府中小学校の思い出 弁当編
太平洋戦争敗戦後の昭和22年の生まれで、小学校入学は
昭和29年、昭和35年の卒業までの6年間の弁当と給食の思
い出です。
府中小学校正門 (小山譲 画)
給食が開始されるまでは弁当持参で、アルマイト製の弁当
箱に独立したおかず箱とご飯が詰められていました。
お茶は弁当の蓋に入れてもらって、斜めに傾けて角から上
手に飲んでいました。
普段はそのままいただくのですが、但馬の冬は厳しく冷たい
まま食べさせるわけにはいかないと、ダルマストーブの上に
四角い大きな缶を乗せ、底に水を入れ蒸気で蒸して加温し
ていました。
登校して石炭ストーブに火が付くと、弁当箱を順に缶に並べ
て積み上げるのが当番の仕事でした。
お昼前になり、缶の蓋を開けると温められた弁当からたくあ
んの香りが辺り一面に広がったのを覚えています。
昭和30年代はまだまだ物も少なく、貧しい時期だったと思う
のですが、田舎でもあり米や野菜を自給しており、親の苦労
はわかりませんが、ひもじいという思いはありませんでした。
希に母親の都合で、弁当の替わりに向かいの八代商店で
パンを買って持参することがありましたが、周りから羨まれ
たりしてちょっぴり嬉しくもありました。
昭和29年に「学校給食法」が制定され、小4でミルク給食の
開始、中1で完全給食が実施されたことで、遠足や運動会
以外は無くなりました。
« 半鐘の落ち着き先 | トップページ | 府中小学校の思い出 ミルク給食編 »
「青春」カテゴリの記事
- 旧制豊岡中学校 楽々浦6学徒殉難70年(2015.05.14)
- 学校給食週間に寄せて 完全給食編(2015.01.25)
- 学校給食週間に寄せて ミルク給食編(2015.01.24)
- 学校給食週間に寄せて 弁当編(2015.01.23)
- 成人式いろいろ(2015.01.12)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。


なんだか想像つきますね~。
年代は違えどなんとなくにおいはいてきそうな。
僕の頃は寒い冬に石油ストーブのうえの
丸いたらいに湯がありそこで牛乳を温めた
記憶があります。
パンですか。
僕も中学校の頃は親が忙しかったのかパンを
よく買わされました。
意味はまったくないんですが少し羨ましがられましたし、
僕自身少し自慢げでしたね。
懐かしいです。
投稿: 栄治 | 2012年1月25日 (水) 09時22分
そういえばお弁当箱の蓋にお茶を入れてもらいましたね。
懐かしいことです。
この記事を読んで思い出しました。
こういうことは意外と忘れてしまいがちです。こうしてブログで書き綴っていただけると、子供のころの思い出が一度によみがえってくるようです。
投稿: 但馬屋惣兵衛 | 2012年1月30日 (月) 08時42分