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愛犬ハル

  • P1020325
    16年我が家の家族として、楽しませてくれた「晋平」が2005年 3月息を引き取りました。 代わりに今度は女の子を購入しましたが、恐がりで人になつか ないのが困りものです。 春に来たからハルと名付けましたが、血統書付きで本名は 「文美姫号」です。

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2009年6月

2009年6月30日 (火)

常隆寺山(淡路) 515m

翌日曜は常隆寺山 515mを目指します。
泊まったのが南あわじ市南淡町なので、一般道を北上し
淡路市北淡町までの帰り道です。
ふもとの久々野地区の集落に車を置いて、2km弱の舗
装道をゆくり昇ります。
P1000356 P1000353
道脇に植えられたアジサイが満開で、変化のない舗装道
に、それだけが救いの40分の登りです。
P1000346 P1000351
山頂付近に真言宗の古刹常隆寺があることから名付け
られたのでしょうか?
P1000323 P1000324
お寺の脇を抜けて鳥居をくぐって5分で常隆寺山頂に着
きました。
山頂には三角点とお社があるだけで、眺めも東方向が
一部あいているだけです。
P1000328 P1000330 
たまたま法要があって、20人ほどがお参りされていました
が、参道や山で誰も会うことがなかったので、本日の常隆
寺山の人口密度は1人だけでした。

参道及び常隆寺付近の見事なアジサイ 
P1000339 P1000340
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兵庫50山の完登を目指していますが、南但以外の但馬
に続き淡路が終わりました。
 

2009年6月29日 (月)

諭鶴羽山(淡路) 608m

土日の二日間、異業種交流団体の淡路研修参加のつ
いでに昇ってきました。
兵庫50山で淡路にある諭鶴羽山と常隆寺山で、諭鶴羽
山は淡路島最高峰で一等三角点が置かれています。

梅雨の中休みも今日まで、日差しのきつい中、三原側
の諭鶴羽ダムから昇ります。
P1000299 P1000251
土地の人に聞くと、「最初は少しきついけど、後は楽で、
1時間と少しで昇れますよ」でした。
その通りの急な登りでしたが、すぐに稜線に出て、神倉
神社にお参りした後、山頂を目指します。
山頂付近に諭鶴羽神社があるので、参道も兼ねていて
石地蔵が丁ごとに配置されています。
近畿自然歩道になっていて、道も広く案内版も丁寧で、
ハイキング感覚で進めます。
だらだらとした昇りと尾根伝いの道を70分ほど歩くと、山
頂到着です。
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山は広葉樹が多く、木の実も豊富で、植物・鳥・獣が多く
ウグイスをはじめとする鳥の鳴き声やシカの姿まで見ら
れました。
山頂には展望台があって、ここからは大阪南部と和歌山
そして鳴門海峡をまたぐ大鳴門橋が見えます。
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食事のあとは少し下って諭鶴羽神社に参拝します。
スイセンで有名な灘黒岩側からは、車で上れます。

諭鶴羽神社           神の使い?
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山頂で6人、道中で2人にお会いしたので本日の諭鶴羽
山人口密度は9人でした。
 

2009年6月26日 (金)

コウノトリ但馬空港

兵庫県には伊丹市にまたがる大阪国際空港と神戸空港
の他にコウノトリ但馬空港があります。
神戸空港に先駆けて建設され、今年で15周年を迎えます。
とはいうものの、コミューター空港で小型航空機による近
距離地域を路線とし、但馬-大阪間を1日2便運行してい
ます。
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過疎地域の利便性を図るため、兵庫県や各市町が相当
な額の補助金を出して運行を保障しています。

久しぶりに木曜から東京出張に使いました。
朝9時半の家を出て、空港まで7分。
10時10分発で大阪空港まで30分、東京便に乗り継いで
1時前には都心に着きます。 
利用促進のため4千円弱の補助が出て、新幹線と特急
の乗り継ぎとほぼ同額1万6千円になります。
飛行機は3時間弱、JRは5時間弱ですが、疲れは飛行
機のほうが少ないのは当然です。
帰りも利用するつもりだったのですが、平日にもかかわ
らず満席でした。
この時期は小学生の社会見学で往復利用があるから
だそうです。
P1000242 P1000233_2
造るのも運営するにも採算が度外視され、莫大な税金が
投入され続けていることを思うと・・・・・。
さらに、羽田空港乗り入れを計画しているとのこと。
この程度の利便性はなくても我慢できることで、滑走路
拡張も含めて新たな投資には全く賛成できませんね。

空から見たコウノトリ但馬空港 天橋立上空通過
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2009年6月25日 (木)

労働者派遣法改正 野党案

民主党、社民党、国民新党の野党3党は23日、国会内で
記者会見し、労働者派遣法改正案の内容と、共同で今国
会に法案を提出することで合意したことを発表しました。

【改正のポイント】
(1)法案名の「派遣労働者の就業条件の整備等に関する
  法律」部分を「派遣労働者の保護等に関する法律」と名
  称、目的を変更。
(2)日雇い派遣禁止
(3)2ヶ月以下の派遣禁止
(4)派遣先が違法行為を行った場合、「あなたが私の雇用
  主」と「通告」できる「直接 雇用みなし規定を創設」
(5)均等待遇の確保
(6)マージン率など情報公開
(7)不利益取り扱い禁止など派遣先の責任強化
(8)罰則を現行300万円から3億円に
(9)専門業務を除き製造業派遣を禁止する
(10)一般労働者派遣事業は26専門業務以外は常用雇
  用のみとする
(11)派遣労働者は派遣期間が1年未満でも雇用保険の
  被保険者とする

昨年からの格差問題、派遣切り・雇い止めなど不正規雇
用労働者の問題は、法の見直しと行政指導の両面から解
決すべき問題です。

国際競争力強化・労働コストの削減の企業要請に対して
行き過ぎた規制緩和による政策が大不況と相まって悲惨
な状況を生みました。
一方一部の派遣業者の不法不当行為による問題も明らか
になりました。
仮に登録型派遣社員の全員に常用雇用を強制すれば、
派遣先が見つからないときも派遣会社は給料を支払わ
なければならず、経営が成り立たちません。
少なくとも84万人、登録者も含めれば、最大限151万人
が失業するリスクがあるともいわれます。

そもそも、派遣労働者の一定部分は、派遣という働き方
で満足しており、この改正法案 は迷惑な話となります。
また、不本意ながら派遣で働いている派遣労働者にと
っても、より良い仕事が見つかる保証は全くありません。
間近に迫った総選挙の選挙協力のために、民主党にと
っては、またとない政権交代のチャンスであり、野党間
の協力が欠かせないからでしょう。
この法案は、自民党が多数を占める衆議院で否決され
ることになるでしょう。
民主党が、否決されることを前提で、この法案を提出し
ているように思われます。
それでも「派遣労働者保護を重視した」という実績が残
るのでしょうか?
 

2009年6月23日 (火)

高杉晋作から学ぶ

高杉晋作は労咳(肺結核)を患い、下関市桜山で療養生
活を余儀なくされ、慶応3年(1867年)江戸幕府の終了を
確信しながらも大政奉還の前年に27歳の若さで亡くなり
ます。
      Photo_4
亡くなる前に、 明治維新革命で命を落とした戦死者を
弔うために、慶応元年(1865)8月6日桜山に招魂場を
落成させ、
『弔わる人に入るべき身なりしに 弔う人となるぞ恥ずか
し』
と詠みます。

この招魂場は、吉田松陰から、十代・二十代の名もない
若者いたるまで、396柱が等しく祀られています。
中央の松蔭の碑が少し高いだけで、奇兵隊の精神を象
徴するがごとく、高杉を初め農民・小者すべてが同じ高さ
になっていて、身分制度を越えた新しい時代への理念を
伝えています。
        Sakurayama2_4
下関市吉田にある高杉の墓碑には、伊藤博文が、
『動けば雷電のごとく、発すれば風雨のごとし、衆目駭然
(がいぜん)敢えて正視する者なし・・・・』
記します。

そして、高杉辞世の句と言われているのが・・
『おもしろきこともなき世をおもしろく すみなすものは心
なりけり』(下の句は歌人望東尼)

今回の「劇団 はぐるま座 公演」を機会に、高杉晋作の
思想と行動の一端を勉強させてもらいました。
  

2009年6月22日 (月)

父の日プレゼント

昨日21日は「父の日」でした。
調べてみると、父の日・母の日ともにアメリカで始まってい
ます。
母の日は1914年、58年遅れて父の日は1972年(昭和47年)
にアメリカで正式な祝日となりました。
妻を亡くし男手一つで6人の兄弟を育ててくれた父に感謝
したいと兄弟の一人が母の日にならって提唱したのが始ま
りと言われています。

父の日に贈る花は薔薇だそうで、イエスの血の跡に咲いた
薔薇は、天上の父なる神の愛を象徴するといわれます。
一方、母の日に送るカーネーションは、十字架に架けられ
たキリストに聖母マリが涙した後に咲いた花だとされ、中
央部の赤色は、キリストの体から散った血の色ともいわれ
ています。

これに対して・・・・
日本でも「山より高い父の恩、海より深い母の愛」と言い
ますが、山の最高はエベレスト8,848m、マリアナ海溝の最
深部チャレンジャー海淵は約10,900m。
こりゃ勝負になりませんね。

私も嫁さんも感謝する父が亡くなりましたが、今は娘二人
に感謝される側になりました。
例年プレゼントの問い合わせがあり、今まではジョギング
シューズや登山ザック・ベストなどアウトドア関連をもらい
ました。
今回は、燻製等食品を保存するのに便利な「フードシーラ
ー」を希望しました。
      Photo_2
見た目がよいのと、清潔で保存がきくので、燻製に効果
的なのと魚の長期保存にも役立ちそうです。
 

2009年6月21日 (日)

劇団はぐるま座 豊岡市日高町公演

『動けば雷電の如く―高杉晋作と明治維新革命』公演
 
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明治維新革命で重要な役割を果たした長州藩、幕府と異
国双方を相手に、藩内の対立が激化した苦しい時期があ
りました。
吉田松蔭門下生の高杉晋作率いる、奇兵隊をはじめとす
る人民諸隊の誕生と活躍が中心です。
封建的身分制度に対し、下級武士を中心に百姓・町人・
職人などによる新しい動きは、長州がさきがけでした。

有名な「功山寺の決起」から、ついに保守政府(俗論派)
を打ち破り、藩論を統一します。
これ以降、幕府の「長州征伐軍」を打ち破り、明治維新の
夜明けを切り開きます。
P1000227  P1000229
二幕九場の2時間半、背景やセットなども工夫されて、臨
場感あふれるもので、出演者による幕間解説は流れを掴
むのに役立ち、楽しむことができました。

はぐるま座が根本精神とする反権威主義、反封建主義の
「人民史観」そのものでした。
「文化大革命」を評価し、毛沢東を賛美する政治勢力の影
響を受けた時代もありました。
創設後57年間の老舗劇団ですが、昨年から劇団再建の
新たな道を踏み出したそうで、「人民に奉仕し、人民と共
にの根本精神で自らを鍛えなおす」と再建の決意を元旦
のメッセージで述べています。

主催は豊岡市・豊岡市教育委員会・日高地域まちづくり
推進会議でNPO法人コミュニティ日高です。
最後のナレーションに、「原動力は、まぎれもなく人民だっ
たが、維新後新官僚となった下級武士に裏切られた」を聞
くと、舞台は明治維新ですが、言いたいことは「世直しと独
立を成し遂げた人民蜂起の今日的意義」かも知れません。
イヤー、これは「語るに落ち」ましたか。
 

2009年6月20日 (土)

桜桃忌 青春文庫

昨日19日は作家太宰治の生誕100年にあたります。
愛人と入水自殺をして遺体が見つかったのが誕生日で、
命日として「桜桃忌」と呼ばれます。

津軽の大地主の六男として生まれ、学生時代に左翼運
動に傾倒したが脱落し、その後小説家として数々の名作
を生みました。
独特の作風から「退廃派」と呼ばれ、その結末とともに印
象に残る作家です。

「桜桃忌」と呼ぶのは、桜桃(サクランボ)のなる時期とい
うより、短編「桜桃」から採られたものです。
通常は名前をとって○○忌とするのですが、司馬遼太郎
の「菜の花忌」とともに有名です。

青春文庫とは、インターネット電子図書館のことで、著作
権の消滅した作品と、「自由に読んでもらってかまわない」
とされたものを、テキストとHTML形式で公開したものです。
「著作者の生存期間及び著作者の死後50年」の著作権が
切れた数々の名作を無料で読むことができます。

「青春文庫」↓
http://www.aozora.gr.jp/
太宰の短編「桜桃」もここからダウンロードできます。
(HTML形式がそのまま読めて、便利です) 
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/card308.html

今日20日には「太宰治検定」も行われます。 
http://blog.canpan.info/dazaikentei/
 
 

2009年6月19日 (金)

田の中干し アオサギの餌とり

田植えから1ヶ月が経過し、湛水状態の中で「分けつ」が
一定の数に達すると、水を絶って中干しを行います。
水を落とし、溝切りを行うことで、田んぼがひび割れるぐ
らいまで乾燥させます。
そうすることで稲は根を地中深く張り、厳しい環境にも耐
えられるような丈夫な稲に育ちます。

少なくなった水に慌てて、オタマジャクシが水たまりに集
まるので、これを狙ってアオサギが飛んできます。

左から3棟が我が家です   アオサギの集団
P1000217  P1000214_2   
サギの中では大型で、青とは言うものの灰色にしか見え
ませんね。
コウノトリ目サギ科というくらいですから、コウノトリと同じ
ような場所で餌をとっています。

夕方我が家の裏にたくさん集まって餌取りをしているの
を写しました。
中干しは稲作にとっては大事な作業ですが、鳥たちにと
って餌が少なくなる時期で、コウノトリの生活場所では、
中干しを延期したり、田んぼをビオトープにして餌を提供
しています。
 

2009年6月18日 (木)

40,000回アクセス達成

昨日6月17日夕方、ブログのアクセスカウンターが40,000
をカウントしました。
P1000031  P1000032
開設時期   2007年4月(約26ヶ月=780日)
記事総数   460件
使用領域   611.417 MB (2,000MB中 30.57%)
カテゴリー数 22

「伊佐屋」の由来は、祖父が家業としていた菓子屋の名
前で、江戸期は「竜野屋」称しました。

ブログの目的は「記録する」もありますが、「気付く」「調
べる」ことで学び、「主張する」「知らせる」、そして「残す」
ことです。

生意気を承知で言わせていただくと、季節の移ろい、時
代や社会・世相の動きに対して、自分なりの見方や考え
を書き綴ることができればと考えています。
併せて、自分が育ってきた時代を振り返ることも大切なこ
とです。

訪問者は1日50~80人といったところですが、最近は10
日に1日休む程度で、小まめに書いているのと2年連続
年賀状で触れたのが効いたのか、家族・地域以外の友
人・知人など遠方の方が増えてきました。

大した根拠もなく、カテゴリー(グループ分け)を分けていま
すが、お勧めは「但馬物語」「風物・歳時記」「環境・まちづ
くり」「人気・話題」でしょうか。
blog画面の左、「カテゴリー」の各項目をクリックしていただ
くと、開設当初からの記事が、その分類の基づき時系列で
表示されます。
訪問だけでなく、滞在時間も大事な要素なので、新規の記
事がないときは、お好きなカテゴリーをどうぞ。

460記事を投稿したと言っても、文字や写真そして文書ファ
イルをすべて入れても、提供された容量2,000MBのなかで、
やっと611 MB(30.57%)を使っただけです。
それでいて無料というのは本当にありがたいことで、IT時代
の恩恵をしっかり受けています。
これからも、気楽に投稿を続けていくのと、「伊佐屋三木の
blog Vol.3」を年末に本にすることで、「残す」ことを続けて
いきたいと思います。
 

2009年6月17日 (水)

環境農法 アイガモ農法  始動編

鳥インフルエンザ騒ぎのせいか最近は珍しくなりましたが、
会社の近くに、アイガモ農法の田圃を見つけました。
アイガモは稲以外の雑草を食べてくれるのと足でかき混
ぜることで、稲に刺激を与えます。
そして糞は肥料になるといいます。
除草と施肥は稲作で必要とされる重大事ですが、これを
同時的に解決するアイデアはすばらしいものです。
ただ、狐・狸・カラスに襲われる可能性があるために、ネ
ット柵と小屋の設置が必要です。
P1000002  P1000003

アイガモ農法のM&Dを調べてみました。

<メリット>
①除草効果 鴨が雑草を食べるので除草剤が不要
②肥料効果 鴨の排泄物が稲の成長を促進させ、水中
 攪拌で空気が送り込まれる
③食肉効果 鴨を太らせ食する
④安心米として、収穫した米が高く売れる
⑤田んぼの環境もよくなり、自然の生態系、微生物が復
 活して自然が蘇る

<デメリット>
①除草効果が農薬に比べて劣る
②周囲や天井までを囲って、小屋を造り鴨を保護する手
 間がかかる(狐・狸やカラス対策)
③水管理(一定の水深が必要)の手間
④雛代と餌も一定必要である
⑤鴨の引き取り手が少ない
⑥収量が落ちる

湛水も1ヶ月ほどで、その後は餌やりをして大きくして、肉
にするのでしょう。
特に燻製にすると格別です。
除草と肥料だけでなく、食料としてもお役に立つ「一石三鳥
」の珍しいースですが、8羽のアイガモが役目を終えるとき
に、はたして何羽残っているでしょうか?
 

2009年6月15日 (月)

e-tax 加算税 異議申立て

平成20年分の所得税の申告をe-taxで処理したつもりが
操作ミスでデータが送られていませんでした。
申告時期を過ぎてからの税務署の指摘でわかったのです
が、結果として不申告となり加算税(納税額の5%)と納税
までの延滞税が請求されました。

伊佐屋三木のblog「e-tax被害」 
http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/e-tax-236b.html

申告の経緯やe-taxに対する問題点・税務署の対応など
納得できない点が多く、納付期限の今日、豊岡税務署長
に対して「異議申立て」の手続きをしてきました。
     Img_8273
異議申立書 
Photo_4 Photo_5   
異議申立て理由書 
「igimousitate.pdf」をダウンロード
異議を申し立てたからには、税の納付はしませんが念の
ため、「督促はありませんね」と尋ねると、「督促が停止さ
れることはありません」との返事。
片方で、異議申立制度を設け受け付けておいて、もう一
方で督促する矛盾を感じていないのです。
「それは理屈に合わないでしょう?」と聞くと、「差押えまで
はありません」との答えでした。
「さすがお役所」と、妙に感心させられてしまいました。

この後、署長による「異議決定書」が送付されます。
もしこれで不服の場合は、「国税不服審判所長」あてに
「審査請求」をすることになります。
それでも、不服の際は国を相手に「取り消しの訴え」を
起こすことができます。
本税ではないので、納付時期が過ぎても利息等加算
されることはなく、督促や差押え通知が来るだけです。

「竜野屋」のころは、お上の御用として年貢米の徴収や
札元を努め、いい関係でお金儲けもしたようですが、現
代になってお仕置きに異議申し立てたり、お金儲けも
下手になってしまいました。
 

2009年6月14日 (日)

養父市「伊佐新田開発」 Ⅳ

質草として取り上げた土地を集積して、旧所有者に耕作さ
せ、年貢を収集するのと、これで得た資金を投じて新田開
発を行いさらに財をなすという構図です。
新田開発に成功した商人達は、土地を小作人に預け、米
や麦・大豆を作らせ、年貢や諸経費を差し引いた残りを出
資割合に応じて配分するという寄生地主制が進みました。
寄生地主制の成立とともに、小作農への転落が進み但馬
は県下でも屈指の大地主が存在したといいます。

商人の土地支配進む一方、藩札発行の札元となるものも
あり、竜野屋は手辺の札場を預かっていました。
そういえば、以前郷土史家で藩札を調べられていた豊田
先生から、「龍野屋」と刷られている酒札を見せて頂いた
ことがあります。

ところが、藩主小出家が後継が途絶え断絶となった時、
領内に鬱積していた不満が暴動となって一揆が始まりまし
た。
藩札を発行していた「札元」への銀引き替えの要求による
「うちこわし」、土地を取り上げられた農民による新田地主
への帳面の引き渡しが求められました。
札元竜野屋も襲われて打ち壊され、安良村の出作も襲わ
れています。
この時多くの札元と新田地主が襲われたのは、藩権力を
背景にして農民達を支配してきたことへの恨みが爆発し
たものです。

この結末は、藩を一時的に預かった代官の処置により
一時的に年貢が下げられたりしたが、打ち壊しにあった
札元や新田地主の訴えが取りいれられて、一揆の中心
人物が捕らえられ牢に入れられました。
その後の凶作時には年貢の減免がなされたりして、藩
の施策にも一定の影響を与えたようです。

17世後半からの土地の集積・富の蓄積・藩の商人保護
小作農の増加・重税の苦しみからの一揆そしてご先祖様
の「所業」など、伊佐新田開発を機にいろいろなことを学
ぶことができました。 
 

2009年6月13日 (土)

養父市「伊佐新田開発」 Ⅲ

新田開発の申請に浅間・宿南両村の意見を聞いたところ
牛飼場がなくなること洪水の時に水がくる等を理由として
反対であったが、藩の年貢増収を理由に押し切られたよ
うです。
開発を許された我が先祖竜野屋宗輔と春田休也は資金
を出し合い、工事にかかりましたが、水を取りいれる堰や
水路の位置も悪く、難工事が続き資金も続かず中断を余
儀なくされました。
竜野屋宗輔も病気になり、脱落することになりました。

その後、出資者を募り工事が再開され、難航しつつも、
10年余を費やして完成させ、新伊佐村が成立しました。

『伊佐新田の開発をあきらめた竜野屋宗輔は、のちに
出石郡安良村に新田を開いたようだ。また鉄屋十兵衛
というものも出石郡香住村に沢新田とよばれた新田を
開いている』
この期の新田開発は農民のものだった土地を、新田を
開くことで開発者に与えたため、農民の反感を買い、藩
政が乱れた時、領民一揆となってこれら商人への打ち
壊わしに繋がっていきます。

ところで我が先祖の話ですが、『竜野屋宗輔は姓を三木
といい、小出侯が播州竜野の領主であったときからの御
用商人で、同侯の出石移封に随従してきた」』書かれて
います。
どうやら、播州龍野の出身で、お殿様の国替えとともに
領地である国府手辺に移り住み、札元として藩の御用
を務める一方、土着していったものと思われます。
 

2009年6月12日 (金)

養父市「伊佐新田開発」 Ⅱ

江戸時代17世紀後半の寛文九年に、円山川右岸沿いの
旧宿南村伊佐村で、我が家の先祖「竜野屋宗輔」と出石
の「春田次郎兵衛」の両名が、出石藩に新田開発を願い
出て、開発が許可されたことは以前お話ししました。

伊佐屋三木のblog「伊佐新田開発」 Ⅰ 
http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-3cf7.html

但馬史4巻によると・・
『幕藩体制の基礎もかたまり、恒久的な太平の世の夢が開
き始めたころの17世紀後半になると、但馬の農村にも新し
い経済の動きが波打ちはじめ、農村の様相は次第に変化
してきた。』(中略)
『流通経済の浸透にともなう土地異動であると考える。金を
持つもののところに土地が集まる一方、中世的な勢力の
持続のうえに安住してきた旧支配層が、急速に土地を失っ
て没落するのである』

金を持つものといえば商人で、土地を担保に金を貸し、返
せない時は自分のものとして所有することで、町人による
土地支配が進み、相当な面積にのぼったようです。
現在の豊岡市神美地区三宅村の半分、森尾村の2割、香
住村の3分の1が出石・豊岡の町人(村外者)の支配地と
なりました。

この財力を背景に新田開発に投資し、新たに農地を所有
するという積極的な行動に出ています。
 

2009年6月10日 (水)

初夏の菜園 Ⅱ

一般的に夏野菜はマルチシート・敷ワラや支柱が必要で
結構手間がかかります。

支柱と屋根付きのトマト     インゲン

Img_8185 Img_8191
里芋と向こうはキュウリ     芽が出てきたショウガ
Img_8186  Img_8188_2
スイカとメロン・カボチャ      ニンジン
Img_8190  Img_8187
この他に連休に植えたサツマイモも活着しました。
           Img_8272

2009年6月 9日 (火)

初夏の菜園 Ⅰ

久々の菜園ネタです。
気温の上昇とともに、春先に植えたジャガイモやトンネル
で育苗した枝豆・スイートコーンが大きくなりました。

ジャガイモ        「探り堀り」で一部収穫
Img_8182 Img_8178
枝豆           スイートコーン
Img_8180 Img_8181
枝豆とスイートコーンは、保温のためマルチをしているこ
ともあって、通常よりは半月早い6月末から7月初めには
収穫できます。
 

2009年6月 8日 (月)

初夏の味 若鮎の天ぷら

自宅付近は円山川の中下流域にあたり、鮎釣りのポイ
ントですが、指定場所を離れると網も使えます。
我が地区に投網の名人がいて、休日になると必ずと言
って良いほど姿が見えます。

今日はお供つき         見事な網打ち
Img_8250 Img_8252
囲い込み             頂きもの
Img_8253 Img_8268
ハルとのお散歩中に漁風景を目撃し、コンデジのシャッ
ターを押しましたが、手ブレしてしまいました。

解禁後1週間、釣り人や釣具店の方に様子を聞くと、天
然鮎が多く、釣果は上々だそうです。
井堰の遡上が多かったのもうなずけますね。

伊佐屋三木のblog「若鮎のジャンプ」は 

http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-ce13.html

地元に住んでいて、初物の鮎を早く食べたいものだと
の願いが通じたのか、名人の奥さんから届けていただ
きました。
早速天ぷらにして頂きましたが、丸かじりしたときの子
鮎の風味は何とも言えない初夏の味がします。
畑仕事とペンキ塗りに費やした休日でしたが、思わぬ
ご褒美に感謝でした。 
 

2009年6月 7日 (日)

但馬ふるさとづくり大学 生野銀山

但馬ふるさとづくり大学第2回講座で、生野銀山現地学習
に行ってきました。
今回は現地学習で、「生野銀山を歩く」がテーマです。
Img_8193 Img_8194
専門の講師(ガイド)付きで、2時間かけての現地学習で、
銀山では世界遺産に登録された「石見銀山」が有名ですが
こちらも中世以降、時の権力によって財力の源として活用さ
れてきました。
講師は(株)シルバー生野観光ガイドの皆さんが担当され、
力の入った講義でした。
まず、資料館で銀山の歴史をお勉強します。
開坑は807年平安初期、銀が本格的に産出されだしたの
は織豊期です。
「佐渡金山と生野銀山を制する者は、国を制する」の言葉
どおり、時の権力者がまず一番に支配をしてきました。
Img_8194_2 Img_8197
幕府直轄から明治政府直轄、皇室所有を経て、明治29年
に民間に払い下げられました。
以後、明治・大正・昭和と採鉱されましたが、深さ880m
ほど掘り下げた結果、物理的に坑道が保たない「山はね」
現象が起きたことを契機に坑内生産が中止されました。

まず山に登り、江戸時代の露天坑道の見学です。
Img_8212 Img_8214
その跡、有名な「金香瀬坑口」から入って、江戸期の手堀
りと現代の機械堀りを同時に見ながら勉強ですが、この山
の眞下が坑道になっています。

狸穴にサザエ殻の灯明     湧水対策も手作業
Img_8218 Img_7698  
現代はダイナマイト       機械動力
Img_7722 Img_7727
地下880mも掘り下げます    鉱脈とはこんなもの
Img_8220 Img_7735
以前にも書きましたが、但馬の地に時の権力者が争って
手に入れようとした「お宝」があったことを地元民は忘れて
しまっている感がします。
確かに製錬技術など石見から教わったことは多くあったよ
うですが、生野銀山が歴史に果たした役割は大きなものが
あります。
石見を見る前にまず生野を知って欲しいものですね。
  
最後に生野銀山の鉱脈資質は1トントロッコに・・・
金0.2g、銀672g、銅0.05%、鉛20.93%、亜鉛16.21%と聞き
ました。

それと但馬検定対策の参考として、次の暗示がありました。
①生野銀山坑道の総延長距離 (350km)
②産出する鉱物の種類(70種)
③明治期に招かれて、鉱山の近代化に貢献した技術者
 コワニエはどこの国の人か(フランス)
受験する方は、覚えておいた方がいいですよ。
 

2009年6月 4日 (木)

北但広域ごみ処理施設建設問題 坊岡編

上郷区を建設予定地とする計画に上郷区がNO!の意思
表示をしてから、はや2年が立ちました。
女性を中心とする粘り強い反対運動に、3年越しの「アメ
とムチ」の働きかけも通じませんでした。
各処理場を見学し、行政お薦めの講師だけでなく、独自に
講師を呼んで、勉強会や講演会を開いたり、ごみを減らす
運動に率先して取り組んだ結果の結論でした。
私達隣接区の住民も「上郷だけの問題ではない」と側面か
ら応援しました。

その後、行政側は公募方式を基本に検討を重ね、昨年竹
野町坊岡を候補地として決めました。
区として了解したとしていますが、聞くところによると、総会
ではなく「戸主会議」採決し、それも13-11の僅差だった
そうです。

機会があったので、現地を訪れてみましたが、道は狭く小
さな谷に「なぜ?」という疑問を強く感じました。
坊岡区民70人の中には反対も多く、反対看板の設置や
立木に権利所有者を付ける「立ち木トラスト」、用地不買
宣言、議会請願活動などが行われています。
Img_7904 Img_7902
上郷でもそうでしたが、この種の運動は「共産党が糸を引
いている」などと問題すり替えがなされ、それを信じ込ん
でいる人も少なくありませんでした。
いまや「お上の仕置きに異を唱える」のは、かの党の「専
売特許」ではなく、住民の権利になったのです。

一方、北但1市2町で出されたゴミも予想を超えて減量が
進んでいます。
人口減少・不景気なども原因とされていましたが、なにより
もこの問題を通じてごみ減量の意識の高まり、3Rの運動
が進んだ結果です。
その意味では、予定されているような大規模処理施設の
必要性は疑問です。

3R運動とは、循環型社会の実現を目指す運動で、
1.REDUCE(リディユース)発生抑制
2.REUSE(リユース)再使用 
3.RECYCLE(リサイクル)再生利用、再資源化を言います。

お隣の上郷案は無くなりましたが、「のど元過ぎれば、熱
さを忘れる」ことにならぬよう、自分達の問題として関心を
持ち続けるようにします。
 

2009年6月 3日 (水)

養父市「伊佐新田開発」 Ⅰ

養父市発行の「広報やぶ」4月号の記事に気になる記事が
ありました。
「町の文化財」の紹介で、「伊佐新田開発」を載せています。
Epson_0152_1_4
場所は円山川右岸沿いの旧宿南村、時は江戸時代17世
紀後半の寛文九年に、我が家の先祖「竜野屋宗輔」と出
石の「春田次郎兵衛」の両名が、出石藩に新田開発を願
い出て、開発が許可されたのが発端です。
八鹿町史上巻281ページと、但馬史第4巻51ページに「新田
発に乗り出す商人」として記載があります。

そもそも新田開発などは出石藩の責任に於いておこなわれ
公共事業の最たるものですが、これを商人が願い出て、藩
もこれを認める時代背景があったものと思われます。
当時の伊佐地区は、浅間・宿南両村の入り組み地で、円山
川沿いは広い原野になっていて、牛が放牧されていました。

結果としていまは肥沃な水田となっていますが、江戸時代か
らから何度も失敗を繰りかえしながら取り組んだ先人の労苦
の上に、築かれたことを碑を建てて顕彰しています。
Img_1491  Img_1495 
この事業における我が先祖の関与と開発が成功するまでの
苦労話は、但馬史と八鹿史から引用して以後紹介します。
 

2009年6月 2日 (火)

若鮎のジャンプ

釣りスポットの上郷橋から上流に、井堰が設けられていて
ここから取水された水は蓼川用水路を通って下流域の田
畑を潤します。
井堰とは一種のダムのようなもので、下流から上流に上ろ
うとするものには、大きな障害となって立ちはだかります。

連休の頃から水温の上昇につれて、天然鮎の遡上が始ま
り、解禁時期になると体長10センチを超えた若鮎たちの見
事なジャンプショーが見られます。
約2メートルの段差を何度も何度も果敢にジャンプを繰り返
し、登っていく様は見事なものです。

蓼川用水取水口付近       撮影のベストスポット
Img_1459_2 Img_1470_3
Img_1464_2 Img_1439_2
Img_1441_2 Img_1456_2

 
 

2009年6月 1日 (月)

円山川 鮎解禁

6月1日は釣りキチにとって待ちかねた鮎の解禁日です。
円山川支流の大屋川や稲葉川などそれぞれ解禁日が
分かれていますが、本流の解禁日です。

円山川漁業協同組合ホームページ  
http://www.maruyamagawa.or.jp/
自宅近くの上郷橋から下へ200mまでがポイントで、朝ま
だ明け切らぬ前から、7~8人が釣り糸たらしています。
Img_1364  Img_1363
鮎の釣り方は、囮を使った友釣りが有名ですが、幼鮎
の段階では、水苔ではなく羽虫を餌とするので、擬餌針
を使って、竿を上下させて誘います。
Img_1383  Img_1386
今年は雪解け水が少なく水温が高いので、鮎の成長が
例年になく早いそうです。
とはいうものの、見物していた半時に釣れていたのは、
ほんの数匹でした。

昨年同時期の「伊佐屋三木のblog 鮎解禁」は 
http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_d485.html

疑似餌を使った「どぶ釣り」も1か月ほどで、友釣りや網
漁に移ってきます。
台風時には恐ろしい川ですが、田畑を潤し、釣りや川遊
びを楽しませてくれる大切な一面もあります。
でも昔と違い子供達の姿を見ることがなくなりました。 
  

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