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愛犬ハル

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    16年我が家の家族として、楽しませてくれた「晋平」が2005年 3月息を引き取りました。 代わりに今度は女の子を購入しましたが、恐がりで人になつか ないのが困りものです。 春に来たからハルと名付けましたが、血統書付きで本名は 「文美姫号」です。

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2008年6月

2008年6月30日 (月)

一冊の絵本になるような村 ( 続報)

以前紹介した千早赤阪村合併問題の続報です。
本日、テレビ朝日の6時台のニュース関西版の「newsゆ
う」に10分に渡って取り上げられました。
テレビニュースなので、動画で提供したいのですが、音声
で辛抱してください。
特集「決断に迫られる府内唯一の村」ー合併に揺れる村
ー千早赤阪村特集 2008.06.30

テレビ朝日放送 こちら↓ クリックすると開きます。
音声 「V_130011.WMA」をダウンロード

●現村長の主張
「行政サービスを維持するには、合併しか道はない」
●私の島根大学時代の友人である徳丸君の主張
「強引な合併は問題。主人公である住民の意見をよく聞い
て、知恵を出し合い自立も含めた村づくりを!」
Img_3397_2
●地方自治の専門家の意見
小泉「改革」による地方交付税の減額により、弱小自治体
があおりを受けているのが背景にある。
①合併のメリットは、財政的にしのげること。
②ディメリットは、全国にも知られている村のアイデンティテ
ィが薄くなること。

賛成派も、できれば合併はしなくて良ければしたくない。
でも、これしか道はないような言い方でした。
慎重派・反対派が、千早赤阪の名前に固執しているような
編集でしたが、秘められた村への愛着=大事に村を守り
育てていこうという気持ち=を表に伝えて欲しかったです。

専門家の最後の意見がとても印象的でした。

合併によって河内長野市中心部に、人や行政サービスが
集中する一方、逆に千早赤阪村の過疎化に拍車をかける
可能性がある。 (えっ!エッ? やっぱり!)


つまり、、合併さえすれば問題が解決できるのではなく、問
題を広くぼかしてしまうことになり、気がつくとしわ寄せは住
民にいくことになることを指しています。

前回も言いましたが、私の住む豊岡市では合併で改善され
るはず財政状況は悪化し、構成市町の税格差を曖昧にし
ていたことで、「不公正是正」の名の下に他市町では例の
ない「増税」が提案されています。
3年前の「平成の大合併」から学ぶことは多く、今回の千早
赤阪村長選はその面でも注目されています。

2008年6月26日 (木)

おじさん達のライブハウス

中年が歌や踊りを楽しむライブハウスを紹介します。
店の名は「kento’s」といい「oldies but goodies」がテー
マで、無理に日本語に訳す必要もありませんが、「古き良
き時代」といったところでしょうか。
宣伝文句に「遠い日に聴いたメロディが、心のドアをノック
する時、青春の甘い香りが甦る。恋と夢と音楽と胸焦がす
熱い想い。単なるノスタルジーでなく、時代を超えて遊び心
を刺激する」と書いてあります。

ウィキペディアによると、「オールディーズ・バット・グッディ
ーズ/OLDIES BUT GOODIES」という言葉が誕生したの
は、1961年のアメリカにて、それ以前のヒット曲を詰め込
んだ、「OLDIES BUT GOODIES」という、コンピレーション
・アルバムがリリースされたのがきっかけであった。
日本国内で『オールディーズ』という言葉が使われだした
のは、1973年のアメリカ映画『アメリカン・グラフィティ』以
降である。
この後、これとよく似た映画が増え『オールディーズ』とい
う言葉自体が、「50年代~60年代の古い音楽」を指すい
ち音楽ジャンルとして定着していった」と載せています。

先日久しぶりに 梅田kento’s に行ってきました。
何年か前に友人から勧められ、病みつきになりました。

Photo_6
梅田kento’sのホームページは  )
http://www.kentos.com/index.html

梅田kento’s 
レギュラーバンド BIG APPLE です。
Lady Vocal のMEG ちゃんは、明るい笑顔とパワフル
なステージでお客を楽しませてくれます。

( オールディーズのレパートリーは  をご覧ください)

「big_apple.pdf」をダウンロード 

7時過ぎから5回~6回ショータイムがあり、ショーが始まる
やいなや客席で和やかに談笑していた紳士淑女がツイス
トやロックンロールを踊り出して、フロアーは大混雑です。
「紳士」豹変し、踊らぬ人は「阿呆」に見えるくらいです。
部長さんか社長さんとおぼしき方が、部下の若者を引き連
れて、いい格好しているのもほほえましく見えます。

ここにくれば懐かしい50年代~60年代の音楽に出会うことが
でき、青春(古き良き時代)が甦るかも・・・

2008年6月25日 (水)

赤い妖怪 ベストセラー 蟹工船

先日大阪の書店を2軒覗いてびっくりしました。
なんと小林多喜二著 「蟹工船・党生活者」がベストセラー
として並んでいます。
D1010108
難波にあるこの書店はそうでもありませんが、大阪駅前の
B00K1(ファースト)では書棚一面に並んでいます。
なんでこのカビの生えたようなレア物が・・・・・・・・・
Photo_3
プロレタリア文学代表作として歴史で習ったことはあります
が、特効警察の拷問によって殺された作者と本の内容か
ら没後75年の今、ベストセラーになるとは驚きです。

私も島根大学生の時この本を読んで、貧困や不合理・不
正に対する怒りとともに、これらを生む社会の仕組みを考
えさせられたものです。
「1個の妖怪(ようくゎい)、欧州を徘徊(はいくゎい)す、共
産主義の妖怪(ようくゎい)これなり」
ご存じマルクスとエンゲルスによって1948年に出版され
た「共産党宣言」の岩波文庫旧訳の件(くだり)です。
その後の世界は、彼らの予想を超えた展開で進みました
が、団塊世代である我々が学生時代にまず読み始める
社会科学本です。
そして文学本が「蟹工船」でした。

ブームの背景は、毎日新聞東京版の文化面に掲載された
対談が発端。
記事は作家の高橋源一郎と雨宮処凛(かりん)の対談で、
「現代日本で多くの若者たちの置かれている状況が『蟹工
船』の世界に通じている」と指摘して、それを読んだ元フリ
ーターの書店員が、ブームに火を付けたとのこと。

当時の労働者の貧困と劣悪な条件が、現代の格差社会・
非正規労働者の実態と共通することから共感が生まれた
ようです。
「ワーキングプア」問題が根底にあり、「蟹工船」の労働者
の状況が不安定な自分とダブって見え、「普通に仕事がし
たい」「人間らしく生きたい」に繋がったのでしょう。
別の新聞は「哀しき再脚光 異例の増刷 売上5倍」と紹介
しています。
「マンガ 蟹工船」も出版されていて、こちらの売れ行きも
よいそうです。
(写真の文庫本の隣にあるのがマンガ本)
これは、80年前の作で今や古典に入り、著作権も切れてい
て、無料で読むことが出来ます。

(青空文庫 蟹工船 は  ここで読めます)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000156/files/1465_16805.html
(青空文庫には著作権切れの本が沢山集められています。
インターネットの電子図書館「青空文庫」トップはこちら 
http://www.aozora.gr.jp/

2008年6月24日 (火)

但馬国府跡に大量の木簡出土

奈良時代から平安時代にかけた律令制の頃、全国60余州
に国府がおかれていて、中央から派遣された国司が国を治
めていました。
但馬では私の住む地区に「国府」「府中」「国府市場」などの
地名が残っていて国府の所在を感じさせます。

今回スーパー建設工事場所で、全国でもトップクラスの大
量の木簡が発見された祢布(にょう)ケ森遺蹟は、移転の
記述から「第二次国府跡」とされている場所で、国府地区
からは、南西に3km離れた日高町役場(現豊岡市日高
総合支所)のあるところです。
ここは但馬の南北を走る312号線と東西を走る482号線の
交差地点で、発掘場所横には「但馬国府・国分寺館」が
3年前に建てられています。

Img_3496

但馬国府・国分寺館は  をクリックすると開きます
http://www.city.toyooka.lg.jp/kokubunjikan/top.html

木簡とは、紙が普及する以前に細長く削った木札に文字
を書き記したもので、公式には帳簿がわりになったり、私
的にはノート代わりに使われていました。

国府国分寺館には発掘された木簡が展示されていて、昼
休みに見学してきました。(資料室は無料 7月8日まで) 
1,000年以上前のものにしては、字がはっきりしていて
中国の最古の詩集である詩経の訳を書き写したものや掛
け算の九九を書いたり、当時の役人の勉強姿勢が伺われ
ます。
(九の段で、三九 廿四 と間違っているのがおもしろい)

祢布ケ森遺蹟の木簡大量出土の神戸新聞記事 
「kobetop.jpg」をダウンロード
「kobeshakai.jpg」をダウンロード
「kobetajima.jpg」をダウンロード

朝日新聞但馬版
「asahitajima.jpg」をダウンロード

毎日新聞記事
http://news.www.infoseek.co.jp/mainichi/society/story/photo02mainichiF20080621k0000m040124000c/

2008年6月23日 (月)

鮎釣り孝 どぶ釣り(渕釣り)

どぶ釣りは鉤(かぎ)形になった針の軸に羽毛を糸で巻き
羽虫に似せた疑似鉤を用います。
どぶとは「淵」のことで深みにいる小鮎を狙います。
小鮎の餌は羽虫であるため、それを利用します。
解禁後約1ヶ月までの釣り方で、成長して流れがある一等
地に縄張りを作り、水苔を食むようになると終わりです。
播州の揖保川千早川などは解禁後いきなり、縄張り習性
を利用した友釣りから始まりますが、鮎の成長が遅い雪国
の楽しみ方です。

淵の好ポイントに届き、釣れると手元に寄せやすいよう繋
ぎの長竿、テグスの長さを調整する調整器、毛鉤を付ける
錘(おもり)付き天秤(てんびん)を使い、錘の重さで竿を上
下させ、小鮎を誘います。

毛鉤については小山毛鉤製作所のホームページ 
http://www2.ocn.ne.jp/~kebari/index.html

30dobuturisikake_2 
(小山毛鉤製作所のホームページより引用)

腕の見せ所は、時期や天候と水の濁り具合そして時間帯
をみて、毛鉤の種類を選ぶところにあります。
毛鉤は高価で、当時は今の十五分の一の20円~30円で
貴重なものでした。

毛鉤には羽毛の形と色によって、茶熊、金熊、赤熊、する
すみ、青ライオン、お染めの名が付けられていました。

2008年6月20日 (金)

懐かしさと新しさが混在(NGK)

上方芸能探訪シリーズとして、一昨年の松竹歌舞伎、昨年
の天満天神亭に続き、難波グランド花月(NGK)にその人
気の秘密を探りに行きました。
Ngk
今年で20周年を迎えた今も、平日にもかかわらず、満席
の盛況です。
観客は中高生の修学旅行生と若者グループ、敬老団体
で二極分化していたのがおもしろい。
さすが商売上手の吉本興業、一部終了後の二部でもNG
K前は予約客で大混雑です。
Ngk3
プログラムは以下の通りですが、吉本新喜劇は50年の
歴史を刻み、ワンパターンの展開、独特のギャグの嵐
も今や上方文化なのでしょうね。
Photo
本格的な梅雨入りの気候と満席で、館内が蒸し熱かった
のと二階席になると台詞が聞き取りにくかったこと、お年
寄りが多いにもかかわらず、座席案内が無かったことなど
マイナス面も気になりました。

大相撲のようにファンがお年寄りに偏るのでなく、若者に
も人気があるのは、「古くて新しい」「懐かしくも先を見てい
る」両面兼ね備えていて、それが新旧両人類を引きつける
所以(ゆえん)と見ました。

2008年6月17日 (火)

鮎釣り孝 (ハエ流し)

自宅すぐ近くに円山川が流れていて、上郷橋付近から土居
井堰までが、好漁場として知られています。

(円山川漁協のホームページ ↓ )
http://www.maruyamagawa.jp/

小学校高学年から高校卒業まで、専ら川遊びしかも鮎を中
心とした漁に明け暮れていました。
中学高校時は6月の中間考査中も川に通って、何度も親に
叱られた思い出もあります。
今も鮎釣りは行われていますが、子供期の鮎漁の一年をご
紹介します。

当地では雪国で水温が低く、成長が遅いことから解禁が6月
1日が決まりで、成長も遅く約10センチ程度から始まります。
解禁前の5月始めになると、夕暮れには水面に鮎が飛び始
めます。
それを狙って「ハエ流し」の仕掛けで釣り始めます。
ハエとは当地でジャコの呼び名が一般的でしたが、ハエ(ハ
ヤ・オイカワ)のことで、浮子を付けた5~6本の毛針を流れ
に沿って流して釣り上げます。
もちろん「敵は本能寺にあり」がごとく、狙いは稚鮎なのです
が、解禁前であり「ハエ流し」の名に徹し、鮎が釣れたなどと
公言することはありません。
40~50年前で、子供のやることなので、鬼の監視員さん
も大目に見てくれたのでしょう。

以前触れましたが、鮎は成長に従って餌が変わり、それに
従って生息場所も変わってきますが、それを読んだ人間様
の知恵が漁法の変化となります。
幼少期は川石に生える苔ではなく、水中の羽虫を食べるの
で、流れのある瀬を餌場とします。
それを狙って、羽虫に似せた毛針(擬餌針)を流して釣り上
げる漁がスタートです。
解禁となると、漁具・漁法の制限のないところでは投網など
による漁も行われますが、私の「縄張り」では、「ドブ釣り」
→「友釣り」→「火ぼい(火追い)」→「引掛け」→「ゾロかけ」
と変化して鮎を追いかけます。

次は解禁ご約1ヶ月くらい行われる「ドブ釣り」を紹介します。

2008年6月12日 (木)

6月の菜園

 6月の梅雨の走りは、サヤエンドウ・スナックエンドウに実
エンドウが続きます。
タマネギも茎が倒れ収穫期を迎えます。
Img_3417
これらは昨年の秋終いに植えたものです。
春に播いたり植えたものが、これから収穫期を迎えます。
ジャガイモ収穫の適期は茎が枯れた7月の始めとはいうも
のの、茎が青い時期に「探り堀り」といって手で根元を探っ
て、大きそうなものを取り出します。
Img_3424 
茎ごと抜いてしまうのではなく、大きなものだけを選んで残り
はまた大きくしてから収穫するという知恵です。
Img_3435
梅雨も本番になると、キュウリやナス・トマト・インゲンが一気
に大きくなって、夏野菜の旬を迎えます。

2008年6月11日 (水)

コウノトリの雛 巣立ちです

昨年46年ぶりにコウノトリが巣立ちした人口巣塔で残ってい
た2羽目がついに巣立ちをしました。
(巣立ちの瞬間  コウノトリの郷公園提供)
1213089245

昨年に続き、巣立ちの瞬間を待ちかまえるファンが何日も
巣塔の近くでカメラを据えて待機していました。
(巣立ち前日の様子です ↓ 
Img_3407_2
親鳥から餌をもらうのではなく、自力で餌を採ることになり
ますが、当分は親鳥と一緒に行動するのでしょう。
人間で言えば、就職をして給料をもらうこととおなじですが
いつまでも餌を与えると自立しないので、いつかどこかで
突き放すことが必要ですね。

繁殖が進んで、巣立ちなど珍しく無くなる日がそのうちやっ
てきてほしいものです。
昨年は後にも先にも1羽だけでしたが、今年はこれで2羽
孵化して育った巣立ち前の幼鳥も4羽残っています。

(コウノトリに関しては 兵庫県立コウノトリの郷公園  )
http://www.stork.u-hyogo.ac.jp/
ここで、コウノトリのすべてが分かり、ライブカメラで様子を
知ることが出来ます。

2008年6月10日 (火)

大茱萸(オオグミ)が食べ頃です

この時期は梅が最盛期で、続いてユスラウメ・グミの実がな
り、スモモ、桃と続きます。
我が家は畑にはオオグミを植えていて、真っ赤に実り食べ
頃を迎えています。

茱萸(グミ)については
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%9F_(%E6%A4%8D%E7%89%A9)

子供の頃は季節ごとの果物がおやつであり、赤らむのを
待ちかまえて食べてしまい、残すことなどありませんでした。

Img_3411

(オオグミの木、手前は秋に実が実るナツメです)
Photo

(真っ赤に熟れると食べ頃、渋みの中に甘みがあります)
1

通学路の土手下ですが、大木なので子供達も眺めるだけ
で手を出そうとしません。
最近ではグミと言えばキャンデーのほうが有名ですがこれ
は、ドイツ語でゴムを意味するそうです。

先日、どなたかがカメラを向けていたので、どうですかと聞
いたところ、写真だけ撮らせてもらえばよいとのこと。
かってのおやつも今は風物詩の一シーンになりました。

2008年6月 9日 (月)

一冊の絵本になるような村(千早赤阪村)

 兵庫県は昭和の合併で、村はなくなりましたが、近畿では
奈良の12村、京都、大阪、和歌山に各1村残っています。
島根大学時代の友人が、村会議員として9期35年勤めて
いましたが、7月の村長選に立候補することになりました。
お隣、河内長野市(11.4万人)との合併の是非を問うのが
争点です。

その名は「千早赤阪村」、歴史が好きな人なら南北朝期の
武将楠木正成が後醍醐天皇の倒幕の呼びかけに応え、
幕府の大軍をさんざん苦しめた赤阪城・千早城の戦いの場
です。
山好きの方なら大阪府と和歌山県の境に位置する「金剛山
(1,125m)でよく知る村です。
村のホームページは↓
http://www.vill.chihayaakasaka.osaka.jp/
人口約6,500の村ですが、南河内の中でも歴史と伝統
豊かな自然、人に優しい環境を持っています。

現村長が合併推進で、隣接する河内長野市との合併を
強引に推し進めています。
理由は、お決まりの「このままでは村財政が破綻する」
ですが、友人は次の立場です。
①合併は、河内長野市への吸収合併の形となる。
村民に十分な情報を提示し、十分な議論の時間をかける
べきだ。
②合併は村が無くなるかどうかの重大事。
「自立の道」も視野に入れて、行政・議会・住民が一体とな
った村づくりを考える。

村の人たちとの話し合いでは、1市5町の合併を体験した
立場から、その後の問題をいくつか指摘しておきました。
平成の大合併の光より影が明らかになってきた今、各地
の教訓を生かして、納得のいく選択をしてもらいたいと願
っています。

(候補者である友人に案内してもらった棚田です)
Dsc00821

風景を前にしての友人の言葉「この景色は、千早赤阪村だ
から絵になる。河内長野市の一地域では意味が薄れてしま
う」の言葉には説得力がありました。
安易に規模の拡大や業務効率優先を提起するのではなく
住民自身が考え、選択出来るようにすることこそが行政の
使命です。

小さいからこそできることがあり、「小さいがしっかり輝いて
いる村」を目指して欲しいと思いました。
 

2008年6月 5日 (木)

メモリアルマークⅩ(番外編)

2004年の10月20日~21日にかけて、台風23号(tokage)
の集中豪雨により円山川本流支流の堤防決壊・氾濫、土
石流・山崩れによって大きな被害がもたらされました。
「時がたてば、記憶も薄くなる。災害の怖さと防災の誓い
として浸水位に目印をつけたらどうか」という意見がでて
被害の大きかった各所でこれらの「メモリアルマーク」が作
られました。
Ⅰから順次紹介してⅨで完結したシリーズですが、新たに
2カ所確認しました。

日高町国府駅近くのろうきん住宅「虹の街」です。
過去にも被害にあったところですが、基礎をこれだけ高くし
ていても浸水位2.7mで、被害を受けました。

Photo_2 1

もう一つは、私の会社がある日高町浅倉地区で、私の席か
ら窓越しによく見えます。
ポールでは間に合わないのか、電柱に取り付けています。
ここは3.1m、通常では家の二階まで浸水する高さです。

Photo_3 1_2

2008年6月 3日 (火)

高竜寺ヶ岳(但東町・久美浜町)

豊岡市但東町と京丹後市に跨る高竜寺ヶ岳(697m)を紹介
します。
Photo_2 
もともと眺めがよいので有名でしたが、期待に違わず、但馬
の山々と久美浜の町並み、天橋立の弟分の小天橋を始め
日本海が見渡せます。
五月晴れのもと、兵庫側但東町高竜寺地区からの登山道を
選びます。
登り口には地区の方々の手による看板と持ち帰りの記念プ
レートが用意してありました。
草刈りなどのルート整備といい、心配りはうれしいものです。
楽しく山歩きが楽しめるのも、この方がたのおかげです。
「高竜寺ふるさと委員会」の皆さん ありがとうございます。
Photo_3

Img_3208   Photo_14
但馬特有のしっかりとした急坂の土道をどんどん登ります。
ブナ・ナラなどの自然林の中を、気持ちよく進みます。

Photo_7    Photo_8

Photo_9   Photo_12
一時間ほど登ると、見晴らしのよい尾根に着いて但馬側の
西床尾山や東床尾山が見渡せます。
あいにく春霞がかかっていて、遠景はぼんやりしています。
登り始めて80分ほどで、広々とした山頂到着です。
Img_3265
芝生が一面に広がり、景色の紹介板や東屋までが整備さ
れていて、ハイキングにはうってつけの場所です。
登る途中で一組が下山するのに出会っただけで、山頂の
芝生に1人寝ころびます。
見晴らしは最高ですが、僅かに西方向が樹で遮られます。
一通り景色を楽しんだ後、ご褒美の昼食にかかります。
お腹もふくれたら山頂で記念撮影です。
Img_3234   Photo
久美浜町方面
Img_3272
郷路岳方面
Photo_19
酒呑童子伝説で有名な大江山方面
Photo_20
兵庫県側 西床尾山方面
Img_3247_2
下りは北方向に向けて降りて、途中で但東町側坂野地区
に下る道をとり、自然林を縫うようなジグザク道を順調に
進みます。
途中見晴らしの良いところでは、ベンチを置いたり、粋な
計らいがしてあります。
Photo_27   Photo_29
この山で見かけた花を紹介します。
順にスミレ、ウツギ、フジ、ホウノキの花です。
Photo_30   Photo_31

Photo_32   Photo_33
途中分岐を久美浜側でなく、中程から林道を下ることに
なり、但東町坂野に出ます。
建設中の温泉施設「福寿の湯」がこの場所にあります。
開業を控え、急ピッチで工事が進められていました。
但東町はシルク温泉が有名ですが、さらにもう一つはど
うかと思います。
建てるのは市が補助金で、運営はひところの三セクで
はなく地区住民組織で行うのが一般化しています。
Photo_34
この近く京都府との境にある「たんたんトンネル」工事の
際にわき出た名水「福寿の名水」もこの付近にあります。
多可町の「新松ケ井の名水」、地元日高町の「蘇武の名
水」もトンネル工事の副産物でした。
ここから、スタート地点で車を置いている高竜寺地区ま
で、徒歩30分の距離です。

まとめると、兵庫県側と京都府側の登山道には自然林の
中に整備された道がつけられています。
頂上は360度まではいかぬものの、300度くらいの眺望
のすばらしさが印象に残りました。
家族でハイキングを楽しみ、下山後は新設された「福寿の
湯」で汗を流すという楽しみがある山です。
 

2008年6月 1日 (日)

鮎 解禁

円山川本流の鮎釣りの名所は、自宅近くの上郷橋から下
へ200mまでの地域です。
6月1日は解禁日、早朝から十数名の釣り人が竿を降ろし
ていました。

(上郷橋付近 右岸側 ↓ )
Img_3355

(上郷橋付近 左岸側 ↓ )
Img_3356
その後の護岸工事で無くなりましたが、昭和の中頃には
上流に絶好のポジションがあり、岸から釣る人、川の中程
に船を浮かべて釣る人、大人も子供も混じった竿の大放列
が見られましたものでした。

鮎も少なくなり、川の相も変わってしまったことで、随分寂
しくなりました。
ここでお伝えしているのは、「どぶ釣り」と言って羽虫に似
せた擬餌針を上下させてまだ幼い鮎をつり上げます。
Img_3363
鮎の成長に合わせて、習性を利用した釣り方も変わってき
ますが、それについては今後紹介していきます。

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