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愛犬ハル

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    16年我が家の家族として、楽しませてくれた「晋平」が2005年 3月息を引き取りました。 代わりに今度は女の子を購入しましたが、恐がりで人になつか ないのが困りものです。 春に来たからハルと名付けましたが、血統書付きで本名は 「文美姫号」です。

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2007年9月19日 (水)

伊佐屋の由来

「伊佐屋」は我が三木菓子店の屋号です。
もとの屋号は「龍野屋」で、当主は代々「与三兵衛や治郎市」を名乗っていました。
眉唾ものですが亡くなった父が、「お前で○○代」と言っていました。
江戸末期に八鹿伊佐村の新田開発を願い出たが、難工事のため身上をつぶしかけ撤退したと八鹿町史に載っています。
お上の許しを受けて、公共事業を商人が興すなど商人が力をつけてきた時代になってきたことがわかります。

出石藩主小出公の龍野から国替えに商人として随身し、当初は伊佐村に知行を得た後、国府の商業地=府市場に土着したのでしょう。
名字の「三木」も龍野出身から決めたのでしょう。
これは、但馬史第4巻国府村史に記述があります。
<但馬史4巻目次> 
http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Drum/6260/tajimashi4.html

<国府村史中巻>
(前略)その先祖は、小出吉政が文禄四年(1595)龍野から出石に封ぜられた際、追随して、まずその治領である伊佐村に移り、その後、更に府市場村(手辺の分)に移って来た。(後略)

新田開発の他、小出氏断絶の際、自宅及び出石安良村にあった出先が百姓による打ち壊しにあったと不名誉な記述もあります。
ということで、出石藩の御用商人からスタートして、「札元」(御用銀行のようなもの)を業としていました。

大正からから昭和の敗戦までは菓子屋兼文房具も売る店を営んでいました。
戦争で餅米や小豆など材料が無くなりお菓子屋はたたんでしまいました。
出石藩の「札元」をつとめていたくらいですから、先祖はお金儲けがうまかったようですが、その血はとっくに薄れてしまいました。
そんなこんなで、私のブログには「但州国府伊佐屋三木治郎市」と付けたかったのですが、長すぎるので短くしました。
 

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伊佐屋物語」カテゴリの記事

コメント

三木さんなぜ伊佐屋なのか不思議に思っていたのですが、よく分かりました。それにしても25代目とはすごいですね!
うちは私で4代目の分家の分家らしいです
ちなみに子供の頃は地区内では饅頭屋の子と
言われ、どうも昔は饅頭や砂糖菓子を作っていた様です。

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