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    16年我が家の家族として、楽しませてくれた「晋平」が2005年 3月息を引き取りました。 代わりに今度は女の子を購入しましたが、恐がりで人になつか ないのが困りものです。 春に来たからハルと名付けましたが、血統書付きで本名は 「文美姫号」です。

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2012年1月

2012年1月30日 (月)

府中小学校の思い出 集団転校編

昭和33年、国府地区の北部、納屋と上佐野地区が旧豊岡
市に編入されることになり、八条小学校へ転校する児童を
送る会が催され、同級生8人を含めた児童が転校していき
ました。
転入転出などは、駐在さんか国府駅長の家族があるくらい
だった田舎の学校でこれは大事件でした。
3年生を終えたばかりの当時、みんな仲がよかっただけに
送る側も送られる側もたいそう悲しい思いをしました。

事の起こりは町村合併促進で、昭和30年1町と周辺5村の
合併で新たに日高町が発足しましたが、その過程で豊岡
市に近い国府地区北部5部落が豊岡市編入を求めて運
動を始め、その是非を巡って町側と分町派の対立が深ま
ったことによります。
県の調停委員会のもとに調査や調整が行われましたが、
町税の集団滞納や行政側の強制徴収などの実力行使や
分町を求めるむしろ旗行進、分町反対総決起大会の開催
などにさらに発展していきました。
最終的には、昭和32年6月分町しないことで決着し、国府
地区を二分する争いに終止符が打たれました。
ただ、納屋・上佐野区は区民の総意として豊岡市への編
入を求め、翌年編入が決まったことで生徒の集団転校と
なったわけです。

昭和25年いち早く市として発足し、学校や病院・役所など
県北部の中心的役割を果たしていた豊岡市に対する期
待が大きかったことが理由でしょうが、そんな大人の都合
を知らない子どもにとって全く迷惑な話でした。
今年はオリンピックの年、いつの頃からか「オリンピックの
年には同窓会」ということになり、「府中小中同窓会」として
この時別れた友達も参加してくれます。

その後40年経って、豊岡市と周辺5町が合併を経験しまし
たが、この時ほどではありませんが、生活全般や行政サ
ービスに大きく影響する市町合併の難しさを知らされまし
た。
 

2012年1月29日 (日)

府中小学校の思い出 石炭ストーブ編

昭和中頃の但馬の冬はいまとは比べものにならないほど
寒く、各教室の暖房にダルマ型石炭ストーブを使っていま
した。
教室前側の奧にある土台の上にダルマ型のストーブが置
かれ、火掻き棒・防火バケツが用意されていました。

<ダルマ型石炭ストーブ>
Daruma2_3
丈夫な鋳鉄製で、上部に煙突をつけ、
頭部には蓋が、正面には石炭の投入
口と回転式の蓋が付いた空気調整穴
がありました。
十能を使って石炭を補充し、サナと呼
ばれる火皿から落ちた燃えがらは取り
出し口の蓋を外し、火掻き棒で掻きだ
しました。


幼稚園や低学年の教室では安全のため周りを木製のサ
ークルで囲っていたと思います。
2名のストーブ当番が、焚きつけ用の豆殻を持って少し早
く登校し、職員室前に出されている旗の色で使用の可否
を確認します。
(たしか白旗が使用可だったと思います)
用務員さんの手で教室毎に分けられた石炭バケツを受け
取り、新聞紙・豆殻に火をつけたあと、薪を燃やし石炭に
火をつけます。
凍えるように寒い中、煙と戦いながらの作業ですが、要領
を覚えると上手になってきました。

一回の割り当て以外は追加がなく、始末しながら使い終業
時には燃え尽きるように調整し、余った石炭は教室床下の
格納庫にしまっておき必要なとき使いました。
弁当編で書いた「弁当加温缶」を置いたのはストーブの蓋
の上でしたが、豆殻に残っていた大豆を見つけ、蓋の上で
焼いた時の香ばしい匂いと美味しさは忘れられません。

石炭を追加すると煙と匂いがするのと、使ったあとの石炭
殻ガラの始末も面倒でしたが、しっかり燃え出すとストーブ
の胴体が赤くなり、近くの生徒は真っ赤な顔になります。
ストーブに近い席と遠い席を交換する席替えが定期的に
おこなわれていました。

「石炭から石油へ」と国のエネルギー政策の転換で、昭和
35年に始まった原油の輸入自由化を機に石炭ストーブは
昭和45年に石油ストーブに取って代わられました。
火を操ることによって進化を遂げた人間ですが、逆に操ら
れて事故になることも増えてきました。
自分で火をつけ、移して拡げ、コントロールするという知恵
と工夫を学んだ貴重な体験でした。

 

2012年1月27日 (金)

府中小学校の思い出 校歌編

思い出ついでに以前書いた校歌制定にまつわる記事を紹
介します。

私の住む国府地区は但馬の国の国府があったところとさ
れ、府中・府中新・府市場・国府市場の地名や府中郵便局
・府中小学校の施設名も残っています。

府中小学校は、明治元年に久美浜県知事の支援のもと、有
志がを開校した明倫舎に起源を発し、今年で創立137年を
数える歴史ある学校です。
その後、簡易小学校→尋常小学校→尋常高等小学校→国
民学校と変わり、私が生まれた1947年(昭和22年) に元の府
中小学校に改称されました。

正面の石柱は日露戦争凱旋記念碑で、右の校舎には補強
の突っ張りがしてあって、「府中の学校、突っ張りぼろ校舎」
などと他校の生徒に冷やかされました。     
教室からは国府平野、その向こうには大岡山が望めます。
この敷地に幼稚園・小学校・中学校までが並んでいて、10年
間通いました。
正門にある凱旋記念柱    教室から高生平野と大岡山を望む
P7040004tt_4 P7060001tt_2
           (小山譲 画)
小学校には、昭和29年から35年まで在学しましたが、5年生
の時に校歌が制定されました。

府中小学校校歌> 森  惇 作詞・大 熊  誠 作曲

1 山脈遠く 空に映え
  豊かに流る 円山の
  拓く沃野に 緑萌ゆ
  ああこの幸に つつまれて
  厳然とたつ 名城の
  姿とたたう いらかこそ
  府中 府中 府中小学校

2 はるけき昔 但馬路を
  治めて久し 国司(くにつかさ)
  国府の誇り 今もなお
  ああこの栄え 受けつぎて
  瑞穂の郷の 躍進を
  誓いて励む われらこそ
  府中 府中 府中小学校

3 求めて集う 明倫の
  心にかよう 校風は
  自主 敬愛と 協同の
  ああこの道を ふみしめて
  香りも高き せんだんの
  希望に生きる 双葉こそ
  府中 府中 府中小学校

作詞は校長、額に書いたのは書の達人畠中教頭でした。
今思えば格調高い詩なのですが、当時の小学生には沃
野(よくや)も国司(くにつかさ)も瑞穂(みずほ)の郷や栴
檀(せんだん)も理解できませんでした。

国の中心地だった歴史と但馬の山並みと豊かな円山川
肥沃な田畑を歌い込むのは校歌の常道ですが、二年し
か歌わなかったせいか、同窓会でも空で歌える人はあま
りいなかったように思えます。
完璧に大人目線の歌で、言葉の意味は「大人になったら
わかる」と言われましたがやっとその歳になりました。
 

2012年1月26日 (木)

府中小学校の思い出 完全給食編

昭和36年の給食センターの完成で、小・中学校が隣接して
いた府中校区で完全給食が始まりました。
    グラウンドに「フ中」の人文字(昭和31年11月)
白い建物が中学校と体育館、右横の古い校舎が小学校
    Epson001_2
主食はパンと決められていて、おかずが一皿出ていて、
カレーシチュー・けんちん汁・鯨の竜田揚げなどが人気
メニューでした。
男の子はさっさとおかずと汁を済ませ、残ったパンをポケ
ットに入れて、体育館や運動場で遊んだものでした。

アメリカからの援助は、米食中心の日本人をパン食に慣
れさせて 、米国の小麦の輸出を図る狙いがありました。
米に較べて作りにくい小麦から作るパンを食べる習慣が
でき、我が国の自給率がどんどん落ちたのを見ると、学
校給食を通じて日本人の食生活を欧風化・小麦化する狙
いは見事に成功しました。

その後学校給食にご飯が取りいれられたのは昭和51年
それから徐々に増え、豊岡市では平成21年から5日間す
べてがご飯に替わっているそうです。
ほとんど輸入に頼る小麦から、100%自給が可能な米に
切り替えるのになんと時間がかかったことでしょう。

 

2012年1月25日 (水)

府中小学校の思い出 ミルク給食編

本格的な給食が始まったのは中学生になってからで、昭和
33年小学4年生の時「ミルク給食」が開始されました。
「ミルク給食」とは、弁当は持参し補助としてミルクのみ提供
されました。
ミルクといっても 牛乳ではなく、戦勝国であるアメリカの援助
物資「脱脂粉乳」をお湯で溶いたものでした。
いまのスキムミルクとは全く異なり、長い船旅もあってか、
独特な匂いがして空腹でも喜んで飲む子はなく、これに希
望者のみ「肝油」を斡旋して栄養を補っていました。

あとでガリオア・エロア基金やララ物資という言葉を知りま
したが、かの国でバターやチーズに使う乳脂肪分を取り除
き水分を除いて粉にしたもので、大きな紙製ドラム缶に入
れられて蓋や側面に英語で文字が書いてありました。
アメリ本国では牛の餌だったと言う話しもありましたが、日
本流に置き換えれば、「豆腐を作ったあとのおからを無料
であげる」というに似ています。
       小学校の教室から大岡山を望む
   P7060001tt
          (小山譲 画)
給食が、主食・ミルク及びおかずを揃えた「完全給食」とな
ったのは、中学生になって校内に給食室が完成してから
でした。
 

2012年1月24日 (火)

府中小学校の思い出 弁当編

太平洋戦争敗戦後の昭和22年の生まれで、小学校入学は
昭和29年、昭和35年の卒業までの6年間の弁当と給食の思
い出です。
         府中小学校正門 (小山譲 画)
    P7040004tt_2 
給食が開始されるまでは弁当持参で、アルマイト製の弁当
箱に独立したおかず箱とご飯が詰められていました。
お茶は弁当の蓋に入れてもらって、斜めに傾けて角から上
手に飲んでいました。
普段はそのままいただくのですが、但馬の冬は厳しく冷たい
まま食べさせるわけにはいかないと、ダルマストーブの上に
四角い大きな缶を乗せ、底に水を入れ蒸気で蒸して加温し
ていました。
登校して石炭ストーブに火が付くと、弁当箱を順に缶に並べ
て積み上げるのが当番の仕事でした。
お昼前になり、缶の蓋を開けると温められた弁当からたくあ
んの香りが辺り一面に広がったのを覚えています。

昭和30年代はまだまだ物も少なく、貧しい時期だったと思う
のですが、田舎でもあり米や野菜を自給しており、親の苦労
はわかりませんが、ひもじいという思いはありませんでした。
希に母親の都合で、弁当の替わりに向かいの八代商店で
パンを買って持参することがありましたが、周りから羨まれ
たりしてちょっぴり嬉しくもありました。

昭和29年に「学校給食法」が制定され、小4でミルク給食の
開始、中1で完全給食が実施されたことで、遠足や運動会
以外は無くなりました。
 
 

2012年1月23日 (月)

半鐘の落ち着き先

府市場区の公民館が建て替わり、隣に位置する「火の見
櫓」も取り壊されました。
大正期の木造の櫓からさらに高い鋼製に変わった時期は
前公民館が建設された昭和34年より前でした。

昔は各地区に設置されましたが、時代の流れとともに無用
の長物と化し、旧日高町内でも十戸や太田区などに見られ
るくらいです。
「警鐘台」とも呼ばれ、吊されている半鐘を叩いて急が知ら
されたものでした。
取り壊し前の警鐘台と半鐘
P1000671 P1000665
新しく建てた消防倉庫の軒先に吊り下げられました。
P1000129 P1000127
銘などは入っていませんが、大正期から府市場区を高所で
見守ってきた半鐘をモニュメントに、防火防災意識を引き継
いでいって欲しいものです。

2012年1月22日 (日)

大寒 かき餅作り

大寒から節分時期の我が家の行事はかき餅作りです。
冷凍したりすると長期保存が可能なのですが、在庫もなく
なり久しぶりに作ってみました。
青のり・えび・豆・塩昆布・黒砂糖の5種類で、正月餅と同じ
組合せです。
カットして2日放置        網に並べて乾燥
P1000097_2 P1000118_2
昔は二晩ほどおいて固くなると、父が大きな包丁で濡れ布
巾を当て一生懸命均等になるようカットしていました。
均等でないと、焼くときに焦げたりして焼きムラができてし
まうからです。
そして玄関を入った「店」と呼ばれていたところに縄でずら
りとつるし乾かしていた風景を思い出します。
藁も編んで吊す技術もないので、網に並べて乾燥させるの
が当家当代のやり方です。
「てっぺん」のかき餅づくり(朝日新聞但馬版11.13)

Asahi113_3反りや割れを生じさせない
よう気温が低く湿度が高い
大寒から節分時期が適当
です。
春木峠のそば店「てっぺん」
では、餅1枚の大きさは縦8
センチ×横3センチで厚さ5ミリとありますが、我が家は縦7cm×4cmで、厚さは3m~3.5mの薄型です。
Img_0011_2餅切り機を購入したことで、
一気に薄切りが可能になり
ました。
これから約1ヶ月、風や日に
あてずに気長に乾燥させて
仕上げます。
    

2012年1月19日 (木)

新世界100年まつり 元祖ビンゴゲーム

大阪南の繁華街である「新世界」が、今年で百年を迎える
にあたり、「新世界100年まつり」を開催します。
Uターンする前14年間、岸和田に住み東成区にある会社
に通っていたいた私にとって、ここの玄関口である天王寺
新今宮は乗り換え場所だったので、よく訪れたものでした。
通天閣               ジャンジャン横町
P3070037_2 P3070041_2
通天閣を中心にした各通りには店が立ち並び、ジャンジャ
ン横丁の串カツ・スズメの焼き鳥・Zゲーム・スマートボール
・射的・将棋場・少し贅沢なづぼらやのてっちりなど労働者
の町であり、昭和中期のイメージが色濃く残っていました。
串カツのソース二度漬け禁止のマナーを覚えたのも元祖ビ
ンゴゲームを覚えたのもここでした。

通常知られているビンゴゲームは、カードの該当番号に穴
を開けるのがですが、新世界では購入したカードにおはじ
きを置いて目印とするもので、Zゲームと呼んでいました。
テニス球くらいの大きさで色と番号の付いた球が管から飛
び出してきて、マイクを持ったおばさんが、♪赤の10番青1
8番♪
と独特の調子で前の番号といま出てきた球の色と番
号を読み上げ、それをカードに見つけておはじきを置いて
行きます。
縦横斜めのいずれかが揃うとすかさず、合図して確認して
もらい景品を受け取ります。
すると♪さあ今度のゲームにご期待下さい♪の声を合図
にまた球が飛び出し、読み上げが始まります。
大の大人がボールとカードとおはじきで目の色変えて遊ぶ
のと哀調を帯びたおばさんの読み上げ調子が強く印象に
残っています。

もうZゲームはなくなったようですが、洋服や靴・雑貨のた
たき売りの名口上とともに、下町の自由で猥雑なまでの雰
囲気が性に合うのか、楽しくて美味しい忘れられない場所
でした。
 
 

2012年1月17日 (火)

我が家の1.17

今日1月17日は、阪神淡路大震災から丸17年になります。
阪神地区とは100km以上離れている但馬でも震度5を記
録しました。

明け方の5時46分、突然大きな揺れで目をさましました。
どーんと縦にゆれたあと左右の揺れが長く続き、隣の子ど
も部屋に寝ていた次女が飛び込んできました。
寝ていたのが二階で、折からの寒波で40センチから50セ
ンチの雪が屋根に積もっていたことで余計揺れを感じたの
でしょう。
すぐにテレビをつけるとNHKの宮田アナウンサーが地震の
報道をしているところでした。

神戸には兄と妹が住んでいて、すぐにそれぞれから電話が
入り、無事が確認できました。
車でラジオを聞きながら、会社に出てみると、ワープロの上
に置いていたプリンターが少しズレただけで異常はありませ
んでした。
お昼ご飯の時テレビの映像で高速道路が倒れたり、スキー
バスが落ちそうになっているのを見て衝撃を受けました。
この時には死者が200数人と報道されていましたが、最終的
には6,434人に広がりました。
兵庫県を中心とする地震ということで、心配した県外の得意
先や親戚から安否確認が多数入りましたが、全くと言ってよ
いほど被害がないと言うとびっくりしていました。
大きな揺れで少し怖い思いをしただけで、阪神・淡路地区で
被災された方を思うと申し訳ないような但馬の1.17でした。

阪神淡路大震災で被災した神戸の音楽の先生が、神戸の
復興を願って作られた曲です。 
作詞・作曲  臼井 真
「しあわせ はこべるように」公式ホームページ ↓ http://www.shiawasehakoberuyouni.jp/index.html 

神戸の子どもたちが歌う東北へのメッセージソング
「しあわせ はこべるように」 手話+コーラス

「神戸」を「ふるさと」と置き換えたバージョンで、さらに「東北
」と入れてメッセージを送っています。 

2012年1月16日 (月)

真冬の一番花 ロウバイ

鉢植えを除き我が家の一番花はこの花です。
蝋梅とも書き、形が似ているところから名は梅と付きます
が、別の種類だそうです。
花全体が黄色の素心蝋梅
P1000090 Img_3024_2 
葉は花が咲く前に落ちてしまい、わずかに残っているだけ
で、梅に似たよい香りがして、花のあとにおもしろい形の実
がつきます。
冬枯れの時期かつ霜や雪にも負けずに一番早く花をつける
ので大切にしている庭木です。
寒さに震えながら花を咲かせる姿は、雪国の私たちを励まし
てくれます。
 
 

2012年1月14日 (土)

センター試験の時期に思うこと

14日・15日と大学入試センター試験が行われます。
私の大学受験は昭和41年で、当時は国公立は1期校と2期
校に分かれていて、2回チャンスがあるのはいまと同じです
が、前後期に分かれるいまの制度と違うのと、大学毎の個
別試験しかありませんでした。

私の娘二人も国立志向で、この時期センター試験を受けま
したが、試験会場は神戸しかなく、但馬から電車で移動して
親戚に泊めてもらって2日間の受験を経験しました。
寒い時期に長距離移動がともなうのとホテルに宿泊をした
受験生とって、変わる環境は不安だったことでしょう。

PTAの運動もあって、’07年から受験会場に豊岡高校が認
められ、これらのハンディがなくなりました。
6年目の今年は約600人が受験したとのこと、PTAや豊岡市
の渋キャラ「玄さん」の応援を得て、ハイタッチするなどリラッ
クスしながら試験に臨んだと報道されていました。
受験に縁がなくなって久しいですが、この時期になると但馬
の高校生がハンディなく、実力を発揮してくれるのを望む気
持ちになります。
 
 

2012年1月11日 (水)

伊佐屋三木のblog Vol.5 出版準備中

2011年も終わり、11年度版 伊佐屋三木のblog Vol. 5 の
出版準備に入りました。
印刷部数はたったの1部、世界に一冊しかない本です。
ココログ出版に頼めば、4~5日で見積もり、データもpdfで
送ってくれるので、そのままのイメージが分かります。
印刷は例によって1部で、三百数十ページはたぶん2万円
はかかるでしょう。

デジタルデータをわざわざアナログに変えて保存するのは
昭和生まれの性ですが、自分史がわりにもなるでしょう。
過去4冊の本            記事           
P1000085 P1000087

++ココログ出版の仕様+++++++++++++++++++++++++++++

表紙デザイン               :simple/レッド
印刷色                          :カラー
文字色                        :ブルー
※印刷色でモノクロをお選びの方は文字色を選択されてい
てもブラックになります。
目次                           :付ける
日付表示                     :あり
文字の大きさ               :小
中面レイアウト          :ベーシック
文字組み/記事ごとに改ページ  :横組み/改ページなし
他のライターの記事      :しない
写真                           :あり
写真点数                     :5
製本                           :ソフトカバー(無線綴じ)
-------------------------------------------------

2012年1月10日 (火)

大わらじと大ぞうりの奉納

1月の第2月曜にあたる9日、日高町「田の口賽の神祭り」
で大草鞋(わらじ)と大草履(ぞうり)が奉納されるのを見
学してきました。
田の口区              会場はお堂の中
Img_2908 Img_2917
「賽の神」とは村の境界や入り口にあって、災いの侵入を
防ぐ神様で、この祭りはなんと400年前から続けられてい
るそうです。
この日は朝早くから当番組の方々が大量の藁を使って、
1.5メートルにもなる大草鞋と大草履を片方ずつ作ります。
足の病気を治すために、神の履物としてわらじとぞうりが
供えられる由。
藁打ち機              飾り編み             
Img_2941 Img_2939
大草鞋(わらじ)          大草履(ぞうり)
Img_2929 Img_2933_2
朝8時から続けられた製作も11時過ぎには完成し、「サエノ
カミ」が宿るとされる岩近くの杉に吊して奉納されます。
大わらじの出発          大ぞうりの出発               
Img_2972 Img_2970_2
賽の神へ               祭りの由緒
Img_2976 Img_2978 
昨年のものを取り外し        据え付け
  Img_2980       Img_2988
神事                   奉納完了
Img_3008    Img_3017
あいにくの雨模様でしたが、この日は「おまつり探検隊」の
グループの見学もあって、はじめて見る伝統行事に神妙に
見入っていました。
少し気になったのは、祝日にもかかわらず子どもたちの姿
をほとんど見なかったことで、伝統行事の継承にちょっぴり
不安を感じました。
 

2012年1月 9日 (月)

新春の高御位山 304m

今日は元気ネタ、ランニングチームF1Bのトレーニングを兼
ねて、高砂市の高御位山に5人で登りました。
雪模様の但馬を出て、峠を越して播州に入ると青空が広が
り絶好のハイキング日和です。
市の池公園駐車場に車を止め、鹿嶋神社にお参りしたあと
展望台・百間岩を経由する西回りコースを選びます。
山歩き姿が目だったのか地元ケーブルテレビ「BANBANテレ
」の取材を受けました。
参道には去年の縁起物      BANBANテレビの取材    
P1000016 P1000024
百間岩の登り
P1000028 P1000034
鷹ノ巣山付近になると、南は高砂・加古川の市街地とコン
ビナート、その向こうには明石大橋と淡路島が、西には家
島群島の向こうに小豆島まで望めます。
さらに西は姫路の市街地(修復中の姫路城も)、さらに書
写山までの眺めはすばらしいものがあります。
P1000047 P1000038
姫路港・家島・小豆島       高御位山山頂を望む
P1000044 P1000036 
ここからの気持ちよい岩場の尾根歩きが続き、鷹ノ巣山・
東峰のピークを越えて、アップダウンを繰りかえしながら高
御位山に到着しました。
尾根の南側は一年前の山火事あとが生々しく、コースタイ
ムは90分でしたが、2時間を優に超すゆっくり歩きでした
方位盤で位置確認        昼食準備         
P1000051 P1000058
山頂からの景色
P1000047_2 P1000056
山頂高御位神社         記念写真
 P1000054_2  P1000064_2
岩場の山頂でおにぎりとカップラーメン、本格コーヒー付
きの昼食を終えました。
休日ともあって縦走途中も山頂もそこそこ賑わっていて
手軽に登れて景色が楽しめる人気の山は違います。
帰路は東周りに下って中塚山経由、北山鹿嶋神社に降
りる予定でしたが、私の勘違いで北東方向の加古川市
成井に降りてしまい、駐車場まで大きく迂回した平地歩
きをすることになりました。
案内地図を自宅に忘れてきたことと3回目という気安さ
で、コース確認という初歩的なミスをしてしまいました。
麓から見た本日のコース
P1000075 P1000077
帰り道生野峠付近から空がどんより鉛色に変わり、「性
格まで暗くなりそうなお天気」にため息がでていました。

ことを起こしたあとは、必ず反省会を開くのが、F1B流で
早速公民館なごみの部屋で、麓の酒屋で買い求めた播
州地酒とT君差し入れの愛媛の地酒、手作りこんにゃく
に舌鼓をうちました。
P1000078_2  P1000081
そんなわけで、本日の高御位山付近の人口密度は、多
すぎて計測不能でした。
 

2012年1月 7日 (土)

神鍋つるし柿

毎年年末に神鍋のTさんからつるし柿をいただきます。
大美濃柿を干したもので、飴色の「ぽてっ」としたボリュー
ムと甘さが絶妙です。
P1060620 P1060615
添えられていた手紙には、「一昨年は62年生きて始めて実が
ならなかったが今年は多くの実をつけ、2年ぶりに干し柿を作
ることができた」と書いてありました。
昨年は柿に限らず実のなる木が豊作でした。
そういえば一昨年あれだけ大騒ぎをした熊の出没もは全くあり
ませんでした。
熊もお山のドングリが豊富で、危険がいっぱいの里に降りる必
要がなかったのでしょう。
P1060611_3
お陰で里は食べ手のない柿が放置され
柿花火」があちこちに見られます。
例年にないほど花をさかせ実をつけるの
は、子孫を残す意志の現れともいいます
が、人間同様厳しい環境に備えているの
でしょうか?
   

2012年1月 6日 (金)

晴天下の雪景色

若い頃話題づくりには「四気」をテーマにすればよいと教わ
りました。
天気・元気・景気・人気で、特に天気ネタは最初の挨拶に
欠かせません。
20120106_091558_2冬型がゆるみ、今年になってやっと晴天になりました。
北アルプスをバックにした安曇野には及びませんが、当地
の雪景色です。
右に大岡山、中央に蘇武岳、左に妙見山が連なります。
降ったあとの晴天下の雪景色はなかなかのものです。

2012年1月 4日 (水)

なごみの部屋

新装なった公民館で、府市場区独自の施設が設置されて
います。
大小の会議や宴会の部屋以外に、誰もが自由に使えるサ
ロンスペース
をとの声で実現し、名前も公募で決めました。 
炊事施設も完備         洋風、和風への変身もOK
P1060110 P1060108
10人程度の収容力ながら、南と西に面していて晴天の日
はぽかぽかと暖房いらずの日だまりとなります。

公民館には自治活動や防災活動の拠点としての機能も
大切ですが、井戸端会議やお茶の間気分で、区民が自由
に交流できる場として活用が期待されます。
早速区内のマチュア写真家Tさんが、「円山川の四季」の
写真を壁面に展示されていますし、いろいろな使い方が考
えられます。
チームF1Bも3日の初走りのあと利用させてもらいました。

「なごみの部屋の5つのやくそく(案)」
・申し込み無しで利用できます
・会議には使用しないようにしましょう(会議室があります)
・ゆずりあって使いましょう
・使ったあとは、あとかたづけ
・電気とエアコンを確認し、戸締まりをして帰りましょう
 

2012年1月 3日 (火)

チームF1B 初走り

府市場区を中心とするランニングチーム「チームF1B」の
初走りを国府桜堤コース(5km)で行いました。
但馬の冬は我々アスリート?にとって、運動不足による筋
力低下と食べ過ぎによる肥満の危険が増す時期で、特に
年末年始がピークに達します。
遅ればせながら初走りが提起され5人が参加し、軽く汗を
かいたあと新装公民館の「なごみの部屋」で箱根駅伝を見
ながらミーティング。
まだ三が日でもあるので、つまみやお酒も加わって、結局
エネルギーの貸借は摂取過剰になってしまいました。

昨年は各マラソン大会参加や久美浜湾一周駅伝の活躍、
県下最高峰氷ノ山、涸沢・奥穂高の高地トレーニングなど
一年間通じて活動ができました。年間計画は3月のキック
オフで決定されますが、遅まきながら飲み過ぎ食べ過ぎ対
策として、7日(土)に高砂市の高御位山(たかみくらやま)
縦走を企画しています。
 

2012年1月 2日 (月)

元旦風景

どこの家も同じでしょうが、朝8時にまず神様ににお参りし、
次は仏壇を済ませて、おせちをいただきます。
床の間には「天照大神」の軸を揚げていましたが、我が代
になってから松上の鶴に変えました。
足の指の構造から松の枝にとまるのは、鶴は無理でコウ
ノトリだそうです。
P1000001_3 P1000006_4
10時前になるとお墓参りをして、伊智神社に参拝し、区の
人達と賀詞交換を行います。
P1000013 P1000011_4  
参加者は例年通りの十数人で、少し寂しい風景です。
最近は氏神さまより、格上の但馬一宮である出石神社へ
の初詣が増えてきたと聞きます。
まずはご先祖さまと氏神さまにお参りしたいですね。

(今年から写真は別ウインドウでポップアップします)

2012年1月 1日 (日)

初春のご挨拶

大晦日に30cmの積雪を記録した昨年に較べて、寒波のな
ごりの積雪はあるものの穏やかな新年を迎えました。
Scn_0001_3
今年の年賀状です。
退職記念に娘達家族が信州
蓼科で労ってくれました。
つくす側からつくされる側にか
わってすこし複雑な心境です。
本年もよろしくお願いします。

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