講演会 「考古学から見たアメノヒボコ」
アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)は、『古事記』、『日本書
紀』の神話に登場する神で、『日本書紀』では新羅王子と
されます。
但馬の一宮である出石神社の祭神で、泥海であった但
馬を、円山川河口の瀬戸・津居山の間の岩山を開いて
濁流を日本海に流し、肥沃な但馬平野を造った神と伝
えられています。
出石神社 ↓
http://www.norichan.jp/jinja/benkyou/izushi.htm
ヒボコ伝説は播磨・近江・若狭にも残っていて、この地を
経由して但馬に入ったとされています。
先週の日曜に講演会「考古学から見たアメノヒボコ」が開
かれ、参加してきました。
・内容
Ⅰ.「考古学から見たアメノヒボコ-但馬からの視点-」
瀬戸谷 晧氏(豊岡市出土文化財管理センター所長)
Ⅱ.「考古学から見たアメノヒボコ-播磨からの視点-」
亀田 修一氏(岡山理科大学教授)
講演会後、考古博物館長 石野博信氏を交えた対談を行
なわれました。
亀田先生は渡来文化特に朝鮮半島関連の第一人者とし
て、播磨各地に残っている渡来文化の痕跡を中心に話さ
れました。
瀬戸谷先生は教育委員会で考古学研究が長く、但馬の
遺跡遺構の権威で、但馬各地に残されている人名・地名
・遺跡に残された石室や埋葬品などに渡来文化の影響が
残っていることを話されました。
亀田教授 ↓ 瀨戸谷所長 ↓
このことから但馬各地に弥生・古墳時代に朝鮮半島から
何らかの理由で日本に渡来した集団があり、それが「ア
メノヒボコ」伝説となったことが推測できました。
古事記にはヒボコが日本に渡った理由として、『奢り高ぶ
ったヒボコが、美麗しい妻を罵ったので、「私はあなたの
妻にはふさわしくありません。親の国に帰ります」と言って
小舟に乗って難波の津に逃げてしまったのを反省したヒ
ボコが妻を追って日本へ来た』と書かれています。
今の家庭内暴力・DVが古事記に書かれていて、アメノヒ
ボコが元祖だったのと、勇気ある妻の決断がおもしろい
ですね。
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ちょうど同じ様なお話をこの間の例会で勉強しました。
非常にロマンあふれるお話ですね。
今度九州に行く際には吉野ヶ里遺跡を見てきたいと思います。
投稿: 栄治 | 2009年7月15日 (水) 18時18分