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愛犬ハル

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    16年我が家の家族として、楽しませてくれた「晋平」が2005年 3月息を引き取りました。 代わりに今度は女の子を購入しましたが、恐がりで人になつか ないのが困りものです。 春に来たからハルと名付けましたが、血統書付きで本名は 「文美姫号」です。

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2010年1月

2010年1月31日 (日)

六甲山最高峰 931m

六甲山という山はなく、六甲山系の最高峰が931mです。
関西の山歩きでは超有名ですが、今回が初めてでもあ
るので、一番ポピュラーな阪急芦屋川から登り始めて
最高峰を経て、有馬温泉へ下るコースを選びました。
朝8時、駅前には待ち合わせのグループが何組かいて、
結構賑わっています。
芦屋川沿いに歩き、高級住宅街を抜けると急坂登りに
なり、山道に入ると茶屋がある高座ノ滝に到着です。
茶屋入り口             滝と藤井翁のレリーフ
P1030804 P1030808
滝の左側の中央稜コースの岩場が始まり、ロックガー
デンの岩場をやり過ごして、風吹岩で休憩します。
P1030811 P1030817
風吹岩から北西方向       神戸の町並み
P1030834_2 P1030822_2
ゴルフ場を横切りながらさらに登り、雨ヶ峠を過ぎて、七
曲がりを登り切ると一軒茶屋に到着。
付近にはハイカーやドライブウエイ経由の一般客や寒中
登山の高校生の団体でごった返しています。
ここから六甲最高峰まで舗装道を5分、駅から3時間かけ
た11時にやっと山頂です。
一軒茶屋              最高峰到着
P1030844 P1030848
最高峰からの眺め
P1030853 P1030855
今日は車の運転がないので、茶屋でご褒美のビールを
いただいた後、有馬温泉に下る魚屋道(ととやみち)
1時間のコースを下ります。
P1030879 P1030877
稲荷神社を経て有馬温泉到着。
日本の古湯らしく温泉街は風情があって、土曜日でもあ
ることから観光客で賑わっています。
ここからバスで宝塚駅へ出て、JRで江原駅まで行き、天
気もよいので40分歩いて、我が家に着きました。

六甲銀座と言われ、コースや枝道も多く、挨拶するのが
大変なくらいなハイカーの多さです。
晴れ時々曇り、3月並みの気温で汗だくになりながら山行
を終了しました。
本日の六甲ハイキングの人口密度は、先週の高御位山に
続きカウント不能でした。
 

2010年1月30日 (土)

有料職業紹介許可 更新

当社は、一般労働者派遣とは別に、有料職業紹介の許可
を受けていて、3年の期間経過後新たに5年の許可更新を
申請しました。
神戸にある兵庫労働局における、許可証の受理と講習に
参加してきました。
Photo  Epson_0126_1_4
有料職業紹介事業とは、求人企業及び求職者から申し込
みを受け、雇用関係を成立させること、つまり企業と人を紹
介し、雇用まで結びつけて紹介料を頂きます。
一時的になりやすい派遣労働とは異なり、究極の仕事紹介
であり、過去何人かの方がこれによって正社員の職を得ら
れ、求人側からも感謝して頂きました。

講習では、最近の相談事例からの苦情やトラブルを示して
適正な事業運営を求められました。
苦情の内容は、賃金や労働条件が違ったことや個人情報
漏洩によるものが多いそうです。

それ以外にも、公正な採用選考が強く求められ、特に男女
を特定したり、年齢制限を加える問題点が挙げられました。

新たに免許を更新するにあたり、法の遵守は当然のことな
がら、求人求職双方に満足していただける「優良」職業紹介
といっていただけるよう務めていきます。

2010年1月29日 (金)

但馬の選択 敗者の歴史?

昨日28日は香美町余部御崎地区で「百手の儀式」が行わ
れました。
12294935450001201655985875_image1_3 (香美町ホームページより) 
地元の中高生3人が裃姿で源氏に見立てた的に、101本の
矢を放ちます。

「百手の儀式」 香美町ホームページ 
http://www.town.mikata-kami.lg.jp/www/contents/1201655985875/index.html

平家の武将たちが源氏に敗れ、落ち延びて人里離れた山
間の僻地や孤島で細々と暮らしていたといわれる平家落人
伝説が残る地域です。
全国あちこちにありますが、但馬は丹後とともに平家の知行
国だったことと、山や谷が多い地形がそうさせるのでしょう。

少し自虐的ですが、但馬の歴史は敗者の歴史といえるかも
知れません。

平安期  平家の知行地であったため、負け組平家の隠れ
      家伝説が多く残っています
鎌倉期  承久の乱 最初の但馬守護である安達親長は後
      鳥羽上皇に味方したため、地位を追わました
室町期  権勢を誇った山名氏も、応仁の乱では将軍義政
      に抗して西軍となり、宗全は切腹して果てました
戦国時代 西国の雄、毛利氏の影響もあって織豊政権に楯
      を突き、秀吉によって制圧されました
関ヶ原  出石城主小出氏は秀吉との義理もあって、毛利率
      いる西軍に与しましたが、東軍で戦った次男の功に
      より処分を免れました
戊辰戦争 山陰道鎮撫使西園寺公望に、出石の城を破壊ま
      でして恭順の意を表したといいます

「敗者の歴史」と推測もしたくなるような経緯ですが、その時々
で敗者になっても、時の権力と妥協・恭順して、新しい道を探
る強かさを身につけています。
戦後から昨年夏まで50年あまり、但馬はかっての政権党自民
党の金城湯池でした。
さらに敗者の歴史を重ねるか興味深いところです。

2010年1月28日 (木)

但馬検定 受験対策

ご当地検定の但馬版「但馬検定」が実施されます。
今年が4回目で、但馬の自然・歴史・文化・観光・産業など
但馬に関する多分野にわたる知識を学び、但馬を発見・
再発見するとともに、但馬通・但馬ファンを増やすことを
目的としています。

但馬検定に関しては「但馬情報特急」 ↓
http://www.tajima.or.jp/modules/official/index.php/tajimakentei/top.html

過去三回受験し、滑りそうで滑らなかった私の勉強法をお
教えします。

①各新聞の但馬版に目を通しました → 図書館に全紙揃
  っています
②インターネット → 但馬情報特急、但馬の百科事典など
 その時々に調べました
③過去問による復習 → 出題傾向が読めます
④史跡や名所など、近くに行ったときに立ち寄り確認しました。
⑤但馬ふるさとづくり大学を3年受講 → テキストにないこ
 とが学べました

過去問題は、上記のホームページからダウンロードできます。

資格を取ることにたいした意味はありませんが、検定を通じて
但馬に興味関心が持てます。
また、知ることでふるさとを愛するようになり、それを伝えるこ
との大切さを知るようになります。
 

2010年1月27日 (水)

雪遊びいろいろⅡ

積雪量が多くなる1~2月は根雪になることが多く、子ども
達の遊びは雪を利用するものがほとんどでした。
テレビもゲーム機もない時代に、昼間に家にいる子はほと
んどなく、元気に外で冬ならではの遊びをしていました。

男の子は手辺では「キンケラコン」、他地区では「キンカン」
といって、雪で作った芯を転がしながら踏み固めて、大きく
硬くした20~30CMくらいの泥だらけの雪玉を作り、玉同
士をぶつけ合って勝負するのが流行りました。
単純な遊びのようですが、作った玉を一晩雪の中に埋めて
凍らせたり、少しワラを加えて割れにくくしたり、いろいろ知
恵も使います。

ソリ滑りやスキーとは違って、お堂の軒先でもできる簡単な
遊びですが、男の子は結構はまっていたように記憶していま
す。
暗くなるまで外で遊んで、泥で汚れたあかぎれだらけの手を
タライのお湯につけてクスリを塗ってもらい1日の終了です。

 

2010年1月25日 (月)

高御位山 304m

快晴が予報される日曜、高砂市高御位山(たかみくらやま)
に登りました。
高砂市は姫路市と加古川市の間に位置する人口10万の都
市で、加古川河口に工業地帯が広がっています。
今回で2回目となる高御位山は「播磨富士」と呼ばれ信仰の
山として知られ、低山ながら馬蹄形に広がる連山縦走が楽
しめる人気の山です。
西端、鹿嶋神社          右端、高御位山頂
     Photo_3
連山の西側、鹿嶋神社にお参りの後登り始めますが、眼
下に高砂、加古川の街並みが広がり、工場地帯の煙突の
向こうに淡路島が、西は家島諸島や小豆島が見渡せます。
P1030745 P1030754
行程は鹿嶋神社から登り始め、百間岩をを越えて鷹ノ巣
山を経由し、山頂で昼食後、東に回り込んで小高御位山
と中塚山を越えて下山後、始点の鹿嶋神社に帰る約4時
間のコースです。
通常、登りを重ねて頂上へ、下山は下る一方が多いので
すが、連山の縦走はアップダウンが繰り返され、尾根道
からの眺めが楽しめるのが特徴です。
百間岩               尾根道
P1030738 P1030748
山頂で記念写真          岩場
P1030761 P1030763_2
高御位神社             お供えの水           
P1030759 P1030758
加古川市街地           明石から淡路島
P1030745_2 P1030762
岩場に古代の祭祀跡があり、神が巨岩に降臨した場所と
して、古くから崇(あが)められてきたそうです。
神社へ2リットルのボトルに入れた水をお供えするのは、
お供え後、山頂にあるトイレに使ってもらうためで、水の
ない山での登山者の心遣いでしょうか。

下りは北山コースを選び、アップダウンの続く道を、1時間
かけて北山鹿島神社で終点となり、駐車した霊園に戻り、
9時半から14時まで4時間半の山行は終了します。

今回は珍しく経友仲間会仲間のNさんと二人旅ですが、快
晴かつ人気の山でもあるので、尾根筋や山頂は家族連れ
や団体・グループで大賑わい。
本日の高御位山の人口密度は、人が多すぎてカウント不
能でした。
 

2010年1月23日 (土)

愛宕講 手辺橋上組の大火

私の住む府市場約90軒は7つの隣保に分けられています
が、昔は橋上組として今の1と2隣保が所属していました。
毎年1月23日になるとそれぞれに、火除け火伏せの行事と
して愛宕講が開かれます。
昔は当番宿を決め、お酒や料理が振る舞われるものの、
途中で拍子木を持って夜回りが行われていました。
夜通しの行事なので、花札などのばくちも盛んで、新年行
事として長く伝えられてきました。
これは昔近くの大工小屋から出火し、橋上組の6軒が全
焼したことから、始められたものと聞きます。

今でも、愛宕講として近くの神社から「愛宕神社火災防護
攸」と書かれた愛宕神社の火伏札を頂き、各戸の戸主が
代表してお参りします。

愛宕神社のお札を入れた厨子と火除けの掛け軸
P1010002 P1030794_4  
お参り後は新年会に変わり、場所も公民館から料理屋に
移り、ご馳走を食べカラオケで大騒ぎするようになったこと
で、夜回りも花札ばくちも無くなりました。

愛宕山は京都市の北西にあり標高924mの山で、古くから
火伏せ・防火に霊験のある神社として知られていて、日本
各地に愛宕山の名前をもつ山があります。
当地でも各所で「愛宕」にまつわる同じ火防(ひよけ)・火伏
の行事が行われます。
火を使うことで生活する人間にとって、火事は宿命と言える
事故で、火事との闘いの歴史といえます。
火元だけでなく隣近所の財産や生命を失うことになりかね
ない身近な出来事です。

90有余年の時を経て、お祭りの意味を知る人も少なくなり
ましたが、本来の火除け火伏せの意味を肝に銘じ、ゆめ
忘れることが無きようにしたいものです。

2010年1月22日 (金)

e-tax 審査請求 面談

昨年の確定申告時のe-taxでの処理をめぐっての始末
が続きます。
8月末に国税不服審判所に審査請求を出したのですが
答弁書の作成など書類上の手続きを経て、21日午後か
らと翌22日午前にかけて審判官2名と事務官の3人が来
社され、面談が行われました。
e-taxのシステムに関しては、私のパソコンから昨年の
処理を再現するのと、その後の豊岡税務署の対応につ
いての主張を整理して文書化し、確認を求められました。
国税不服審判所は大阪にあるのですが、神戸支所が
担当で、わざわざ2日間にわたり3方が出向いて頂き、
状況の調査と主張の整理確認を行って頂きました。

行政庁の違法又は不当な処分などに対する不服申立て
ができる行政不服審査制度なのですが、言い分を真摯
に聞いて頂きました。
税務署側に対しても調査が行われた後、もう1人加えた
3人の審判官による審理が行われ、大阪国税不服審判
所の裁判官による最終審査を経て、本部による裁決が
送られてきます。
時期は6月頃、裁決は処分庁による「処分」に対し、棄却
か、取り消ししかありません。

次にブログアップする時は、結果をお知らせすることに
なります。
争っている処分の中味は、「不申告」による加算税(税額
の5%)と延滞税(3月15日から4月22日までの利息)の合
計13,000円です。 

この結果に対して、不服ならさらに裁判で争う道もあるの
ですが、そこまでするつもりは毛頭ありません。
未だに国民の間に定着していないe-taxにおいて、起こり
うるミスに対し、現場である税務署の対応に反省と改善を
求め、今後の税務行政に活かしてもらうためのものです。
いずれにしても、過去3年続けたe-taxによる申告ですが
この問題の決着がつくまで使いません。

今回のe-taxに関する経過については、ブログページの
右側「サイト内検索」の窓に「e-tax」と入れてもらえば、8
件の過去記事が出てきます。
お暇で興味がある方はどうぞ!

2010年1月21日 (木)

日航破綻と但馬空港

日航が会社更生法を申請し、経営破綻が明らかになった
ことで但馬空港への影響が懸念されます。
但馬ー伊丹の日に2便を運行しているのが、日航の子会
社JAC(日本エアーコミューター)だからです。
JACのホームページには、法的整理手続きの対象となっ
ていなくて、引き続き安全運行と快適サービスに努める旨
を載せています。
http://www.jac.co.jp/company_info/info_20100119.html
日航側の説明でも削減対象路線となっていないそうですが、
15年前総工費180億円を投じて建設され、いまも県から数
億円の支援、近隣市町から数千万円の運賃助成を受けて
かろうじて維持されている空港だけに、「ひょっとして」の疑
念が晴れないところです。
見方を変えると、行政丸抱えだから日航破綻は影響しない
のかも。

Epson_0122_1_2

21日の朝日新聞記事

 但馬空港のことも載せています


伊佐屋三木のblog 
「但馬空港 利用促進 問題点」 ↓


http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-1134.html

2010年1月20日 (水)

但馬の大寒

今日20日は、一年を24等分して季節を表した24節気の大寒
にあたります。
立春から始まる24節気も大寒で終わります。
一年で一番寒さの厳しい頃をいいますが、といっても今日一
日だけが大寒なのではなく、立春までの期間を表します。
逆の見方をすれば、これを過ぎると暖かくなるので、春に向
かって季節が動く峠の頂上付近といえます。

太陰暦なので実際の季節とはずれることになりますが、私の
住む雪国但馬では、この間が一番積雪が多く寒いので、「大
寒」がぴったり馴染みます。
昨日から強い移動性高気圧に覆われて、最高気温が13度を
記録しましたが、今日はさらに暖かくなって15度の予報です。
今晩から雨でところによっては雪に変わるようで、つかの間
の日差しと暖かさが味わえる貴重な二日間です。
但馬の大寒はこれからです。

気候風土と人間の気質が密接な関係があるとすれば、但馬
人の粘り強さや我慢強さは頑張りに繋がり、短所は決断力
や行動力に欠けるところといわれます。
併せて、他人にはすぐに心を開かないところもあるようです。
時代の流れでそんな但馬人気質も薄くなりました。

2010年1月19日 (火)

百人一首考(坊主めくり編)

 以前百人一首の話はしましたが、子供の頃当家には帝国
カルタ會特選の競技カルタしかなかったので、読み札に絵は
全く入っていませんでした。 ↓
Photo1_2 
坊主めくりをしたのは近所の主婦達が集まって競技をする
ために、カルタを持ち寄った時しかなく、恨めしく思ったもの
でした。
その分競技に身を入れることが出来たという風に解釈する
とよいのかもしれません。

昭和も中頃になって、新しく購入したとき初めて絵付き読み
札で坊主めくりを楽しむことができるようになりました。 ↓
P1090001
ルールは原則があるのですが、それぞれローカルルール
やプライベートルールを作って楽しまれています。

基本はすべて裏向けした札を順番に引き、積み札が無くな
るとおわりですが、以下のルールがあります。
①坊主を引くと持ち札を場に出す。
②姫を引くと場に出された札があれば自分のものにする。
③それ以外の武家や公家であれば、その札を自分のもの
 にする。

その上当家のルールは・・・・・・
④縞模様の台座に座っている天皇及び院を引くと自分の
 次に位置する人の札を総取りできる。
 女性天皇(持統帝)の場合は、場の札も手に入れること
 が出来る。
⑤刀や弓矢を持った武家を引くと逆に自分の後に位置す
 る人の札を総取りできる。

もともとの天国と地獄ルールに加え、ギャンブル性を持た
せてよりおもしろくしていました。

今年の正月は2歳と3歳の孫に手を取られ、カルタの出番
はありませんでした。
何年かすると親父がしたように、私が孫を特訓するように
なるのでしょうか。
形は少しずつ変わりますが、歴史は繰り返されるのですね。
(’08記事再録)

2010年1月17日 (日)

西光寺山 713m

4日連続降雪の但馬を離れ、県中部篠山市今田町と西脇
市にまたがる西光寺山713mを目指しました。
P1030728 P1030731
西脇市からの道もあるのですが、今田町側本荘バス停か
ら少し入った墓地の駐車場から頂上まで、2.6kmの道を
歩き始めます。
最初の林道を進むと登山道ですが、造林帯が全く見られ
ない自然林の中を登るのは気持ちがよいものです。

炭焼き釜跡               凍結した水飲み場

P1030675 P1030725 
途中ふもとを散歩中のお年寄りと遭うくらいで、薄く積もっ
た雪に足跡はありません。
P1030678_3 P1030681
90分ほどで展望台とお社がある頂上到着です。
晴れてはいるものの北から雪雲が通り過ぎる度に、粉雪
が舞うお天候です。
P1030722 P1030718
評判通り眺めがよく、北東に白髪岳、南は虚空蔵山、南
は六甲の山々と播州清水寺のある御嶽山や、遙か向こ
うには明石海峡大橋や淡路島が見渡せます。

松尾山・白髪岳           西寺山・虚空蔵山
P1030690 P1030699
御嶽山清水寺・六甲の山並み  明石海峡大橋・淡路島
P1030706 P1030708 
少しして西脇側から小学生2人を連れた家族が登ってきて
話を聞くと、三田市に住んでいるが出身は近所の日高町
野々庄だそうで、狭い世間に感心しました。
地図で確かめるのでもなく、周りの景色や山を子供達に教
えるでもなく、お昼を食べると下山していきました。
昨夜から早朝にかけて丹波一帯も雪、そのせいでもあるの
か、本日の西光寺山の人口密度はわずか5.0人でした。  

2010年1月15日 (金)

小正月 百人一首 かるた会

小正月時期になると地区公民館や中学校などで、かるた会
が催されます。
先日の「第56期名人位、第54期クイーン位決定戦」では、
西郷名人の12連覇、楠木クイーンの6連覇で終わりました。

競技会の模様は YouTube ↓
http://www.youtube.com/watch?v=oUSWwEB2T6U

小倉百人一首は、鎌倉時代、歌人の藤原定家が、百人の
人の最も代表的な和歌を一首ずつ選んだものです。
それらの百首は、すべて「古今集」 ・「新古今集」など十の
勅撰和歌集から選ばれています。
百首のうち、恋の歌が四十三首もあり、季節では秋の歌が
十六首で一番多く選ばれています。
なお、百人のうち女性歌人は二十一人、僧侶は十五人です。
我が家でもカルタ競技の合間に、読み札を使って「坊主めく
り」を楽しんだものでした。

時は昭和32年頃から、テレビが普及する38年頃、伊佐屋三
木家に区内のご婦人方が集まり、かるた会が毎年開かれて
いました。
松の内も過ぎ頃一段落した小正月、ミカンや駄菓子を手
に母の友人10名程度が集まり、座敷を舞台に「源平」とい
って二手に分かれて団体戦を繰り広げていました。
皆が集まるまでは「乱取り」と言って、誰もがフリーに取り合
う方法で人が揃うのを待ちます。
それぞれに「おはこ」という得意札があり、それをものにする
かどうか大騒ぎ、真剣な中にも笑いの絶えない和やかなもの
でした。
読み手はいつも父が勤め、当時小学中学年だった私も仲間
に入れてもらい大いに鍛えられました。
メンバーで存命者は二人くらいで、父母を初め殆どのメンバ
ーは亡くなり、いまは天国で楽しんでいることでしょう。

娯楽の少ない時期しかも地方の田舎町で、迎春仕事にやっ
と解放された主婦達の娯楽が、百人一首という「高尚」な遊
びであったことは興味深いものです。
今では骨董品級の「東京かるた選手會発行の競技用カルタ」
を持っていたことを見ても、元来伊佐屋三木家でたしなんでい
たことが、交際好きな父母を通じて地域に広がったのでしょう。
Photo_3

東京かるた選手會発行
競技用「公正かるた」






 
一段落してミカンを食べて競技再開の時は、手を洗わされた
り、終わった後は必ず数を確認するくらい大切に扱ってきまし
た。

私たちがUターンしてから、当家では父がコーチ役になって、冬
休みになると娘二人を毎晩特訓してくれました。
それぞれ中学校のカルタ会では優勝に近い成績でしたが、その
努力を持ってしても、娘は「偉大な父」を越えられませんでした。
今度は孫達の特訓役となり、「偉大なジジ」越えを目指させるこ
とにしましょう。 

2010年1月14日 (木)

雪道での転倒防止

上空に強い寒気が流れ込み、日本付近は強い冬型の気圧
配置となっていて、今朝の最低気温は豊岡で-2度、神戸で
も-0.9度を記録しています。
里では積雪は少ないものの、昨夜から道はバリバリに凍って
いて相当滑りやすくなっています。

雪や凍結が多かった昭和期の但馬では、雪道に転ぶ若奥さ
んを見て、「あれは他所から来た嫁だな」と判断したそうです。
かくいう我が家も、母は岐阜市出身、嫁さんも岡山県南東部
和気町の出身で、よく転んだのでしょう。

この寒波は九州・四国を初め西日本に雪をもたらしました。
車社会の現代は、嫁さんが転ぶだけでは済まず、交通事故
が多発します。
都市部は歩行者が転倒して、負傷者が出ます。
雪になれたはずの我々でも、降り始めは油断して冷や汗を
かくことがあります。
姫路ナンバー(但馬はこれ)の車が脱輪してたら注意不足に
つき無視して、他府県ナンバーなら助けてあげるという「不文
律」もある?くらいです。

凍結している道で転倒を防ぐには、コツが紹介されています。
①小さな歩幅で歩く
②重心を前におき、できるだけ足の裏全体を路面につける
③余裕をもって歩く


本場雪国の
「さっぽろウインターライフ推進協議会」
http://tsurutsuru.jp/
「つるつる予報」までが載っていて、札幌ではレベル2だそう
です。
出かける前にお読み下さい。

2010年1月12日 (火)

三国岳 855m

区の初総会も終わり、連休最終日の11日多可郡加美区の
三国岳を目指しました。
冬の間は、但馬は積雪で無理なので、これからは丹波・播
磨・神戸を歩きます。
三国岳の由来は、但馬・丹波・播磨三国にまたがっている
ことからつけられています。

美しい山容             荒れ放題の道
P1030657 P1030611
道の駅「かみ」の向かいの青玉神社横の林道から1km程
いくと駐車場があり登山口です。
沢沿いの造林作業道は台風の豪雨の影響からか、倒木
路肩の崩落など荒れ放題になっています。
植樹帯の倒木を乗り越え、道がきれた沢を渡りながら五
合目まで行くと、やっと自然林に囲まれた山道です。
国を分ける三国峠に到着すると但馬生野と播磨千ヶ峰か
らの道が合流し、三国の意味がわかります。

中腹自然林の道          三国を分ける峠
P1030622 P1030626
予報に反して天候も晴れ、積雪も5cmほどで1時間半で
山頂到着です。 
P1030631_3 P1030638_2
山頂からの眺めは南東だけが開けていて、竜ヶ岳と千ヶ
峰が、少し下れば但馬方向段ヶ峰の山々を望むことがで
きます。
冬には珍しいほどの暖かい日差しに、のんびりと昼食を
食べ1人写真も終えました。

南東竜ヶ岳・千ヶ峰方向     北西・生野段ヶ峰方向
P1030640 P1030646
反対側の生野に降りたいのですが、降りた後帰る足がな
いので、もと来た登山道を下ります。
三国峠から千ヶ峰(1.005m)まで縦走路がつけられていて
季候の良いときに挑戦したいものです。
下り途中で、粋なカウボーイハットのおじさんと遭っただけ
で、本日の三国岳の人口密度は2.0人でした。

山を下りた後は、429号を生野に抜け但馬守護山名氏が
建立した臨済宗の古刹大明寺にお参りした後、すぐ横の
黒川温泉で汗を流し、本日の山行の締めとしました。

2010年1月10日 (日)

有限性の認識 白骨の章

府中小中学校の同級生が亡くなりました。
昨年も1人、心臓疾患でした。
豊岡市内で診療所を開業していましたが、病名はがんと
のことでした。

通夜の席で、導師がお経の後少し時間をとってお話しさ
れたました。
医者としても人間としても誠実で思いやりが深かった人と
なりを紹介して、人の命の儚さをとその時に家族を含めて
周りの人が共有する時間の大切さを話されました。
我々宗教者の務めは有限性を認識して頂くことですとも。

我が家と同じ宗旨の浄土真宗で、最後に御文章のうち「白
骨の章」を紹介して終わられました。
珍しく女性の導師でしたが、通常通夜ではお話しされない
ケースがほとんどなので印象深いものでした。
喪主の挨拶ではご長男が、残念な気持ちの中、「父の生き
方を尊敬していて誇りに思う」とお話しされました。

白骨の章は、蓮如上人が書かれたもので、子供のころから
お経の後に詠んでいたので、自然と覚えましたが、幼稚園
から高校までの13年間ともに学んだ友の通夜で、改めてそ
の意味を考えさせられました。

白骨の章
(真宗中興の祖、蓮如上人の『御文章』の中では一番知ら
 れていて、浄土真宗の葬儀で読まれます)

夫、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはか
なきものは、この世の始中終まぼろしのごとくなる一期なり。
さればいまだ万歳の人身をうけたりといふ事をきかず、一
生すぎやすし。
いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。
我やさき人やさき、けふともしらず、あすともしらず、おくれ
さきだつ人はもとのしづく、すゑの露よりもしげしといへり。
されば朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。
すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこた
ちまちにとぢ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなし
く変じて桃李のよそほひを喪いぬるときは、六親眷属あつ
まりてなげきななしめども、更にその甲斐あるべからず。

さてしもあるべき事なれねばとて、野外におくりて夜半のけ
ふりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。
あはれといふもなかなかおろかなり。
されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、た
れの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふ
かくたのみまゐらせて、念仏まうすべきものなり。
あなかしこ。あなかしこ。

2010年1月 9日 (土)

松葉ガニ 荒天で不良

但馬水産事務所の集計によると11月の解禁以降、荒天など
が影響して、前年同期の3割減とのことです。
年末年始のシーズンを迎え、高騰するカニ相場に価格転嫁
や質量ダウンもできず販売業者や旅館関係者は悲鳴を上げ
ているそうです。
水産物の価格は、漁港の市場の「競り」で決まります。

松葉カニ(津居山港カニ)の初競り るんるんテレビ 
http://www.run2.tv/

資源の減少なら大変ですが、荒天が原因ならまだ望みがあ
りますね。
日本海は広く、他地域や他国で獲れたズワイガニが市場に
出てきていますが、出所を明らかにするために漁協別のタ
グがつけられます。
「由緒正しさ」は人間の専売特許ではなく、カニの世界にも求
められるようになりました。

<松葉ガニの漁期>
松葉カニ   (オス) 11月6日~3月20日
松葉カニ   (メス) 11月6日~1月10日
水ガニ  (脱皮カニ)  1月16日~3月20日
香住ガニ (紅ガニ)   9月1日~5月31日

お求めはお早めに!

2010年1月 8日 (金)

三角縁神獣鏡 邪馬台国

大和政権の大王の墓とみられる奈良県桜井市の桜井茶
臼山古墳から大量の銅鏡の破片が見つかったと発表さ
れました。

これまで最多だった平原遺跡(ひらばる)1号墓(福岡県
糸島市)の40面を越えて最多とのこと。
このうち26面見つかった三角縁神獣鏡は、「正始元年」
(240年)の年号が入っています。
この年は邪馬台国女王卑弥呼が魏に遣わした使いが帰
国した年とされます。
歴史書魏志の倭人伝に邪馬台国や卑弥呼の記述や皇
帝から金印とともに「銅鏡百枚」贈られたことが書かれて
います。
昨年の大規模な遺構の発掘で、邪馬台国の最有力候補
地とされる纒向(まきむく)遺跡と近いことも興味深いもの
です。

この鏡は私が住む兵庫県豊岡市の森尾古墳でも発見さ
れています。
3世紀中頃海を渡り、大和や但馬・筑紫へと広がっていっ
たのですが、どんな旅だったのか、銅鏡に聞いてみたい
ですね。
伊佐屋三木のblog 邪馬台国時代の但馬 
http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-3035.html#search_word=平尾

2010年1月 7日 (木)

七草粥(かゆ) 鳥追い歌

正月の期間を、松の内(まつのうち)と呼び、一般には7日
までとされます。
七日の朝に食べる七種粥(あるいは、七草粥とも)が、松
の内の最後の行事で、門松や注連縄など正月飾りも片付
けます。

七草粥のいわれは、正月のご馳走で酷使された胃をいた
わり休ませることにあると同時に「鳥追い行事」の意味も
あったように思います。
子供の頃、父がまな板で葉を刻む時、叩いて大きな音を
させ、「唐土(とうど)の鳥が、日本の国に渡らぬうちに七
草そろえ・・・・・」と唱えていたのを覚えています。
害鳥を追い、疫病が流行せぬことを願った厄除けの一種
でしょうか?

七草粥は有名ですが「鳥追い」は余り知られてないので、
Wikipediaで調べてみると・・・
『七種は、前日の夜に俎に乗せて囃し歌を歌いながら包丁
で叩き、当日の朝に粥に入れる。囃し歌は鳥追い歌に由
来するものであり、これは七種粥の行事と、豊作を祈る行
事が結び付いたものと考えられている。
歌の歌詞は「七草なずな 唐土の鳥が、日本の土地に、
渡らぬ先に、合わせて、バタクサバタクサ」など地方により
多少の違いがある』 と記されています。

食物が少ない昔でもその必要性が言われたのに、まして
メタボ社会の現代、春の七草を粥に入れて胃を休める意
味はますます大きくなります。
春の七草は「セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・
スズナ・スズシロ、これぞ七草」と覚えました。
(昨年記事の再録)

2010年1月 6日 (水)

渋キャラ 玄さん

近年のゆるキャラブームで、豊岡市でもコウノトリのコーち
ゃん、オオサンショウウオのオーちゃんがイラストや着ぐる
みで活躍していました。
そんな中、もう1人のが玄さんが、ゆるキャラとはひと味違
う硬派な風貌の渋キャラとして、注目を浴びています。

世界ジオパークへの登録を目指す山陰海岸をPRするため
玄武洞公園に記念写真が撮影できる顔出し看板が設置さ
れています。
年末には年賀状イラストが提供され、市のホームページか
らもダウンロードできました。
今年の年賀状にもこれが使われたのが何通かきたので、
豊岡市の狙いはあたりました。
写真のように六角形の玄武岩の輪郭で、石工をイメージ
した作業着や鉢巻き・腹巻きを着けたガテン系です。
Photo 1257411677031_1257410845724_image3
(写真は市のホームページより)

以前から地域コミュニティバス「イナカー」の車体に書か
れていましたが、今回大ブレークしたのは、顔出し看板や
着ぐるみで一層身近になったのと、ゆるキャラにはなかっ
た大人の渋い雰囲気が好まれたのでしょう。
Img_6794  Img_6797
市のホームページにも着ぐるみ玄さんの行動予定が載せ
られていて、市長の行動予定より注目を浴びそうです。
コーちゃんもオーちゃんも玄さんも豊岡市職員が生みの
親だそうで、宣伝上手の豊岡市に大いに期待したいです
ね。
玄さんのプロフィール
◇出身地 豊岡市
◇年齢 推定160万歳
◇身長 2メートル
◇体重 160キログラム
◇好きな食べ物 どぶろく、白ごはん、漬物
◇好きな場所 火山
◇趣味 自然観察
◇特技 漬物づくり、石垣積み
◇夢 美しい自然が守られること

2010年1月 4日 (月)

訃報 平尾源太夫氏

新聞の訃報欄に、豊岡市森尾の平尾源太夫氏が亡くなった
とありました。
江戸期において但馬地方最大、兵庫県下においても屈指の
大地主で、幕末期には207町歩の田畑を所有していました。

農地集積の過程や小作制度でいろいろ苦しんだ農民もあった
はずですが、戦後の農地解放でほとんどを失われました。
その平尾家の10代目、神戸銀行の支店長や豊岡市農協組合
長・豊岡市長を歴任され地域やお寺の発展に尽力されたと聞
いています。

森尾のお宅は、国登録有形文化財に登録された邸宅であり、
一昨年秋の見学会でじっくり見せていただきました。
その時の白髪で長身の凜としたお姿が印象的でした。
ご冥福をお祈りいたします。

伊佐屋三木のblog 平尾源太夫邸見学 ↓ 
http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-7c52.html#search_word=平尾

伊佐屋三木のblog 邪馬台国時代の但馬 森尾古墳 銅鏡 ↓
http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-3035.html#search_word=平尾
 

2010年1月 3日 (日)

孫娘の誕生

正月3日深夜に横浜に住む長女に2人目が誕生しました。
入院後2時間くらいで生まれ母子共に健康との連絡が入り
ました。
娘は祭日(勤労感謝の日)に生まれ、その子は正月3日と
は、賑やかなのが好きなのでしょうか。
また、上の男の子は私と全く誕生日が同じで覚えやすい一
家です。

伊佐屋三木家には古くからの家系図は存在しませんが、甥
が戸籍資料を基に、取りあえず明治期の曾祖父治郎市から
三木家家系をパソコンで作ってくれました。
口で言うとわかりにくい関係ですが、図にするといとも簡単に
分かるもので、重宝にしています。

家系図の一部 ↓
Epson_0103_1_3
手辺伊佐屋三木を継ぐ私にとって少し気がかりなのは、曾祖
父治郎市からの写真が残っていて、秀蔵・素と当主の共通点
は頭を使うからか髪が薄いことです。
そんな「系統」の確かな継承に諦めを感じる今日この頃です。

この家系図には、6代まですべてが載せられていて、孫娘が
新たに加わります。
寅年の今年、良いことがありそうな一報でした。

2010年1月 2日 (土)

雪遊びいろいろ

家の近くに円山川堤防があって、子供のソリ遊びができます。
少し晴れ間が出てきた二日、孫と出かけました。
我が家へ来ると夏の海水浴と冬のソリ遊びを楽しみにしてい
ます。
ソリ滑りをしたり、雪だるまを作ったりしてお正月のよい思い出
になったことでしょう。

P1030598   
私が子供のころは、孟宗竹を火にあぶって曲げて、自転車の
チューブで長靴を固定した簡易スキー板で遊んでいました。

その後ヒコリーの板やバックル式の金具が開発されましたが、
固形の蝋を板の接地面に塗ったり、ストックの皮部分に油を塗
ったりして、道具を宝物のように大切に使ったものです。
お金も物もなかったころの思い出です。

2010年1月 1日 (金)

雪の但馬から謹賀新年

ブログを始めて3年連続雪のお正月ですが、これが普段の
但馬です。
P1030565 Img_1540
2009年「雪の但馬から謹賀新年」 
http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-72f5.html#search_word=謹賀新年
2008年「雪の但馬から謹賀新年」 ↓
http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_c011.html#search_word=謹賀新年

わずか10日間で、クリスマスを祝い、お寺の除夜の鐘で煩
悩を払い、神社の初詣まで神や仏のはしごとは、日本人の
融通無碍の典型と言われますが、何事もそれなりに受入れ
取り込んでしまう強かさは嫌いではありません。
私の代になって略式となりましたが、元旦の朝は仏壇の仏
と神棚の神に手を合わせた後、家族揃った新年の挨拶で
始まります。
P1030553_2  P1030554
家族の挨拶と御神酒とご馳走を頂いた後、氏神様「伊智
神社」へお参りです。
お隣の上郷「気多神社」ほどではないものの、府市場区
の守り神として式内社にも列せられています。

Img_1542 Img_1545
氏神様にはご五穀豊穣・区内家内の安全をお願いにお
参りしります。

伊智神社に関しては・・
玄松子(GenSyouShi)さんのホームページ 
http://www.genbu.net/data/tajima/iti_title.htm

但馬の国は、式内社の数も他国と比べて多いのが特徴で
初詣は但馬の国一宮である「出石神社」が有名です。
ほかに絹巻神社・小田井神社・養父神社・粟鹿神社を加え
て但馬五社めぐりとして、初詣のはしごをする方もあります。
 

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