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愛犬ハル

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    16年我が家の家族として、楽しませてくれた「晋平」が2005年 3月息を引き取りました。 代わりに今度は女の子を購入しましたが、恐がりで人になつか ないのが困りものです。 春に来たからハルと名付けましたが、血統書付きで本名は 「文美姫号」です。

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2008年7月

2008年7月27日 (日)

日曜庭師

休日である日曜日にある仕事に就くことを「日曜○○」と呼
び、「日曜大工」が有名です。
家庭菜園では「日曜農家」となりますが、年に数日「日曜庭
師」となることがあります。
Img_3769
道具だけは一人前で、庭仕事用の三脚も揃っています。
Img_3767
まず電動バリカンで生け垣「ベニカナメモチ」を済ませ、マ
キ、モッコク、モクセイのスリーMを片づけ、ツゲ、サザンカ
梅・ヒイラギにかかります。
例によって剪定後の枝や葉の片づけは、嫁さんにお願い
しています。(感謝)

2008年7月26日 (土)

蓮生寺 熊谷直実 青葉の笛

加藤清正に由来する「清正公大祭」に続いて由来シリーズ
ですが、私に住む豊岡市日高町に熊谷山「蓮生寺」があり
ます。
Img_4066
その名の通り、熊谷直実に由来する浄土宗の名刹です。
直実は源平の頃の頼朝のご家人で、一ノ谷の合戦で平家
の公達、平敦盛を討ち取ったことで有名です。

平家物語には、『良き敵を探し求めていた次郎直実は、波
打ぎわで、平家の貴公子平敦盛を呼び止め、一騎打ちをし
て首を取ろうとすると、ちょうど自分の子ぐらいの年だった。
直実は、一瞬敦盛を逃がそうとしたが、背後に味方の手勢
が迫る中、「同じことなら直実の手におかけ申して、後世の
ためのお供養をいたしましょう」といって、泣く泣くその首を
切った』という話が有名です。
これには、先ゆく船に乗らんとして馬で乗り入れて進んでい
る敦盛が「敵の将が後を見せて逃げるのか」という直実の
挑発にわざわざ戻ってきて、一騎打ちに応じる健気さと潔さ
、平家一族の哀れさ儚さが読む人の心をうちます。

このことがあってから、直実の仏門に帰依する思いは、いっ
そう強くなり、後に出家して法然上人の弟子となり、全国に
縁がある寺の中で、蓮生坊が大如院と号する庵をむすび念
仏道場としたのがこの寺の由来だそうです。
Img_4067

「青葉の笛」は、このとき敦盛が身につけていたものです。
この物語を題材にした歌が、唱歌「青葉の笛」です。

♪ 一の谷の 戦いくさやぶれ
  討たれし平家の 公達あわれ
  あかつき寒き  須磨の嵐あらしに
  聞こえしはこれか 青葉の笛 ♪ 

これを作曲したのは、但馬のすぐ隣、鳥取岩美町出身の
童謡作曲家 田村虎蔵です。

(田村虎蔵については ↓)
http://www.pref.tottori.lg.jp/dd.aspx?menuid=89650

ついでに言わせてもらうと、この歌は映画「無法松の一生」
にも出てきます。
無学で乱暴者の車夫松五郎が恋心を抱く未亡人の一子、
敏雄少年が小学校の音楽会でこの歌を一生懸命唄います。
この映画で、この歌を知ったというのは、私以外にもいらっ
しゃるでしょう。
もう一つついでに言うと、唱歌「青葉の笛」の二番には、平
家の武将で、歌人でも有名な平薩摩守忠度の「花や今宵」
の歌が出てきます。
これについてはまた後日紹介します。

2008年7月24日 (木)

清正公さん 日高夏祭り

7月23日~24日、日高町では「日高夏祭り」が開かれてい
ます。
昨日の宵宮には、パレードの後江原駅を中心にステージ
での催し物、商工会青年部によるバザーのほか、露店が
立ち並び、20時には花火が打ち上げられました。
周辺の区ではデコレーションも作られ、地区を挙げての
お祭りです。
(東方の姫路山から打ち上げるので、空高く上がります)

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ところが、この祭りは昔から「清正公さん」と言って、近隣の
人達に親しまれてきました。
日高町商工会が祭りの中心になることで、いつの時からか
「商工祭」、その後「日高夏祭り」になってしまいました。
「清正公さん」、正式には「清正公大祭」はもともと同地区に
ある立光寺さんのお祭りです。

「但馬情報特急」で由来を調べてみると、特派員便りで詳し
く述べてあり、以下紹介します。

『江戸時代中期に江原村の日蓮宗立光寺住職が、熱心な
日蓮宗の信者であった戦国武将加藤清正公の菩提寺で
ある肥後熊本の本名寺から清正公の木像を譲り受けお祀
りして、清正公の命日である7月24日の前日に「清正公祭
り」を行ったのが始まりと言われています。
明治時代には江原村も一緒に夏祭りを行うようになり、戦後
には江原区周囲の3区も加わり「商工祭」となって昭和39年
から今の「日高夏祭り」として町全体の夏祭りとなりました。
祭りの中心がJR江原付近に移り少し寂しくなった立光寺で
は厳かに清正公祭りが執り行われていました。』
織田豊臣徳川三代に渡る武将で、土木治水・築城の名手と
して、広がった「清正公信仰」の一つでしょう。

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江原駅前から南西に、センター街 → ときわ通り→ 国道
を横断し立光寺さんまでの参道に露店が建ち並びます。
行きで品定めをして、帰りに立ち寄るのが楽しみでした。
今年もお参りをしましたが、時間が早かったこともあり、人は
まばらでした。
「清正公大祭」 → 「商工祭」 → 「日高夏祭り」 と祭りの
主体が広がることで、かの有名な加藤清正にまつわる由来
も薄れそうで残念ですね。

2008年7月13日 (日)

甦った芝居小屋 永楽館 Ⅱ

芝居小屋内部に続いて、奈落に潜り込んで、回り舞台
迫り、花道下などを紹介します。
ここは昔通り人力で動かします。

写真をクリックすると拡大します」

(奈落)              (回り舞台)
Photo_14       Photo_27
(回り舞台仕掛け)         (回り舞台 ローラー)
Photo_28   Photo_20
(迫り 迫り上がる位置です)  (迫り 仕掛け)
Photo_21   Photo_22
(花道 少し傾斜してます)   (花道下)
Photo_23      Photo_24
(ラムネ箱と炭火鉢)    (落書き 芸人が書きます)
Photo_2     Photo_3 

芝居小屋としてのひととおりの機能を備えていて、工事
で復原されましたが、一部がパチンコ屋になったり映画
館として利用された時期もありました。
工事にあたっては、昔の図面や資料だけでなく、6回に
渡る聞き取り調査が重視されました。
古民家再生技術を活用して復原なった「永楽館」です。

復原工事の中心となった設計士と棟梁のお二人が
「芝居でもコンサートでも何でもいいから、市民に幅広く
活用してもらいたい。生きた劇場として、100年、150年
と使い続けて欲しい」と話されていました。

甦った劇場として、芝居だけにこだわらず、いろいろな
活動に利用したいですね。

     

2008年7月12日 (土)

甦った芝居小屋 永楽館 Ⅰ

但馬ふるさとづくり大学で見学した永楽館の続報です。
芝居小屋内部を紹介します。
この芝居小屋の定員は350人程度とされています。
平成18年から復原工事が始まり、2年の歳月と3億円
の費用をかけて、完成を迎えました。
(3年前の合併によって認められた「合併特例債」を財源
とします。
「写真をクリックすると拡大します」

(舞台正面)          (向正面)
Photo_2   Photo_3
(上手側桟敷席)        (下手側桟敷席)
Photo_4      Photo_5
(上手看板)          (下手看板)
Photo_6  Photo_7
(舞台二階の楽屋)      (楽屋)
Photo_9   Photo_11
(カツラ場)             (1階囃子場・2階太夫場)
Photo_12      Photo_13

2008年7月11日 (金)

農業歳時記 小豆蒔きサイン

農作業で、適期に種をまいたり移植するなど農事カレンダ
ー替わりに花の開花が使われます。
山桜が咲く頃に籾を蒔き、タニウツギ(田植え花)が咲くと
田植え時期というのは有名です。
梅雨の終わりから盛夏にかけて、ネムノキ(合歓木)に花
が咲きます。
Img_0174
父が言っていたのは、「ゴウカンボク(合歓木)が咲くと小豆
を播く時期だ」です。
ネムノキは夜になると葉を閉じるのでその名がついたので
しょうが、長く伸びた糸状のモノは雄しべだそうです。
Img_0170_2
当地ではほとんどの人が、ジャガイモを掘った後に小豆を
播きます。
ともに連作を嫌うので、ナス科と豆科を組み合わせ、リンサ
ンとカリ重視のジャガイモの残り肥料で、小豆を育てます。
この合理的な組み合わせを畑の中で畦をずらしながら、エ
ンドレスに続けていきます。
豆類は根につく根粒バクテリアが空気中の窒素を取り込む
ので、元肥は要らないと言う人もあります。
植物に必要不可欠な窒素を供給する菌と共生することで、
豆は貧土の中でも生育することができるのです。

小豆種まきサインは他にもあって、「せいしょうこうさん(清
正公祭=7月23日)の頃に種を播くが知られています。
私もジャガイモの収穫も終わったので、有機石灰を入れ、
耕耘したあとの来週末に種を播くつもりです。
成長に応じて、二度三度と土寄せをするので、畦を作らず
平地にそのまま播きます。

花の時期、祭りの時期が農事の開始サインとして使われる
のも、だんだん少なくなるでしょうね。

2008年7月10日 (木)

ブログ集計おもしろ数字

総務省 情報通信政策研究所(IICP)が発表されました。
市民ブロガーの一員として、興味ある数字です。

2008年1月時点で日本国内のブログ総数は約1690万(累
計で約2240万)記事総数は約13億5000万件。
このうち、テキスト(文字)のみで計算すると約12テラバイ
トとなり、書籍1冊当たりのデータ量を457キロバイトとし
て換算すると、書籍約2700万冊分にあたるそうです。
ちなみに、私のブログデータは365mbなので、文字換算
で約800冊にあたることになりますね。
実際は写真やデータなどが混ざっているので、数冊とい
ったころでしょう。

また、1ヶ月に1回以上記事が更新されているアクティブブ
ログ全体の2割弱の約300万で、多いのか少ないのか。
さらに、毎月新たに開設されるブログ数は毎月40万~50
万程度で推移しており、活発な情報発信が続いています。

また、「ブログ開設の動機」は、以下のような順です。

1位:自己表現(30.9%)

<日々の出来事を伝える>

2位:コミュニティの形成(25.7%)

<情報のやりとり重視>

3位:アーカイブ型利用(25.0%)

<趣味に関する情報整理>

4位:収益目的(10.1%)

<これは銭もうけで、いろいろなキーワードをブログに入れ
込んで、検索されるのを狙うスパムブログも入るでしょう>

5位:社会貢献(8.4%)

<知識を発信する>

さだめし私の場合は、自己表現型+趣味に関する情報整
理ですね。

2008年7月 9日 (水)

研修 会計アドバンスコース

異業種交流組織「日高經友会」の7月例会で、日帰りの研
修を受けてきました。
Img_3597 
主催 独立行政法人 中小企業基盤整備機構 近畿支部
    人材支援部
場所 経営支援プラザ UMEDA
研修 会計アドバンスコース
サブ 「シンプルな切り口で決算書を読む」

決算書の中で、貸借対照表(BS)、損益計算書(PL)、キャ
ッシュフロー計算書(CF)の三点を財務三表といいますが、
今回の研修はBSを読むことの重要性が中心です。
・PLに偏りがちな視点を変え、BSの項目を時系列に並べ
 て変化をつかむ。
・指標を使わず、7項目の数字をグラフ化することで、潜ん
 でいるリスクを見つけ出す「ビジュアル分析」の手法
・経営改善に生かすキャッシュフロー経営
 損益とキャッシュの違いを明確にする

決算書が読めない経営者にならないための研修でした。
つまり、決算書から自社の現状をつかみ、的確の経営判
断を行い、問題点を見つけ、具体的な解決策へと導きま
す。
Img_3595_2
研修はいろいろ経験しましたが、頭での理解から、自社の
行動に生かせるかどうか、この一点につきますね。

100年の時を超え甦る芝居小屋

出石町は松平・小出・仙石氏が治めた城下町として、但馬
の小京都とも呼ばれ、歴史と文化が残っている町です。
その一つとして、芝居小屋「永楽館」が残っていて、昭和39
年の閉館以後、放置されていました。
永楽館は明治34年、小畑家によって建てられ、場所移さず
に残る劇場としては国内最古、明治期から残る芝居小屋と
しては、近畿では唯一のものとされています。
Img_3574
かってここで遊び楽しんだ町衆の願いが通じ、豊岡市の文
化財保存事業として、復原工事が行われ、8月1日から柿
落し(こけらおとし)興業が行われます。
Epson001
先日館内をくまなく見学させてもらいました。
芝居小屋としてほとんどの機能を備えている永楽館を二回
に分けて紹介します。

2008年7月 7日 (月)

世界に一冊しかない本

「あなたのブログを本にします」という宣伝に乗せられ、遊び
心で、開設からの記事を本にしました。
Img_0175
とうとう著者になってしまいました。 (^_^)v
Img_0183
期間は2007年5月から2008年5月までの一年ですが、な
んと231ページの「立派な」本になりました。
記事の中味はもちろんブログそのものです。
費用は送料も含めて、9,253円でした。
Img_0179
Img_0180
書籍を出版した場合は、国立国会図書館への納本が決ま
りですが、それもなしの1部だけの印刷です。 (^_-)
今年6月以降も1年まとまると、続編として出版していくつも
りです。

ココログも含めて、ほとんどのブログは無料で利用できます。
私が1年かけて書いた記事も、2GBの提供サイズのなかで
わずか2割弱しか使っていません。
このぶんで行くと5年間は利用できそうです。
自分史を書くほどの器量も度胸もないので、あれこれ体験記
や季節の移り変わり、昔の思い出話そして少しばかりの蘊蓄
などのごった煮を、記念として残しておくことにします。

2008年7月 4日 (金)

鮎釣り考 友釣り

解禁後1ヶ月も過ぎると、鮎も成長し餌も羽虫から岩に着
いた珪藻類へと変わってきます。
生息場所も淵から、流れがあって太陽光線が届きやすい
水深30cmから80cmの一等地へ移動し、藻(珪藻類)
を確保できる範囲を縄張りとします。
当然餌場である縄張りに侵入するものには、体当たり攻撃
を仕掛けます。
その範囲は1平方メートルもあれば充分といいます。
身を躍らせ、藻類を鋭い口で削りとる姿は陸からも輝いて
見えます。
鮎が香魚といわれ、スイカやキュウリのようなさわやかな臭
いと腸の苦みは、この餌によるものです。

まず生きのいいオトリ鮎を確保し、鼻環という金具を鼻に通
して、下腹近くをハリス留めで固定し、そこから鉤を何本か
つけたハリスを流します。
用意ができたら、竿を操って縄張りに侵入させて、体当たり
してくるを引っかけるのが友釣りです。
オトリ鮎がくたびれてくると、釣り上げた鮎を使います。
このような釣り方は日本独特で鮎釣りだけだそうで、「釣り
は川に始まって、川で終わる」「釣りで友釣り程おもしろい
ものはない」と言われるのはわかりますね。

前回紹介したどぶ釣りの後は、友釣りに変わりますが子供
には、仕掛けやオトリ鮎に費用がかかるので、橋の上から
の「引っかけ釣り」か違反漁法とされた「チョン掛け」が一般
的でした。
次回はもっぱら子供達の間で行われていた「チョン掛け」を
紹介します。
これも鮎の縄張り習性を利用した漁法です。

2008年7月 3日 (木)

不許葷酒入山門

禅寺の山門にこの碑が立てられています。
葷酒山門より入るを許さず」で、修行の邪魔でもあり、身
に帯びて寺に入ってはいけないと戒めています。
酒が修行の妨げになるのは、もちろん分かります。
葷とはにおいの強い野菜のことで、「ニンニク・ニラ・ネギ
ラッキョウ」を指し、精進料理にも使われないそうです。
花の寺で有名なこの寺にも、立派な碑があります。
Img_0169   
ニンニクなどはにおいや刺激が強く、滋養強壮効果がある
ので、雑念妄想の類を生み、修行の妨げになるからとか。

私の檀那寺は浄土真宗で、融通無碍と言えば語弊がある
かも知れませんが、肉食妻帯も早くから認めた宗派で、「門
徒もの知らず」という言葉も、因習や縁起などにこだわらな
いことから、悪口としてよく使われます。
葷も酒もことのほか好きで、旧習にこだわらぬ私には、これ
が似合います。

最近は、葷酒も特別な修行中以外はうるさく言わないよう
ですが、山門前の碑(いしぶみ)は、自戒としてしっかり残し
ているのでしょう。
ちなみに最近では「不許葷酒入山門」を「許されざれど、葷
酒山門に入る
」と読む新解釈があると聞きます。 (合掌)

2008年7月 2日 (水)

梅雨の中休み

先週末は前線が活発になり、土砂降りが続きましたが、
今は中休み状態です。
但馬は北部に位置しているため、梅雨の影響を受けるの
は比較的遅く、後半が本番となります。
太平洋高気圧が強くない梅雨初期は、前線が南に滞りが
ちで、後半になると雨が続きますが、これも一気に前線が
跳ね上がって真夏を迎えます。
それでも田畑の水に苦労しないのは、周りの山々が冬場
の雪や雨をしっかり貯めて、供給してくれるからです。
裏の田んぼは、田植えから1ヶ月過ぎて中干し期に入り
ます。 水を絶って、ひび割れるくらい干すことで、稲の
根をしっかりと張らせると同時に、中間肥を施用します。
お仕置きのムチ(中干し)とご褒美のアメ(施肥)で、稲に
気合いが入るのか、この後一気に大きく育ちます。 
そんな梅雨時の庭花を撮りました。

いずれもクリックで大きくなります。

(紫陽花と浜木綿)
Photo_2  Photo_3

(浜木綿にカエルが一休みしています)
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