但馬情報特急

  • 但馬情報特急
    但馬に関するあらゆる情報が載っています。 最新情報もここから・・・。

九条の会

  • 九条の会
    日本が誇る憲法九条をまもり、平和な世の中を築くため行動します。
フォト

愛犬ハル

  • P1020325
    16年我が家の家族として、楽しませてくれた「晋平」が2005年 3月息を引き取りました。 代わりに今度は女の子を購入しましたが、恐がりで人になつか ないのが困りものです。 春に来たからハルと名付けましたが、血統書付きで本名は 「文美姫号」です。

« 県行造林 満仲山 Ⅰ | トップページ | 春のパステル画、水彩画展 »

2010年4月19日 (月)

県行造林 満仲山 Ⅱ

県行造林制度を利用した満仲山の植林に至る経緯を、当
時の区長が記しています。

<植林に関する経過について>
太平洋戦争前に於ける満仲山は、昼なお暗い松の美林に
全山覆われた共有林である。
その伐採には鉈(なた)の携行さえ禁じ、厳重に保全されて
いたのであるが、太平洋戦争中の燃料難から各家庭に割り
当て伐採の許しが出て、同時に国による強制的な供出薪の
割り当てにあい、急速に荒廃するに至り、山中最奧の谷間に
搬出が困難が故に約3町歩を残すのみとなった。
戦後昭和30年頃より区集会所建設の必要に迫られ、立木
の売却処分をして資を得んと区長は相談して230万円にて
現在の公民館を昭和33年に建築した。
同時期に国府地区全般に上水道敷設の工事にともない、各
戸の前までの水道管敷設費全戸分と新式ガソリン消防ポン
プ一式の購入費などに充てた。

伐採利用直後より区長は区民に植林を呼びかけ、両2ヶ年
これを実行したのであるが、激変する経済状況に出役作業
員の確保が困難になったり、労役ができない人も出たので
植林作業を断念せざるを得なくなった。
他に何らかの方法で共有林の再興を企てたが、実現に至ら
ないまま、区長交代があったりして20数年間放置された。

昭和57年6月23日区長は区役員連判の区有林整備の申請
を日高町に提出し受理された。
昭和61年春、実地測量の結果32町歩余と確定され、同年10
月役6町歩その後14町歩に杉12,600本、桧29,400本、合計
45,000本の植樹が完了した。
60年後の子孫はこれを如何に利用するか知らないが、ただ
区民永遠の発展と弥栄を祈念するものである。
(昭和63年植林完了に際し 区長菅村盛一 記す)


戦前戦後を通じて、区民が大切に育て活用してきた区有林
の荒廃を見かね、数十年後子孫の利用を考えての提案でし
た。
昭和57年のこの提案に対し専門委員会も設置され、制度の
説明や検討がなされ、区民協議の上決定され、昭和61年10
月に日高町との「造林契約証書」が取り交わされました。

区役員による育成調査を義務づけたのは、この熱い思いを
引き継ぎ、子孫に繋ぐ財産を守り育てることの大切さを訴え
たものでしょう。
制度導入後25年を経過し、世代交代も進んでこの経緯も区
有林の範囲さえ知らない人が増えてきました。

« 県行造林 満仲山 Ⅰ | トップページ | 春のパステル画、水彩画展 »

府市場物語」カテゴリの記事

コメント

すごい文書ですね。山の歴史が事細かに。大事に伝えていかなければいけない史実のような。うちの村にも区が所有する山がありますが杭の場所(範囲が)が解っているのは親父たちの年輩組までですね。知っておかないと。

山の問題はどこの区でも色々と
あるみたいですね。

写真を見る限りまだ手入れされている
方だと見えますが、後15年後に木材
需要がどうなっているかわからないですしね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 県行造林 満仲山 Ⅰ | トップページ | 春のパステル画、水彩画展 »

2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

神鍋山野草を愛でる会

道の駅神鍋高原

SUZURAN写真館

無料ブログはココログ