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愛犬ハル

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    16年我が家の家族として、楽しませてくれた「晋平」が2005年 3月息を引き取りました。 代わりに今度は女の子を購入しましたが、恐がりで人になつか ないのが困りものです。 春に来たからハルと名付けましたが、血統書付きで本名は 「文美姫号」です。

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2012年2月

2012年2月29日 (水)

閏年 閏月 閏日 閏秒

今日は4年に一度の閏年の閏月の閏日です。
閏日とは・・
 4年に1度(ただし400年に97日)の閏年には、2月28日の翌日
に閏日として29日が入ります。これは、1年の日数が365日で
はなく365.2422日なので、そのずれを調整する為です。西暦の
年が100で割り切れ、かつ、400で割りきれない年は閏日え、を
入れない平年になります。(かわうそ@暦より)

わたしの感覚では2月が一日多いのとオリンピックが開催され
るのと我が母校府中小中学校の同窓会が開催される年です。
不定期に開催されていたのが、いつの頃から覚えやすい閏年
開催が決まりました
おまけに豊岡高校18期(s41年卒)の同窓会も予定されてい
ます。
50歳を過ぎると後を振り返る気分になるので、このくらいのペ
ースがちょうどよくなりました。

また、3年半ぶりに「閏秒」が設けられ、日本時間で7月1日の
午前8時59分59秒の後に、普段使わない「60秒」として挿入
されると聞きます。
これもコンピューター内部の時計が誤作動する恐れがあり、経
済を始め生活に影響を与えるので、廃止の方向のようです。
地球と太陽の動きに基づいて決められてきた時刻が、単純に
割り切れないことから生まれた制度もコンピュータに支配され
た社会の都合にはかなわないというこれまた「割り切れない」
お話しです。

 

2012年2月27日 (月)

冬の夜

冬の歌にはいろいろありますが、雪国但馬で育って印象に残
る唱歌があります。

 燈火ちかく衣縫ふ母は
  春の遊びの楽しさ語る
   居並ぶ子どもは指を折りつつ
  日数かぞへて喜び勇む
   囲炉裏火はとろとろ
  外は吹雪

♪  囲炉裏の端に繩なふ父は
  過ぎしい昔の思い出語る
     居並ぶ子供は ねむさを忘れて
  耳を傾け こぶしを握る
   囲炉裏火はとろとろ
  外は吹雪


私が子どもの頃にはさすがに囲炉裏はなく、掘りごたつに炭
や練炭を入れて暖をとっていました。
庭に面した西側には父が、台所が近い南には母が陣取り、
子ども4人が残る2面を分け合っていました。
テレビはもちろん当初はラジオさえ無かった頃、冬の夜は特
に長く感じられたものです。
父と母の間には長火鉢がおかれていて、お湯を沸かしたり、
かき餅や干し芋・酒糟などを焼いて食べながら、父から昔話
や作り話を聞くのが楽しみでした。

我が家は祖母が16年に、祖父は私が生まれた22年に亡くな
ったので、年寄りの昔話や知恵や技を教わることはありませ
んでした。
真正但馬弁が身につかなかったのは、祖父母の影響がない
のと母が県外出身なのが原因でしょう。

ところで、明治末に作られたこの歌の2番、「過ぎし昔の思い
出語る」は、もとは「過ぎし戦(いくさ)の手柄を語る」の歌詞
だったそうです。
父の勇ましい手柄話に「こぶしを握る」のもわかりますね。

青島・開封・済南を拠点にしていた商社に勤務していて、兄
と弟を日中戦争で失い自身も現地召集され敗戦を迎えた父
は、戦の話しをしたり、兄弟が命と引き替えにもらったような
数ある勲章類を見せることはありませんでした。
敗戦前でしたが、その中国から幼子を連れて引き揚げてき
た母も「過ぎし戦」のことは、ほとんど話しませんでした。
ちょっと脱線気味ですが、冬の夜に因んだ家族団欒を地で
いくような昔話です。
 
 

2012年2月26日 (日)

雪下の菜園

豊岡市の大雪情報は結構有名で、先日岐阜に行ったとき親戚
の皆から心配してもらいました。
関西圏ならテレビなどで知られているのもわかるけど、中部圏
でも報道されているようです。

一週間経って、気温の上昇と雨で一気に雪解けが進みました。
積もるのも早いけど、解けるのもまた早いのに驚きます。
道の両側や日陰に残雪があるくらいですが、マイ菜園は未だ
雪の中、タラの木やグミ・ナツメの木だけが目立ちますが、大
根も白菜もキャベツも雪の中で、「発掘」を手がける勇気もなく
冬野菜の在庫がいよいよ底をつきました。
P2260101 P2260103
例年の農作業日記を見ると、この時期はスコップでの天地返し
やタマネギどの追肥をし、イチゴのマルチかけやエンドウの支
柱にする竹切りもしていました。
各地の梅の便りが二週間程度遅れていると聞きますが、春野
菜の収穫もこのぶんでは遅れそうです。
 

2012年2月25日 (土)

丹生山・帝釈山

雪に埋もれていたのと、この時期ならではのスノシューウオークや
クロカンスキーを楽しんでいたので、久しぶりの山歩きは裏六甲の
丹生山と帝釈山縦走にした。
思いついたのも急なので、相変わらずの一人、これを単独行なら
ぬ「孤独行」と呼ぶ人もいる。
(違いは意識してそうしているかどうかだろう)
有料道路を箕谷で降りて、三木市方向へ県道を西に戻り、丹生神
社の鳥居を通り過ぎ、サイクリングセンター横の義経道から登り始
める。
左ピークが丹生山         登山口
P2240095 P2240001
さほどの傾斜もない自然林を進むと途中、山頂にあった明要寺の
坊さんの墓があるが、それを過ぎると尾根道にでる。
麓にある丹生神社の鳥居からの参道と合流している。
表参道となる尾根道        ヤブ椿と竹のトンネル        
P2240014 P2240018
丹生山(515m)には丹生城跡があり、山頂には丹生神社が置かれ
ている。
山頂                   丹生神社               
P2240023 P2240022
山頂の見晴らしは辛うじて南方向が僅か開いているくらいで、小休
憩のあと帝釈山(586m)へ尾根づたいの縦走を開始する。
縦走路標識              走る青年、あえぐ中高年
P2240092 P2240056
「太陽と緑の道」「丹生山系縦走路」とあり、標識も丁寧に設置され
快適な尾根歩きのあとの最後の登りで帝釈山頂に到着。
結構広い山頂            アリバイ写真(少し太った?)
P2240068 P2240082
ここは南西から南東が開いていて瀬戸内海・明石大橋・須磨アルプ
ス摩耶山までが見渡せる。
P2240065_3 P2240064_2
出かける時には雲りでも、予報通り昼前から晴天が広がり瀬戸内
の海が光り輝いて見える。
丹生山までが1時間、帝釈山へ40分、暑いくらいの山頂で昼食を済
ませ、もと来た道をサイクリングセンターまで下山。
昨日までは雨模様の天気が続いていたとのことで、今日の山行で
会ったのはトレールランニングの青年一人なので、本日の丹生山
と帝釈山の人口密度は2.0人となる。
ふるさと兵庫50山登頂はこれで48山、残りは竜ヶ岳と能勢妙見山
で、やっと、「一向聴(イーシャンテン)」となった。
 

2012年2月22日 (水)

フォーラム 但馬の民俗芸能の保存・伝承

「フォーラム 但馬の民俗芸能の保存・伝承を考える」に参加し
てきました。
     Scn_0003_4
テーマは「暮らしに生きる伝統行事」‐茅の輪くぐりなど‐
講師は豊岡市 女代神社 坪内久貴宮司
坪内さんの講演で、女代神社の「茅(ち)の輪ぐぐり」と雷神社
の「御田植祭」の様子がスライドをまじえて紹介されました。

P2180001_5 女代神社の茅の輪くぐりは、知ら
ずうちに犯したおこないやよくない
心など心身の病や不安や災いを
取り除く神事。
夏越の大祓の日(6月下旬)に、チ
ガヤで作られた輪を「茅の輪くぐり
の歌」を歌って、左回り右回り最後
に左回りと3回くぐります。
廃れていた行事を5年前に輪づくりも含めて復活されました。

雷神社の「御田植蔡」は毎年5月1日に奉納される春の例祭。
氏子が「イズミザクラ」の枝を持ち、円陣を作る中、牛使い役が
輪の中で田すきを持って土をならす動作を行います。
その後全員で唄を歌いながらイズミザクラの葉を投げこみます。
そして大・中・小の水田3カ所で同じ動作を繰り返します。
この時の歌は「とんとんとんぎす、おんのが咲いて、おんぼはと
るな(中略)三葉が咲いて四葉になりて・・・・・・」で「野花を大切
にすれば、三ツ葉が咲いて四つ葉になり、豊かな大地になる」
との意味だそうです。


後半は、「但馬民俗芸能応援隊」による「おまつり探検の足跡」
として、出石町宮内の「幟まわし」、旧八鹿町九鹿の「ざんざか
踊り」、旧養父町奥米地の「ネッテイ相撲」がビデオ上映されま
した。
但馬各地には踊りも含めて廃れたものもありますが、「民俗行
事」が数多く残っていて、マスコミなどの一時的な取り上げにお
もねることなく粛々と続けられているものが少なくありません。
但馬検定を通じて学んだものの、どれも見学したことがなく、
行事の形もさることながら、それが持つ意味や地域のこだわ
りなど現地に足を運び、学ぶことの大切さを痛感しました。
 

2012年2月21日 (火)

昭和59年冬

28年前の昭和58・59の2月、植村直己さんがアラスカのマッキンリ
ー(6,194m)で消息を絶ちました。
「はい、植村です。ただ今約2万フィートです。昨日の夕方、昨日の
午後6時50分に登頂して、今下山中です」最後の交信記録でした。

大阪からUターンした年でもあり、よく覚えています。
直己さんは隣村上郷出身で、当然のことながら幼・小・中は同じで
豊岡高校の先輩でもあります。
この年、国民栄誉賞を受賞しました。

生地上郷の頼光寺にあるお墓には、「乾坤院直心不撓居士」の
が文字が刻まれていて、乾坤・不撓が彼の生き様を表しています。

2012年2月20日 (月)

28年ぶり

前夜からの寒波で豊岡市は19日(土)に積雪1mになりました。
会合があった豊岡市駅前アイティまで、圧雪道に難儀しました。
兵庫北部気象測定ポイントは、豊岡市桜町旧測候所跡地と兎和
野高原野外教育センター駐車場にあり、積雪量が発表されます。
豊岡駅前              市街地
P2180004 P2180003
「28年ぶりの豪雪」と言われますが、昭和59年は家族とともにUタ
ーンした年でしたが、クリスマスイブから降り続いた雪は、解ける
ことなく2月にピークを迎えました。
当時とは違い交通や物流の車依存は年々強まり、積雪による混
乱や事故が多発しています。

あれから28年、雪道に転んだ妻も転ばなくなり、雪遊びを楽しんだ
娘たちも雪国から巣立っていきました。
 

2012年2月18日 (土)

春なお遠し

第16回植村直己冒険賞に77歳の斉藤実さんが決まりました。
今も夢を持ち続け、夢に向かって努力し、信念を持って前に進
む姿勢には頭が下がります。
植村直己さんの幼少期は「牛飼いっ子」で、上郷の生家には碑
があって、「牛おいし 里に帰って 名は永遠に ここに生きる」 
(西堀栄三郎) と記されています。

この時期ブログ仲間の記事を見ても、お天気つまり雪の話題が
中心を占めます。
なるべく触れないようにしたいのですが、再び寒波の襲来を受け
大雪警報発令中です。
昨日までは畑や屋根に30センチ程度の積雪はあるものの、やっ
と主要道路の通行が難なくできるようになりました。
ファーマーズマーケット(農家直売所)の店長が「雪で野菜を出す
農家が減っただけでなく、掘り出せないので買いに来る農家もあ
る」と苦笑していました。
一方昨日まで10km~30km南の養父市・朝来市の市内はまる
で雪がなく、びっくりしたものでした。

でも今回の寒波による雪で、北部同様但馬南部も大雪警報が
発令されました。
今朝の報道では豊岡市内の積雪98cm兎和野高原198cmです
が、但馬の真中に位置する我が家は50cmくらいでしょう。
冬のこの時期、「兵庫県北部」と一括りにされるほど単純でない
ことがわかります。
自宅周り また埋もれてしまいました
P2180064_2  P2180062
小学校卒業の時、お世話になった先生に色紙に書いてもらった
言葉を思い出します。
「冬来たりなば、春遠からじ」でも春はまだ先で、寒くて冷たい
冬をじっと耐えて、やがてくる春を待つ但馬牛のような粘り強い
特性は私には備わっていないようです。
 

2012年2月14日 (火)

但馬牛の涙

高校・大学の後輩で、豊岡市旧神美村出身のKNさんが4年前に寄せてくれた一文「但馬牛の涙」を紹介します。

但馬の家々では、昭和40年代半ばまで、全て牛を飼っていた。但馬牛の産地である。ここで生まれた牛が、近江で、松坂で、神戸三田で肥育され、その土地の名前を冠したブランド肉になるのである。

 但馬牛の産地を見ると、僕は思い出すことがある。
当時、我が家をはじめこの地方で飼っていた牛は、農耕牛である。鋤きを引かせ、鋤いた土を細分化する車を引かせ、大八車を引かせる。綱一つで自由に牛を操る父の腕は見事だった。
 もう一つ大きな役割は子牛取りである。メス牛を飼い、子を産ませ、売って貴重な現金収入にするのである。春に人工授精させ、農作業のない冬に子を産ませる。半年少々育て、秋口に出荷し、セリにかけるのである。メスの子牛のほうが、次に子を産ませられるので当然高い。どちらが生まれるのかは農家にとって大きな関心事だ。

  夏休みに入ると、早朝、母牛を連れ出し、野の草を食わせる。これが農家の子供の仕事になる。但馬の農家の子は、「牛飼いっ子」と呼ばれていた。この仕事には、飼料の節約、健康管理の運動の他にもう一つ役割がある。
 それは、母牛を外に連れ出しているうちに、子牛を連れ出して売りに出すのである。母牛のいるときにはとてもそんなことはできないから。
 母牛も毎年同じことを繰り返している。ふと予感がよぎるのであろう。僕が草を食わせていると、当然、食うのを止め、きびすを返して、いや、ひづめを返して、家に向かって一目散に駆け帰るのである。子供の力ではとてもかなわないスピードで引っ張られる。そして家に帰り、牛小屋 
(注参照) に入って、子牛がいるのを見ると安心するのである。明日も、その次の日も、そのまた次の日も同じ繰り返しである。

  そしてある日、家に帰ると子牛がいない。
母牛は、狭い牛小屋の中に、子牛が隠れていないか、探すのである。四隅をくんくん嗅ぎ回って。敷き藁をひっくり返して。あんな体が隠れようもないのに。
 いくら探してもいないとわかったとき、鳴き始める。小屋の出口に立ち、連れて行かれたと思われる道のある方向を向いて。
 初めは、「もぉぉーっ」と。二日目には「めぇぇーっ」と。そして三日目には声が枯れて、「ひぃーっ」としか声が出なくなる。それでも泣き続ける。涙を流しながら。

  子牛は、当時の金で五万円程度で売れた。親は、そのお金を貯めて、僕を大学に出してくれた。
だから、僕の体の何分の一かは、牛の涙でできている。

 父が死んだときも、母が死んだときも、僕はまともに涙を流さなかった。
今まで声が枯れるほど泣いたこともない。
ひょっとすると、僕の人の情は、牛よりはるかに劣るのかも知れない。

(注) 「小屋」と書いたが、家の中にある。農家は、農作業をするため、家の半分は土間である。雪深い地域で、牛の世話をする関係上、土間の一部に仕切りを作り、牛と共に住むのである。残飯をやり、藁や干し草を与え、毎日世話をする。
 牛小屋の中央部には傾斜と貯留槽を作り、屎尿が溜まるようにする。糞は敷き藁と共に固まるので、定期的に外に出して高く積み、堆肥にする。
 家の中に牛がおり、その排泄物が溜まるのである。夏には当然のようにハエが大量に発生する。蠅取り紙に守られながら、真っ黒に集まるハエを手で追い払いながら、人間はご飯を食べたのである。 

先日マイブログで「小牛競り市」を紹介し、「ドナドナ」の歌を思いだし哀感を覚えたと書きました。
隣村出身の冒険家植村直己さんも
、「牛飼いっ子」で同じ経験をしたでしょう。
昔は牛も豚も鶏も三木家が飼っていた山羊もみんな家族だったし、生きものとの暮らし通じて命の大切さと感謝の気持ちを学んだのです。
 

2012年2月13日 (月)

伊佐屋三木のblog Vol. 5

2011年1月1日~12月31日までのblog記事をまとめた、
「伊佐屋三木のblog Vol. 5」ができました。
     P1000320_2 
339ページで14,801 円、印刷部数はたったの1部、世界
に一冊しかない貴重なものです。
1月1日の記事           12月31日の記事
P1000397 P1000400
北野 梅花蔡           奥穂紀行
P1000323 P1000312_2  
案外知られていませんが、「納本制度」というものがあっ
て、日本国内で頒布を目的として発行された出版物は、
原則として、すべて国の責任ある公的機関つまり国立国
会図書館などに納入することを発行者等に義務づけてい
ます。
個人の出版物も私家本や同人誌なども納本の対象とな
るそうですが、頒布目的の出版ではないのでこれに当た
りません。
こんなあほなことを考えながら、毎年一冊ずつ著作?が
増えていくのも悪い気がしませんね。
 

2012年2月12日 (日)

歩くスキーを体験してきました

この時期但馬は雪一色、今日も朝から降り出した雪で路
面凍結が心配されました。
兵庫県立兎和野高原野外研修センター主催のイベント「
挑戦!クロスカントリースキー」の体験報告です。
今日の兎和野高原野外研修センターのホームページの表
紙を我々が飾っています。

クロスカントリースキーとは別名「歩くスキー」、靴も軽量で
板もスチールエッジなし、細身で滑ることより雪上を歩く機
能が備わっています。
雪に埋もれるセンター玄関   募集チラシ
P1000356 Scn_0001_3
スノーシュー(西洋かんじき)とは少し違いますが、どちらも
誰も踏んでいない林や森の道を自在に通行でき、普段見
られない景色が体験できることです。
ゲレンデスキーを使っての滑走が冬のスポーツというイメ
ージですが、場所を問わない「歩き」を通じて、雪山の楽し
さが体験できることは共通しています。
  専用スキーと靴        まずは歩き方から
   P1000360_2        P1000368_2
午前中はスキーの装着や歩き方を中心にトレーニング、
お昼には暖かいまぜご飯と豚汁を食べながらの交流、
午後からはセンターをスタートして、雪道を通って林間に
入り、大きく回り込んでキャンプ場をめぐり、グリーン広場
で休憩し、道路沿いの道をセンターに帰る2時間のコース
です。
いざ林の中へ          少し慣れてきました
P1000386  P1000388
苦にならないほどの降雪でしたが、水気の多い新雪を踏
み、下りは滑りながら樹間を抜けていく心地よさはクロカ
ンスキーならではものでしょう。
神戸・鳥取・豊岡からの参加者はほとんど初心者、その
分和気藹々の雰囲気で、職員の方の親切かつ丁寧な指
導もあって楽しい一日を過ごすことができました。

雪は厄介者で迷惑なものには違いありませんが、開き直
って、雪国ならではのスポーツを楽しんでみましょう。
次のイベントは3月11日、「スノーシューで歩こう!」
snowsyu.pdfをダウンロード 、ただいま募集中です。
 

2012年2月11日 (土)

館長講座「但馬国府の謎を探る」

但馬国府・国分寺館では企画展「但馬国府と深田遺跡‐国
府の景観を探る‐」が開催されています。
P1000337_2 P1000334_2
今日それに合わせて、館長講座が開かれました。
テーマは「但馬国府の謎を探る」
1. はじめに
2.深田遺跡の調査
3.祢布ヶ森遺跡の調査
4.どうしてわかる役所跡
5.但馬国府の移転
6.源頼光
7.第1次国府はどこに

P1000327 P1000330
但馬国府は804年のに移転したと記録があり、移転後の
国府は、日高総合支所東側が中心とされています。
ここ祢布ヶ森遺跡と周辺の深田遺跡・川岸遺跡の出土品
をもとに、但馬国府との関係が説明されました。
各遺跡の出土品が但馬各地の地名がある木簡や墨書土
器、祭祀具が中心で生活用具がみられないことから役所
と推定されることなど興味深い内容でした。

後半の「第1次国府はどこに」では、金葉和歌集の「源頼光
が但馬守にてありける時、館の前にけた川といふ川のある
上より舟の下りけるを、蔀開くる侍してとはせければ、蓼と
申すものを刈りてまかるなり、と言ふを聞きて・」
記述から
「けた川」とは時代は江戸時代ではあるが、伊能忠敬の測
量記録に野々庄村から中筋付近が「気多川」とあること、国
府市場村権現に遺跡があり、付近から土器や銅銭が出土し
ていることなどから国司の館すなわち国衙跡が国府市場村
にあったとも推定できるとのお話しでした。

この時、頼光夫妻が国府館で口ずさんだという「朝まだき空
櫨(からろ)の音の聞こゆるは蓼刈る舟の過ぐるなりけり」

連歌から曹洞宗・頼光寺をはじめ、「殿屋敷」などの地名が
残っている上郷村が有力との説に対し、対岸東側の国府市
場説もそこに住むものとして興味深いものでした。

ところが、源頼光が国司だったのは1,000年~1,111年の
前との記録があることで、第1次但馬国府とは言えず、もう
一度移転したのか?という謎に突き当たります。

参加者は15名と多くはありませんでしたが、但馬国府を通
じて古代・中世にタイムリップした思いでした。
今後北近畿自動車道の予定地区の発掘調査もあることか
らこれらの謎の解明がより進むことを期待しています。
企画展「但馬国府と深田遺跡‐国府の景観を探る‐」は28日
まで開催されます。
 
 

2012年2月10日 (金)

マイブログに思うこと

ブログをやり出したのが 2007年4月、データを見ると・・・

利用可能なディスク総容量 : 2,000 MB
利用中のディスク容量   : 1,077.43 MB (53.87%)
記事数                           : 1,158件

開始から58ヶ月経っていて、月平均20件の投稿で2勤1休
のペースとなり、まだ40%以上の空きがありますね。
これだけ使って全く無料ですが、記事の下部に出るスポン
サー広告(Sponsored Link)が鬱陶しいので、262円/月払
って出ないようにしています。

ブログを提供しているところは、アメーバブログ、FC2ブロ
グ、ココログ、excite.ブログ、livedoor Blog、gooブログ、楽
天ブログなどいろいろあって、提供コンテンツ等に差があ
るようですが、所詮記事を書くのは自分なのでどこでも一
緒だと思います。

経営者仲間と「情報発信力の養成」を目的としてで始めた
ブログですが、発信力よりも持続力不足が気になります。
好きなことを好きに書いて、ストレス解消にもなりますが、
逆に溜めることになったりします。

FaceBookも一時期始めましたが、双方向の利点が自分
のペースに合いにくいところもあり、利用を止めています。
お金をもらっているわけではないし、著作権や肖像権など
の問題が出るほど影響力があるわけではないので、ぼけ
防止に役立ちそうなマイブログをこれからも気楽に続けて
いくつもりです。
 

2012年2月 9日 (木)

ドナドナの世界

「子牛市」で競りの順番を待つ間に子牛をブラッシングした
り、待機場所にあるモニターで価格の推移を懸命にチェッ
クしたりして肥育農家さんも忙しそうです。

子牛のセリが終わって体を撫でてもらって別れを告げ、追
い込み牛舎につれられて行くのを見かけた時、やはり感
傷的になってしまいました。
自分の境遇がわからないのか、鳴いたり抵抗する子牛は
ほとんどいませんでした。
救いはと殺場に行くのではなく、新しい飼い主に大切に肥
育されることです。
それも2年か3年までの執行猶予なのですが・・・・・・。

学生時代に聞き歌ったフォークソングの女王ジョーン・
バエズのドナドナを思い出しました。



<ドナドナ(Danna Danna)日本語訳 安井かずみ>

 ある晴れた 昼さがり いちばへ 続く道
 荷馬車が ゴトゴト 子牛を 乗せてゆく
 かわいい子牛 売られて行くよ
 悲しそうなひとみで 見ているよ
 ドナ ドナ ドナ ドナ 子牛を 乗せて
 ドナ ドナ ドナ ドナ 荷馬車が ゆれる

 青い空 そよぐ風 つばめが 飛びかう
 荷馬車が いちばへ 子牛を 乗せて行く
 もしもつばさが あったならば
 楽しい牧場に 帰れるものを
 ドナ ドナ ドナ ドナ 子牛を 乗せて
 ドナ ドナ ドナ ドナ 荷馬車が ゆれる

荷馬車に乗せられて市場へ売られていく子牛の描写が印
象的で、物悲しいメロディーと相まって脳裏に焼きついてい
ます。
私が畑で野菜を育てて食するが如く、農家にとって手塩に
かけた子牛を売ることは生活する術で、人間は生きものの
命をもらって生きているのですね。

2012年2月 8日 (水)

子牛競り市 見学記

JAの農産物直売所「たじまんま」さんの企画で「子牛競り市
」を、店長さんの案内で見学させていただきました。
場所は養父市大藪右岸道路沿いの「但馬家畜市場」、県下
では、淡路と但馬の2箇所しかなく、和牛最高峰但馬牛の子
牛を求めて近畿各地から購買者が集まります。
競り市会場           肥育農家のトラック
Img_3176 Img_3200_2
購買者には松阪牛として育てる三重県ナンバー、三田牛・
神戸牛のブランドを持つ神戸ナンバーが目立ちます。
三重ナンバー          神戸ナンバー
Img_3101 Img_3151_2 
競り落とした子牛をトラックで持ち帰り、牧場で2年~2年半
肥育してブランド牛に育てたり、雌は繁殖牛としても使われ
るそうで、大手は20頭近くを競り落とすといいます。

雪が絶え間なく降り続く早朝、但馬を中心に丹波・宍粟の肥
育農家によって子牛が持ち込まれます。
市は6月と8月を除く第2水曜日に開催され、この日は約240
頭の子牛が競りにかけられました。
正面電光掲示板        購買者席
Img_3133 Img_3126
雌の子牛             雄(去勢)の子牛
Img_3137 Img_3144
出番を待つ子牛と農家     待機中モニターで価格をチェック
Img_3123 Img_3198
競りといっても昔のように「競り太夫」と呼ばれる人が声をか
けるわけでもなく、マイクで発句値が提示され、登録された
購買者が押しボタンで応札し経過も含めて電光掲示板に表
示されます。
購買入札カードとスイッチ   72万9千円で落札
Img_3105 Img_3111
肥育農家から手渡された子牛が、正面に引き出され、落札
するまで約1分間、1時間で約50頭が競り落とされます。
そのためには耳線番号・日令や血統、生産者名などデータ
が記入された出場名簿が提供され、事前に待機場所で品定
めされているそうです。

競りが始まっていきなり雌牛に72万9千円の値がつきびっくり
しましたが、1月実績では雌42万8千円、雄(去勢)40万5千円
で、平均体重237kgkgで換算すると、1,750円/kgと記録されて
います。

子牛の日令は5月~6月生まれの平均270日(9ヶ月)が対象
で、顔や体にあどけなさが残っています。
この場で母親や育った家や飼い主から別れ、見知らぬ土地
へ連れられていくことを思うと、定めとはいえ少しかわいそう
な気がします。
落札の子牛との別れ      追い込み牛舎へ
Img_3149 Img_3160
購買者別の牛舎         トラックへ積み込み
Img_3162 Img_3172
役牛として農家で育てられていた但馬牛は、皮下脂肪は少
くやわらかな肉質を持っていて、血統を守りながら改良が重
ねられ、いまや但馬ビーフは和牛最高ランクとされています。
今回の子牛市を見学して、有名ブランドの松阪牛・神戸牛も
但馬牛がもととなっていることを再認識しました。
但馬に住みながらイマイチわからなかった但馬牛の血統・品
質管理や市場を通じた流通などいろいろ勉強させていただき
ました。

 

2012年2月 7日 (火)

豊岡市本庁舎曳家(ひきや)工事 最終日

庁舎新築に伴い現本庁舎は、免震対策を施した上で、市民
スペースや議会として活用することになりました。
基礎を切り離し下部を補強し、南側へ約25メートル移転する
曳家工事が今月2日に始まり、最終日の今日南庁舎の屋上
から見学してきました。
3,000トンを南へ25m移動  大勢の見学者
Img_3073_2 Img_3060 
新設の地中梁1,800トンと併せて約3,000トンを解体しない
で、水平移動させるべく、進行方向に向けて敷かれたレー
ル上の丸棒に乗せて、油圧ジャッキで押し出されます。
東端部              西端部
Img_3034 Img_3045
旧庁舎は北但大震災(1925年)の復興の象徴として、昭和
2~3年ごろ豊岡町役場として建てられ、その後3階部分が
増築されました。

昼前の移動距離は22.5m地点で、あいにくの雨模様でした
が、80数年慣れ親しんだ庁舎の伝統的建築の曳家の最終
日の大工事を見守っていました。
22.4m移動            渋キャラ玄さんがチェック
Img_3068 Img_3080
新庁舎完成予想図        見学会資料
P1010970_2  Scn_0001_2

裁判事件のニュースなどで、よく見る神戸地方裁判所は
旧建物の煉瓦づくりの外壁が再生保存されています。
ほぼ全周に渡って旧建物の外壁だけが取り込まれてい
ますが、ガラス壁の新築部分と違和感が感じられます。
今回の現本庁舎の移転活用にはいろいろ意見がありまし
たが、伝統建築を取り込んだ新庁舎は2013年3月の完成
見込みです。

2012年2月 5日 (日)

2012神鍋高原スノーシューウオーク

スノーシューとは、雪の上を楽に歩くための歩行具で、日本
古来の「かんじき」の西洋版です。
生まれはアメリカで、アップダウンを苦にせず雪上歩行が楽
しめ、冬期のアウトドアースポーツとして最近人気です。
昨年に続いて今年も参加して来ました。

集合場所の「道の駅神鍋高原」には、県下各地区から家族
連れなど30人が集まりました。
今回は江原駅から会場の「道の駅神鍋高原」まで、上限200
円バス
を往復利用しました。
万場・奥神鍋の積雪は3mながら、コースの神鍋中央付近は
積雪は1.9mとのこと。
募集パンフ          道の駅神鍋
Scn_0001    P1000220_2
さすがにマイスノーシューを持っている人は少なく、観光協会
からシューとストックを借りて、ガイドさんについて出発します。
表にベルトと裏に金具     装着完了
P1010782 P1000226
準備体操             さあ出発!
P1000225 P1000228
コースは温泉施設「ゆとろぎ」横からスキーゲレンデを通って
神鍋散策コースを噴火口まで登り、回り込んだ後、神鍋神社
から林間を降りる3時間のゆったりペースです。
風もなく薄日が差す絶好のお天気で、ガイドさんから樹木や
植物、神鍋火山の歴史の説明を受け、野ウサギの足跡を追
いながら新雪を踏み分けていく心地よさは病みつきになりそ
うです。
神鍋山頂到着          向こうは中央ゲレンデ           
P1000243 P1000248
シューの幅と長さがあるので、自分の足を踏んで転びそうに
なりながら、林間の下りでは傾斜をまっすぐに下る楽しさも体
感できます。
噴火口越しの絶景        林間の下り
P1000278 P1000284
3時間のウオークでエネルギー消費し、千円バイキングで補
充するという出入りの多い一日でしたが、参加賞のゆとろぎ
温泉の無料利用券で汗を流しほっこり暖まりました。
2月19日(日)も第3回が予定されていて、申し込み受付中で
す。
 

2012年2月 3日 (金)

節分 ムクロ打ち

幸い降雪もほとんどなく、凍結はあったものの冬型もゆる
んで、日が差す好天に変わりました。
我が家の前の道路       上郷橋から見る妙見の山並み
P1000180 P1000195
村の東外れにある氏神伊智神社の節分蔡は、当番隣保
による除雪による道開けから始まります。
除雪された参道         伊智神社
P1000211 P1000213
節分といえば、私の子どもの頃から座敷で豆と一緒にお菓
子をまく、伊佐屋の節分蔡が通例で、娘達も同様の体験を
させていて、どこの家でも菓子をまくのものだと思い込んで
いたときもありました。

<ムクロ(モグラ)打ち>

ムクロは但馬の方言で、モグラのことです。
節分の夕方、子どもが家の近くの田畑の周りを金だらい
の尻を木の枝で叩きながら「ムクロもち送った。丹後の方
(かた)に行け行け」と唱えて歩いたといいます。

節分行事ではありませんが、「虫送り」といって静修校区
夏栗では稲の害虫ウンカの対策として、鉦や太鼓・拍子
木など音の出るものを持ちより、「ヌカ虫送った、丹後の
方へ行けいけ」大声で唱え、はやして回ったとあります。
三方校区河畑でも、田圃を火を振りながら鉦や太鼓で「
蝮(まむし)も虫も飛んでいけ、丹後の方まで飛んでいけ
」と唱えて回る「虫追い」の行事もあったそうです。

畑や田畑を荒らすモグラも稲の害虫ウンカも農民にとっ
て厄介者ですが、いずれも丹後へ送るのが共通していま
す。
送られる相手側の丹後の方々には申し訳ありませんが、
やはり峠を隔てた他県他所といえば丹波よりも丹後と思
い浮ぶようです。
先方でも似たような行事があって「但馬の方に行けいけ
」とはやしたそうです。

節分は季節の分かれ目、豆まきだけでなく、春の農事を
前に「ムクロ打ち」行事が時代を表していました。
ムクロ被害が無くなったわけではありませんが、「巻き寿
司丸かぶり」に「ムクロ送り」が取って代わられてしまいし
た。
 
 

2012年2月 2日 (木)

久しぶりの大雪

未明から降り続いた雪で、交通機関がマヒしています。
除雪も追いつかず、JR山陰線も兵庫県内は全休です。
最高気温がマイナス1度、細かい雪が降り続き豊岡市で
90cm、香美町兎和野高原は2mとなりました。
豊岡市は豪雪災害警戒本部を立ち上げ、歩行中の転倒
や車両事故、雪下ろしや除雪作業中の事故防止を呼び
かけています。
我が家も玄関やガレージ前に積もった70~80cmcmの
雪をスコップとスノーダンプを使って水路に落としました。
P1000164 P1000172
P1000167 P1000178
大雪の予報はあったもののいつものように30cm程度と
高をくくっていたのですが、これほどの積雪は久しぶりで
した。
除雪が追いつかず道路は圧雪でガタガタ、学校はすべ
て休校、愛犬ハルの散歩もままならぬほどですが、今晩
から明日朝にかけてさらに積もるとのこと。
合わせて凍結で、明朝の通勤通学はたいへんな状態が
推測されます。
節分を明日に控え、予想外の大寒波に雪の始末に追わ
れた一日となりました。
 
 

2012年2月 1日 (水)

新公民館看板

昨年12月に完成した公民館にはネームプレートがありませ
んでしたが、この度新たに据え付けられました。
前公民館は当時の太田了二町長揮毫のものでしたが、区
民の中から書の堪能な2隣保Tさんにお願いしたそうです。
女性らしい品のよいものに仕上がって、建物とよくマッチし
ています。
P1000133 P1000131
隣接地に消防ポンプ庫と倉庫も建設され、一連の工事も完
了することになりました。

平成19年の建設合意→建設準備委員選出から始まり、20
年の資金積立開始をへて、21年に建設事業工程表作成・
地縁団体申請・区有土地所有権移転に着手しました。
23年に入ると設計承認から建設へと一気に進みました。
21年の事業工程表の作成から委員として建設に関与しまし
たが、もともと行事消化型より課題解決型の仕事が好きだ
ったので、3年間実に貴重な経験をさせてもらいました。

新たな交流ルーム「なごみの部屋」の運用規程もきまり、6年
6ヶ月(78回)に及ぶ借入資金の返済は残っているものの、こ
れですべて解決しました。
″めでたしめでたし″
 

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