1.5km離れた山陰線国府(こくふ)駅で、徒歩で17~18分です。
国府とは、令制時代に置かれた国の国司が政務を執る国の役所が置かれた都市で、ほかに国分寺・国分尼寺などが設置され文字通り中心部であったところとされます。
はるけき昔但馬国府の中心部であったとされるところからこの名が付けられたものです。

60余ヶ国を数える律令国にあるJRの駅で、国府駅と名付けられたのはこの駅で、他は飛騨国府駅のように旧国名を付けて呼ばれます。
通学自転車が並ぶ駅前      列車時刻表
20130119_105933 20130119_110042
駅でのすれ違い
20130119_111206_2隣の豊岡駅まで一駅でしたが、高校時代に3年間通った駅も車社会の今では学生中心の利用と変わり、昭和45年に玄武洞駅・餘部駅とともに無人化され、その後駅舎も取り壊されました。
先日久しぶりに国府駅から城崎温泉駅まで利用しましたが、この駅を巡る昔物語を調べてみました。
(参考図書:国府村史下巻、上石物語、日高辞典ほか)
 

 

2013年1月21日 (月)

お年玉付き年賀ハガキ

20日はお年玉付き年賀ハガキの抽選日でした。

Conv0001_2 朝刊で確認したら、4等のお年玉切手シートが8枚当たっていました。
下二桁29と70のなので、100本に2本の確率となります。
我が家に届いた年賀状は約300枚なので、こんなものでしょうか。
一度だけ3等のふるさと小包が当たって、北海道産のラム肉をもらったことがあります。
宝くじは10本に1本の当たりで率は高いのですが、切手シートは130円分あるのでお得感があります。
因みに1等は100万本に1本の確率だそうです。

番号の確認は 
         

郵便年賀.JP http://yubin-nenga.jp/otoshidama/number.html

書き損じや余ったハガキは当選番号を確認してから、手数料5円を払ってハガキか切手に換えててもらうことにしています。
 

 

2013年1月20日 (日)

愛宕講 2012

20日土曜日は隣保の愛宕講です。
本来は1月23日に場所も公民館で行われていましたが、新年会も兼ねるので20数年前から土曜か日曜に、場所も町内の料理屋でのおよばれに変わりました。
まずは手辺(府市場西部)の橋上組(現在の1と2隣保)の新年行事として、火除けの掛け軸を飾り「愛宕神社火災防護攸」のお札を納めた厨子にお参りします。

「愛宕講の歴史と由来」は 伊佐屋三木のblogをどうぞ
http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-aa8a.html
伊勢講由来の厨子    火伏せの掛け軸
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厨子が新調されたのが82数年前の昭和6年、掛け軸ときたらさらに古い大正初期のもの
らしく、汚れや破れがひどいので、代表が京都の総本宮「京都 愛宕神社」にお参りして、「愛宕大神」の軸をいただいてくることに決まりました。
 

2013年1月17日 (木)

庭の草花 1301編

我が家の一番花はこの花です。
ロウバイ
P1170187_2 蝋梅と書き、形が似ているところから名は梅と付きますが別の種類だそうです。
葉は花が咲く前に落ちてしまい、梅に似たよい香りがして、花のあとにおもしろい形の実がつきます。
冬枯れの時期かつ霜や雪にも負けずに一番早く花をつけるので大切にしている庭木です。
寒さに震えながら花を咲かせる姿は、雪国の私たちを励ましてくれます。
アブチロン
P1170001_2熱帯や亜熱帯原産の半つる性花木ですが、かなり耐寒性が強い植物です。
関東以西の地域では戸外で冬越しできると聞き、玄関前に地植えしましたが、何とか頑張っています。

 

2013年1月16日 (水)

初春の和気アルプス

本場アルプスに因んで北・中央・南アルプスが有名ですが、地方にも○○アルプスがあちこちにあります。
兵庫県では須磨アルプス・小野アルプス、お隣の岡山県では和気町の和気アルプスが知られています。
登山口               Cコース5.3km 4.5時間
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和気駅近くの曽根にある最上稲荷から和気富士→観音山→岩山→前の峰→間の峰→穂高山→涸沢峰→ジャンダルムなど悪のり気味に北アルプスに因んだ峰々があり、最高峰である神の上山(370m)まで続きます。(槍ヶ峰もあるそうです)
        和気富士山頂
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和気市街              金剛川・吉井川の合流点
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観音山・和文字焼き火台     岩場の尾根
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岩山                穂高山
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涸沢峰                ジャンダルム(立ちはだかる大岩)
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途中竜王山分岐から竜王山に登って、由加神社へ下る道もあります。
低山ながらも岩場が多く、尾根道をアップダウンしながらの山歩きは楽しいものです。
南に向いて馬蹄形に峰々が展開し、東を流れる吉井川と南に流れる支流金剛川と流域に広がる和気の町並みが随所から見渡せます。
この日のお天気は晴れ風もなく北側は霜柱が立って寒く感じられますが、太陽を浴びると暖かくなります。
2月中旬までは狩猟期間中とのことで、蛍光色の目立つパーカーを着用してます。
神の上山山頂            岡山空港へ降りるジェット機
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         鷲の巣岩(白岩様)
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ロッククライミング 練習コース
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最近人気が出て登山姿のグループや団体を見かけるそうですが、この日出会ったのは玉野市の住人Aさんだけでした。
会社の健診で数値が悪く運動を勧められたのがきっかけで、岡山県内の山を中心に一人歩きしている由。
今日は夜勤明けといいながら45歳、どんどん先に進む体力についていけませんでしが、神の上山から下山するまでご一緒しました。
ともかく見晴らしがよい山なので他に人影もなく、今日の和気アルプスの人口密度は2.0人で間違いないでしょう。
   

2013年1月15日 (火)

石場つき唄 ヨイトマケ

BSの高倉健さんの映画で年越ししているとき、ちょっと切り替えたNHK紅白に美輪明宏が登場し、「ヨイトマケの歌」を熱唱していました。
いつもの女装ではなく黒ずくめの男らしい衣装で、堂々と歌い上げるのを見て感動を覚えた方もあるでしょう。
各種リサーチでも紅白で一番印象に残った歌手としてトップに挙げられています。
77歳での初出場、デビュー60年での初出場も史上記録で、視聴率は45.4%に達したといいます。
歌詞にあるように「ヨイトマケ」は、働く土方・貧しい土方の石場つき唄だったのです。

むかし民家の基礎は地面を搗き固めて自然石を据え、その上に柱を建てる構造でした。
しっかり搗き固めないと将来沈下することになるので、大事な作業でした。
小学生の頃近くの家が改築されるのに伴い、「石場搗(つ)き」が行われているのを見た覚えがあります。
櫓の真ん中の太い丸太を大勢の大人が綱を引いて滑車で持ち上げ、ゆるめて丸太を落とすことで地固めをします。
(母ちゃんは働いていませんでしたが・・・・)
大人数の作業なので、動作を揃えるためのかけ声があったはずですが、定かではありません。
(新温泉町久谷の端午の節句行事「菖蒲綱引き」には、石場つき唄が歌われます。)
結婚して初めて買ったステレオの初レコードの中に、この歌が入っていて繰り返し聞いて今でも空で歌えます。

60年前にヒットした歌が若者たちに感動を生み評価されたことは、いつもと違う衣装で迫力充分に歌う美輪のりりしい姿と、貧しい少年の成長物語の歌詞が心地よかったからでしょうか?
子どもの頃の思い出と結婚したての頃の思い出双方が入り交じった印象的な歌です。
  

2013年1月11日 (金)

体罰を考える

大阪市立高校のバスケット部キャプテンが、顧問教師からの体罰を苦に自殺する事件が問題になっています。
私も中学校から野球部に所属していましたが、体罰はもちろん上級生からのしごきを受けたり、下級生をしごいたことはありません。
強豪校や強化部でもなかったので、実にのびのび部活を楽しませてもらいました。

但馬Uターン後ソフトボールの審判の資格を取り、今度はお世話をする側として女子中高校生や社会人のゲーム審判を20数年間に渡って担当してきました。
その中で中学生における顧問の指導を見聞きするにつけ、疑問を持つことが多々ありました。
小学生の頃に球技経験がない女子に対して、ルールから初歩的技術を教えてそれなりな形にしてゲームに漕ぎ着けることの難しさは理解できないことはありませんが、公式ゲームで感情をむき出しにした指導を見ると、子どもがかわいそうになります。
生徒の感情や技能を考えることなく勝つことに執着し、子どものプレーを逐一非難する教師。
その教師を絶対的存在として、顔色をうかがいながら一生懸命に期待に応えようとする生徒。
そこには練習や試合を通じて体力や技能を向上させ、仲間とともに楽しみながら自身を成長させる視点はあまり感じられません。
体罰を引き起こすまでにはなりませんが、進学後、「もうソフトボールはいや!」といって別の部活を選ぶ気持になるのはよくわかります。

もと巨人軍投手の桑田真澄氏の体罰否定のコメントがマスコミに紹介されました。
『「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。「子どもの自立を妨げ、成長の芽を摘みかねない」。「今はコミュニケーションを大事にした新たな指導法が研究され、多くの本で紹介もされています。子どもが10人いれば、10通りの指導法があっていい。「この子にはどういう声かけをしたら、伸びるか」。時間はかかるかもしれないけど、そう考えた教え方が技術を伸ばせるんです。』

顧問の教師に対し、「熱意がある」「鍛えて強くしてくれる」などの肯定的評価もあります。
今回の体罰は学校による部活のあり方、生徒と教師との関係を考えさせるものになりました。
過去に被害例もあり訴えもなされていながら顧問教師による暴走を止められなかった学校の管理体制・教育委員会の対応など問題点が挙げられています。
大津のいじめ事件でもそうですが、追い込まれた生徒が取らざるを得なかったのが自ら死を選ぶことだったのは痛ましいことです。
それがなければ原因究明・実態調査から対策へと進まないのは、死亡事故があって標識や信号が設置されることに似ているような気がします。
もしそれがなければ被害は続いていたのでしょう。

死を持って訴える生徒に対し、学校や教委の対応のお粗末さを見聞きすると、首長を始めとする行政権力の口出しや介入も否定できなくなります。
教育に政治権力や軍が介入し悲惨な結果を招いた反省から、教育行政の民主化や他の行政からの独立させた本来的意味に立ち返り、教育現場と連携して子どもが犠牲にならない確かな教育行政を期待したいものです。
 

2013年1月 7日 (月)

不幸な遭難 明神山

我々と同じ5日10時頃に登ったお祖父さんと孫の遭難記事が翌6日のラジオテレビ、今朝の新聞で報道されました。
地元神種地区の方で山頂のお賽銭を回収する目的で登り、下る途中転落したとのこと。
(山頂のお社に賽銭入れがありました)
翌朝の捜索で小2の娘さんは助かりましたが老人は亡くなっていました。
我々は農業公園「夢やかた」から健脚者おすすめのCコースを登り、Aコースを下りましたが、もっと東側に神種地区からの明神池近くを通るD・Eのコースがあり、帰りに道に迷ったこともあってEコースを下山中に転落したようです。
コース案内板         D・Eコースは要注意
Pc200060_5 Pc200142_4   
初めての山の崖下でマイナス3度近く下がった夜を、動かなくなったお祖父さんの側で明かした小2の娘さんの気持ちを思うと、同じ日に登っていたものとして痛ましい限りです。
よく頑張りました!!

翌朝の捜索で遭難場所を確定できたのは、お祖父さんが持っていた携帯を使って連絡を取ったことによるものです。
随所に通話可能の表示
Pc200055 たまたま明神山は携帯大手3社の通話が可能な場所だったからで、このことで携帯過信は危険だと思います。
町中にある山を除き多くが通話不能で、可能な山でも山頂や尾根筋を除き谷や鞍部に入ると通話できないのが普通です。
それと登山中携帯の電源を入れたままにしておくとバッテリーの消耗を招き、緊急時に使えないことも考えられます。
F1Bのメンバーの中でも、携帯の効果を評価する人もいますが、携帯の機能と限界を知って、山での使い方を学んで欲しいと思います。

「孤独行」が多い私が必ず持っていくものは、予備バッテリー込みの携帯と方位磁石・ヘッドランプ・笛・蛍光色のタオル・エマージェンシーシート・カロリーメイトです。
それとハイキング保険の加入と更新は欠かしません。
(もっとよい安全対策は一人で登らないことの声もありますが・・・)

本来山歩きは事前に資料を確認・下見をしたり、天候や時間を的確に判断すれば安全なものなので、今回の痛ましい遭難から学ぶことも大切ですね。
 

2013年1月 5日 (土)

チームF1B 初登り 明神山

ランニングに特化していた「チームF1B」も、もう一つの柱として山歩きを加えることにし、ヘッドコーチに植村直己さんの甥で山岳部出身のUさん、監督は高齢ながらも私が務めています。
お天気もまずまずの5日土曜日、初登りとして「夢前の播磨富士」と呼ばれ展望のよい明神山に出かけました。
登山口である農業公園駐車場は10時前には20数台の車が止まっていました。
前回の下見を踏まえ、この日はCコースを登りAコースを下る岩峰の尾根歩きを選びました。
登山口のコース案内板   健脚おすすめコースC→A
Pc200060_7 Pc200142_5 
   いきなり岩場がお出迎え
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      少し怖い巨岩の尾根歩き
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落石注意の看板      八丁坂
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最後の急坂             山頂668m
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明石大橋・淡路島方面      家島・小豆島方向 
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雪を頂く西播の山々        氷ノ山の白帽子
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山頂でおにぎりとカップラーメン、食後のコーヒーをいただきながら山頂の眺めを満喫しました。
ご覧のようにお天気も上々、山頂には山座同定の写真も設置されていて、明神山を登るのは始めてのメンバー6人は眺めに見入っていました。
           Aコースの下り
P1050153 P1050161
下りのAコースはCコースほどではないにしろ、マンモスの背・大黒岩など岩場の尾根歩きが続きます。
慣れない岩場と急坂で、ハーフやフルマラソンを走る強者達も少しお疲れのようでした。

岩谷池からの明神山       反省会
P1050181_2 P1050188_2
帰りは延伸なった北近畿豊岡自動車道を八鹿氷ノ山インターまで走り、天女の湯で汗を流し、なごみの部屋の反省会で締めました。


2013年1月 4日 (金)

2013 初雪

穏やかな元旦と2日でしたが、3日からは冬型が強まり4日朝には10cm程度の積雪です。
自宅付近の積雪        西側は雪雲
20130104_083400  20130104_084621
上郷橋               ご機嫌なハル
20130104_084640 20130104_084838
暮れから帰っていた孫達も、1日と2日嫁ぎ先の実家へと帰って行きました。
 

2013年1月 1日 (火)

2013 新年のご挨拶

新年のご挨拶(香美町兎和野高原スノーシューウオーク)
   Scn_0001_6

元旦の晴天は思わぬ贈り物でした。
これなら初日の出も見られたかも知れません。

元旦は3家族揃っておせちをいただき、氏神様
とお墓のご先祖様にお参りしてきました。

 
   
 

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