但馬情報特急

  • 但馬情報特急
    但馬に関するあらゆる情報が載っています。 最新情報もここから・・・。

九条の会

  • 九条の会
    日本が誇る憲法九条をまもり、平和な世の中を築くため行動します。
フォト

愛犬ハル

  • P1020325
    16年我が家の家族として、楽しませてくれた「晋平」が2005年 3月息を引き取りました。 代わりに今度は女の子を購入しましたが、恐がりで人になつか ないのが困りものです。 春に来たからハルと名付けましたが、血統書付きで本名は 「文美姫号」です。

« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »

2008年1月

2008年1月31日 (木)

広域ゴミ処理施設候補地発表

 北但1市2町(人口12.8万)の広域ゴミ処理計画に基づき3年
かけて口説いていた上郷に昨年秋受け入れを拒否され、振り
出しに戻りました。
施設見学や環境問題の学習、議会への働きかけなど住民の
粘り強い運動の結果ですが、もともと以下の3点で問題があり
ました。
①地元の了解もなく行政側が一方的に決めた。
②この地は過去にゴミ焼却施設があり、今回で3度目となる。
③ゴミや汚泥を一カ所に集め、全量焼却は問題がある。

今度は①を教訓に直接決定から選定委員会方式に変えて、
委員会を立ち上げ、5カ所に絞って候補地を決めました 
http://www.hokutan.jp/sennteiiinnkai/5sennteiiinnkai-tuikasiryou2.pdf

決めるに当たって発表では・・・
①選定基準に沿って検討したところ高得点だった (2カ所)
②住民の同意が得られ、前向きな姿勢がうかがえる (2カ所)
(事前に対象地域二百数十カ所に文書で打診しています)
③公的な用地がほとんどで敷地確保がが容易 (1カ所)
これから各候補地住民の意見も聞きながら、3月末に一カ所に
絞り込むとしています。

地域振興計画(ご褒美)のメニューです  
http://www.hokutan.jp/sennteiiinnkai/tiikisinnkousaku-menue.pdf

候補地住民のある方から、付近に小学校もありいろいろ問題
もあるから来ないようにしたいと相談がありました。
ダイオキシン対策、経済効率などを理由に北但1市2町のゴミ
や汚泥を一カ所全量焼却することにに疑問を持つ立場ですが
施設受け入れは当該地区住民の同意が前提になるので、区
民の意見をまとめ、意思表示されるようお話ししました。

コウノトリの贈り物

 豊岡市が奨めている環境をテーマに経済を活性化させた成
功事例をホームページに載せています。
http://www.city.toyooka.lg.jp/www/contents/1138939802312/files/jirei.pdf
どれもそう大きなものはありませんが、コウノトリとの共生ばか
りでは飯が食えないとの批判もあります。
いや、ありましたと過去形で書くべきかもしれませんね。

豊岡市の「コウノトリの郷公園」は県立施設であり、園内にあ
るコウノトリ文化館「コウノピア」は市の施設であり、入場料は
一切取りません。
駐車場も含めてお金がいらないこと、園内が整備されてきれ
いなことで、バスや自家用車の観光客が詰めかけます。
もともと城崎温泉や城下町出石・神鍋高原・山陰の海やカニ
で、観光客が多いところにコウノトリ人気で、4~5年前は15万
人程度でしかなかった年間来園者が、いまは50万人を超す
勢いで、休日となると広い駐車場もバスと車で埋まってしまい
ます。

 これを経済に結びつかせない手はないと敷地内に市のお声
掛かりで作られたのが「コウノトリ本舗」です。
http://kounotori-honpo.jp/

ここでは環境配慮型の食品、グッズなどの商品を店舗販売して
安全な有機農法で作られたコウノトリ育むお米のネット販売もし
ています。
敷地内では近くの農家で作った有機野菜も販売していますが、
思惑とは違い、現在のところ経済効果は大きくないと聞きます。

我々は都市の諸施設や便利さをうらやましく思いますが、水と
空気はもちろん山も川も海もきれいな地に誇りを感じます。
コウノトリが住める環境は人にとっても優しい環境です。
人口の割に地方に金をかけ過ぎだとの意見も聞きますが、地
方が都市も含めた環境全体を守っていることになり、その感謝
の気持ちとして、出来るだけお金を落としてもらいたいですね。

2008年1月25日 (金)

卵かけご飯用醤油

 12月に「たまご考」として、卵かけご飯について書きました。
専用の醤油が販売されているので紹介します。
Photo
醤油にかつお風味を加え、みりんやワインも入っていて食べ
てみると結構いけます。
そうなると卵にもこだわりたくなりますね。
地元豊岡市竹野町の醤油会社で作られたものです。
コウノトリの郷公園に隣接して、環境重視商品を置いている
「コウノトリ本舗」や市内のコンビニ、以前紹介した行列の
出来る卵かけご飯の店「たん熊」でも販売しています。
お代は210円で量の割には高く感じますが、当時は最高の贅
沢であった卵かけご飯なら許せるかも。

「しょうゆの花房」のホームページ 
http://www.syouyuhanafusa.co.jp

2008年1月23日 (水)

ペットと別れる時(ペットロス)

 日本ペットフード業界がペットの飼育率を毎年発表してい
ます。
http://www.jppfma.org/topics/topics-set.html

調査では「飼育率は犬19.2%(昨年度19.4%)、猫14.7%(同
14.9%)であり、飼育頭数は犬が1,208万9千頭、猫は1,245
万7千頭で、犬・猫合計では2,454万6千頭。飼育されてい
る犬猫の高齢化が進み、犬は約半数が7歳以上である」と
しています。
 2003年の年少人口(0~14歳)が約1,700万人と比べて、
ペットはもはや家族の一員としての地位をしっかり占めて
います。
そういえば、ホームセンターに行くとペットフードや用品が
所狭しとばかりに置かれ、ベビーからシニア用までの品揃
えです。

朝来市がペットの火葬受付を今月から変えました。(  )
http://www.tajima.or.jp/modules/tajimanews/index.php?station=2528
要望に応じて、火葬後の収骨に応じるようになったとのこと。
お隣の養父市では、以前から行っていたことです。
私も2年前に16年飼っていた柴犬の晋平が亡くなったとき
斎場に行き、ダンボールごと炉に置いて線香を上げ、火葬
後は100均ショップで買った壺で収骨し、当家墓地の所定の
場所に埋めてやりました。

(養父市の小動物火葬については  )
http://www.city.yabu.hyogo.jp/www/contents/1189749166189/index.html

ペットも年をとると、目が見えなくなり、鼻がきかなくなり、や
がて散歩が出来なくなり、ご飯が食べられなくなります。
もちろん病気になる場合もあります。
愛するものを失った時、飼い主は大きな悲しみに陥ります。
「ペットロス」という言葉があります。

(ペットロス症候群については  )
http://www.hpmix.com/home/sourumeito/E11.htm

都市部にはお葬式はもちろん供養やメモリアル用品を提供
するビジネスがあるそうですが、それを利用する気持ちもわ
かります。
シニアになったペットをお持ちの方は、心の準備とともに、
豊岡市が火葬を受け付けていないので、割高で高額になり
ますが、他市施設の利用も考えておく必要があります。

2008年1月22日 (火)

ブログを始めてみませんか

 昨年4月に始めて、書いた記事の数は140あまり、アクセス
カウンターは6、200を超しました。
「よく頑張るねー」とか「読んでるよ」の声や甘口・辛口のコメン
トに刺激され続けてきました。
始めた動機は、日高町經友会という異業種交流組織の新年
度方針「情報発信力を高めよう=ブログにチャレンジ」による
ものでした。
テキストは本屋で550円のものを使い、提供元は大手のプロ
バイダー「ニフティ」の運営している「ココログ」の無料版を使
っています。
テキストは http://books.livedoor.com/item4872835727.html 
無料といっても今の分量で約15%も使っていないので、容量は
十分過ぎるほどあります。
オリジナルは写真や文章だけで、いろいろなテクニックもすべて
提供されているものを使っています。
つまりかかった直接経費は550円也です。

強いて言うと・・

①windowsの基本操作ができる
②インターネットがある程度使える
③デジカメが使え、パソコンに取り込める

であれば、さらに内容が豊かになります。
11人で始めたことで、お互いが競ったり、教えあったりすること
ができたのがよい刺激になりました。
今後はホームページとビジネスやプライベートのブログとリンク
できたらと考えています。

 停年を迎えた団塊人に特にお勧めします。
そば打ち・山歩き・カメラ・家庭菜園・園芸とネタには事欠きません。

2008年1月20日 (日)

広域ごみ処理場建設問題

 合併前の平成16年6月行政は北但地域ごみ・汚泥処理
処理施設の建設候補地を日高町上郷と決定しました。
県のゴミ処理広域化計画を受け、北但1市2町13万人の
ゴミ・汚泥を一ヶ所で処理しようとする計画です。
3年間行政からの強い働きかけにもかかわらず、視察や説
明会・学習会や議会傍聴を通じて、昨年7月上郷地区は総
会で受入を前提とする、環境影響調査を拒否し振り出しに
戻りました。
近隣の地区に住む私たちも問題点を指摘し、ともに反対運
動を進めてきました。

 一方的に候補地を決め、住民合意が得られなかった教訓
から、今度は第三者も加えた選定委員会をつくり、来年3月
までに場所選びを終える見込みです。
今度は、ごみ発生量の「重心」となる豊岡市福田交差点から
15km圏で3ヘクタール以上あり、住宅地を避ける等の条件
に合致する場所からいろいろ絞込んでこの中から1月下旬に
は選定委員会が5ヶ所に絞り込むとしています。
候補地区には、その地区の要望事項はもちろんのこと環境
モデル地区として様々な助成が用意されます。

以前ごみ処理施設が「迷惑施設」として受け取られることか
ら補助金額を明確にして、地域から手を挙げてもらう「公募
方式」をとったのが、兵庫県丹波市でした。(最高3億円)
ところが、何カ所からの「立候補」から選ばれた計画がいま
揉めています。
(問題になっている丹波町候補地 のテレビ特集です
少し長いですがyoutubeでご覧下さい)

http://www.youtube.com/watch?v=jVVz8otySag

妙案とされた公募方式も問題が出て、白紙撤回を求めた請
願が議会で可決され、議会も巻き込んだ泥沼状態です。

国や県のお勧め方式である一カ所集中、全量焼却は問題が
多く、ウルトラCとされた補助金作戦も通用しないとなると、住
民意見を取りいれ、徹底した減量を第一にこの問題の基本に
帰るしかありません。

2008年1月19日 (土)

裏路地探検

 (財)但馬ふるさとづくり協会発行の情報誌「T2」は、季刊
発行でふるさと但馬の情報が載っています。
そのシリーズ記事で旧街道を歩く「裏路地探検」の対象に私
の住む日高町府市場が選ばれ、今日実施されました。
但馬のあちこちから事前に申し込まれた方々約30名に2時
間に渡って、当区をじっくり歩いて頂きました。
(大正期から昭和にかけて商店が建ち並び、盆暮れには
季節用品や飲食の露店が集中した「手辺市」で賑わった
通りです  )
我が家もここで菓子屋「伊佐屋」を営み、羊羹・巻きせんべい
水飴・松露糖を販売していました。
私が建て替えるまでは、虫籠窓に塗り壁・屋根にはうだつが
上がっている貫禄ある建物でした。
100年も経つと、手辺市を構成していた店舗約40軒のうち
残っているのは菓子屋・タネ物屋・食品店など4~5軒しかな
く、建物はほとんど残っていません。

手辺の町並みは↓を開いてください
「tehen.jpg」をダウンロード
 

Img_1982 Img_1985

「府市場昔話同好会」のメンバーとして、ふるさとの歴史を勉強
してきたご縁で、講師としてご一緒することになりました。
雨もやみ、まずまずの天気の中、資料を交えての説明です。

①但馬の国府の所在地で、その後市場として栄えた町並み
②神社仏閣(寺・神社・観音堂・稲荷社・地蔵・薬師堂・妙見社)
②東西に別れた地域の特徴と、宮行事に関係する御輿・屋台
 だんじりなど区民が守り育ててきた文化財

などを見て頂きました。

Img_1989_2 Img_1993

案内して感じたことは、自分でも知っているようで知らなかった
ことが多いのと、ほんとうに聞いてもらいたい地区住民の方々
の参加が少なく残念だったことです。
説明資料では当村に生まれ、九州の伊万里に移住された菅
村駅一さんの著書や大正初期に生まれた同年代の方々に聞
いて作った記録が大いに役立ちました。
言葉から文字に、そして写真からデジタルデータにと表現や
記録のツールは進化しましたが、やはり人間の記憶がベース
になります。
ふるさとの記録を後の時代に引き継ぐ、責任のようなものを
感じた一日でした。

今日の内容は3月発行全戸配布の「T2」春号で紹介されま
す。

2008年1月18日 (金)

映画「北辰斜めにさすところ」

 上映中だそうですが、あまり話題になっていません。
ネットでは「伝えたい志がある」「残したい想いがある」という
言葉が最初に出てきます。
激動の昭和を生きた旧制高校生達の青春群像を描いたも
ので、沢山の賛同者やボランティアによって作られました。

主演は三国連太郎で、明治期にエリート養成機関として生ま
れた旧制第七高等学校(鹿児島大学の前身)を舞台にした
物語です。
題名は校歌の歌詞の一部で、北辰(北斗七星)を斜めさす
つまり南国地であることを示しています。

映画の解説やストーリーは 
http://hokushin-naname.jp/top.html
三国連太郎は自身も受けた人権差別に対し、強い憎しみを
感じているのと、戦争を批判し平和への想いを持っているこ
とで知られています。

旧制高校と言えば、私が出た島根大学も17番目にできた
松江高等学校を前身としています。
入学と同時に、旧制高校の川津寮に入寮し、共同生活をする
中で、自治と自由な精神やバンカラな気風・伝説のストームな
ど授業以外の数々のことを学びました。
(旧制松江高校については ↓ )
http://museum.shimane-u.ac.jp/university_history/matsuko.htm
特に校歌「青春の歌」の優雅ながらも壮大な歌詞は、身を引
き締めて歌ったものです。
「釣りバカ日誌」の三国連太郎のすーさんも好きですが、この
映画は是非観たいと思っています。
 

2008年1月16日 (水)

牛神様

 岡山県備前市吉永町に田倉牛神社(牛神様)があります。
いまでも農耕の神様として、農家を中心に近隣からのお参り
があり、正月5日の初詣は参拝客で埋め尽くされます。
大切な牛の守護神としての信仰から、五穀豊穣はもちろんの
こと、家内安全・商売繁盛のよろず承り所になったのでしょう
か。
もちろん来年の丑年になると、ぐっとお参りが増えるでしょう。
私も嫁さんの実家に近い縁があり、お参りに行ってきました。

Img_1965
Img_1968

ご神体は石に彫られた牛で、その回りを備前焼きの子牛が
奉納され埋め尽くされています。

Img_1974

願をかけるとき子牛を奉納し、替わりに置いてある子牛を一
体いただいて帰り、大切に飾っておきます。
願いが成就すると、もう一つ増やして倍返しにしてお供えを
するのが習わしと書いてありました。
そうこうしているうちに二十万とも言われる牛の置物が積み
重なったというわけです。

Img_1973

30年代くらいは私の家の近くでも、農耕のため牛を飼ってい
る農家がありました。
但馬牛と言えばいまは黒毛和牛肉のことをいいますが、当時
田や畑を耕耘するには、専用の農具と牛の強い力が必要で
した。
刈り取りが終わった田んぼで野球をすると、地面が固くなる
からと叱られたものです。
役牛として肉としても、生ませた子牛も売れる牛は家族の生
活の糧として大切に育てられました。
特に但馬西部の香美町小代区・村岡区・旧温泉町では、少
なくはなったものの但馬牛の肥育が行われています。
但馬で牛を祭った神社を調べてみると、旧温泉町と鳥取県
岩美町の境に牛ヶ峰山(713m)があり、山頂付近に牛ヶ峰
神社があることがわかりました。

島根大学時代の後輩「丹後の金ちゃん」は家の子牛を売っ
てそのお金を大学の学資にしたそうですが、子牛を探す母
牛の様子と悟った後の母牛の涙をいまでも思い出すと言い
ます。
いまはもっぱら乳や肉の提供者として扱われていますが
力強く頼もしい友として、当時の生活を支えてくれたことは
忘れてはいけませんね。
 

2008年1月12日 (土)

ALWAYS 続・三丁目の夕日

 06年公開された「ALWAYS三丁目の夕日」の続編、「続・
三丁目の夕日」を鑑賞してきました。
昭和33年を描いた前作は、東京タワー建設・集団就職・テレ
ビジョンなど当時のエポックをちりばめながら東京下町に暮ら
す人々の明るく暖かで懸命な様子を描いています。
原作は週刊ビッグコミックオリジナルに描かれて西岸良平の
漫画です。(  )
http://jetengine.net/c/log/2001_10131745.html

そこには主に30年代の日本と日本の家庭生活が詳細に描
かれていて、かっての私達の暮らしを思い出させてくれます。

(ALWAYS 三丁目の夕日は  クリックすると開きます)
http://www.always3.jp/05/

今回の続編は一年後の昭和34年が舞台で、東京タワーは
出来上がり、路面電車や自動車が走る時代になります。
進んだ家庭では手回しのローラー付き洗濯機や厳つい冷蔵
庫が備えられています。
そのずっと後ですが我が家にもテレビや洗濯機・掃除機が
最初に来た時は忘れられません。

その懐かしさもさることながら、そこに暮らす人たちが貧しく
ともお互いを人を思いやる心根がすばらしのです。
まるで「寅さん映画」を見ているような感じで、そこは根っか
らの悪人はいない落語のような世界です。

(ALWAYS・続三丁目の夕日 ↓ クリックすると開きます)
ストーリーはここで、ご覧下さい。
http://www.always3.jp/

 豊岡市には’まだ’映画館が残っています。
但馬どころか北近畿では福知山が無くなった今ここだけしか
ないという文字通り希少価値がある館です。
レンタル全盛で人が家庭で映画を見るようになったり、封切
映画がすぐにDVDになるなど逆風は強まるばかりです。
見に行ったのは、男性が割引になる木曜の夜でしたが、都
市部では人が詰めかける評判の映画もわずか6人が鑑賞
するだけでした。

映画という文化を地域の人たちに提供する映画館の存立は
その地域にとってバスや電車と同様一大事です。
三丁目の夕日の時代、当地でも各町に複数の映画館があり
学校や公民館でも婦人会や青年団主催の映画が開かれ
家族揃って鑑賞に出かけたものでした。
勝手に推察すると、この分では営業不振を理由に何時閉め
られてもおかしくありません。

 人は最初と最後に特別な思いを感じます。
特に最近はこれで終わりとなると、残念がったり、慌てて見に
行ったり、悔やんだりすることがなんと多いことか。
そうならぬよう映画館継続のため、協力をお願いします。
「月に一度は、家族揃って映画を見よう!」

2008年1月10日 (木)

宵田本えびす

 10日は本えびすの日、関西では今宮戎や西宮戎が有名
ですが、当日高町には宵田区に戎神社が祭られています。
商売の神として、旧豊岡市内や出石から商人だけでなく幅
広い参拝客があります。
何年か前に気軽に参拝して以来、途中でやめるのもどうか
と思い、お参りを続けています。
例年は本えびすだけですが、今年からは宵戎も始めたこと
や3月を思わせる陽気で、多くの参拝者でした。

D1010070_2

かってない列の後尾に並んだものの、神前にたどりつくまで
なんと40分もかかってしました。
宵田えびすの特長は空くじ無しの抽選くじにあります。
一本200円ですが、ほとんどの人が5本・10本と買い求め
るのですが、10時以降は一人一本の制限がかかるほどの
売れ行きでした。

 地方でかつ小企業や個人が多い関係で、景気回復の願
いはとりわけ強いものがあります。
その「神頼み」の列にいつの間にか私も加わるようになりま
したが、今回のえべっさんの「好景気」にあやかりたいと思
います。

2008年1月 9日 (水)

百人一首考(坊主めくり編)

 以前百人一首の話はしましたが、子供の頃当家には帝国
カルタ會特選の競技カルタしかなかったので、読み札に絵は
全く入っていませんでした。 

Photo

坊主めくりをしたのは近所の主婦達が集まって競技をする
ために、カルタを持ち寄った時しかなく、恨めしく思ったもの
でした。
その分競技に身を入れることが出来たという風に解釈する
とよいのかもしれません。

昭和も中頃になって、新しく購入したとき初めて絵付き読み
札で坊主めくりを楽しむことができるようになりました。

P1090001

ルールは原則があるのですが、それぞれローカルルール
やプライベートルールを作って楽しまれています。

基本はすべて裏向けした札を順番に引き、積み札が無くな
るとおわりですが、以下のルールがあります。
①坊主を引くと持ち札を場に出す。
②姫を引くと場に出された札があれば自分のものにする。
③それ以外の武家や公家であれば、その札を自分のもの
 にする。

その上当家のルールは・・・・・・
④縞模様の台座に座っている天皇及び院を引くと自分の
 次に位置する人の札を総取りできる。
 女性天皇(持統帝)の場合は、場の札も手に入れること
 が出来る。
⑤刀や弓矢を持った武家を引くと逆に自分の後に位置す
 る人の札を総取りできる。

もともとの天国と地獄ルールに加え、ギャンブル性を持た
せてよりおもしろくしていました。

今年の正月は2歳と3歳の孫に手を取られ、カルタの出番
はありませんでした。
何年かすると親父がしたように、私が孫を特訓するように
なるのでしょうか。
形は少しずつ変わりますが、歴史は繰り返されるのですね。

2008年1月 8日 (火)

朝来山(あさごやま)です

 冬型もすっかりゆるんだ5日、七種山(683m)に続いて
但馬朝来市和田山町の朝来山(757m)登山を思い立ち
ました。

Photo_16

ここは桜の名勝・立雲峡を麓に抱え、対面には、戦国時代
有数の山城竹田城跡や和田山町全景を一望することがで
きます。
登山道は県立南但馬自然学校からのコースもありますが、
今回は立雲峡から愛宕神社を経由するコースを選びました。

Photo_8

岩山が多い北摂や播磨の山とは違い、ジグザク道ですが、
ほとんど土道で登りやすく感じます。
途中作業道から右の登山道を進んだのですが、道を見失
い渋々元に戻って、自然学校の生徒が利用する「むささび
コース」を利用することにします。

Photo_9

登るにつれ対面の竹田城跡や市街地そして但馬の連峰が
見渡せ、結構楽しめます。
竹田城については 但馬辞典
http://www.tajima.or.jp/modules/spot/index.php?mm=inf&journal=430

(壮大な山城 竹田城の石垣がよく分かります  )

Photo_10


思いつくのが遅く、昼前のスタートになったので、1時半過ぎ
景色のいいところで、コンビニで購入したカップヌードルと粉
末スープで昼ご飯。
携帯コンロが役に立ち、食後のコーヒーも楽しめます。

Photo_11

712mの展望台はすぐそこで、天候もまずまずで360度の
パノラマが楽しめました。
展望台から少し登ると山頂で、雪が残っているなかまたまた
セルフ記念写真です。

Photo_12

山頂は全く展望がきかないので、もと来た展望台で大休憩
です。
ここからは西方は須留ケ峰・鉢伏山・氷ノ山、北方には西
床尾山、東床尾山、東には100m高い粟賀山が障害なし
でばっちりと見えます。
南方には逆光の中、段ケ峰や三国岳・千ケ峰が望めます。

(方位盤や全方向の案内板が整備されていて、どこに何が
 あるのかよく分かります  )

Photo_13
Photo_14

(東隣の粟賀山 鉄塔やコンクリート建物が見えます  )

Photo_17 

すばらしい展望を独り占めにするのにも飽きて、もと来た道
を戻ることにしましたが、旧道との出会いで旧道を選んだも
ののまたまた見失ってしまい、Uターンで相当な時間ロスしな
がら夕方5時前に下山しました。(やれやれです)
次は別コースを楽しみながら、再チャレンジしたいような山で
すが、これから本格的な冬を迎える但馬では、雪解けまでそ
の機会は望めないでしょう。
例年のご馳走と酒漬けのお正月から、3日と5日に健康的な
山歩きができたことで、思い出深いものとなりました。
 

2008年1月 7日 (月)

蝋梅(ロウバイ)が咲きました

 今回は季節ネタです。
 大晦日から元旦にかけて降り積もった雪もすっかり溶けた
庭に、昨年より早くロウバイが咲きました。
冬枯れでかつ霜や雪にも負けずに一番早く花をつけるので
大切にしている庭木です。
雪に負けないように支柱と囲いをしているのですが、外して
やりました。
近所にも大きな木がありますが、日当たりがよいのかこちら
が先に咲きます。

Img_1820

蝋梅と書きますが、花が蝋細工のような感じからつけられた
もので、雪が枝に残って凍えるような時に可憐に咲く様子は
そのままの感じです。
厳寒期でもポッポッと咲いてくれのるで、遠くても春を感じさ
せてくれます。
2月になると次はお隣に植えてある「紅梅」の登場です。

2008年1月 5日 (土)

百人一首考

 昨日に続いて文化ネタです。
今日5日は百人一首のカルタキングとクイーンが決定しま
した。
この競技会が近江神宮で行われるのは、百人一首の第一
句が天智天皇「秋の田の・・・」によるものです。

 調べたところ、百人一首は、鎌倉時代、歌人の藤原定家
が、百人の人の最も代表的な和歌を一首ずつ選んだもの
です。
それらの百首は、すべて「古今集」 ・「新古今集」など十の
勅撰和歌集から選ばれています。
百首のうち、恋の歌が四十三首もあり、季節では秋の歌が
十六首で一番多く選ばれています。
なお、百人のうち女性歌人は二十一人、僧侶は十五人です。
我が家でもカルタ競技の合間に、読み札を使って「坊主めく
り」を楽しんだものでした。
坊主めくりゲームに関しては、後日触れたいと思います。

時は昭和32年頃から、テレビが普及する38年頃まででし
た。
三木家で区内のご婦人方が集まり、カルタ会が毎年開かれ
ていました。
松の内も過ぎ小正月頃一段落した頃、ミカンや駄菓子を手
に母の友人10名程度が集まり、座敷を舞台に「源平」とい
って二手に分かれて団体戦を繰り広げていました。
皆が集まるまでは「乱取り」と言って、誰もがフリーに取り合
う方法で人が揃うのを待ちます。
それぞれに「おはこ」という得意札があり、それをものにする
かどうか大騒ぎ、真剣な中にも笑いの絶えない和やかなもの
でした。
読み手はいつも父が勤め、当時小学中学年だった私も仲間
に入れてもらい大いに鍛えられました。
メンバーで思い浮かぶのは、お向かいのUTさん、3軒上どな
りのNFさんくらいですが、殆どのメンバーは今は亡くなりまし
た。
娯楽の少ない時期しかも地方の田舎町で、家事や農事に追
われていた主婦達の娯楽が、百人一首という今でもあまりや
らない「高尚」な遊びであったことは興味深いものです。
今では骨董品級の「東京かるた選手會発行の競技用カルタ」
を持っていたことを見ても、元来三木家でたしなんでいたこと
が、交際好きな父母を通じて地域に広がったのでしょう。
一段落してミカンを食べて競技再開の時は、手を洗わされた
り終わった後は、必ず数を確認するくらい大切に扱ってきまし
た。


Photo

 私たちがUターンしてから、当家では父がコーチ役になって、冬
休みになると娘二人を毎晩特訓してくれました。
それぞれ中学校のカルタ会では優勝に近い成績でしたが、その
努力を持ってしても、娘は「偉大な父」(スミマセン私のことです)
を越えられませんでした。

2008年1月 4日 (金)

ご当地検定

 ご当地検定の但馬版である但馬検定が今年も行われます。
今年は2級を受験します。
昨年は3級のみが実施され、11歳の小学生から82歳のお年
寄りまでの約250人が受験しました。
90分の時間でしたが、意外に基本問題が多く自己採点では
94点の合格でした。

(但馬検定については、こちら↓ クリックすると開きます)
http://www.tajima.or.jp/modules/official/index.php/tajimakentei/top.html

3級検定はテキストブック「ザ・たじま」から90%以上が出題さ
れますが、2級検定はテキストからの出題は70%以上で、他
の範囲からの問題が増えるとあります。
昨年全14回に分けて受講した「但馬ふるさとづくり大学」の講
習内容からも出題ます。

( 勉強の種本3冊です ↓ 

ザ・たじま   → 但馬ふるさとづくり協会発行
但馬読本   → 但馬文化協会
但馬風土記 →  但馬文化協会


Img_1725
 
 当地へUーターンしてから25年、生まれ育った場所とはいえ
あまりにも無知だったことを自覚し、ふるさとの良さと誇りを学
びたいと感じました。
そんな気になるのも年を重ねたせいで、学んでいるのも同輩
や先輩方が多いですね。
検定のジャンルは歴史・古墳遺跡・近代化遺産・自然・伝統芸
術・人物・・暮らしに及びます。

(ふるさと但馬ついてはこちら↓ クリックすると開きます)
http://www.tajima.or.jp/furusato/

2008年1月 3日 (木)

初登り

 新年の初登りに兵庫県福崎町「七種山(なぐさやま)」に登り
ました。
娘達や孫はスキー場に初滑り、爺ちゃんは一人好きなことを
させてもらいます。
場所は毎年研修のお世話になる中小企業大学校関西校があ
る福崎町です。
高さは683mの山ですが福崎町や兵庫山岳会の手により整
備され、案内板も多く初めてでも登りやすい山でした。

(七種山、左の尖った七種槍への縦走コースもあります )

Photo_8  Photo_9

途中七種神社・七種の滝を経由しますが、新年のことでもあり
またまた「誓い」をたてたものです。

Photo_13   Photo_12    

岩山による急坂が多いですが、登り始めて90分で山頂です。

Photo_4 Photo_5   

山頂の見晴らしは、北と東が中心で他は見えにくく、360度
のパノラマとはいかないのが残念でした。
40分近く山頂にいましたが、3人が二組・個人が一人に会
ったくらいで、正月に山に登る暇人はそう多くありません。

Photo_14

下りは東側の小滝林道経由の道を選びましたが、山中歩きば
かりで展望も悪く、麓は林道を歩くだけで別の道がお勧めです。
帰った夕方になると但馬はやはり雨模様、播州は晴天ではな
かったものの、うらやましいお天気でした。
冬の間のトレーニングは、やはり山陽側の山歩きしかないです
ね。
 

2008年1月 2日 (水)

冬野菜の「雪の下」

 冬野菜は霜にあい、雪に埋もれると甘みが増すため一層美
味しくなります。
大根・蕪・人参などの根野菜を中心に、白菜・ほうれん草・キャ
ベツが続きます。
当地ではこれを「雪の下」と」呼び、雪が少なくなった当節では
敢えてそのままにして、畑に置いておきその都度収穫します。

これは野菜自身が、寒さで凍結するのを防ぐため糖度を増す
ことで甘くて美味しくなるからと言われます。
雪国ですが、凍結するまでには気温が下がらない地方にはい
ろいろな知恵があるものです。
我が家も白菜は防寒のため頭をわらで縛っておき、根菜類は
土をかぶせてそのままにしておきます。

2008年1月 1日 (火)

雪の但馬から謹賀新年

 新年あけましておめでとうございます。
大晦日は北西の季節風に悩まされましたが、雪は舞ったもの
の積もるほどではあませんでした。
一夜明けて元旦は久しぶりの「ホワイトニューイヤー」です。

Photo_2 Photo_3

当地で雪は生活を乱す邪魔者という側面と、近くのスキー
場に客を呼ぶ福の両面があります。
子供の頃は雪が積もると、「神鍋が喜んどるわ」がお年寄
りの口癖でした。

播州の初詣を昨日終え、氏神様に初詣に行ってきました。
伊智神社といって式内神社で、私の住む府市場区の氏神
さまです。
ご神体は女性で、鏡が納められているという噂ですが、誰
も見たことがないことになっています。
三年に一度の御輿による区内巡行がありますが、神主の
手によって、ご神体が御輿に渡られます。

元旦祭は10時から執り行われ、賀詞交換もこのときに行
われますが、雪のせいか参加は多くありませんでした。

Photo_4 Photo_5

当地の雪は飛騨や北陸の豪雪地帯とは違い、積もっては溶け
溶けては積もりの繰り返しで、ピークの節分を境に徐々に春に
向かいます。

夫婦二人の元旦ですが、夕方には遠くに嫁いでいる娘夫婦が
孫を連れて帰ってきます。
孫達は雪が初めてなので、物置から娘が使っていたソリを引っ
張り出してきました。
もう一人の娘、ハルは急に冷え込んだことで、小屋に毛布を敷
いてやるとおとなしく丸まっています。

Img_1538_2

 

« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

神鍋山野草を愛でる会

道の駅神鍋高原

SUZURAN写真館

無料ブログはココログ