府中小学校の思い出 校歌編
思い出ついでに以前書いた校歌制定にまつわる記事を紹
介します。
私の住む国府地区は但馬の国の国府があったところとさ
れ、府中・府中新・府市場・国府市場の地名や府中郵便局
・府中小学校の施設名も残っています。
府中小学校は、明治元年に久美浜県知事の支援のもと、有
志がを開校した明倫舎に起源を発し、今年で創立137年を
数える歴史ある学校です。
その後、簡易小学校→尋常小学校→尋常高等小学校→国
民学校と変わり、私が生まれた1947年(昭和22年) に元の府
中小学校に改称されました。
正面の石柱は日露戦争凱旋記念碑で、右の校舎には補強
の突っ張りがしてあって、「府中の学校、突っ張りぼろ校舎」
などと他校の生徒に冷やかされました。
教室からは国府平野、その向こうには大岡山が望めます。
この敷地に幼稚園・小学校・中学校までが並んでいて、10年
間通いました。
正門にある凱旋記念柱 教室から高生平野と大岡山を望む
(小山譲 画)
小学校には、昭和29年から35年まで在学しましたが、5年生
の時に校歌が制定されました。
<府中小学校校歌> 森 惇 作詞・大 熊 誠 作曲
1 山脈遠く 空に映え
豊かに流る 円山の
拓く沃野に 緑萌ゆ
ああこの幸に つつまれて
厳然とたつ 名城の
姿とたたう いらかこそ
府中 府中 府中小学校
2 はるけき昔 但馬路を
治めて久し 国司(くにつかさ)
国府の誇り 今もなお
ああこの栄え 受けつぎて
瑞穂の郷の 躍進を
誓いて励む われらこそ
府中 府中 府中小学校
3 求めて集う 明倫の
心にかよう 校風は
自主 敬愛と 協同の
ああこの道を ふみしめて
香りも高き せんだんの
希望に生きる 双葉こそ
府中 府中 府中小学校
作詞は校長、額に書いたのは書の達人畠中教頭でした。
今思えば格調高い詩なのですが、当時の小学生には沃
野(よくや)も国司(くにつかさ)も瑞穂(みずほ)の郷や栴
檀(せんだん)も理解できませんでした。
国の中心地だった歴史と但馬の山並みと豊かな円山川
肥沃な田畑を歌い込むのは校歌の常道ですが、二年し
か歌わなかったせいか、同窓会でも空で歌える人はあま
りいなかったように思えます。
完璧に大人目線の歌で、言葉の意味は「大人になったら
わかる」と言われましたがやっとその歳になりました。
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コメント
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確かに校歌ってそんなものかもしれませんね。
理解できる頃には大人になってたり。
小中、ともですが、
高校のときは音楽部で嫌ってほど歌いましたが、
理解できてないですね~。
投稿: 栄治 | 2012年1月27日 (金) 12時02分