但馬情報特急

  • 但馬情報特急
    但馬に関するあらゆる情報が載っています。 最新情報もここから・・・。

九条の会

  • 九条の会
    日本が誇る憲法九条をまもり、平和な世の中を築くため行動します。
フォト

愛犬ハル

  • P1020325
    16年我が家の家族として、楽しませてくれた「晋平」が2005年 3月息を引き取りました。 代わりに今度は女の子を購入しましたが、恐がりで人になつか ないのが困りものです。 春に来たからハルと名付けましたが、血統書付きで本名は 「文美姫号」です。

« 甦った芝居小屋 永楽館 Ⅱ | トップページ | 蓮生寺 熊谷直実 青葉の笛 »

2008年7月24日 (木)

清正公さん 日高夏祭り

7月23日~24日、日高町では「日高夏祭り」が開かれてい
ます。
昨日の宵宮には、パレードの後江原駅を中心にステージ
での催し物、商工会青年部によるバザーのほか、露店が
立ち並び、20時には花火が打ち上げられました。
周辺の区ではデコレーションも作られ、地区を挙げての
お祭りです。
(東方の姫路山から打ち上げるので、空高く上がります)

D1010122_2   D1010118

ところが、この祭りは昔から「清正公さん」と言って、近隣の
人達に親しまれてきました。
日高町商工会が祭りの中心になることで、いつの時からか
「商工祭」、その後「日高夏祭り」になってしまいました。
「清正公さん」、正式には「清正公大祭」はもともと同地区に
ある立光寺さんのお祭りです。

「但馬情報特急」で由来を調べてみると、特派員便りで詳し
く述べてあり、以下紹介します。

『江戸時代中期に江原村の日蓮宗立光寺住職が、熱心な
日蓮宗の信者であった戦国武将加藤清正公の菩提寺で
ある肥後熊本の本名寺から清正公の木像を譲り受けお祀
りして、清正公の命日である7月24日の前日に「清正公祭
り」を行ったのが始まりと言われています。
明治時代には江原村も一緒に夏祭りを行うようになり、戦後
には江原区周囲の3区も加わり「商工祭」となって昭和39年
から今の「日高夏祭り」として町全体の夏祭りとなりました。
祭りの中心がJR江原付近に移り少し寂しくなった立光寺で
は厳かに清正公祭りが執り行われていました。』
織田豊臣徳川三代に渡る武将で、土木治水・築城の名手と
して、広がった「清正公信仰」の一つでしょう。

D1010130  D1010132

江原駅前から南西に、センター街 → ときわ通り→ 国道
を横断し立光寺さんまでの参道に露店が建ち並びます。
行きで品定めをして、帰りに立ち寄るのが楽しみでした。
今年もお参りをしましたが、時間が早かったこともあり、人は
まばらでした。
「清正公大祭」 → 「商工祭」 → 「日高夏祭り」 と祭りの
主体が広がることで、かの有名な加藤清正にまつわる由来
も薄れそうで残念ですね。

« 甦った芝居小屋 永楽館 Ⅱ | トップページ | 蓮生寺 熊谷直実 青葉の笛 »

文学・歴史・教養・科学」カテゴリの記事

コメント

昨日はありがとうございました。
又、折角夫婦水入らずのところ、義理の父母も含め大家族で席を占拠しまして申し訳ございませんでしたwobbly
お話をしていて以外に共通点があったそうですよ!

わざわざお越しいただき
ありがとうございました。
そういえば昔は「清正公大祭」の文字の
ポスターが町によく貼ってあったものですね。
今はあまり見かけませんし。
参りに行く人も少なくなったんでしょうね。

「セイショウコウさん」が加藤清正に由来するとは思ってもみませんでした。子供の頃、「セイショウコウサン」と覚えていたのですが、漢字で書くとなるほどという事が結構ありますね。なるほど!という気持ちです。ありがとうございました。

子供のころ、一番のお祭りといえば清正公さんでした。夜店めぐりと各地区で作られるダシ(いわゆる造形もの)を見て回り、立光寺にお参りするのですが、大変な混雑で、10m進むのに1分くらいかかった記憶があります。このころは1年に数度しか食べられなかった食堂でかき氷を食べるのが、私の最大の楽しみでした。(花火よりも)

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 甦った芝居小屋 永楽館 Ⅱ | トップページ | 蓮生寺 熊谷直実 青葉の笛 »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

神鍋山野草を愛でる会

道の駅神鍋高原

SUZURAN写真館

無料ブログはココログ